ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

秋田連続児童殺害事件

2006年07月19日 | ニュース・現実評論

虐待の有無など捜査 母子関係の実態解明へ (共同通信) - goo ニュース

こうした事件にはあまり触れたくはないが、記録のために少しだけ感想を書いて置こうと思った。

この事件の根本的な原因は、現代の日本の男女関係の多くに健全なモラルが成立していないことにあるのではないだろうか。現代日本の男性も女性も本当の意味で相互に尊敬できるような愛情をもてないでいる。結婚とは何か、その価値や目的など、それが男女ともに現代の日本の青年たちには教えられていない。

とくに日本の女性の価値観の多くは、ブランド志向であり金銭的な欲求第一であり、夫婦関係や家族の価値と大切さについて教えられる機会もないまま、個人の欲望の充足がすべてに優先している。戦前の家族制度が失われたあと、そんな精神的な風土になって、それに代わるような健全な家庭を育む文化や宗教を持てず、その伝統もない。その精神的な空虚さを埋めるために、浮き草のように、刺激を求めて移ろい歩く。

この犯罪を犯した女性も結局別れた夫と幸福な結婚生活をもてなかったのだろう。それが第一のすべての不幸だった。彼女も本当は不幸で気の毒な女性だったのだ。夫を愛することのできなかったこの女性は、娘をも十分に愛することが出来なかった。もともと、この女性自身も愛情に包まれた家族に育ったのではないかも知れない。もちろん確実なところは分からない。人間は動物と違って、環境に完全に支配されるものではないから。

いずれにせよ、そして

①別れた夫への憎しみが、娘に向かい、衝動的に娘に手をかけることになった。子供が自分の幸福の障害になっていると感じていたから。

②しかし、警察は彼女のこの犯罪を見逃すか、少なくとも事件を「穏便」に済まそうとした。

③おそらく、近隣や地域では、この女性の犯罪の可能性は認められていたはずである。

④女性自身は、警察に自分の犯罪を暴いてもらいたかった。それは、彼女自身に娘への罪の意識と愛情もあったからである。しかし、警察は彼女を逮捕しようとしなかった。日本の警察は「やさしい」ところもあるからである。

⑤女性は近隣や地域の彼女に対する視線にまた反感を覚えていた。娘に対する犯罪に自暴自棄になっていた彼女は、その憎しみがふだん家族ぐるみで親しく付き合っていた「幸せそうな友だちの」女性に向けられ、子供を失った思いをその女性にも思い知らせようと思った。また、新たな犯罪によって確実に彼女自身も逮捕されることによって、精神的な苦痛から逃れようとした。それが、男の子の殺害につながる。

こうした事件から見えてくるのは、日本の家族に見られる索漠とした風景のように思える。夫は仕事に明け暮れ、妻は自己本位の満たされないむなしさを、ブランドやアイドルで紛らわそうとする。少女も中年女性もその本質は変わらない。

男性も女性も本当の心のふるさととしての家庭をなかなか作れないでいる。この事件で感じるのは、そうした現代日本人の救いのない精神状況のような気がする。

 

コメント
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