ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

「公共」と「家政」

2008年09月04日 | ニュース・現実評論

例によって、エキサイトのブログのコメントでは「内容が多すぎますので、695文字以上減らした後、もう一度行ってください。」という表示が出てしまいました。そのために、まとめて投稿するために、新しい記事にしました。

hishikaiさんの「福田康夫氏」論をあなたのブログで読ませていただきました。ギリシャの都市国家に二つの空間を見られているのは面白い視点だと思いました。近現代においてはさしずめ「国家・市民社会・家族(個人)」すなわち、「普遍・特殊・個別」の三つの空間を見るのでしょう。

確かに、福田氏には、国家体制や外交・防衛などの理念に関する問題、普遍的な問題について語る問題意識も能力もなかったのだろうと思います。それは福田氏が前総理の安倍晋三氏と同じように、氏の政治家になった本当の動機が、「たまたま政治家の二世に生まれたこと」にあったからではないでしょうか。(二世議員がこれほど支配的な立法府というのは、その国家がまさしく、いまだ封建的な後進国家であることの証明でしかないのですが、日本国民はこの事実をまだ自覚していません。病膏肓に入るですw。いぇ私は自分の国のことは客観的に見ることができるんです。あなたとはちがうんです。)

福田康夫氏はあなたのおっしゃるように、「女房」たちの「家政」に関わる、せいぜい「市民社会」の問題しか本質的に語ることができなかったようです。そして、それは単に福田康夫氏だけの問題ではなくて、多くの日本の「政治屋」の問題でもあるのだろうと思います。

実際にも衆議院に巣喰う400余名の「選良」の多くは、道路の利権や農業の助成金そして、中小企業の政策金融などの問題には極めて鼻が利きます。もちろん、それらが重要な問題ではないというのではありませんが、誤解を恐れずに言えば場合によればそれは「税金泥棒」という意味も持ちます。しかし、そうした分野がもともと得意な人たちには「地方政治」の「家政」に従事してもらい、国家の中枢である衆議院では、せいぜい現行の定数の半数以下の200人程度の、本当に「普遍的な」「公共」の問題を論じる意思と能力を持った国民の「選良」たちによって運営してもらえばよいのではないでしょうか。(参議院と衆議院の二院制やその定数問題も真剣に議論する段階に来ていると思います。)


国家の中枢であるべき衆議院の政治的能力の低下の、その原因をさらに突き詰めてゆけば、それは日本の文化の問題や、大学、大学院での政治や憲法教育の問題にまで行き着くと思います。このような「政治屋」しか日本の大学では生み育てられないのが現状です。以前にもあなたの「福田康夫氏」論のように、福田氏について論じたことがあります。日本の政治や政治家の現状を見る一つの視点としていただけるのではないでしょうか。

福田康夫氏は、辞任表明後は、「公共の世界」の問題を超えて、永遠の問題、形而上の問題を語って、政治家ならぬ「宗教家」、「哲学者」として退任されようとしておられるようです。

福田首相:メルマガ最終号は抽象的に「太陽と海と伊勢神宮」
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080904mog00m010001000c.html

福田康夫氏の総裁選不出馬──日本政治の体質http://blog.goo.ne.jp/maryrose3/d/20060725

福田内閣メールマガジン(第46号 2008/09/04)
                                                       
http://www.mmz.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2008/0904ya/0904souri.html

②29980908

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「朝まで生テレビ」を見る

2008年08月30日 | ニュース・現実評論

 

金曜日の深夜に放送される「朝まで生テレビ」を本当に久しぶりに見る。

もちろんこの番組に出演する西尾幹二氏をこの眼で見て、氏の意見に耳を傾けるためである。他のコメンテーターや評論家、大学教授らにはもともとまったく関心はなかった。西尾幹二氏のみがこの番組の私の視聴の目的だった。先般16日に亡くなられた自然農法家の福岡正信氏ほどではないにしても、すでに西尾幹二氏もかなり高齢になっておられる。西尾幹二氏の貴重な生の発言と姿を――たとえテレビを通してであれ――いつまでも見られるか、率直に言って、その機会もそれほど多くはないと思ったからである。

そして、この番組を見て感じた印象だけを記録しておきたいと思った。ただ、その印象の理由や根拠をここでは明らかに説明することはできない。

この番組のテーマである皇室にちなむ君主制の問題については、以前にも私なりに考察したことはあるが、その感想を一言でいえば、この番組の出席者の中で、君主制や天皇制の意義をもっとも深く正しく理解されているのはやはり西尾幹二氏だけだと思ったことである。精神科医もその他論者たちの出席者の中でも、思想家としての質、それは人間としての質でもあるが、ひとり西尾幹二氏だけが傑出していて、周囲の人たちは、とうてい西尾氏とは同列には置けないという印象をもった。

この番組には、西尾幹二氏と同じ世代に属すると思われるような人たちも、すなわち、少年少女時代に太平洋戦争前の戦前の日本の一端を体験しておられると思われる小沢 遼子(評論家)氏や矢崎 泰久(ジャーナリスト)氏、そして、司会の田原 総一朗氏なども同席されていた。しかし、これらの人たちと西尾幹二氏が同世代、同時代の日本に生育した人たちには、とうてい私には思えなかったことである。

もし太平洋戦争を一つの区切りとして言うなら、明らかに西尾幹二氏は人間の資質としては戦前型に属し、そして、小沢 遼子氏や矢崎 泰久氏、田原 総一朗氏などは典型的ないわゆる戦後民主主義型である。まさに人間の資質として雲泥の差があるという印象である。それは、何事にも意義と限界があるとしても、私個人の民主主義に対する評価が、とくに戦後民主主義の帰結や教育に対する評価が極限にまで低いということなのかもしれない。

三島由紀夫がかって批判した文化状況、『華美な風俗だけが跋扈している。情念は涸れ、強靭なリアリズムは地を払い、詩の深化は顧みられない。...我々の生きている時代がどういう時代であるかは、本来謎に満ちた透徹である筈にもかかわらず、謎のない透明さとでもいうべきもので透視されている。』という文化状況は現在も継続している。

そして戦後60余年を経過した現在、還暦としても、暦の上でも一巡して本卦還り(ほんけがえり)するほどの時間が経過している。だから、現代の日本のほとんどの世代の人々は戦争を知らない。当然に私も知らない。そして、現在の世代の多くの人々は、戦後民主主義の申し子、その典型であるような小沢 遼子氏や矢崎 泰久氏、田原 総一朗氏のような人たちを自分たちの父母として、あるいは祖父母として育てられてきたはずである。世代像としては極めて少数派であるように思われる西尾幹二氏のような戦前型タイプの日本人を、自分の両親として、祖父母として育てられた人は少ないにちがいない。

そして、当然のこととして、子供たちは、自分たちの両親や祖父母の人間像、思想、価値観を自明のものとして、そのあわせ鏡のようにして生育する。だから、およそ人間はよほど我が両親や祖父母の人間像や価値観を徹底的に相対化し批判することなくしては、自分自身という人間を独立して相対化して見ることもできない。それゆえに、もし、そうした自覚症状のない戦後世代と日本社会が、戦前の明治大正のそれに復帰しようとすれば、そのためには絶望的なほどに時間と努力を要するだろう。現状と将来に悲観的になるとすればそのためである。

西尾幹二氏クラスの人間が戦後民主主義の日本にはあまりにも少なすぎるのである。あらゆる分野、領域における人材の枯渇、それが危機の根本にあるように思える。西尾幹二氏は絶望的なほど孤独な戦いを闘っておられるように見えた。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福岡正信氏の自然農法

2008年08月21日 | ニュース・現実評論

            オクラの花 

福岡正信氏の自然農法

福岡正信氏は「自然農法」と呼ばれる独自の農法の実践者、主唱者として知られている。自然農法とは、「耕さず、田植えをせず、直接モミや種を蒔いて、米と麦の二毛作をし、化学肥料も施さず、除草作業もせず、農薬も使わない」という極めて簡単な農法である。肥料の代わりにワラを敷き、耕作する代わりにクローバーの種を蒔く。

もちろん福岡正信氏もはじめから自然農法の実践家であったわけではない。氏は岐阜の高等農業学校を卒業し、植物病理の研究から出発して、税関で植物防疫に従事している。だから福岡氏の自然農法にはその前提に植物学という近代科学の素養があるといえる。しかし、若いころ自身の病気をきっかけに現代の科学について根本的な不審を抱くようになった。

おそらくこの頃に、福岡氏は、荘子の「無為自然」、「無用の用」の境地を直観的に体得されたのだろうと思う。自然は無為にして完全であるから、荘子が指摘したように、ひとたび人間が道具を作り、井戸水を汲み上げるのに滑車を使うように、分別智を働かせて道具を使うようになるともはや元には戻れない。もともと完全なものを一度分断、分析し始めると、すべての肯定の裏に否定が現れて、パラドックスに陥る。福岡氏はこのことを直観的に悟られたのだろう。

福岡氏は、若いときに体験した自身のその直観の正しさを証明すべく、人為を加えない農法を、自然農法を生涯に追求しようとしたのだ。無為自然こそが絶対的な真理であることを直観した若き福岡氏は、「何もしない農法」はいったいどのようにして可能か、という問題を生涯をかけて追求したのである。それが氏の自然農法だった。そして、やがて到達したのが、冒頭に述べたような、米麦不耕起連続直播、無肥料、無農薬、無除草の農法である。しかし、この自然農法も永遠に研鑽途上にあって、完成されたわけではない。

現代の石油エネルギーを使って行われる現代農業が多くの問題を抱えていることは語られはじめてすでに久しい。それらは温暖化や砂漠化を招いている。現代農業は商業的な大量生産を目的とするから、そのために農薬や化学肥料を使わざるをえない。そこには多くの矛盾が生じている。また、これまで日本の農政は、国際分業論に立って減反政策を進めてきたが、そのため食料自給率の低下を招く結果になった。そして今、世界的な食糧危機の到来を予感してあわてふためくことになっている。肯定の裏にかならず否定が生まれてくる。これは何も現代の農業だけに限られない。現代物理化学の粋を集めて応用される原子力発電においても、また、遺伝子工学の応用によって遺伝子の改造から治療をはかろうとする現代最先端医学の領域においても同じである。すでに人類はやがてそれらの行き着く先に漠然とした不安を感じている。悟性科学には矛盾を克服できないことを予感しているからである。

要するに、そこにあるのは分別知にもとづく、現代科学のもたらす矛盾である。「無の哲学」の見地からこうした近現代科学の将来を福岡氏ほど明確に予見していた人はいないかもしれない。それは、人為は自然に必ず劣るという福岡氏の確信であり世界観によるものである。福岡氏においては、自然は神と同等と見なされている。氏にとって、自然は完全であり、したがって一切無用である。有限の存在である人間の見て行う世界は、完全なものを分解し分析した部分でしかないものであり、必ず不完全なものである。そこで、氏はすべての人為を捨て、完全な自然に同化して、自然に生かされる生き方の道を歩むことになる。

一切無用として出来うる限り人為を廃し、自然の豊かさにしたがって自己を生かそうとする福岡氏の自然農法は、やがて、とくにその搾取によって土壌が疲弊しきった欧米の農業家の着目するところとなったようである。日本はそれでも自然がまだ豊かであるから、行き着くところまで行き着いておらず、福岡氏の自然農法に対して切実な欲求をもつに至ってはいないのかもしれない。その点でも、福岡氏の農法は日本よりも欧米で受け継がれてゆくのだろう。

福岡氏の自然農法は「無の哲学」に基づいたものである。それは人間の知識や科学を本質的に否定するものである。氏の思想と哲学は、物や人智の価値を否定する。だから現代人や現代社会の立脚点とは根本的に相容れないものである。それはちょうど、「空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に収めず。野の百合はいかに育つかを見よ。労せず、紡がず。さらば、汝ら何を喰い、何を飲み、何を着んとて思い煩うな」と命じたイエスの生き方と同じく、現代人は厳しく重荷に感じて、もはや誰一人として実行できないでいるのと同じである。おそらく、福岡氏の自然農法の真の継承者はいないのだろうと思う。

しかし、現代科学が、そして現代農業が行くところまで行き着いて行き詰まったとき、無の哲学から現代文明を批判した福岡氏の自然農法は、未来の農法として復活するかもしれない。そのとき福岡氏の自然農法は未来のあるべき農法として、人々にとって灯台の役割を果たすだろう。しかし、それは現代人の価値観が根本的に転換するときである。

福岡氏は理想の生活を次のように描いている。

「無智、無学で平凡な生活に終始する、それでよかった。哲学をするために哲学をするヒマなどは百姓にはなかった。しかし農村に哲学がなかったわけではない。むしろ、たいへんな哲学があったというべきだろう。それは哲学は無用であるという哲学であった。哲学無用の哲人社会、それが農村の真の姿であり、百姓の土性骨を永くささえてきたのは、いっさい無用であるという無の思想であり、哲学であったと思うのである。」   (『自然に還る』P204)
「小さな地域で独立独歩の生活をする。家庭農園ですべての事柄が片づいてしまう。
自然農園づくりが、外人にとっては、もう理想郷(ユートピア)づくりになっている。・・オランダの牧師さんが、家庭の芝生を掘り返し、家庭菜園を作り、そこにエデンの園を見出す。」     (P297)
「一人10アール・一反ずつの面積はあるわけだから、みんなが分けて作って、機械を使わずに、そのなかに家も建て、野菜から、果物、五穀を作って、周囲の防風林代わりに、モリシマアカシアの種子を毎年一粒ずつ播くか、苗を一本植えておけば、十年後は石油が一滴もなくても、年間の家庭用燃料は十分間に合う。
ですから、自然農法は、どちらかというと、過去の農法ではなくて、未来の農法だとも言えるんです。田毎の月を見て、悠々自適ができるような楽しめる百姓になる。家庭菜園即自然農法即真人生活になるのが、私の理想です。」    (P291)

このような福岡氏の理想は確かに共感できる点は多い。しかし、福岡氏に接した多くの人が語るように、とくに西洋人が多く語るように、氏の自然農法には共感できるけれども、氏の「無の哲学」に共感できないと言われる。私も同じである。なぜなら、福岡氏の「無の哲学」にかならずしも同意しないからである。あえて言うなら、私の立場は「無の哲学」でもなければ「有の哲学」でもなく、「成(WERDEN)の哲学」であるから。これはヘラクレイトスの万物は流転するという世界観でもある。

本当の自然とは何か。私は福岡氏の自然農法自体をかならずしも自然とは見ない。逆説的に言えば、福岡氏の「自然農法」自体が不自然農法である。むしろ、深耕、農薬、化学肥料などの人為、不自然こそが自然であるとみる立場もある。

当然のことながら多くの欠陥を抱えた現代農業は、いずれ克服されてゆくべきもので、それは現在の科学が発展途上にある未完成品であるというにすぎない。それは悟性的科学であって、理性的科学ではない。ただ理性的科学は、ゲーテのいう「緑の自然科学」に近く、この観点からは、福岡氏の自然農法は高く評価すべき点をもっている。理想は近くあるとしても、しかし、福岡氏の「無の哲学」は、否定を媒介にしない。この点に根本的な差異がある。福岡氏の「無の哲学」は直観的で、何より否定という媒介がない。

また、福岡氏の思想と哲学の限界としては、氏の自然農法には国家や地域社会、市民社会との関係を論じ考察することがあまりにも少なかったと思われることである。要するに媒介がなかった。個人的には私は福岡氏が理想としたような皆農制を基本的には支持する立場である。しかし福岡氏は、民主国家日本において、皆兵制については論じることはなかった。しかしいずれにせよ皆兵制や皆農制などの問題は、すでに国家論や憲法論に属する議論である。それらの問題はまたの機会に論じることがあると思う。

ここ十年ほど、福岡正信氏の動向はほとんどわからないままだった。と言うのも私は氏の「自然農法」や「無の哲学」のそれほど熱狂的な支持者でも何でもなかったからで、長い間忘れ去ってしまっていたのである。ただ、昨年の秋の暮れくらいから、たまたま縁があって山で家庭菜園のような真似事を始めることになった。それはたとえままごと遊びにすぎないとしても、農に、土や野菜や果物と直接にかかわり始めているといえる。それこそ各個人の価値観の問題で、何に価値や歓びを見出すかは人それぞれであるとしても、自分で作った野菜や果物を食べるのは、それなりに楽しい点もある。また、「自然」により深くかかわる歓びもある。自然や農業についてよく知るためにも、今にして思えば、一度くらい機会を作って、福岡正信氏を訪問しておくべきだったのかも知れない。

クローバー草生の無耕起直播の農法、プロの農家からは実現不可能に見える「不耕起、無化学肥料、無消毒」の自然農法は見向きもされず、農業には無縁の都市生活者の素人にしか関心を引き起こさない。しかしだからと言って、そこにまったく可能性がないわけではない。福岡氏の「自然農法」はむしろ「プロ」の農業者を無くす試みとも言えるからである。現代日本のプロの農業生活者の基盤である農村の多くが崩壊の危機にあると言われる。おそらくそれは、現代人や現代社会が福岡氏の「無の哲学」へと価値観を根本的に変換できないためである。しかし、もしこの前提が崩れれば、福岡氏の自然農法の実行は可能となるかもしれない。問題は、この「不可能」な前提が崩れる要件はあるか、あるとすればそれは何か、である。

去る十六日、私にとっては長い間動静が途絶えていた福岡正信氏の訃報が伝えられていた。享年九十五歳。また日本人らしい日本人が失われてゆく。福岡氏の自然農法は、「無の哲学」そのものから生まれたものである。それゆえにこそ、氏の農法は、おそらくこの日本でよりも、欧米においてこそ真に受け継がれ開花して行く宿命にあるのかもしれない。

自然農法を提唱 福岡正信さんが死去

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

民主党の党首選挙(1)

2008年07月18日 | ニュース・現実評論
民主党の動向については、これからの日本の進むべき方向に関心をもつ者は、注視せざるを得ない。かって民主党に結集する政治家たちの「民主主義の能力」を検証してみたことがある。

 民主党四考 

あれから、三年。自民党の体たらくによって、民主党は自民党にとって代わりうる政党と見なされ始めているようだ。しかし、この民主党は本当に日本国民に民主主義を教育し指導する資格のある政党になり得ているのだろうか。

確かに、前回の党首選の時とは異なり、今回は党内からも「小沢一郎代表の無投票三選論批判」も出てきているようである。一方、小沢氏も、福岡市での記者会見で代表選について「われと思わん人がどんどん立候補することは当然でことである」とも述べている。民主党も民主主義政党として前回の党首選の時よりは進歩していると思う。

[渡部民主党最高顧問、党代表選の無投票論を批判]
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080627/stt0806272301004-n1.htm

民主主義的な政党や組織では、党員や構成員の多数決によって党首や政策、議事を決定するが、反対意見の持ち主は、多数決によって決まった政党や組織の決定には規律としては従うけれども、その多数意見に納得出来なければ、自己の意見を変える必要はない。少数意見が多数意見になるように努力して、政党や組織の意見を変えてゆけば良いだけの話である。

組織の規律として多数意見に従うということと、自己の意見がたとえ少数意見であっても、多数意見に改宗する必要はないということがわかっていないのではないだろうか。規律として多数意見に従うということと、少数意見として自己の信念を維持するということが両立する政党や組織でなければ、真実に民主主義な政党や組織とはいえない。このあたりの自明な事柄すらわかっていないのが、日本の自称「民主党」や日本国民の一般的な民主主義の能力水準ではないだろうか。

だから、党首選を激しく戦えば、後で感情的なしこりが残るから党首選は避けようといった意見が出てくるのである。確かに、人間のすることだから、そうした感情的なしこりも当然に残るだろう。しかし、少なくとも民主党と自称して、日本国民に民主主義を教育し指導する立場に立とうと考える政治家たちの集団なら、そうした感情的なしこりをも克服して、党や組織で決定されたことには、たとい自身の個人的な意見とは異なるとしても、努力してそれが次に多数意見になるまでは、その反対意見にも規律として従うという成熟した大人の民主主義の態度をとれるようでなければならない。

日本の民主党の民主主義の能力の水準がどの程度のものであるかは、この政党と政治的に思想的に比較的に似た立場にあるアメリカの民主党やイギリスの労働党とを比較してみればわかる。

アメリカの民主党においても、アメリカの場合もそれは大統領候補の選出に直結しているわけであるけれども、周知のようにヒラリー・クリントン女史とバラック・オバマ氏があれほど激しく長期にわたって事実上の党首選を戦った。けれども選挙後は、彼らはその感情的なしこりを残さないように大人の態度を取り、民主党の団結を守ろうとしている。かってマッカーサーが日本の民主主義は12歳の少年のそれだ語ったそうだが、感情的なしこりを口実に党首選を避けようとする日本の現在の民主党のそれは、日本国民の民主主義の能力水準を象徴しているようなものだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

hishikaiさん

2008年07月11日 | ニュース・現実評論

hishikaiさん、あなたに頂いたコメントにお礼とお返事をしようと思ったら、「内容が多すぎますので、946文字以上を減らした後、もう一度行ってください」という表示が出てしまいました。面倒なので新しい投稿記事にしました。


hishikaiさん

今日は暑かったですね。hishikaiさんのお住まいの地方はどうでしたでしょう。
とは言え暑いからこそ夏なのでしょうが。あなたのブログも折に触れ訪問させて頂いています。

ところで私のブログも少し真面目すぎるかなと感じています。もう少し、ユーモアや冗句もあってもいいかなという反省もあります。「哲学のユーモア」か「ユーモアの哲学」も気にかけて行こうと思うのですが、どうしても地が出てしまうようです。

hishikaiさんにコメント頂いたのですが、今回の記事で、戦後半世紀以上も、この日本国を支えてきた「平和」憲法の核心を根本的に批判しているはずですのに、ほとんど何の反響もないのも少しは寂しく残念な気がします。無名で平凡な一市井人のつぶやきには、誰も真剣に耳を傾けないのでしょう。

無視を決め込んでいるか、問題提起にも意識が掘り起こされるということもないのでしょう。本当は「平和」憲法を養護する憲法学者たちの意見を聴きたいのですが、皆さん、政府の審議委員などのお偉方できっとお忙しいのでしょう。非哲学的な国民のことですから、このあたりが妥当だろうと思っています。

hishikaiさんはコメントで「本文では「非哲学的な日本国民」を平和主義者を自認する人々に絞って用いているように読めます」とありますが、そんなことはありません。

哲学における国民性の資質と能力に――それは、宗教などに規定される面も大きいと思うのですが、私は希望は持ってはいませんから。どんな国民にも得手不得手はあるから仕方はありません。ただ、国民と国家の哲学が深まらないかぎり、国家や国民に本当の「品格」は生まれて来るはずはないとは思いますが。

また、hishikaiさんは「これからの我国では左右両翼の対立に代えて、真に対立軸とすべきは、この哲学的思考の有無でなければならない」ともおっしゃられていますが、この認識をもう少し具体的に進めて言えば、この「哲学的思考の有無」は「ヘーゲル哲学に対して自分はどういうスタンスを取るか」、あるいは、とくに国家論で言えば、「ヘーゲルの「法の哲学」に対して自分はどのような立場を取るか」、ということになるだろうと思います。

しかし、残念ながら国立大学の憲法学者たちですらこの教養の前提がなく、したがってそうした問題意識すら生まれてこないのが現状であるようです。そうして、こうした憲法学者が、日本国民に憲法を「教授」しているのです。

 2008-07-07

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自己決定権のない国家

2008年07月04日 | ニュース・現実評論

アメリカが北朝鮮に対してテロ国家の指定解除に向けて動き出した。ブッシュ政権からいわゆるネオ・コンの勢力が後退し、対北朝鮮ではライス国務長官らの穏健路線に進んでゆくことが既定路線になっている。

すでに5年以上の歳月が過ぎてしまったけれども、アメリカの北東アジア政策については、CATO研究所の副所長をしていた、テッド・ガレン・カーペンターの論文を翻訳したことがある。

北朝鮮問題処理の選択肢   テッド・ガレン・カーペンター          (原文

このテッド・ガレン・カーペンター氏が今日のブッシュ共和党政権の中で、アメリカの防衛や外交政策にどのような影響力を持っているのかは私には定かではない。

しかし、現実のアメリカの外交、防衛政策に実際にどのような影響力をもちえているかにかかわらず、カーペンター氏が論文の中で考察しているように、アメリカの北東アジア問題で採りうる選択肢は限られており、それは必然的な帰結として出てくるものである。

カーペンター氏は北朝鮮に対してアメリカの取りうる選択肢として、以下のような4つの選択肢を挙げていた。

選択肢の1 ピョンヤンを再び買収すること。 (前クリントン政権のように北朝鮮の核開発を断念させる見返りにエネルギー支援を行うこと)

選択肢の2 先制的戦争(ピンポイントでピョンヤンの金正日を狙うこと)

選択肢の3 経済制裁(中国の後ろ盾がある限り決定的な効果はない)

選択肢の4 地域的な核バランスの可能性を育成すること

この論考の中でカーペンター氏は、北東アジアの問題は、基本的には中国、ロシア、韓国、北朝鮮、日本の北東アジア五カ国自らが解決すべき問題であって、最終的にはアメリカは北東アジアから手を引いて、「ワシントンは北東アジアにおける、一任された安全保障の危険性を減らし始めるべきである」と考えていることである。つまり、アメリカにとって採りうる現実的な政策は、この選択肢の4しかないということである。

残された選択肢としては、選択肢4の「地域的な核バランスの可能性を育成する」 ことしかないとアメリカは考えている。そうしてその現実的な政策選択の必然的な帰結として2003年に中国の協力を得て六ヶ国協議という枠組みを作ってからは、この地域の軍事的なバランスの可能性を育成しながら、アメリカは北朝鮮という煩わしいこの「やくざ国家」との関わりを断ち切りたいと思いつづけてきた。

その一方でまた、カウボーイ男アメリカの袖を引き続けて、いつまでも依頼心を抜けきれず、また独り立ちもできない悪女の片思いのような韓国や日本の存在も煩わしく、出来ればこれらとも縁を切りたいと考えている。要するに、アメリカは北東アジアとの関わりを重荷に感じているのである。アメリカにとって、中東問題ほどには極東アジアには関心をもたない。イラク、イランに対するほどには切実な関心はない。

もし北朝鮮がアメリカ本土内の目標にまで到達する弾道ミサイルの能力を持ったとき、アメリカは自国の諸都市を犠牲にしてまで、韓国や日本の防衛のため立ち上がることはない。このことを、カーペンター氏はこの論考の中でも率直に明言している。

韓国に駐留し、日本の基地にいる10万人足らずのアメリカ兵士は、むしろ北朝鮮に人質にされているような状況にある。アメリカはそんな何の見返りもない仕事にいらだち、一刻も早くアメリカ本土からも遠く縁も薄い、醜く煩わしい北東アジアから手を引きたいと考えている。

またキリスト教徒のアメリカ人はそれをあからさまに言うことはないとしても、「北朝鮮が拉致した日本人を回復するのが何でアメリカ人の仕事なのか」と本音では考えている。そして、世界でも有数の「経済大国」でありながら、独立して自国の防衛も満足に行えず、自国民が拉致されておりながらも、自力で何ら対処する力を持ち得ずいつもアメリカに泣きついて来る日本人を哀れみの眼で眺めている。

拉致問題について、北朝鮮の「悪辣非道な国家犯罪」に非難の声を挙げるのはたやすい。しかし、哲学は物事の根源を見つめ問題にするものだ。現象の奥に潜む本質を見極め、因果の必然を明らかにしようとする。日本人拉致問題の根源や背景に、日本の国家形態や憲法に欠陥は存在しないのか。

拉致問題が起きたのはなぜか。第一に北朝鮮という「ならず者の国家」の存在。もう一つは、「無防備な奇形国家」日本の存在である。拉致問題の成立には、この二つの条件がある。日本の憲法をはじめ、現在の日本国という「国家形態」に何らの異常も感じることなく、それを認めることの出来ない者は奥平康弘氏や樋口陽一氏などの憲法学者をはじめとして少なくない。

その原因はそうした国民や国家指導者たちの持つ「国家概念」のゆがみに起因する。概念とは、事物の本来の姿である。

たとえていえば、病人も確かに人間ではあるが、「人間の概念」には一致していない。そのようにように、現行の日本国も確かに「国家」であるにはちがいないが、自国の軍備で主権を独立して守ることも出来ない「歪んだ国家」であり「国家の概念」に一致しない。国家の真理を体現しえていない「国家」である。肝要なことは正しい「国家概念」を確立することである。

非哲学的な日本国民は、自らの理想主義のナルシシズムに酔って十分に検証する能力すら失っているようだけれども、健全な国家体制の構築のためには憲法なども哲学的に検証してゆく必要があるだろう。それは国民的な課題になるべきである。

現行日本国憲法の前文には次のような文言がある。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」

憲法9条の「戦争放棄」の条文なども、この憲法前文に見られるような理想主義を背景に制定されたものと考えられる。しかし、理想は理想としても、この憲法の前文が示している認識に欠陥はないのだろうか。果たして「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」するのは正しいか。

ありきたりの結婚にたとえれば、妻や夫はそれぞれ自分たちの選んだ伴侶は「公正で信義にあふれる人」で、いつも「私」を愛してくれると信じている。だからこそ人間は結婚を選択し、お互いが生活を伴にすることが出来るものである。

しかしその一方で、妻であれ夫であれ、人間は自我をもつ独立した主体でもある。つまり、それぞれエゴを持つ排他的な個体でもある。それゆえにこそ、どんなに夢と希望をもって始めた結婚生活であっても、日々の生活と「人間」のエゴの現実に直面して離婚したり、時には夫婦間ではあっても殺人などの事件が起きるのである。

結婚生活でさえそうであるなら、まして、国家と国家の関係においては、現実の互いに排他的な独立した存在である「国家」の本質を無視して、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」するのは明らかに誤りであろう。国家と国家の間には特殊な利害をめぐってさまざまな葛藤が生じるものである。対立や敵対は生まれざるを得ない。そうした現実の中で、日本人拉致被害の問題は、青臭い理想主義に毒された日本国の、その「主権国家」としての不備や欠陥を何よりも実証するものであるにちがいない。

それは人類から戦争を切り離せないという歴史の現実を見ないものであり、むしろ平和を担保するものは、軍事力であるという現実をこそ見るべきだろう。また、戦争がどれほど悲惨なものであるとしても、それを「絶対的な悪」と見るのは間違いである。むしろそうした現実から眼を背け、同胞に対する倫理的な義務を果たしえない国家と国民の退廃と無能力こそが問題にされるべきだろう。とくに政治家や憲法学者たちは拉致問題における自らの責任と使命を自覚すべきである。

以前の論考でも触れたように、北朝鮮の核を問題にするのは、それが日本の核武装に道を開くことになる場合だけである。六カ国協議の目的は日本である。日本をいかにして封じ込め、無力化して経済的に利用するかに向けられている。中国もロシアもすでに核を保有している。そうした中で、自国の独立と自由の保証を自国の軍備に求めないとすると、北朝鮮の非核化の検証は日本が主体になって実行すべきものである。アメリカや中国の検証は猿芝居になりかねない。

北朝鮮とアメリカの猿芝居

日本はいつまでアメリカに甘えていられるか

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幻の都市計画

2008年06月05日 | ニュース・現実評論

NHKに「そのとき歴史は動いた」という番組がある。6月4日 (水) に放映されたの番組のタイトルは「人を衛(まも)る都市をめざして ~後藤新平・帝都復興の時~」というのもので、日清戦争後の台湾統治や関東大震災後の東京復興に力を尽くした後藤新平が取り上げられていた。

 

もともと後藤新平は医師として生涯を歩み始めたが、とくに内務省衛生局に勤務したことから、日本の医療行政に深くかかわるようになったようである。とくに日清戦争後の帰還兵の検疫業務に卓越した行政手腕を見せ、それを台湾総督となった児玉源太郎に見込まれたところから、1898年(明治31年)3月台湾総督府民政長官として赴任することになった。ここから、都市経営や植民地行政に深くかかわり始めたようである。このときに後藤新平たちがかかわった台湾統治行政の恩恵は、今日に至るまで台湾人、日本人にも及んでいる。

 

そして、東京市長時代には、壮大な都市計画の策定にも取り組んだらしい。その後関東大震災が起きてからも、後藤新平は震災後の東京市の復興にも内務大臣兼帝都復興院総裁として陣頭指揮を執った。帝都復興計画についてはいくつかの計画案の変遷があったらしいが、もともとの復興原案となったといわれる「甲案」によると72メートル幅の幹線道路が計画され、また、隅田川には壮大な親水公園(隅田公園)が計画されていたという。

 

しかし、彼の原案は当時の多くの政治家や大衆からも理解されず、支持も得られなかった。そして、彼は多くの妥協を強いられ、財界からの反対もあって、当初の計画は縮小せざるを得なくなった。もし当時の財界人や政治家たち、行政担当者に優れた先見性と決断があったなら、そして、それを支持する大衆に相応の見識があったなら、今日の東京の交通渋滞や超過密と家屋や家賃などの不動産関連価格の高騰が、ここまでひどく都民を苦しめるものにならなかっただろう。

 

もし後藤新平の原案がそのまま実行されていれば、その後今日に至るまで東京都民の享受しうる幸福は計り知れないものになっていただろう。持ちたい者は先見性ある先祖である。それでもまだ、後藤新平たちがいたからこそ、そしてまた、曲がりなりにも彼の弟子たちによって受け継がれ実行された区画整理などによって、今日の東京もその最悪の事態を回避できているといえるのかも知れない。

 

それにしても、やはり感慨深いのは、明治という時代の産んだ人物の偉大とスケールの大きさだろうか。後藤新平という逸材を見出した陸軍参謀長の児玉源太郎もそうなら、後藤新平が1906年、南満洲鉄道初代総裁に就任して満洲経営に乗り出したときにも、後藤新平は中村是公や新渡戸稲造などの台湾時代の人材を多く起用して、優れた都市計画を実行している。そうした功績は、ただに東京のみならず、中国の大連や台湾などにも今日に至るまでかけがえのない恩恵として残されている。驚くべきは明治という時代が産んだこれら日本人の群像である。

 

ちなみに、後藤新平の後を次いで後に満鉄総裁になった中村是公は夏目漱石の親友であり、彼の招待を受けて満州を訪れた漱石は、「満韓ところどころ」という文章を残している。しかし、残念ながら、そうした逸材の働きにもかかわらず、当時の政治家や大衆の倫理感覚や見識、能力には、今日に至るまで大して進歩も見られないようである。返す返す悔やまれることではある。後藤新平の遺言のような言葉を、今も彼の記念館のサイトで聴くことが出来る。

地方自治にも深い見識を示していた後藤はその精神を、「自助、共助、公助」というモットーにも示している。

 

後藤新平の声
http://www.city.oshu.iwate.jp/shinpei/voice.html

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国チベット動乱と日本

2008年03月27日 | ニュース・現実評論

チベット当局、3月10日の抗議運動で13人を拘束=現地紙(ロイター) - goo ニュース

1989年は、ベルリンの壁が取り払われた年である。この年に東ドイツ、ハンガリー、ポーランドなど東欧共産国やユーゴスラビア、ルーマニアなど中欧共産国でも政権が崩壊して行った。その後、ロシアにおいてもソビエト共産党政府は崩壊し、第二次世界大戦後以来続いた冷戦の構図が崩れ始めることになる。中国でもすでに、これら諸国の共産党政府の崩壊に先立って、学生たちが天安門前広場に集結して民主化を要求して立ち上がっていた。

本来なら、社会主義・共産主義政権が軒並みに世界的な凋落の波に襲われたときに、中国共産党政府もその倒壊の運命に巻き込まれることがあってもおかしくはなかった。しかし、学生たち反体制側勢力の戦術の拙さと小平の強硬な戦術が功を奏して、中国の人民民主主義国家は延命することになる。

天安門事件で中国の民主化運動を制圧することに成功した小平は、中国国内ではその後開放改革路線を敷き、経済的な豊かさを追求することによって、国内矛盾を深刻化させることなく乗り切ろうとした。

その一方で、中国国内のチベット自治区などに居住するチベット民族と中華人民共和国を形成する漢民族の中国共産党政府とのあいだの矛盾が深刻化しつつあった。この事実はすでに多くの人に気づかれつつあったことだが、中国の報道管制もあって公然化することもなかった。中国政府の立場からすれば、中華人民共和国の成立にともなって隣国であるチベットを解放したことになるのだろうが、それがかならずしもチベット民族の主体的な選択ではなかったことも、その後に多くの問題をはらむ原因にもなっていた。

中国の経済発展にともない青蔵鉄道の開設などチベット地域への進出もすすみ、漢民族とその資本がこの地域にも流入することになる。そのためにチベット民族の自給自足的経済は貨幣経済へと変質し中華経済圏へと組み込まれて行った。それがこの地域の民族間の軋轢をさらに深刻化させることになった。

しかし、短期的にはとにかく、いつまでも民衆の自由に対する欲求を押さえつけていることはできない。国内外の民衆の自由に対する要求を満たし得ない国家は、長期的な観点からは倒壊せざるを得ない。中国や北朝鮮が現在の国家体制のままで存続できる期間はそれほど長くはないはずである。

中国も北朝鮮もいずれ、しかるべき時に体制転換を図らざるを得ないときが来る。ただ問題は、それがかってのチェコスロバキアのように比較的流血の少なかった「ビロード革命」のような穏健なかたちで変革を実現できるのか、あるいは、ルーマニアのチャウシェスク政権の崩壊をさらに規模を大きくした形でハードランディングせざるを得ないのか、それはわからない。北京オリンピックや上海万国博が終了してから、その後に国家目標を中国が探し出せないときが焦点になる。そのとき、中国の国内矛盾や周辺民族との矛盾がどのような形で噴出するかである。

それが、共産党政府の崩壊という体制変換として実現するのか、あるいは、日本やアメリカとの対外戦争という形での外部に対する矛盾の転化になって現れるのか、それはもちろん、現在の段階では予測はつかない。

もっとも理想的であるのは、現在の中国人民民主主義国家が平和裡に、欧米西側諸国のような自由民主国家へと体制転換が図られることである。そのことによって国民が国内矛盾を合法的に自力で解決してゆく制度が確立されなければならない。そのことによってチベット民族の自治や自由も拡大できるだろうし、また、北朝鮮問題も解決に向けて前進する。

日本は北朝鮮に対しては拉致問題や核兵器問題を抱えてはいるが、この問題はもはや北朝鮮一国を相手にして解決できる段階ではなくなっている。

北朝鮮問題はすでに中国問題と一体化し、中国問題の解決なくして、――それは中国が日本や欧米の価値観を同じくする自由民主主義国家へと転換することことであるが、それなくしては北朝鮮問題(拉致や核)も、現在発生しているチベット問題などの中国周辺の民族問題も、根本的な解決をはかることができない。

それに中国の民主化は、日本が真に自立した独立国家になるためにも必要である。中国やロシアが現在のような体制のままでは、日米安全保障条約の解消などは机上の空論にすぎず、日本国内からのアメリカ駐留軍の撤退も幻想に終わる。自力の軍事力を日本が必要十分に確立しうるためには、どうしても中国やロシアの国家体制の変換が前提になる。

中国国内の同一民族のみならず、周辺異民族に対する自由と民主化の要求に対しては、日本にできることは、インド、オーストラリア、アメリカ、その他の欧米民主主義諸国と協力しながら、自制と自重を求めつつ中国の国家体制の平和的な変革の環境を追求して行くこと以外にない。

しかし、現在の中国で実権を握る「人民解放軍」や北朝鮮の「先軍政治」の実情から言っても、このことはきわめて困難な課題にはちがいない。

やがて五月に胡錦濤主席が日本を訪れる。そのとき、日本の指導者たち、福田首相や町村官房長官は中国国内の自由と人権の問題について胡錦濤主席に対して、どれだけ明確に懸念と配慮を説得できるだろうか。それは同時に日本の政治指導者たちの自国の国家理念についての認識と信念の度合いが試されることでもある。それを断固として行うことが中国との紛争を少しでも抑止することになる。死を恐れるものは自由を享受することもできない。

それともやはりお茶を濁すことしかできないか。中国が民主化されないままであるとき、日本は本当に独立を確保しながら中国との戦争を回避できるかどうか。人民解放軍が日本との戦争を絶対に望まないといったい誰が断言できるか。それとも属国に甘んじる道を選ぶか。日本国民もやがてその選択を問われることになる。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三浦容疑者逮捕 ロス市警会見――正義と国民性

2008年02月27日 | ニュース・現実評論

三浦容疑者逮捕 ロス市警会見 けむに巻く「新証拠」(産経新聞) - goo ニュース

米元捜査官「事件は解決していない」

「ロス疑惑」として騒がれてから、もう25年からになる。1881年にロサンゼルス市内で当時28歳だった妻の一美さんを銃で殺害するように誰かに委託した容疑とかで、ずいぶん社会を騒がせたことがあった。そして今回それと同じ容疑で、元雑貨輸入販売会社社長の三浦和義容疑者がサイパン島で再び逮捕されたという。(この島では多くの日本人軍民が命を失っている。)この三浦容疑者については少し前にどこかのコンビニで何かの万引きして逮捕されていたことがニュースにもなっていたが、すでに関心もなかった。最高裁で無罪判決を受けたことも記憶からほとんどなくなっていたくらいである。

殺人容疑者の本国で、しかも最高裁判所が無罪を言い渡しているのであるから、普通であれば、事件に幕が引かれても当然だった。しかし、ロサンゼルスの警察署には、殺人事件として立件できる可能性をあきらめなかった刑事がいたのだろう。こんなことにも、アメリカのもう一つの顔を見ることが出来る思う。少し持ち上げた言い方をすれば、国民として平均的に正義の観念が強いのだ。聖書国民はそれだけ善悪の悟性判断が強いのだと思う。アメリカでの聖書研究の隆盛を見るがいい。細木数子さんがもてはやされる国とはやはり違う。

日本などからよく銃規制の甘さなどで批判されることも多いアメリカではあるけれども、反面から見れば、それはアメリカ国民の自由と独立への指向の強さを証明していると言える。何事も一面だけを見ては正しい判断は下せない。たとえどんなに銃所有の弊害が大きくとも、そのことで海外からどんなに批判されようとも、自由と独立は銃で守られなければならないと信じているアメリカ国民は銃を捨てることはないだろう。

とくに我が国のように、安土桃山の時代から太閤秀吉によって、武器が武士以外の農民などの民衆からすべて召し上げられた国はアメリカとは対局にある。信長、秀吉の後の400年続いた封建時代の恐怖政治のもとで、民衆の間にはすっかり自由と独立の精神が失われて、事大主義の国民性に変質していったのとは対をなしている。朝鮮や中国など東洋諸国においては、絶対君主の強大な権力の前にして、民衆は自由と独立の精神を育てることが出来なかった。またそこに、国民のイデオロギーとしての宗教の差異もある。

それにしてもアメリカには殺人事件のような凶悪事件には時効がないらしい。あらためて法制のちがいに気づかされる。そして、それと同時に、日本においても、殺人事件などの凶悪犯罪については、時効をなくしたらどうかと思った。凶悪犯罪については、犯人を追及することの出来る条件があるかぎり、追求してゆくことである。日本国憲法を改正する際には当然に刑法の関連する条項も変えなければならないだろうから、そのときには、我が国も殺人犯などの凶悪犯罪については時効をなくすべきではないだろうか。

日本人の犯罪行為について、アメリカの司法当局の追求を受けているのは、何も殺人事件だけではない。日本は「人身売買」でもアメリカ政府から批判を受けている。(2007年人身売買報告書) 日本政府はこうした批判に正当にきちんと反論できるのか。日本の政治家や国会議員は、アメリカの批判が正しいのか誤っているのか、 きちんと検証して、問題があるのなら怠けず仕事をして、率先して国内の犯罪行為にも法の網をきちんとかけて取り締まるようにしてゆくべきだ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

餃子食中毒事件――悪について

2008年02月03日 | ニュース・現実評論

被害者、食べた直後に倒れる 中国製ギョーザ食中毒(神戸新聞) - goo ニュース

中国で作られた餃子を食べて食中毒を起こしたそうである。現在その原因を調査中とのことであるが、事故や過失で起きた事件ではなさそうである。つまり、誰か特定の個人による故意の行為であるらしい。

このような事件はアダムとカインの人類発生の時点から生じている。これは明らかに善悪の問題でもあり、いうまでもなく人間に特有の問題である。動物は悪を犯さない。ただ人間のみが、善悪を知る人間のみが犯しうる犯罪である。人類にとっていわば永遠の問題であり、個人と社会にとっても、この悪からの救済は切実な問題である。現在の一部の人たちから提起されている死刑廃止問題にも絡んでくる。

マスコミなどではもちろんこうした問題の事件性を取り上げるのみで、こうした事件を宗教的な、あるいは哲学的な観点から取り上げようという問題意識を持つものはほとんどいない。

こうした犯罪の許されるはずのないのはいうまでもないが、しかし、程度の差こそあれ、人間が大小の悪を犯さないことはあり得ない。しかし、同じ状況におかれても、悪を実行する人間とそうでない人間がいる。ここに、自然環境の必然に支配されない人間のみが持つ自由があり、悪を避け善を行う人間の尊厳の根拠もある。精神的に正常な成人のみがその行為の責任を問われる根拠もここにある。動物や子供や狂人はそれゆえ責任を問われることはない。

国家などの大きな単位での共同体においては、こうした悪の発生は自明の前提として、法律や刑法の処罰の対象となるが、小さな共同体、たとえば家族のような人間関係において犯される悪も、もちろん、犯罪として法律や刑法の対象とはならないまでも、それは最終的には国家によって規制されるとしても、それよりも高い善悪の次元である倫理や道徳に違背する悪は日常茶飯事に犯されている。

大は殺人から小は他人に対するののしりに至るまで、こうした善悪の認識とその実行は人間にとっては本質に属する問題であって、その意味で人間は神と悪魔の中間にいる。

だから、国家のような共同体においても、また家族のような小さな共同体においても、未来永劫にこの善悪の問題は必然的に起きるし、避けることはできない。とすれば、人間や社会共同体の進歩というのはそもそも可能であるのか。つまり、人間とその社会から悪をなくしてゆけるのかという問題がある。

それはまた、こうした悪を果たして教育やその他で防ぐことができるのか、悪を認識し実行した人間の犯罪が必然的に引き起こすその社会的、精神的な結果や影響にどのように対処するか、さらにそうした犯罪を犯す人間の精神そのものの問題とも関わってくる。

悪を犯す人間の精神が幸福であるとはいえないだろう。地獄とはこうした悪行を起こす人間の精神状況そのものの質を示す概念であるといえるかもしれない。

悪を選択することによって、その人間の精神状況は一方へ大きく傾くといえる。司法の女神テミスがその手に天秤を下げているのも、そのことと無関係ではないように思われる。もし、救いということが、この精神の天秤が再び平衡を取り戻すことであるとすれば、こうした犯罪を犯すことによって失われた人間の精神の平衡は、いったいどのようにしてその回復は可能だろうか。あるいは、そうした意識さえもなく、未来永劫その平衡は失われたままであるのか。この問題はいうまでもなく、法律や宗教が昔から、とくに後者が切実に関わってきた問題である。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする