ロドス島の薔薇

Hic Rhodus, hic saltus.

Hier ist die Rose, hier tanze. 

明けましておめでとうございます

2008年01月02日 | 日記・紀行

明けましておめでとうございます

2008年、平成二十年の幕開けです。今年もまた希望に満ちた明るい充実した一年になりますように。今年は子年だそうです。平安時代には、正月の初子の日には、野山に出て小松を引いたり若菜を摘んだりして楽しむ習慣があったそうです。春の七草もまもなくです。七草粥など味わえればと願っています。そういえば、昨年の秋の七草には、撫子と女郎花には出会えませんでしたが。ところで「子子子子子子子子子子子子」。さて何と読むでしょう。小野の篁さんに聞いてください。

    

            初音

昨年も私なりにメッセージを送り続けました。もちろん笛は吹けども踊らずであるのはヨハネやイエスの時代以前からのことです。エチオピア人がその黒い肌を、豹が斑の皮を変えられないように、人間もその本性は変わりません。だから何も驚くには当たりません。それでも、世界や現実は、自称平和主義者や理想主義者が考えるはるか以上に、理性的なものです。然るべくしてそうなっています。そして、世界史の歩みはゆったりとしたものですが、その目的は貫徹されます。

その社会にどんなに科学技術の知識や物質の富に豊かになっても、精神の根幹が腐っていれば没落は免れません。それは世界と日本の社会の現実が示している通りです。そして日本の復活の鍵がどこにあるのか誰もがわかっているのに、まだそれを実行できません。

個々人の小さな思惑をはるかに越えて、世界史は進んで行きます。昨年の世界の基本的な変化は、ロシア、中国、インドが目覚ましい経済的発展を成し遂げ、それに応じてアラブ産油国がオイル高騰景気に沸いた一年だったことでしょう。またアメリカ国民の奢れる消費生活がサブプライム問題として神に裁かれようとしています。昨年末にはパキスタンではブット前首相が民主主義のために殉じました。日本国民も現在の民主主義が有名無名の多くの人の血と汗によって勝ち取られたものであることをいつも思い出す必要があるでしょう。

小沢一郎民主党党首はいつまでも国連信仰の夢から覚めることはなく、福田康夫氏には国民を幸福にするほどに政治理念に力量はありません。学力低下は何も日本の中学生、高校生や政治家たちだけの話ではありません。とくに日本の指導者を指導すべき大学および大学院の学力と志の劣化が日本社会の危機の背景にあります。今日の大学の人材の枯渇とその品格の衰えを見るべきだと思います。そこには戦後世代の精神を自明のものとして、それを越えた時代と人格を思考するだけの想像力はありません。

政治の世界でも、自由と民主の理念に従って政界を民主党と自由党とに再編成するのではなく、小沢氏と福田氏は、愚かにも政治家の談合と切磋琢磨なき癒着によって、日本国を茹で蛙のような安楽死への道に開こうとしました。日本の談合文化がすべて悪いとは言いませんが、その悪しき一面の現れたのは事実です。

ところで私にとって青春の日々に、伝道の書や箴言などが聖書への入門書となりました。これからも聖書と共に生き、そこから慰めと歓びを得て、そして、さらに聖書が日本国民の書となり、いっそう品格に富んだ国家と国民になりますように。このブログがそれにいささかでも寄与することができればさいわいです。

伝道の書第三章、第七章から

善き日々は歓び楽しめ、悪しき日には深く考えよ。神は両者を併せて造られた。人には誰も行く末のことはわからない。

人の子の苦痛に満ちた労役がいったいなんの益があるというのか。
彼に課せられた骨折りを私は見てきた。神はすべてを時にかなって美しく造り、彼らの心に永遠の思いを与えられた。それでも人は誰も神のなさる業を初めから終りまで見届けることはできない。・・

私は知っている。神のなさることは永遠に続くことを、それには何も足すことも引くこともできないことを。ただ人は神のみを畏れよ。

幸福と真実の民主主義は小さな少数者のグループにおいて、しかしそれも、ただ比較的に相対的に実現されるだけのものかもしれません。絶対的な理想は、ただ天上にある神の国においてのみ実現されるもので、しょせんこの地上では実現されることはないのでしょう。ですから、私たちはせめて片手に持てるものだけでも十分に歓び満足すべきものだと思います。

私にも、皆さまにとっても、本年もさらにいっそう充実した時間の
訪れますように。そしてブログでの議論も活発な充実したものとして、ともに民主主義の文化を研鑽してゆきましょう。

 

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道、一年の回顧

2007年12月31日 | 日記・紀行

道、一年の回顧

東山魁夷の「道」は、氏の多くの作品のなかでも、比較的によく知られたポピュラーなものである。一年の終末を迎えて過去を回顧する時を飾るにふさわしい絵画かも知れない。

画面の中央に向かってまっすぐに「道」が延びている。草色の早春に萌えるような草原の丘陵の中を、骨太い一本の土色の道が遥か遠くにまで延びている。そうして画面に単純な構図の奥行きに等辺三角形をかたちづくる中に、この作品を前に鑑賞する者に様々な感慨を引き起こす。この道を前に人はいったいどのような感想を持つだろうか。

この一筋の道を前にして私は戸惑う。いったいこの道は、私がこれから辿り行く道なのか。それとも、私が来し方を振り返って眺め回顧すべき道なのか。この道はいったい上り道なのか、それとも下り道なのか。

今年も一年が終わる。それが時間と空間の一つの道程であったことは確かだ。一年の終末とは、やがて私たちが生の終末という本番を迎えるために、毎年に繰り返す予行演習のようなものである。ただ、この道の終着地は画面の中にはその姿を現すことはない。あるいは、それは生の発端として、すでに私たちの記憶の中にはすっかり消えてしまった母の胎内にまで辿りゆくものかもしれない。

いずれにせよ、私たちに生があるかぎり、過去にも未来にも一本の道が横たわっていることは確かだ。それは終末に向かってただ延びている。時は迫っている。何事にも初めがあり終りがある。そして誰もが明日という日の、来年のあることを信じて生きている。しかし誰にでも終りの日は迫り来る。年末とは、世界と生の終末の一つの予兆にすぎない。ただ、それから眼をそらして真剣に見つめようとしないだけのことだ。「見よ、私は速やかに来る」

愚痴を言っても仕方がないので、一年の後悔は語らないことにしよう。ただ、これ以上の愚行を繰り返すのことのないように願うばかりである。好きなことを楽しく行えればいい。はじめて農事に関わることのできたことが本年になって唯一特筆できることだろうか。今日も時間を見つけて、生まれて初めての麦踏みを体験してきた。桃と柿の木は何とか年内に植えた。予定としてはただイチジクを植えきることができなかった。これらのことだけでも、その限りなき恩恵に感謝すべきかも知れない。

このブログも有形無形に恩恵を受けた多くの人々に感謝して今年の一年を終わりにします。来たる年もまた恵みと平安に満ちた年でありますように。皆さんも良いお年をお迎えください。

 

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エキスポランド

2007年05月06日 | 日記・紀行

エキスポランド社など家宅捜索 コースター脱線事故(朝日新聞) - goo ニュース

黄金週間も終わりを迎えつつあった昨日、痛ましい事故が起きてしまった。吹田市のエキスポランドで、「風神雷神2」と呼ばれたジェットコースターが脱輪事故を起して、乗っていた女性が死亡し、その友人が重傷を負うなど、多くのけが人が出た。子供の日ということもあって多くの人が春の休日を遊園地で楽しんでいる中での事故だった。

このニュースを聞いたとき、一昨年に起きたJR福知山線脱線事故のときに感じたのと同じような、なんともいえない虚しい思いがこみ上げてきた。あの時に感じたのと同じ思いがふたたび込み上げてくる。この事故で、多くの人々が深く傷ついたことだろうと思う。しばらくの間は、天真爛漫に、ジェットコースターをもう楽しむことができないだろう。それとも、ジェットコースターの本当の恐怖を楽しむことができるのか。

エキスポランドには私の青春時代の記憶も少しはかかわっている。大阪吹田市の千里丘陵を切り開いて大阪万国博覧会が開催されたのは一九七〇年のことだった。「人類の進歩と調和」をスローガンに掲げられたこの博覧会が開かれた当時の日本の社会には、現在のような閉塞感はなかったようにも思う。今よりももっと活気と夢に満ちていた。

博覧会の終了後に、その跡地に万国博記念公園が造られ、そこにエキスポランドもできた。そんな開園まもないこの遊園地に、その頃まだ学生だった私はアルバイトとして、さまざまな遊戯施設の補助の仕事についていたことがある。まだジェットコースターはなかったと思う。それ以来ふたたび訪れたことがないので、細かなことは今はほとんど記憶からも薄れてしまっているけれど、そこでのアルバイトが楽しい貴重な思い出として印象に残っていたことは確かである。


その頃は私もまだ二十歳前後だったし、ちょうど自分と同じようにバイトにきていた女の子二人と仲良くなって、回転シャワーなどに一緒に乗って遊んだ記憶が残っている。その一人はFさんと言って、今も古い手帳を捜しだせれば、彼女の住所と電話番号が残っているかもしれない。名前は忘れてしまったが苗字は今でも覚えている。一度二度電話をしたかもしれないが、地理的に少し遠かったせいか、結局は深い交友にはならなかった。今思い出しても、それは若い日の楽しいアルバイトだったが、昨日のニュースで、その記憶を少し傷つけられたような気もする。

 

 

 主よ、汝はいにしえより、世々我らの住処にてましませり

山いまだ成りいでず、汝いまだ地と世界とを造りたまはざりしとき

永遠よりとこしえまで、汝は神なり

なんじ人を塵に帰らしめてのたまはく

  人の子よ、汝ら帰れと

なんじの目の前には、千年もすでに過ぐる昨日のごとく

また夜の間のひと時に同じ

汝これらを大水のごとく、流れ去らしめたもう

彼らは一夜の眠りのごとく、朝に生えいずる青草のごとし

あしたに生え出でて栄え、夕べには刈られて枯るるなり

我らは汝の怒りによりて消え失せ、

なんじのいきどおりによりて怖じまどう

汝われらの不義を、御前におき

我らの隠れたる罪を、御顔の光の中におきたまえり

我らのもろもろの日は、汝の怒りによりて過ぎ去り、

我らがすべての年の尽くるは、一息の如し

われらが歳を経る日は、七十歳に過ぎず、

あるいは健やかにして八十歳にいたらん

されどその誇るところは、労苦と悲しみとのみ

その去りゆくこと速やかにして

我らもまた飛び去れり

誰か汝の怒りの力を知らんや.....

願わくは汝のしもべにかかわれる御心を変えたまえ

願わくは朝に我らを汝の憐れみに飽きたらしめ

世終わるまで歓び楽しませたまへ....

我らが苦しめる日と、災いにかかれるもろももろの年にくらべて

我らをたのしめさせたまへ.......

 

                                                      詩篇第九十篇

 

 

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民主党執行部総辞職と元官房長官、村岡兼造被告無罪判決

2006年03月31日 | 日記・紀行
 

冬に戻ったように、雪が舞う。寒い一日。久しぶりに図書館に行く。吉田和男氏の『官僚集権からの脱出』『日本の国家予算』の二冊と、広瀬隆氏の『世界金融戦争』の計三冊借入れる。経済、財政方面の知識に不足するので、少しずつでも補ってゆくつもり。

それにしても、図書館の蔵書は貧弱で十分でないと思う。府立資料館に行くのは遠いし時間もかかる。とくに雑誌と新刊書の種類が少ないと思う。市民がもっと図書館に要望を出してゆくようにすべきなのだろう。

今日、民主党の執行部がようやく総辞職した。偽メール問題での対応は、本当に拙かったと思う。前原代表は、党首討論に際して「明日の党首討論を楽しみにしていてください」と言っていたくらいだから、辞職して責任をとることになるのはやむをえない。それにしても、対応が遅い。

今回の民主党が右往左往したことの根本原因は、党内の意思統一の不徹底に、民主党の党としての思想的な統一性のなさにある。小沢一郎氏と横路孝弘氏とが同じ党内に存在しているというのは、いくら民主主義政党といっても、あまりにも思想的な節操に欠けると思う。もっと党内論議を徹底し活発にして、民主党の党としての理念をもっと深め、統一のあるものにしてゆく必要がある。その過程で分裂があるとしてもやむを得ない。

民主党の党としての思想的な求心力が弱いから団結できず、団結できないから党の力量も高まらないし、強固な組織プレー、チームプレーもできない。
今回の偽メール事件でも。経験も未熟な永田氏の個人プレーに終わって、組織全体でバックアップし支える危機対応体制が作れなかったのもそのためである。能力、能力、能力がすべて。政権担当能力が自民党以上に高まらないかぎり、いくら口先で政権交代といっても、絵に描いた餅に終わる。そのための大前提は、党としての思想性の充実である。

とはいえ、永田氏の偽メール事件の経緯がお粗末で、その責任は重いといっても、村岡元官房長官に無罪判決が言い渡された、昨日の、自民旧橋本派献金隠し問題と比較するとき、その犯罪性の程度は問題にならない。特捜検察の職務責任も、今回はその判決内容からも当然に問題にされてしかるべきものである。国民に対する犯罪性という点において、事柄の本質を、事の軽重を見抜く目を国民自身が持たなければならないと思う。

永田氏は経験不足からとんでもない失策を犯したが、不正を追求しようというその意欲は率直に認めてよいと思う。だから、今回は、潔く責任をとって、捲土重来を期してほしい。永田議員が、将来国民の付託にふたたび応えられるようになれば、復活できる機会もあるはずである。あの辻元清美女史ですら「返り咲いて」いるのだから。    

大切なことは、一刻も早く日本の政治風土から、「日本列島改造時代」から受け継がれている、かっての不動産屋政治の気風を清算してゆくことである。今回の自民旧橋本派献金隠し問題も、この流れと深いところでつながっているのではないだろうか。藤原正彦氏が「国家の品格」をこの日本に取り戻したいのであれば、「武士道」の主張以前に、何よりもまずこの事実を主張されるべきだったろう。この時代から、日本は「国家としての品格」を失っていったのだから。

 

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荒川選手の金メダル

2006年02月24日 | 日記・紀行
 

低迷を続けていたトリノオリンピックでようやく荒川静香選手が金メダルを獲得して消えかけていた希望をかろうじてつないだ。すばらしい芸術的ともいえる演技だった。こうした才能は作ろうと思っても作れるものではない。どうしても天賦の素質が必要とされる。一方で、今回のその他の日本チームの不振は問題が大きい。

国内では、民主党がホリエモン氏の「偽メール」をめぐって混乱している。政治における人材の不足、政治家の貧困は、わが国の長年の宿痾である。
その根底には教育と文化の問題がある。
戦後六十年をかけて劣化させてきた教育と文化の「成果」がこれから徐々に蝕み始める。その復興は困難を極める。

中国やロシアの台頭という困難な国際情勢の中で、政党政治の一角を担うべき民主党がこの体たらくでは。
民主党に対する期待と要望についてはこれまでもいくつか述べてきたが、「自由党」と「民主党」の二大政党が日本の政党政治を担ってゆくという政治の理念、自由と民主政治の概念はいささかも揺るがない。

 

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西行の正月

2006年01月04日 | 日記・紀行

年齢を重ねれば重ねるほど、幼かったころに正月を迎えた時のような高揚した純粋な喜びを失ってゆくのはやむをえないのかも知れない。お年玉をもらう喜びは子供の特権だった。童謡に歌われたような「もういくつ寝るとお正月、お正月には凧揚げて、独楽を回して」という世界は、すでに遠くさらに幻想的になってゆく。

最近は正月になっても独楽を回して楽しむこともなく、また、子供が凧揚げや羽子板で羽根突きをして遊んでいる光景も目にすることもない。家々の門に門松が飾られることもほとんどなくなってしまった。

木村建設や姉歯秀次建築士などが建てたマンションやアパートなどの、無風流で機能一点張りの建築がこれだけ増えれば、生活から宗教や芸術の香気が蒸発してしまうのも仕方がない。しかし、人類の数万年の歴史からすれば、現代人の生活様式が、人類にとって普遍的であることを証明するものは何もない。

幸いにも、人間は言葉を残し、それによって歴史の中により正月らしい正月を懐かしむことが出来る。
折りに触れて読む西行の『山家集』などは、表紙を開けた瞬間に芸術の香気が漂ってくる。そこにも懐かしい正月が記録されている。

その懐かしい正月を思い出すために、久しぶりに『山家集』を開いた。当時はもちろん陰暦だったから、暦が代わるとともに文字通り春が待ち受けていた。『山家集』は春の歌から始まる。当時の人の季節感、時間の意識を知ることができる。しかし、太陽暦の正月は、まだ、寒さの最中で、正月の中に春の歓びを感じることは出来ない。

雪分けて  深き山路に  籠りなば  年かへりてや
君に逢ふべき

私(西行)は雪深い高野山に寺ごもりしてしまったのであなたにお会いできません。年が明けてから、あなたにお逢いできるでしょう。

西行は何か思うところがあってか、年の暮れに空海のいる高野山に籠ってしまった。そのために友に逢えるのは、年が明けてからだ。

年の内に春立ちて、雨の降りければ

春としも  なほ思はれぬ  心かな  雨ふる年の
 ここちのみして  

京都の年末正月も少し時雨れた。当時の正月は、初春と呼ばれたように、正月には春の長雨がふさわしく、雪は旧る雪で、旧年中の冬のことだった。この年、西行は雨が降っても、まだ正月が来たという実感が湧かないでいる。

正月元日に雨降りけるに
いつしかも 初春雨ぞ  降りにける  野辺の若菜も
 生ひやしぬらん

なんとも早く、もう初春雨が降ったよ。子の日に摘む若菜もきっと芽を出したことでしょうね。

もっとも正月らしい歌は次の歌。元旦を迎えるたびに、
この一首を思い出す。

家々に春を翫ぶということ
門ごとに  立つる小松に  飾られて  宿てふ宿に  春は来にけり

あけましておめでとうございます。本年も良い年でありますよう。

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今年最後の記事

2005年12月31日 | 日記・紀行

 

二〇〇五年も今日で終わる。時間の流れは誰にも止められないから仕方がない。一つ一つの出来事が、過去の海に沈んでゆく。そうして、やがてすべてがさらに深い忘却の淵に沈んでゆく。

今年も人それぞれにかけがえのない一年があったことと思う。
嬉しかったことと悲しかったこととを天秤にかける。
特に嬉しかったことも、取り立てて悲しかったこともない平凡な一年だったかも知れないと思う。

「後悔先に立たず」だけれども、遣り残したことは多い。来年は──もちろん、神さまの恵みによって生き長らえていれば──もう少し、しっかり計画を立てて着実に実行してゆきたいと思う。

今年の出来事として思い出される中でも、ブログを書き始めて間もないころ、中国や韓国で反日暴動が起きたことと、尼崎でJR西日本の脱線事故のあったことが印象に残る。人の心を引き裂くような凶悪な事件も少なくなかった。その多くは解決が持ち越されたまま年を越す。イラクでは多くの人がテロの暴力で犠牲になったが、イラクでの民主国家の建設は、危うい足取りだけれど何とか進行しているようだ。
北朝鮮の拉致問題には目立った進展は見られなかった。そして、郵政解散総選挙があった。民主党は敗北し、小泉自民党が圧勝するということがあった。

それでもブログのおかげで、日々それぞれの記憶を少しは書き留めておくことが出来た。少しは忘却の淵から救い上げることは出来るかも知れない。ただ、残念なことは、せっかくブログを公開していながら、問題意識を共有する人たちと十分に議論できなかったことがある。来年はそれによってさらに考えの深まることを願っている。
十二月に入ってからも、そんなに忙しくもなかったのに、多くの記事を書き残してしまった。

来年こそは、犯罪や事故の少ない平和な一年でありますように。
日本国と世界に、そして、一人一人に平安で幸せな日々が訪れますように。

何かの縁があって、このブログを読んでくださった皆さん、よいお年をお迎えください。

 

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プログラムの練習

2005年06月14日 | 日記・紀行
これからはDELPHI6を使って、日曜日の多少暇なときに、プログラムの勉強でもしてゆこうと思っている。二、三日前にネットをサーフィンしていたときに、DELPHI6が無料でダウンロードできることがわかった。それで、実際にダウンロードし、また、DELPHI6を紹介しているホームページで、ごくごく簡単なテキストエディタのウィンドウの作り方が書いてあったので、参考にしながら実際にやってみると、できた。これははじめて作った自分のアプリケーションと言うことができる。


あまり時間的にも余裕がないので、もちろん専門的に複雑なプログラムは作ることはできない。しかし、これで技術さえ磨けば、演算装置などを作って、統計や研究の道具も作ることができるわけで、たとえば、『検索』のプログラムを作って、『源氏物語』に、「とのゐ」という言葉が何回使われているのか勘定することができるかも知れない。気長に取り組みたい。


いずれにせよ、パソコンの構造や、C言語やPASCALといったコンピューター言語について多少なりとも理解の深まることを願っている。昔、会社に勤めていたとき、経理課の巨大な電算機で、伝票などの計算をし、パンチで孔を空けてプログラムを作っていたことがあった。その際に、会社から研修でCOBOL言語の学習に富士通まで通ったことがある。あのまま、経理課に在籍していれば、ひとかどのプログラマーにでもなっていたかも知れない。しかし、そんなことに本質的な関心のなかった自分は、まもなく退職してしまった。それ以来、電子計算機のことはすっかり忘れ去っていた。そして電算機やプログラムとはまったく無縁の世界で生業を立ててきた。それから、再びワープロやパソコンに出会うようになったのは、約15年後である。図体も大きく事務室の半分を占領いていた電算機もパソコンと名を変え、インターネットとの接続で、単なる計算屋から、まったく異なった機能を持って登場していた。


しかし、いずれにせよ、私の専門は哲学である。人は、特に現代人は、すべての分野で万能であることはできない。ゲーテが忠告したように、人は何者かであり得るためには、自己を一事に限定しなければならない。それにしても「哲学」といっても、あまりにも守備範囲が広大過ぎる。


私は、さしあたっては「ヘーゲル」を中心に勉強して行く。そして、その中から、専門を絞ってゆく。
もちろんヘーゲルは体系的な哲学者だったから、「論理学」「美学」「歴史」「法律」「宗教」など、ヘーゲルの研究活動は多方面にわたっている。彼はその強靭な論理的思考力で「世界を思索した」といえる。


私の最終的な理想は、田舎で農業に従事しながら、一方で、このパソコンを使って哲学を研究し、そして、自分の思想を建設して行くことである。単なる哲学の注釈家で終わるつもりはない。だがいまだなお、夢は実現していない。しかし、私は、まだ、私の夢を捨てたわけではない。今は、特に「私の哲学史」と題して、私がこれまでの人生で出会い、多少なりとも影響を受けてきた人物と思想について論評を試み始めたばかりである。今のところ、「ルソー」と「キルケゴール」の二人について論評を試みた。


もちろん、何も、言語作品に残されている思想作品や思想家にのみ関心があるわけではない。とくに私が関心を持った思想家は出来るだけ問題にするつもりなので、有名であるかどうかは関係はない。また著作を残しているか否かも関係はない。


特に、これから予定している思想家、哲学者としては法律家の「ケルゼン」や「科学的管理法」という研究によって労務管理思想や経営学で、とくにその創始者とも目される「F・Wテーラー」、その後この人事労務無関係理論を発展させた、人間関係理論で有名な「メーヨー」や「マズロー」「ドラッガー」など海外の有名な研究者の名前が挙げられる。日本人では経営学の分野では、「藻利重隆」氏やその他有名無名の学者経営者が数多く存在する。そして実際の経営者としては、自動車会社ホンダの創業者として有名な本田宗一郎氏、また松下電器の創業者である松下幸之助氏なども、いずれは取り上げたいと思っている。文学者や小説家についてはあまり取り上げることはないだろう。また、哲学者思想家といっても、著作を主たる業とした者に必ずしも限定することもない。イエスなども、彼自身は自分で筆を取って著作を残したと言うことはない。

今日一日の目標としては、ホームページの表紙を変えようと思っている。もう少し、一般になじみやすい、読みやすい物に変えてゆく必要があると思ったからである。いくら、「わが道を行く」と言っても、私の生活も意義も社会のと関連なくしたは考えられないからである。とくに、市場や金儲けということ、あるいは、職業というものは他者とのかかわりなくしては成立しない。とくに、社会性の問題については、個人的にも深く反省すべき点があると思っている。少しずつ「社会参加」を心がけるつもりでいる。


鈍才氏(http://ha3.seikyou.ne.jp/home/donsai/)にメールをはじめて送る。切磋琢磨しあえる関係になることを願っている。


それにしても、精神的労働と肉体的労働の調和した生活こそが私の理想である。労働と科学こそが私にとって哲学の具体的な展開である。単なる机上で従事するだけの、文学や宗教と区別のつかないような「哲学」は、私にとっては本来の哲学ではない。私にとって哲学とは何よりも「思考についての科学」にすぎないのである。しかし、残念ながら、今日の日本では「哲学」に興味があるということは、事実としてきわめてマイナーである。そんな人間は、大衆の目には奇人変人の類にしか映らないらしい。日々の生活に追われて物事を根本的に考える余裕もなかなかない。そのせいか、きわめて軽佻浮薄な連中の跋扈する社会になっていると思う。そして腐りきったマスコミも彼らを煽り立てる。そして、彼らから、「ダサい」「ウザイ」「クラい」と言った評語をレッテルに貼られることを、極度に恐れる。しかし、とくに、宗教や哲学を持たない今日の多くの青年男女は、人間というよりも、むしろ一種の動物に、獣にさえ見える。それに政治家も官僚も「物事を自分の頭で考える国民」を育てようとは思っていないし、またそんな国民を恐れているようでもある。自分たちの特権が失われるとでも思っているのだろうか。似非民主主義国家、日本の面目躍如たる一面である。気の毒で情けない国。


それに、残念なことにというべきか、現代の日本人は、宗教に関して深いトラウマを負ってしまった様である。本来宗教によって深い倫理性や哲学的根拠が与えられるのに、それがないために、人間関係にも潤いを失い、文字通りの金とセックス本位の「欲望社会」になってしまっている。同級生に爆弾を投げつける学校もある。上は政治家から「官僚」まで、青少年の暴力と少女の売春、両親による子供の虐待に至るまで、ただ単に少子化高齢化を待つまでもなく、社会の至るところに亡国の兆しが垣間見える。30年後、50年後の日本に、私たちの子供たちの世代に幸福な社会を残してやれないとすれば、なんと罪深いことか。杞憂に終われば幸いである。










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