MARVIE’S

思い出の音楽と趣味の生活

オーボエ協奏曲ニ短調 第二楽章

2013年05月30日 | 音楽

気心が知れた友人と酒を酌み交わすほど楽しいことはないと、常々思ってます。

そんな中で、一番の思い出はTさんとの付き合いです。

ふとしたことで知り合い、ある日酒を飲む機会がありました。

それは夕方六時半頃から始まり、延々と次の朝七時半頃まで酒を飲み続けたことです。

でも、実際は普通に酒を飲めたのは当日だけで、午前過ぎからは酒も進まなくなったようです。

時間が経つにつれ酒の量が減ったといっても、これほど長い時間飲み続けたのは後にも先にありません。

そのくらい楽しかったのです。

音楽の話、文学の話、仕事の話、人生論、これほど考え方が合う人と会ったのは初めてでした。

その後、以外にも二人で酒を飲んだのはこれっきり、いつも喫茶店で待ち合わせいろんな話を楽しみました。

ピアニストの娘さん(世界的コンクールに入賞)の話をいつも楽しそうに話をしていました。

そしてある時、自分が死んだらこの曲を葬儀に流してもらうことにしている、などと話していました。

私も、それはいいねえ・・自分もなんか好きな曲選んでこうかな・・などと話した記憶があります。

数年後、それが現実になるとは夢にも思いませんでした。

 

今日は何の日

明治元年(1868)の今日「沖田総司」が労咳(結核)のため25歳で亡くなりました。

新撰組最強の天才剣士であった沖田は、いつも近所の子供たちと鬼ごっこをしたりかくれんぼをしたりする心優しい爽やかな青年でした。

剣をとれば副長助勤、剣術師範頭として活躍、池田屋事件は特に有名です。

そんな沖田も病気には勝てず、千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅で5月30日の夕方死去しました。

 


スピーカー台の製作

2013年05月28日 | オーディオ

ブロ友さんからスピーカーは置き方が一番大事とご指摘がありました。                             10㎝のフルレンジが入ってました

私自身もその大切さはだいたいわかっているつもりでしたが結構いいかげんでした。

まず、スタンドは一定の高さは必要、それからスピーカーの置く場所は重量物で固めるのが基本中の基本との事。

説明によるとスタンド、置き台で100キロ以上、スピーカーを合わせると、片側200キロちかくになります。

そもそも私のオーディオは名ばかりで、すべて中途半端です。(だからこそ台が大事といわれそう)

なんといっても私の特技は廃材を利用すること、以前作ったスリムタイプのバックロードホーンを利用する事にしました。

ユニット、及び配線等を外し、必要な部分だけ残し切断です。

そして、天日干し(100キロ)をした砂を片側40キロくらいを詰め込みました。

完成した置き台の上に今まで使っていたブロックを載せましが、高さが24センチになりちょっと高めの感じです。                           

そして、視聴した結果、分解能が増して音は締まったような感じでしたが、なんか音が硬くなった様な感じがして                 切断したSP

なんか馴染めませんでした。

いろいろやってみようと想い、今度は高さ6センチのレンガに替えてみました。

私としてはこの方が耳に馴染めました。

とにかくスピーカーそのものが85キロと重く、一人でのセッテングは至難の技でした。

 ブロックだと高さが24cmになります                最終的にこんな感じです


白樺の木

2013年05月26日 | アウト・ドア

先日、庭の白樺を切ったのはいいのだが、これをさて、どうしようと

考えた末、これで木彫りをしようと思い立った。

来月からは時間だけは豊富にある、とりあえず一番太い幹でふくろうを彫ろうと思う。

すべてこの小さいのこぎりで切ったのだが、結構疲れた。

来月からは、自転車置き場兼、物置小屋の製作の開始、現在図面を書いている

段階だが、和風テーブルスタンドも作り始めたし退職しても急がしい日々が続く。

でも、その前に今はスピーカー台を作っている。

前に作ったバックロード・ホーンを利用するのだが、今日は午後から天気が

良くなる予報なので、中に入れる砂を天日乾しにした。

定期的に砂をかき混ぜたりしてムラなく乾かすのだが、なんか塩田で塩を作っている

ような感じがした。

 

右端の一番太いのでフクロウを彫ろうと思うのだが、

彫刻は最近はまったくご無沙汰です。

うまくできるかどうかです。

絵描きになりたかった私ですが、ほんとは彫刻も好きだったのです。

音楽の才能はないけれど、こっちの方は少しはあるらしい。

 

 


水鏡

2013年05月22日 | 音楽

私の20代後半のオイルショック以降は私生活でも仕事でも、最も苦しい時代でした。

その頃、私の仕事は営業で毎日電気店をまわり注文をもらうのが仕事でした。

いい時もあったのですが、担当地区によっては売り上げが芳しくなく会議のたびに重圧を受け

月末が近づくにつれ憂鬱な日々が続きました。

ある時、カーラジオからなんとも情緒のある自分の心を癒してくれるようなきれいな曲が流れてきました。

しかし、その曲の名前はわからずじまい、いつしか時がたち忘れていきました。

それから、何十年後、ジェロがこの曲を歌っていました。

今になってCDを買い求め、あの頃を思い出しながら時々聞いています。

 

水鏡  鈴木一平

 

 


初めてのポップス

2013年05月22日 | 音楽

 私の子供の頃の音楽といえば、まず学校で習う唱歌、今でも思い出深い歌はいっぱいあります。

でも、好んで歌っていたのは当時流行っていた流行歌です。

いつもラジオから流れていて記憶が一番残っているのは、フランク永井の「有楽町であいましょう」です。

子供ごころに、大人の歌なのになぜか心地よい感じが今でも忘れられません。

ちょっと大きくなって、とはいってもまだ小学生だったかな・・・神部一郎が大好きでした。

この人の曲はほとんど覚えて成人になってからもよく宴会などで唄いました。

私はどちらかというと当時は低音で、低音の歌手が唄いやすいということもありました。

小学生の高学年になって、ある日友達の家に遊びに行きました。

友達の家は裕福な商店の息子で、当時あまりなかったステレオを始めて聞かされ、ラジオしか聞いてことがない私は

音の良さにびっくりしました。

でも音の良さもさておき、流れてきた初めてのポップスに衝撃を受けました。

それが、エルヴィス・プレスリーの「GIブルース」です。

それ以来、流行歌を歌うことはほとんどなくなり、いつも口ずさむのはアメリカンポップスでした。

特に、GIブルースは忘れられない曲になりました。

初めてこの曲を聞かしてくれたA君、元気にしてるかな・・・・・・

 

エルヴィス・プレスリー    GI ブルース

 


春の焼石連峰

2013年05月17日 | アウト・ドア

我が家から西へ60キロほど走ると焼石連峰があります。

山開きは今月末頃になるので、まだ山には登れないので近くまで行ってきました。

途中、新しくできた奥州ダムを眺めながら新緑の中を走ります。

標高800メートルくらいの地点に着くとまだ多くの雪がありました。

ところどころに山桜がきれいに咲いていて、とてもきれいでした。

残雪と桜が良く似合います。

奥州ダムの湖です.最近までこの湖の下を普通に走っていました。

今では、あの林道、あの風景は二度と見ることはできません。

まだ多くの雪が残っていました。胆沢町は合併して現在は奥州市になりました。

 

胆沢川の源流で焼石岳から流れてきます。

 

雪解け水が豊富に流れていました。

ついでにタラの芽を採ってきました。                                               ショウジョバカマが咲いていました。

 

今日の焼石連峰です。


手作りテーブル・ランプ

2013年05月14日 | 日曜大工

廃材を利用したテーブルライト完成です。

このスタンドの大きな特徴はほとんどお金がかかっていない事です。

照明のカバーと電球だけはホームセンターで購入しました。

以前、電工試験に使用したスイッチ、レセプタクル等をそのまま無理

やり使用しました。

普通のテーブルライトのスイッチはほとんど中間スイッチなので

使いやすくするため一般住宅の片切スイッチをそのまま手元スイッチ

としました。

今回は丸みを帯びたデザインにしたので、次回はきちんと材料を購入し木目をいかした

和風のスタンドを作りたいと思います。

何分にも照明カバーがまだいっぱい残っているので作らざるをえないのです。

 

 

 


ジャズ喫茶「レイ・ブラウン」訪問

2013年05月13日 | 音楽

前回の「ハーフ・ノート」に続き今回は同じ水沢にある「レイ・ブラウン」に行ってきました。      

ゆっくりさんは二度目の水沢訪問になります。

水沢駅に到着した時間はちょうど昼時間になり、又、昼食をごちそうになってしまいました。

「レイ・ブラウン」は自宅と喫茶店を併用してあるお店です。

ですから、準備をしてないこともあり、前もって電話で今からお邪魔しますと電話をしました。

このお店は靴を脱いでスリッパに履き替え入ります。

中はそんなに広くなくこじんまりとした喫茶店です。

正面にはアルテックのスピーカーがどんとおいてありましたが機種名はわかりませんでした。

アンプはマッキントッシュのプリとパワーです。

壁の棚には、何万(?)というLPレコードが並んでいました。

このお店のマスターのすごいことはレイ・ブラウンと親交があるということです。

なんと、自分の結婚式に来てくれて演奏をしてもらい、その時の一緒の写真を店内に飾ってありました。

もちろん、店の名前もすべてレイ・ブラウン了解のもとだそうです。

帰りぎわ、今では貴重なお店のマッチをいただきました。

土曜日でしたが私たち以外にお客は誰もありませんでした。

田舎のジャズ喫茶はこんなもんなのかなあ・・・・

 

 

マッチをもらったのは何十年かぶりです。

ゆっくりさんは奥様の分と合わせて二個いただきとても喜んでいました。

私はコーヒーまでごちそうになりおんぶに抱っこでした。

もてなすべき私がすっかりお世話になってしまいました。

二度目の水沢楽しんでもらえたかな・・・・

 

それから、マスターとオスカー・ピーターソンとツーショットの

写真も飾っていました。

 

 

今日は何の日  第1回

1578年(天正六年)の今日、御館の乱起こる

名将上杉謙信は生涯を独身主義でとおしましたが、そのため、二人の養子がいました。

結果的に兄弟(景勝と景虎)の骨肉の争いになってしまいます。

謙信の突然の死の後、葬儀まもない翌日、景勝は景虎を襲います。

御館城に逃れた景虎でしたが、ついに城は焼け落ち鮫ヶ尾城に逃れるのでした。

 

◎  田山花袋(田舎教師など)が昭和5年の今日亡くなっています。


ミシェル・ルグラン

2013年05月11日 | 音楽

クラシック以外で好きな作曲家はミシェル・ルグランです。

1934年2月24日生まれだから、今ではもう80歳を過ぎてるはず・・

何度か来日してるらしいが、私はTVでも公演でも一度も見たことがありません。

彼を一番に有名にしたのは、やはりシェルブールの雨傘の音楽制作ではなかったのではと思います。

その後、華麗なる賭け(風のささやき)、ロシュフォールの恋人たちおもいでの夏、栄光のルマンなど多くの映画音楽をてがけました。

彼は作曲だけではなく、ジャズ・ピアノ・プレーヤー(ミシェル・ルグラン・トリオ)として何枚かのアルバムを出しています。

私はルグラン・ジャズ、パリジャン・ブルー、シェリーズ・マン・ホールのミシェル・ルグランなどのLP及びCDを今でも時々聞いています。

そして又、マイルス・ディヴィス、ジョン・コルトレーン、ジャック・ジョーンズなどのトップ・ジャズマンとも競演し人気をはくしました。

ビル・エヴァンスも何曲か彼の曲をレコーディングしていて、アイ・ウィル・セイ・グッドバイは私の好きな曲です。

     ミシェル・ルグラン・トリオ                                                       ルグランジャズのLP


春の模様替え

2013年05月09日 | オーディオ

今日はやっと春らしくなり気温も20度くらいまで上がりとても気持ちの良い日でした。

休みということもあり、思い切ってコタツを外すことにしました。

それにともなって、冬のあいだ温室代わりに家の中に飾ってあった(?)花々を外に出すことにしました。

おかげで、私のオーディオの前はすっきりとし、環境も変わったので再度周波数特性の自動補正をしました。

補正後の音はなんかしっくりこなかったのですが、そのうち又やり直そうと思います。

 

私のオーディオですが音の入り口(DL103は40年程前に購入、5年前に針交換)と出口は古いものです。

でも、最近はあまりLPを聞くことが少なくなり最近購入したCDPを聞いています。

JBLを聞くようになってからは自作のバックロードホーンはあまり聞かなくなりました。

普段はCDPをパワーアンプ直結で聞いていますが、最近はネット・ラジオもよく聞いています。