ガンの宣告を受けた2年前にはどんな死に方が良いかなどと考えをめぐらした。犬や猫と同じように死後の世界はないと思っているので、戒名、葬式という儀式、自分の場合は必要ないと考えている。でも、その時には主張できない立場にいる。残された家族が世間体を気にして、いや、故人の供養のために、立派な葬式を執り行うかもしれない。故人が残される家族のことを思うのと同じように、残された家族も故人のことを思っていることを形にしたいのかもしれない。
戒名とはお釈迦さまの弟子になること。悟りを得る世界に入ること。お布施の本来の意味は葬式の代金ではなく、人に施しをすることで心が軽くなる修行という意味合いのもの。社会に還元するという気持ちが大事だという。お釈迦さまは、かつて次のように弟子に話した。「托鉢は、金持ちの家を回るのではなく、貧しい人々の家を回りなさい」「貧しい人々は、自分が貧しいと思い続けて、他人に施しをする機会がなかった人々であり、他人に施しをする機会を得ることにより救われることになる。托鉢はその為にある」 社会に対してお布施をおこなうという気持ちこそが原点。エンディンクノートには気持ちを残しておきたい。不景気が続いている今でも、お布施の額の相場は下がっていないようだ。不思議な世の中である。
新たな生を受け、考え方もすこしおだやかになってきた。
戒名とはお釈迦さまの弟子になること。悟りを得る世界に入ること。お布施の本来の意味は葬式の代金ではなく、人に施しをすることで心が軽くなる修行という意味合いのもの。社会に還元するという気持ちが大事だという。お釈迦さまは、かつて次のように弟子に話した。「托鉢は、金持ちの家を回るのではなく、貧しい人々の家を回りなさい」「貧しい人々は、自分が貧しいと思い続けて、他人に施しをする機会がなかった人々であり、他人に施しをする機会を得ることにより救われることになる。托鉢はその為にある」 社会に対してお布施をおこなうという気持ちこそが原点。エンディンクノートには気持ちを残しておきたい。不景気が続いている今でも、お布施の額の相場は下がっていないようだ。不思議な世の中である。
新たな生を受け、考え方もすこしおだやかになってきた。