告知の日からのガン日記(上咽頭がんー丸山ワクチン日記)

08年7月の告知。5年生存率60%の標準治療を断わる。丸山ワクチンを決断。団塊世代、男性。試行錯誤の過程をリアルタイムで

丸山ワクチンと周囲の人たちに支えられて

2010年09月06日 | Weblog
子宮頸がんー柴田さとさん〔51才・主婦・札幌市中央区円山西町〕の体験談。昭和47年5月、急に腰が痛みだし、トイレにいくと出血していました。子どもを生んだことがないので、婦人病だと思いました。「どうしてもっと早く来なかったの」との医師の口ぶりから、ふとガンかもしれないと思ったという。ガンは子宮だけでなく、膀胱や腎臓にも転移していたため手術はうけなかった。5月から10月まで入院し、一度だけラジウム治療を受けた。退院した後、親戚から丸山ワクチンを薦められ、入院した病院で承諾を頼んだが断られ、近所の医師にも断られ、放射線科の医師がようやく承知してくれたという。その後、治るかも知れないという期待が、一日一日、実感に変わっていった。ワクチンを打ち出して2年目の暮れには、どうしたことか調子が悪くなりだした。おなかが痛んで食欲がくなった。便秘がひどくなった。病院にいくと「胃も腸も異常ありません」とのこと。50年1月26日に、急に激痛に襲われ、緊急入院、再発という恐怖が頭をかすめた。レントゲンで腸の癒着とわかった。腸閉塞になって壊死していた腸の除去手術を受ける。その後はすっかり調子がよくなり、健康をとれもどした。ワクチンを打ち出して、今年で4年目になる。


丸山千里著「丸山ワクチンーガンを追いつめる」より。(省略あり) 転移しているガンは手術ができない状態だった。ではなぜ退院できたのだろうか。その時の体調はどうだったのだろうか。ほかに治療法がないにもかかわらず、丸山ワクチンでの治療を断る医師がいたという。腸が癒着し、腸閉塞になったのはガンが原因と思われる。それとも、コバルト治療の影響だろうか。丸山ワクチンはどのように作用していたのだろうか。とどのつまり、患者は常に正しい選択をおこなった。患者は健康を取り戻したと。治るということと、治る見込みがあるということ には大きな違いがある。治るとは、ガンになる以前の体調に戻ること。手術で臓器をとりされば元には戻れない。丸山ワクチンで治る可能性はある。


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