思ったこと

思ったことを書きます

今現在を含めて努力しなければ

2012-12-30 | 日記
ニコニコでこのラジオを聞きました。(※)
いやーこれはヒドイ。。。

井筒氏、びっくりするぐらいのサヨクですね。絵に描いたようだ。

選挙について、「どの党にも入れたくない人の民意を反映すべきだ」とか言ってましたが、
そんなに自分の政治判断に自信があるんですかね?その根拠のない偉そうな自信にビックリです。
「民主主義だから国民主権なんだから俺たちが主役だ」っていう権利だけで言ってるのなら、
それこそ浅はかな我侭が互いを食い潰し合って国は潰れますね。「馬鹿に殺される」ってなもんです。

各々が国政や社会や経済や思想云々について勉強しており、マナーのある議論も十分に重ねてきた国民達での民主主義なら、無効票を何らかの形で民意として反映することに価値はあると思います。そういう人たちにはおそらくしっかりした現実的な理想があるのだろうし、無効票の求める答えや方針は自ずと整理されて見えて来るはず。

しかしそういった「努力」も特にせず、なんとなくの空気や風やブームやイメージや思い込みだけで政党を選ぶような国民達の無効票なんて何の価値もありません。正直そんな人間が偉そうに「民意」など語る事自体がとても恥知らずな事に感じますね。投票権はあるんだから、立候補した政党の中から少しでも自分の考えに近い政党を、例え消去法でも選ぼうとする「今できる努力」ぐらいはしないと。
それを怠った上での無効票というのは「日本なんかどうなってもいい」と意思表示してるようなものでしょう。そんなものを反映させてどうするんだよ、と。(自分も成人して数年投票に行かなかったですが、正直政治についてよく分からず、どの党が良いのかも判断できないからいい加減に投票するよりは分かってる人に任せた方がいいか、といった感じでした。まあそれもかなり浅はかなんですが、ただ政治を批判的に見てそれを偉そうに意思表示しようみたいな思いは一切無かったなあ。「テレビのニュースが短くて詳しく分からんねん!」みたいな批判はあったかなwその後ネットで色々見れて良かったw)
現状ありもしない自分の中の理想の政党を追いかけてるにせよ、現状無効票にしたのだから「もうどうでもいい」って言ってるようなものです。うん、海外行けばいいんじゃない?w(またちょっと旅行で行ったごときで良くしらないくせに勝手に海外に憧れのイメージとか持って「日本は最低だ、海外行きたい」なんて言ってる事自体が浅はか過ぎて聞くに耐えないですがwでもマツコ氏の言うようなそういう感じが「今の日本人」という事は現実として一理あるとは思いますけど、そのままではマズいと思うから、少しでもその流れに歯止めをかける可能性のある政権に期待して、自分は自民に入れたのですけどねー。自民の堅実さと安倍さんの方向性が良い、マツコ氏の言うような今の(腐って弱った)日本が良く変われるかも、と思ったもので。)

あとは原発政策に怒りを覚えられたようで。でもみんな電気は使ってるんですよね。
電気を止められたりコストを上げられたら回らなくなる事も一杯ありますよね。
エネルギーの安全保障はどうお考えですかね。それも人命を守る事に繋がるのですけど。。
その辺の現実を踏まえてのバランスについてはどういう解決策をお考えでしょうか。
「だから推進だ」なんて自民は一言も言ってないし、そんな事言ったら選挙に落ちるから伏せていた、という程不真面目な党では無いですね。むしろ、事故前まではエコだから推進すると言っておきながら、事故で突然ゼロ方針を打ち出す民主の方がよほど不真面目でフラフラして、そんな現実を見ない不真面目な政党の方が将来的にゼロを実現できる可能性は極めて低い、と思いますけど。
あれだけの事故の後で原発推進の政党が勝つなんて「世界中の笑いものになる」とか言ってましたね。
うん、じゃあ笑わせとけばいいんじゃないでしょうか。
その間、エネルギー政策について一生懸命考えて努力し、国民の命と暮らしをより良く真剣に守れるようなエネルギー体系を実現しようじゃありませんか。まだまだ調査したり研究しないといけない事だって一杯ある。それを国を挙げて頑張れば良い。
「ゼロ」と言って無理に止めて、無理が祟って国が弱体化して何も守る努力ができなくなる事が「被災者の為」なんでしょうかね?
それよりも現状の復興支援が先です。
そして次に今後予想される大地震・津波への対策が先です。
選挙の争点を唄うなら原発の今後よりもそっちにすべきだと思いますけど。

あと、お2人は軍隊がお嫌いなようですね。
徴兵制云々の話はサヨク過ぎて話にならないので置いといて、
国軍にするなんて自衛隊の人も嫌がってる、みたいな言い方をしてましたね。
ここはもう自分の考えが偏ってようが現実を見ないノスタルジーに酔っていようが言いますけど、
もう少し自衛隊の人達に「守りがい」を与えてあげてください。
こんな人たちを守るために日々訓練されてると考えたら少し虚しいですね。
「もうタイに住もうかしら」だって。
そんな人たちを守るために、現実として今現在も下手をしたら命を落としかねない仕事に就かれている方々もいるのですから、
自分ももっと今現在、国民としての役割を努力しないとなあ、と改めて思いましたね。

とにかくもう笑いたいやつは笑わせといて、嫌いたいやつは嫌わせといて、
現実として大勝した安倍政権に期待し応援する所存です。

うん

2012-12-29 | 日記
安倍新内閣の自民党政権に対し、マスコミ等は
「自民党は変わったかどうか」
を問うているようですが、
それはナンセンスというか、まだそんな地点にいるのか、といった感じがします。

まず第一に、新政権に何か問うべきことがあるなら「日本は良く変われるのか」ということでないと。
その為には、かつての日本の何が悪かったのか、という正確な総括をしないといけない。
その上で、かつての自民党の悪かった点が、日本を悪くした原因として大きな比率で関係しているのなら、
そこで初めて「自民党は変わったかどうか」という事を問う事に実践性が出る。

そういった「日本の為の総括」をすっ飛ばしたりいい加減にしたまま上の事を問うと、
あたかもかつての自民党政権が全て悪かったかのように見える。
勿論個々の政治課題についてはかつての自民党政権のまずかった点もあることでしょう。
しかしそういう事はまさに個々の事例のレベルで問うていくべきことで、
なにか総合的にまとめて「かつての自民が悪い」という評価を下すのは、
かなりイメージ先行の不正確な評価だと思いますし、
いまだにそういったイメージ先行の立場を払拭できていないマスコミは
まだそんな所でウダウダ言ってるのか、日本にとって非建設的で聞く価値がないな、という思いがします。
かつての麻生政権を自民末期とボロカスに批判し、民主党を応援したマスコミの報道は、「日本にとって良い」行動だったのでしょうか?
今回の選挙結果でも明白な通り、そんなボロボロだった民主党をかつて応援したのだから、どれだけ間違った、総括も考察も無い、いい加減な、「日本にとって悪い」行動だったか。
本来そこの総括をまず最初にするのが「日本にとって良い」と思いますが、マスコミ自身は保身がかかっているので簡単にできない。
保身の為に誤った事を言い続ける、自分達がかつての自民に過大に批判したような事を自分達がやっている。そんな腐った組織の言うことなど「ものの道理」から反れて当然ですね。
最初から「中に存在する正しさ」なんかを見ようとはしていないのでしょう。自分たちに都合の良い理屈をどっか外から引っ張ったり造ったりして、それを無理やり「正しさ」として当てはめて報じているだけ。
だから物事の本質や問題点や総括も見ようとしない、それができない体質になっている。そうなると当然正しい解決もできないし、いつまでたっても正しい結果にもなるはずがない。

すべき改革があるとしたら、「即決するための改革」ではなく「問題解決の正しいプロセスを踏めるための改革」だと思いますね(即決なんかしたらこれまたどんどん正しさから遠のくでしょう。。)。その一環としてのマスコミ批判なので、大事ですね、うんw

認識

2012-12-18 | 日記
自民の大勝について、メディアでは基本的には
「あくまで消極的な勝利だ」「他に無いから仕方なしだ」といった見方が多いですね。
まあ投票率とか比例の結果とか、自分の身の周りの人の話を聞いても(そもそも政治に関心無い人ばかりですけど)、確かにそういう消極的な比率は高いんだろうな、と思います。
でもあまり多くの民意が積極的になったらロクな盛り上がりにならない(安直過ぎて冷静な正しさに欠ける、というか)気もするので、今の民意ではこれくらいの消極さの方が結構まともな結果になるのかも。というよりも「民主党みたいなもんは駄目だ」という認識は多くの人が持ったと思うので、たとえその先が消極的選択でも、それだけでも十分正しい方向へは向かったんだろうなと思いますね。

あと積極的な意味で言えばメディアでは「右傾化が心配だ」みたいな見方もよくありますね。
うーん。
中道からも外れているような今の日本の状態を鑑みて、安倍さんがそこまで偏って右なのかどうかはさておき、
国政にとって「国として頑張る」ことがそんなに心配なことなんでしょうか?
国として頑張り、戦うところは戦う、当たり前だと思うなあ。。
寧ろ政府がそうしてくれないと困る、そうじゃなけりゃ誰がするんだw

多分ですが、戦後日本人(庶民は戦前もなのかも分かりませんが)は他国に対する認識がどうもズレているような気がしないでもないです。
「国 対 国」の見方を「個人 対 個人」と同じように捉えている節がある気がします。
「国 対 国」に"友好"を求めるにあたり、昭和期の頃は戦争反対で平和への切望からかもしれませんが、
平成に入ってもう平和慣れというか戦争とはかけ離れた世代になった頃には、自分の身近な経験である「個人 対 個人」という物差しを「国 対 国」に当てはめてるといいますか。
いずれにせよ相手を敵視したら争って傷つけ合うのことになりそれは自分にとっても辛いので「国 対 国」もお互い認め合って仲良くせねばなるまい、と。そんなニュアンスなんじゃないかな。(逆に敵国とみなしている国については、相手国の事を一切認めようとしないわがままで醜い国だから敵視する、という、それもある意味「個人 対 個人」の延長線ですね。昨今の中韓に対する敵対意識もそういう部分が大きいかと。まあそれはそれで自然で正しい認識であると思いますけど。)
でも自分が思うに、基本的に「国 対 国」の関係というのは「個人 対 個人」よりも、
同業者における「自社 対 他社」に近いんじゃないかなと感じます。
だから「100%の友好」なんてありえない、それは吸収合併、つまり占領ということです。(その過程に当然戦争があります)

といってもあくまで例え話で、国自体は会社に例えてはいけないと思いますけど。人件費削減もリストラも安易な人事異動や方針転換や衣替えもしてはならない、歴史と文化と伝統とその誇り、ひいては存在意義をしっかりと維持すべき組織体です。他国というのはそういった同業組織体ではないでしょうかね。

右傾化と嫌がる人は、国がそういった組織体であることに反対なのでしょうね。
でもそうじゃなかったら、国の組織体が嫌いなら、どうするの?国の政治って一体何をするものなの?
中には国を弱めて地方としてそういう振る舞いをしたい人や、もうそういうまとまりの概念を無くしたい人もいますね。
でも他国を1つ1つ見渡して、そんな国ってあります?少なくともこの周辺にはいないような。。
それで吸収されていいというの?そうなったら「地方としてやっていくんだ~」なんていう夢物語を語ることすらできなくなりますよ?それどころじゃないですよw?
それを食い止めるために頑張る事を「右傾化」と非難して大丈夫なの?
自分は外国勢に吸収されるなんて絶対に嫌だし、そこから国を守るための戦いならどこの国相手であろうが積極的に賛成です。(少なくともそれを実行する正当性はこと日本においては他国に比べ客観的に見ても十分にある。)それを軽視したイケイケの自由主義経済には反対です。勿論貧するのは嫌ですが、守りながら貧しない道も絶対あるはず。(多分日本でそれができなかったらどこの国にも無理なんでしょうね。)国を壊してより個人化して、その中で栄える人は栄える、みたいのも嫌ですね。しかもそれでは全体的な安定は絶対ない。栄えた人はすぐに下克上にあって衰えるだろうなあ。。

みんなオリンピックやサッカーのW杯とかでは「国として戦う」意識は強いのに、こと実際の国同士のやりとりになると妙に「分かり合い」を重視するなあ。(戦争の無い日常と、賑やかでバラエティのある「個人 対 個人」の価値観を映す日常のテレビの影響も大きいでしょう。)
実際の国同士もスポーツと同じように基本的には「ルールのあるやりとり」なんだけどなあ・・。

まともな

2012-12-17 | 日記
選挙、自民の大勝でしたねー。うんうん。

で、NHKで「自民大勝、国民は政治に何を求めたか?」というテーマの番組をやっていますが、
うん、多分、
「普通の、まともな政治」
だと思います。

政治に一時的な奇をてらったようなものはいりません。
1個人の人生においてなら、多少はそういった一時的な刺激も必要かもしれませんが、
沢山の人間の集まりである国の政治についてそのような軽はずみなギャンブルは不要。
むしろ、一人一人が個々人の自由に奇をてらう為にも「安定した足場」が必要。
より多くのパーソナルが羽ばたく為には、ソーシャルは安定していないと。
そんな気がします。

もちろんデフレ脱却、国防、教育などの、今必要とされる課題の正しい答えを示すような政策を主張した事は大きいですが、
基本的にはやっぱり
「政治は普通にまともでないといけない」
という認識の元に票が集まるべきだと思うし、今回は(消極的かはさておき)かなりそういう結果に近かったのではないかと。

基本として「普通にまとも」でないと正しい答えを出せないだろうし、実行もできないでしょう。一時的な盛り上がりで何を叫んでも、そのブームが過ぎ去った後も政治は続きます。その後もその後も。
そんな末永い時間の中で、個々人レベルの思惑は色々あったり変わったりもするでしょう、でもその基盤である国は、変わらずずっと安定してる方がトータルでも良いに決まってる。

といっても外部や内部からの色んな出来事によって、国もなんやかやと偏ったりおかしな感じになってしまうので、その時々の正しい処方箋を導き出す必要は不可欠です。それをより導き・実行しやすい基本姿勢もまた「普通にまとも」であることだと思いますね。そして国自体を「普通にまとも」な安定したものに戻す。それがより多くの国民の幸せに繋がるのではないでしょうかね。

浮つかない、一時の感情に流されない、正しさに誠実でいる。
一個人からすれば少しつまらない、刺激の少ないものかもしれませんが、
国民を総じて末永く守っていく国家運営についてはこういう安定した姿勢が一番必要な気がします。
なので主要メディアのように政治を浮ついた目線で語ったり奇抜で浮ついた切り方をすればするほど、それが反映されればされるほど、政治が劣化していくんでしょうねー。

とはいえまずは安倍政権が正しいと思われる政策を、どう正しく実行し、日本がどう正しく治っていくのか、楽しみです!
(超個人的には給料もっと欲しいっす~w)

ノスタルジック

2012-12-16 | 日記
いよいよ選挙ですね。すでに投票は行きました。(相変わらず裁判官のやつがよく分からなかったw)
しかしようやく日本にも陽が昇りそうですね。

昨日は経済討論を見ました()。
今回はいわゆる"リフレ派"といわれる人たちを集めたということですが、うーーん。。
このデフレの中、リフレという手段自体は必要不可欠なのは違いないと思うのですが、
正直賛同できるのはそこまでです。
そこから先は出演者も人によって当然意見が異なるようですが、
そこから先が結構大事だと思っています。
「経済」と「国防(国益)」をいかに正しくリンクさせて発展させるか、を考える上で。

政府は日銀を動かしてリフレ政策を取らせるだけでいいんだ、
という考えのリフレ派は、正直みんなの党とかと同じ方針だろうと思います。
竹中平蔵氏とも維新ともさほど変わらないでしょう。
ホリエモンっぽい人とかとも変わらないと思います。

自由度のほとんどない、多くを国が規制・管理するような経済は無茶でしょう、
それこそ時の政府や官僚が国民の自由を阻害する、独裁的なものになると思います。
だから「俺達の自由のために規制を緩和して欲しい」という民意も当然ありますし、
でも一方でそれが進んで民間で「他人の自由を縛るような強者の自由」が行き過ぎると、
今度は「俺達の生活のためにココは守ってほしい」という民意も出てきます。
しかもそういった民意が全て(国民にとって)良いものかどうか、も怪しいという側面もあります。
一部の権力者の描いたシナリオにマスコミが乗って、それを鵜呑みにして出来上がった偏った民意、
個人や身内のわがままを言ってるだけの民意、脳内の非現実的なセンチメンタルに酔いしれているだけの民意、総じて「『冷静に考えると後々自分で自分の首を絞める事』を分からずに叫ぶ誤った民意」というものが大半を締める場合もあります。

そこでどうすれば、どういった民意を汲み取った政治が良いのか、と考えると
やはりある程度の「公共性」というものが必要になると思います。
「みんなのために」「国のために」といったものを根本的に持っている民意や見解。
チャンネル桜の討論で前に桶谷秀昭さんが福沢諭吉の言葉を紹介されていて、
「国体を守るとは『ノスタルジーを共有すること』だ」
と諭吉が書いていたようです。
このニュアンスは個人的にもすごく共感できます。
ノスタルジー、郷愁・望郷といったものですね。
国に対する郷愁・望郷の念。
具体的に詰めると、何年代のどの地域のどういった所作の事だ?
とかいう話になりますが、それは人によって微妙に違うだろうし、
過去の歴史や真実を議論することである程度の形を探っていくことは大切ですが、
あまり理数系のように唯物的にハッキリと完全なる形にする姿勢はナンセンスだと思います。
ノスタルジーっていうのはそういった物質ではなく、念のようなものでしょう。

いわゆる保守的な思想の根本には、そういったノスタルジーがあると思います。
それを共有し、それを守るための正しい行動を選んでいかないと、
国なんて安定もしなければ長続きもしないと思います。
ノスタルジーの中身を議論し、あれこれ否定してノスタルジーの概念そのものを矮小化・稚拙化させてしまう前に、
「国家や団体は、ある種のノスタルジーを共有し、守らないと、存続できない」
という原理のようなものを押さえておく必要があるんだと思います。
それが違っていて「そんな宗教じみたものが無くても、『個人の十分な金銭・自由・自己実現・人それぞれの幸せの価値観』などが保証されれば、その国は存続できる」というのならその「国家や団体を存続させるために必要なもの」という議論からすべきだと思います。
ノスタルジーの中身を議論するのはその後でいい。

でも最近は、この3年間に起きた様々な出来事やその政府対応、与党の姿勢や考えやその報道姿勢なんかを反面教師に、またそれに併せて主にネットの自由な表現を通じて保守的なノスタルジーと正しい情報や考察を併せ持ったような評論家の意見に多く触れる事で、多くの人の中に一種の国に対するノスタルジーのようなものが育ったのは確かで、安倍さんや麻生さんの中にも息づくそういったノスタルジーを信頼し、応援するという現象が起こっているように思います。おそらく「正しい情報」が与えられると、自分が普通に生活している中でも「今何が大事か」という事が多くの人にも当たり前に見えて来るんじゃないかなと思います。

出演者の中には「TPPでコメの関税が撤廃されても大した経済規模じゃないからどうでもいい」
というような発言がありましたが、
まあ数値的なお金の規模の大小を冷静に見極めて優先順位を決めることは良いでしょう、
でもこんな効率化一辺倒の姿勢では、「今強い奴をもっと強くして伸ばす」。それだけです。
それによって何が失われるかなんてのはどうでも良い、数字の世界です。
パワー40以下の人間達がパワーアップしたパワー80の人間や新たに入るパワー100の人間達に淘汰される、
それによってパワー40以下の未来は潰れる、
でもパワーの高い人たちが集まったのだから、国として発展したでしょ、元気な国になったでしょ?
そこに郷愁・望郷されるノスタルジーなんて全く感じられません。
それはもうある種別の国です。日本ともいえないかもしれない。
一体何の為に経済成長をするのか、その根本にもノスタルジーが無ければ「国の経済学」は語れないと思います。
そんな中での「グレートリセット」にしても、パワー40以下を切り捨てる事を良しとするものじゃないでしょうかね。日教組を否定しようが、自分自身が個人の自由とかいう日教組的な思惑に則ってノスタルジーを足蹴にして育ったものだから、国を潰す発想しか生まれなく、その先の未来なんて「どうあろうがその時元気な奴が頑張って集まってたらそれが国」のような、過去の先祖にとっても今の国民にとっても無責任なほど描けていないような気がしますね。
効率論や方法論のみのそういう方々はその辺どう考えてるのか、国だけでなく何らかの団体が存続する上で必要な部分だと思うから(そういう人達の所属する団体もやはりそういう「共通の理念」のようなものが団員をつなぎ止めてるんじゃないのかな、当たり前過ぎて見えないのかな、それとも個人の利害関係のみで、いつでも裏切る気満々?そんな団体に何ができましょうw存続できるのか?何が育まれる?「居たい」と思う?好きになれる?総じて支持・信頼される?)やはり否定するならその部分こそ何か対案を語る必要があるように思いますね。。