前からそうなんでしょうけど、
この国は国民の知らず知らずのうちに、徐々に国力が弱まっていくんだと思います。
その原因の一つとして、日本人の「国家意識の欠如」が挙げられたりしますが、
国家の構成要素に国民があるわけで、国民とは正に日本人、日本に住む自分達、なわけです。
だから自分達の生活や今後の事を普通に気にしていれば、特別高尚な『国家意識』なんて無くとも、
自然に自国の行く末を気にかけるような方向へ進む事ができるはずなんじゃないでしょうか。
国家の行く末は国民の行く末、つまり自分達の行く末の集まりが国の行く末になるわけで。
国民のナショナリズムの希薄さを問題にする言論もありますし、
確かに国民一人一人が国家というものをよく勉強し行動し体感する事は有益だと思いますが、
そういうものが無くても普通にこの国で生活していく中で、
「国が滅びる」事を望む人間は少ないと思います。
国が滅びたら生きていけないですし。
というか国が滅びる=国民(自分)が亡びる
という事にほぼなりますし。。
なので、特別国家意識が無くとも、
普通に生活している一般的な国民は、
国力が弱まるような政策には反対する方向へ自然と向かうはずです。
そのはずなのに、
何でそういかず、国力が弱まる方向へ行くのか。
当然な事でしょうけど、原因は2つあるかなと。
1.多くの国民が政治の事を知らない
2.政策の客観的な情報提供が少ない
結局、「一般国民の政治に対する興味の無さ」「報道側の政策に対する説明不足」かと。
1は非常に多いですが、それでも何割かは政治を知る事が大事と感じる人間も現れる。
しかしそういった人たちに2のような政策に対しいい加減な情報提供しかされない報道である、
この場合1が根本的な問題かもしれないけど、
せめて『2がしっかりしていれば、いずれ1も充実する」ような気がする。
結局2が不十分でいい加減だから、多くの人が政治に興味を持てない。
2がしっかりしていたら、国民はより客観的に正確に紐解かれた2の政策を自分の生活に正確にリアルに照らし合わせることができ、
結果、多くの国民が正確にリアルに正しい選択をすることができる。
そしてその結果をより説得力を持った形で、政治に興味無き隣人に伝えることができ、
その連鎖は自然と広まるのではないか。
だから本当に今大事なのは2の、
「政策に対し、客観的に正しい情報を広く提供する」事だと思う。
・・・なんていう事は言論人の方々は当然分かっているものの、
政策の特徴を客観的に分析もせず、ポジショントークに励む方々があまりに多く、
その表現時のパフォーマンスだけで、知識の無い国民達を印象操作で説得させる。
政策なんてのは普通難しいもので、原文を読んだだけでその特徴を簡単に把握する事もできないし
そもそも原文なんて読まない。だからテレビやワイドショーなんかで端的に分かりやすく説明されたもので把握しようとする。
じゃあそれをまとめた者の意図次第でいくらでも省略・強調などの編集を組み合わせることができる。
考えてみると国家における政治というのは難しい。
政策についてのメリットデメリットや、特徴なんかをそれなりに時間をかけて良く良く読んで理解して、その上背景とかも勉強していかないと、
その政策に対する正しい審議をすることは不可能。普通の国民からしたら、
それを正しく審議できるような勉強の時間は無いし、結果正しい選択をしてようが、結局偏ってると思われる情報に吸い込まれて選択せざるを得ない。
国民全員が評論家や言論人のように日々情報収集して勉強して国の行く末に対する考えを持てればいいけど、
まずそんな時間は無い。だからシンプル(安易)な情緒的(偏った)な物語が頭に入りやすいし、そんな物語が(売れてお金になるもんだから)千差万別で転がってるので、大事なものもすぐ忘れちゃう。
そんなこんなで国力は弱まって行くのでしょうかね。。
ある事象について「どこまで情報を得れば信じるに足るものとなりえるか」の基準がしっかりしてる国民の多い国は強い、と思う。
この国は国民の知らず知らずのうちに、徐々に国力が弱まっていくんだと思います。
その原因の一つとして、日本人の「国家意識の欠如」が挙げられたりしますが、
国家の構成要素に国民があるわけで、国民とは正に日本人、日本に住む自分達、なわけです。
だから自分達の生活や今後の事を普通に気にしていれば、特別高尚な『国家意識』なんて無くとも、
自然に自国の行く末を気にかけるような方向へ進む事ができるはずなんじゃないでしょうか。
国家の行く末は国民の行く末、つまり自分達の行く末の集まりが国の行く末になるわけで。
国民のナショナリズムの希薄さを問題にする言論もありますし、
確かに国民一人一人が国家というものをよく勉強し行動し体感する事は有益だと思いますが、
そういうものが無くても普通にこの国で生活していく中で、
「国が滅びる」事を望む人間は少ないと思います。
国が滅びたら生きていけないですし。
というか国が滅びる=国民(自分)が亡びる
という事にほぼなりますし。。
なので、特別国家意識が無くとも、
普通に生活している一般的な国民は、
国力が弱まるような政策には反対する方向へ自然と向かうはずです。
そのはずなのに、
何でそういかず、国力が弱まる方向へ行くのか。
当然な事でしょうけど、原因は2つあるかなと。
1.多くの国民が政治の事を知らない
2.政策の客観的な情報提供が少ない
結局、「一般国民の政治に対する興味の無さ」「報道側の政策に対する説明不足」かと。
1は非常に多いですが、それでも何割かは政治を知る事が大事と感じる人間も現れる。
しかしそういった人たちに2のような政策に対しいい加減な情報提供しかされない報道である、
この場合1が根本的な問題かもしれないけど、
せめて『2がしっかりしていれば、いずれ1も充実する」ような気がする。
結局2が不十分でいい加減だから、多くの人が政治に興味を持てない。
2がしっかりしていたら、国民はより客観的に正確に紐解かれた2の政策を自分の生活に正確にリアルに照らし合わせることができ、
結果、多くの国民が正確にリアルに正しい選択をすることができる。
そしてその結果をより説得力を持った形で、政治に興味無き隣人に伝えることができ、
その連鎖は自然と広まるのではないか。
だから本当に今大事なのは2の、
「政策に対し、客観的に正しい情報を広く提供する」事だと思う。
・・・なんていう事は言論人の方々は当然分かっているものの、
政策の特徴を客観的に分析もせず、ポジショントークに励む方々があまりに多く、
その表現時のパフォーマンスだけで、知識の無い国民達を印象操作で説得させる。
政策なんてのは普通難しいもので、原文を読んだだけでその特徴を簡単に把握する事もできないし
そもそも原文なんて読まない。だからテレビやワイドショーなんかで端的に分かりやすく説明されたもので把握しようとする。
じゃあそれをまとめた者の意図次第でいくらでも省略・強調などの編集を組み合わせることができる。
考えてみると国家における政治というのは難しい。
政策についてのメリットデメリットや、特徴なんかをそれなりに時間をかけて良く良く読んで理解して、その上背景とかも勉強していかないと、
その政策に対する正しい審議をすることは不可能。普通の国民からしたら、
それを正しく審議できるような勉強の時間は無いし、結果正しい選択をしてようが、結局偏ってると思われる情報に吸い込まれて選択せざるを得ない。
国民全員が評論家や言論人のように日々情報収集して勉強して国の行く末に対する考えを持てればいいけど、
まずそんな時間は無い。だからシンプル(安易)な情緒的(偏った)な物語が頭に入りやすいし、そんな物語が(売れてお金になるもんだから)千差万別で転がってるので、大事なものもすぐ忘れちゃう。
そんなこんなで国力は弱まって行くのでしょうかね。。
ある事象について「どこまで情報を得れば信じるに足るものとなりえるか」の基準がしっかりしてる国民の多い国は強い、と思う。