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ちょっと息抜き

2014-08-30 | 日記
(以下の文はまだまだ未熟な内容だろうので、話半分未満でお願いしますw)

経済学は無知ですが、
自由経済の基本概念であろう「市場メカニズム」についてちょっと考えてみたいです。

市場メカニズム(価格メカニズム):
価格メカニズムとは、財やサービスの需給の不均衡が価格変動を通じて調整され、同時に資源の最適配分が達成される仕組みをいいます。
 ある財やサービスに対する需要が供給を上回ると、価格が上昇します。価格上昇は需要を減らす一方、供給を増やしますので、価格は下落します。この動きは、需要と供給が一致するまで続きます。逆に、需要が供給を下回る場合には価格が下落して、需要を増やし供給を減らしますので、価格は上昇します。この動きも需要と供給が一致するまで続きます。
 このように、財やサービスの需給は価格の騰落を通じて均衡に導かれます。この仕組みを価格メカニズムまたはプライス・メカニズムといいます。
 需給が一致するということは、経済社会において、個々の財やサービスに対する全需要が満たされている、つまり社会全体として、その財やサービスに対する効用が満足させられていることを意味しますので、これは資源が最も効率的に消費されたことにつながります。したがって、価格メカニズムが十分に働いているところでは、資源の最適配分が実現していることになります。


これは「価格の変動」によって需要と供給のギャップを埋める、という考えですね。
よく需要供給曲線のグラフで、縦軸に「価格」横軸に「量」が示されていますが、市場の需給バランスというものは、「量」を変えることなく、「価格」の変動によって、その均衡を保つ、と。
なので、供給サイドに立てば、例え需要が減っても、「価格」を下げることで供給「量」は不変のまま、需要「量」を増やすことができる、と。

この考えにちなんでセイの法則っていうのも成り立ってるみたいですね。

セイの法則:
「経済水準の大きさを決めるのは需要ではなくて、供給である」、つまり「供給が需要の大きさを決める」という理論。


つまり、「価格」さえ自由に変動できれば、需給ギャップなんて簡単に埋まるし、しかもその際に供給「量」を減らす必要は一切無い(失業の心配も無いことに繋がる)。という理屈なのかと。

一見、「なんじゃそりゃ!」という気持ちになりますねwまず「売れない(売れなくなった)ものは普通生産減らすだろ」と思うし、そうしたらその分仕事無くなって失業者が増えます。ただこの理屈では「生産減らすんじゃなくて格安にすればいいじゃん」ということなので、まあその為には当然あらゆる費用を削って利益を確保しないと企業はやってけないので、効率化、自動化、人件費削減を頑張らないといけない。ここで効率化や自動化をどんどん進めたら、当然人間の数もそんなに要らなくなるので(というか同時に人員も削っていかないと費用を削減できないので)、解雇されて失業率が増える。それはマズいのでそういう効率化の努力よりも、手っとり早く人件費を削減するために給料を下げる企業も当然出てくる。そうすると低賃金過ぎて暮らしていけない労働者が仕事を辞めたり、仕事を続けるにしてもそういう低所得者が増えて、それらがそのまま消費者となると、当然需要はさらに減っていく。そうすればさらに「価格」を下げないと均衡しない事になっていく。。

と思うのですが、仮にこの理論を通し尽くす事を考えれば、「あらゆる規制を撤廃し、生産者が完全に自由に「価格」を決める事ができれば、あらゆる仕事の分野で「価格」調整によって「生産量」は保つことができるので、失業してもすぐに仕事はあるし、あらゆる分野の価格が下がるので低賃金でも変わらず生活していける」という事になる、ということでしょうか。

これって色んな方向性で机上の空論のように思えるし、とりあえずこれに従って進んでみると、効率化が進むところまで進めばいずれ「人間なんていらない」と、機械中心の労働力になりそうだし、仮に人が必要でも、低賃金の上に、より効率的に動ける無駄のない人間を率先して欲しがるだろうし、何よりこれがとことんまで進むと、あらゆる「規制」とか「固定観念」とか「確固たるもの」とか「思想」とかが邪魔になって、その道を突き進む過程で必ずそういう「硬直」したものがボトルネックとなり律速する原因となるので、国も法も境界線も固有の言語や文化すら邪魔になってくる、ように思うのですが。そうなる過程で色々滅んでいくww自由なようでめちゃくちゃ閉塞していくように思えるのは自分だけなのでしょうかw
そうなる前に素早い流行サイクルによる需要低下の防止や「イノベーション」とかいうので新たな需要が生み出されるということなのかな?奇跡頼りな上にしんどいなあw当然産業や仕事の種類の偏りや格差も大きくなるだろうし(そしてそれもいずれ低価格に均衡するしね)。しかもそういう新たな発想や流行による需要ウェーブの喚起って文明が進むほど「出尽くして」(飽きやすくもなり)収束して枯渇するだろうから、まさに人類の老年期を向かえる、ような発想になりそう。(そういう理屈に則れば、以前与謝野氏がテレビで「日本はもう大きな成長なんてのぞめない」といってたり、財界が「海外に打って出るしかない」って言うのも頷けるw)


それはあまりに極端で無知でトンデモで話にならない、必要最低限の保障や再分配や、その他政府ならではの仕事によって大事なものは当然守るに決まってるし、人が生きる上で本当に大事なものならいずれ必ず人がそれを求めるから自然と需要になり、新たな産業・仕事につながるだろ、という事なんだと思いますが、いやあ、そういう「硬直」したものは行くとこまで行けばいずれ邪魔になり、「偽善だ」「自己責任だ」「もっと自由で流動的に」「もっと無駄や邪魔なく自由に」っていうことになると思うんですよね、たとえ国の再分配とか治安維持とかも。そもそも「国」なんてのに拘らなければいいじゃない、みたいな。そんな感じで、これまで歴史が残した決まりごとや遺産が、次々とその理論を邪魔する存在になってくるんじゃないかと思う。そして「生きる為には避けられない硬直」を認めた時点で、その理論は崩れ去ってしまうのじゃないかと。そして、生きる為に必要な「硬直」は残念ながら絶対存在すると思います。というか人一人の存在も一つの「硬直」といえますし。

ちょっと話を飛躍しすぎましたし(ちょっとどころじゃないですねw)、まだまだ経済の初歩中の初歩しか見ていない上にその解釈も本当に正しくできているのか正直自信がないので今後もう少し詳しく色んな経済人の話や書籍を見て勉強したいと思いますが、
人は「合理」を突き詰めれば、いずれ自分自身が必然的に持つどうしようもない「不合理さ」をも排除する、という自殺行為に繋がるような感じがし、そういう原理で色々と失敗する(というかすでに失敗してるのでは)と思ってしまいます。。

いろいろ

2014-08-24 | 日記
各種政策に対する大まかな感想を・・


・集団的自衛権容認

 これによって日本の憲法解釈や改憲などの話が一歩進んだり、軍事費の増加に繋がるのならこれはこれで良いと思います。
ただこれはアメリカ従属への道も一歩進めているようでそっちの方がメインかと思うので、前者の方はなかなか思うように進まないのが現実だろうとも思います。ただまあ権利自体はアメリカ(を助ける事)に限定しないものなので、反戦ムード一色の理由で容認が取り消されるよりかは、後々の為にもやった方がいいと思います。


・消費増税

 言わずもがな反対です。なぜ今やっちゃうのか。アベノミクスの矢ってやつを明らかに失速させるものなのに、現政権はゴリ押しで進めようとしている。10%に上げるのも同様にごり押しムード。そんなに消費増税をしてしまわないと(廃案にはできないという)マズい圧力がかかってるんでしょうか?野党の時に高橋是清を進めたり無理な増税に否定的姿勢だった麻生さんが、財務相になったら率先して消費増税を進めようとしてるのを見たら、なんか財務相ってものすごい闇の力があるのかな、と疑わざるを得ない。。


・法人減税

 反対です。よく消費増税とセットで言われますが、国民全体への負担を上げた分、(大)企業の負担を下げて帳尻を合わせる、っていう方向性の事を堂々と述べてる所が、国民の為の政府とは思えない。。


・TPP、その他自由貿易・規制緩和関係

 反対です。自由貿易しか生き残る道はない、という考えを改めて欲しい。リーマンショックでグローバルな金融市場っていうのは見直されるようになってないのかな、特に日本では全然なってないような。。実際大きな被害受けたのに。何かグローバリズムへの盲目的な思想が日本にはびこってるような気がしてならない。「国内産業」って全然見直されませんね。いつも既得権益だとか岩盤規制だとか、批判の対象になってる。逆に「今更国内産業を発展させようったって、こんな産業構造や国内需要不足になっている今、それこそ無理のある夢物語だ」なんて言われそうですが、実際日本は内需が大きいし、さらにそれを大掛かりに底上げしていけるような力のある機関は、政府しかいないでしょう。だから政治にこそそれを期待すべきだし、政府に期待する事ってそういうものでしょう。「民間の現実の流れがこうだから、そんな無理な事政府に期待すべきじゃない」っていうのなら、もう政府も日本の未来も希望が持てないし、民主主義も意味ないし、流れとかブームとか関係無く「どうあるべきか」を一切考えない、期待しないのなら、何も主体性の無い国になるじゃないかと。他国や財界や学会や官僚やメディアや、そういう圧力を持った団体の一生思うがままじゃないかと。それでいいのかな??
そういう見直しの必要性も安倍さんは野党時代からかなり周囲から耳にしてきただろうのに、やはり「世界に打って出る」という事にこだわる。。持ち前の思想なのか何らかの圧力なのかは分かりませんが、今この方向へ行くことはかなり危ない事になると思いますね。規制緩和ってのも、原理的には「元に戻す」という逆行で、その規制が色々障害になってたり不便だったり腐ってるという現実があるのなら、それを撤廃するんじゃなく、まずその規制の「本来の役割」に正そうとする、のが筋かと。撤廃したら規制前に戻るわけで、それによって規制が生まれる原因となるような問題がまた同じように起こるわけで、これって権力者が変わっただけの発想じゃないのかな(大まかには国 → 財界)。その財界がアメリカのウォール街的な発想なら、全然国民の味方になってないと思いますが。。(もちろん規制といっても色々なのでその内容にもよるでしょうけど)
安倍政権はエネルギー関係も民営化を進める事を目指していますね。安全保障はどうでもいいのかな。こんな事言っても結局TPP交渉参加の時と同じように「危険」ってものは無視するのでしょう。


・原発再稼働

 こちらも「危険」っていう事で反対意見が多いですが、自分はこれは現実的に、原発でないと日本の電力供給がキツいのなら、先だった原発事故による安全性も十分踏まえた上でならありだと思います(どこまで踏まえるべきか、も難しい話でしょうけど。そりゃ何らかの災害や攻撃で稼働中の原発が爆発でもしたら大事故になるでしょう。今原発に変わる現実的なエネルギーが見込めないなら、出来うる限りそういう大事故の起こらないような防備をした上で、使うしかないのではないかと。色々な観点で原発の代替を満たすエネルギーの見込みが現実的にあるのなら話は別だし、国が予算使ってそれを模索する努力は賛成ですが。)。安定したエネルギー供給は絶対必要なわけで、現実的に当面どのようにそれをまかなうか、をまず考える必要があるかと。それを差し置いて「危険」という事だけで反対という気にはなれないです。エネルギーとかの資源問題って本質は結構残酷な話だと思います。食料とかもそうですが、食料はなんとか国内でも生産できているのでまだまし。でもエネルギーは基本的に発掘するものだから減っていくし、世界的に埋蔵量も偏ってるし、その中でなんとか自国の生活や産業を回せるだけの方法を取らないとままならない。自国資源の少ない日本にとっては、あまり余裕のない話題で、でもなければやっていけないので、喫緊に迫られざるをえない問題。そんな中で自国を保っていくには、電力供給の安全性は大事ですがそれだけでなく、効率やエネルギー安全保障も視野に入れた総合的な判断が必要となる。こればっかりは仕方ないと思う。TPPなどの経済のそれとはちょっと違う話だと思います。アレはやらなくてもたいした問題起きないw。アメリカにやられる?じゃあその時点でもう自分の考えは無理って事なのかな。じゃあそれはいいから、アメリカにやられないような道を少しでも歩むような姿勢を見せて欲しいw色々政策あるけど、基本的にそこを見ています。
だからいずれにせよ危険の回避のための努力はすべきですね。それはTPPでも原発でも同じだと思います。
いずれも「危険なんか無い、ただの思いすごしだ」というスタンスで進めるのは同じ穴のムジナだと思うし、絶対忘れた頃に知らず知らず悪い結果が出て、自覚がないので何が悪かったのかの総括もされないし、しようと思ったらわけのわからない原因をデッチあげたり力ある財界とかが自分のイデオロギーに無理からつなげたり、メディアがそれらを両論併記的にゴチャゴチャに報道したりしてまた希薄な感じにお茶を濁したり、最近では色んな立場や角度の見解が書かれた書籍が出回って何が正しい話なのかを見つけるのに苦労させられたり無駄に疲れさせたり、その後も何も踏まえないまま同じような失敗をくり返す、というタチの悪い結果になるだろうので反対です。いずれにせよ一歩一歩その過程はチェックしないと。。


・東京オリンピック

 個人的には首をかしげてます。オリンピックはいいけど、東京っていうことに。この6年、また東京に投資が集まるのかよ、どこまで一極集中するつもりだよ、、という気持ちです。国内で盛り上がるのはいいけど、地域格差を広げる方向に盛り上がるのは、国の形をいびつにしていくことにつながるのでは、、と、いう単純な感想です。


・外国人移民

 人手不足で賃金上げる。これができれば解決するんでしょうね。勿論外国人移民は反対です。値下がり競争の地獄の流れにズルズル突き進む一方でしょうし。
「企業が賃金を上げれるか」これは相当重大な論点に思います。この流れに少しでも転ずれば国内産業は大きく変われると思う。これは産業構造の問題でもあると思うのでそう簡単にはいかないでしょうし、民間企業の話だから国の及ぶ範囲も限界がある。(今は人口問題にかこつけて移民を進める方向にあるので、アベノミクスの最初の頃政府が「賃金上げて欲しい」とか言ってたのはなんなんだとか思いますが)実際働き方についてはどうしてもマクロだけでなく個人のミクロな経験からの希望とかも出てきてしまいます。メインの仕事はそりゃ安定したいですけど、給料がなかなか上げれないのなら、それプラス「ちょっとした仕事」も選びやすいような環境にして欲しいな(副業禁止とか多いし、バイトも休日ガッツリ入らないといけない場合が多いし)、とか。
実際働く気はあるけど、経験者以外門前払いが多いので中々選択肢も無いうえに、1つ決めたら安い給料でそこだけにガッツリ縛られないといけない、という状況が多いから中々選べない、っていう人も多いだろうし、そうも言ってられず選んだら、やっぱり安い給料でそこだけにガッツリ縛られてこの先どうしようか、っていう人も多いし、そういう事で他を探してやめちゃったって人も多いし、その堂々巡りをして、履歴書傷だらけで年だけとってどんどんこの先不安になってる人も多いだろうし。。一概に本人のせいとは思えない、やっぱ閉塞してますよ。社会というより、企業の門戸が一番閉塞してるんじゃないかな。。


とまあこんな具合ですね。最後の企業の話はどうもどうすべきか個人的にもまだまだ考え中です。一番身近だけに色々思うことがある上に、こればっかりは国が全部解決できる事でもないので、理想だけでなく変に現実も踏まえちゃって難しい。。(だからってグローバルは推進しませんよw、国の主権は当然守るべきだと思うし(まず国を良くしていきたいっていう前提があるのに、仮に今の民主主義がロクでもないからって、主権を他国とか投資家に切り売りしては解決にならないどころかただの自殺行為と思うし。)、経済だってマクロには変われるだろうし、なによりこれ以上給料下がったり外国に仕事奪われたら生活できない・・w)


なにか主体的なものが抜け落ちてる

2014-08-23 | 日記
ぼーっとネットサーフィンしてたらとある掲示板にこんな書き込みを発見。


日本は戦前から列強の一角だったものの、世界一位二位の大国とは
かなり差があった。

そして、日本は戦争に敗れた。

戦争でボロボロにされた日本はどん底に沈むが、アメリカを中心とした
先進国からの援助によって立ち直り、それどころか戦前の相対的地位を
大きく超える、世界第二位の経済大国という地位にまで経済成長し上り詰める。

この日本の現在の世界二位という地位は、アメリカからの援助抜きでは考えられ
なかったものである。

日本はもっとアメリカに感謝すべき。現状では感謝が足りないと言わざるを得な
い。


すんごく分かり易い文章である事自体は良いと思うんですが、それだけに感想も色々出やすい。
とりあえず、まず「日本をどん底に落とした国はどこだよ」という事で。。

ボコられて舎弟に入れられ、ボコった相手に面倒を見てもらって成長したから感謝すべき、って、、
これじゃ戦前の日本や戦争中戦った日本人があまりにも不憫だ・・・。

こういう発想は、戦後に生まれた自身を中心に、あくまで日本を「戦後スタート」として見ているからでしょうか、
それとも戦争を自然災害のような見方をしているのでしょうか、いずれにせよ戦争について、あまりに自分と無関係にというか、まるで戦前や戦時中の日本から自分は外れたような、客観的に捉えすぎてると思います。
そんなわけないのに、日本人なら絶対にお爺さんや、ひいお爺さんやその友人や、で繋がってるのに。。

日本が戦争に至った背景は国内事情や国際関係の色んな絡み合いの結果なので、アメリカが絶対悪では無いですし、コミンテルンが絶対悪だとも言い切れないし(少なくとも日本が歓迎すべきものでは無いですがw)、同じように日本も絶対悪では無い。決して、調子乗ったからボコられた、とかいう単純な話じゃない。仮にそう捉えたとしてもどの国の行為や考えが「正しいか」を考えたら結論は無数にある。

まあそんな是非とは関係なく、上の書き込みの流れで「アメリカに感謝すべき」っていう発想はちょっと今の自分には考えられない。しかも「戦後日本人は」とかじゃなく「日本は」と言ってるから余計と違和感を覚える。
これは別に、今の日本を否定して特定の時代の日本を擁護したい、っていう回帰主義的な話じゃありません。明治以降~戦前までの近代化を進めた日本を擁護したいわけでもなく、まあそういう富国強兵を図ろうとした土台には武士が国や藩に仕えるという封建的な義理が江戸から醸成されてた部分もあるだろうし、だから江戸以降の日本を擁護したいわけでもなく、あと天皇陛下やその伝統は守るべきで大事だとは思いますが、それが日本の全てで絶対だ、とまで言いたいわけでもなく、どんな時代にも良い所、悪い所、仕方のない所、至らない所、色んな面を持ってるのは当然でなわけで、勿論今の日本の良いところで昔の日本には無かった事もあるし、その逆もある。色々あるけど今も昔もそれをひっくるめて「日本」として続いている以上、それを主語とするのなら戦後の援助を受けたという一点でアメリカに感謝すべきというのは、国というものの捉え方が分断的でズレてると思えます。実際、自身は生まれてないからその記憶は無くて遠い昔の関係ない事のようでも、この土壌や人の繋がりはずっと続いてきているわけですし。

もちろん戦争やその他争いに勝ったり生き残った強い国が世界的なルールや道徳を主体的に決めていく力を持っているのが現実なので、敗れた国は現実を生き残るためにその流れに乗らざるを得ないのは仕方ない事ですが、そういう現実によって作られた価値観に主体的な心底まで売ってしまうのは違うでしょうね。それは国の話で1人間である国民にはあまり関係ない話だ、というとそうでもなく、個人の生活や文化や習慣もそういう「大きな価値観の流れ」でアッサリ変わってしまうものです。そうやってすっかり今の生活や文化や習慣にまんまと慣れ親しんでしまった日本人には、もう昔の事なんてどうでもいい話になってしまい、とりあえず直近で援助してくれたアメリカに感謝し、またこれから起こっていくであろう様々な政治的、経済的、軍事的大事件などを何の主体的戦略も力もなく、その結果の大きな価値観の流れに何も考えることなく乗っていき翻弄されるのでしょうか。。人も国も主体なんだから、できるだけ主体的に考え動けるような状態にしておくべきと思うし、その主体のなんたるかを固めるためにも、過去から続く日本のルーツに目を向ける、というかそれらも「日本」と捉えるべきだし、というか実際そうなんだし。それでできるだけ主体的に、その主体を遮られる要素を減らす為にも力や備えが必要なら、国の主権や国民の生活を守るために、他国との事情を振り切ってでも進めていくべきかと思います。そういった部分を無視しての「感謝すべき」な発想に思えてならない。
勿論他国を振り切るというのもうまくやらないと難しいのが現状の国際関係でしょう(失敗して滅びる可能性だってあるし、十分考えないといけない)。でもそれに乗って心までそれに浸かってしまってはマズい。もう今後ずっとそんな骨抜き状態でしか生き残れないのが現実というのなら、何がなんでも天皇陛下を命懸けで守るという考え方の方がまだ随分真っ当に思えてくる。。

当たり前のつぶやき

2014-08-19 | 日記
国っていうのは「統治」しないと良くならないわけで、もちろん「統治」の結果、悪くなることもありますが、
現状の論調は、その悪い部分だけ見て批判し、そうし続けることで、なんだか「統治」そのものが「悪」のようなイメージが刷り込まれてしまってるような気がします。

同じようなことを何度も書いてきましたが、本来は「良い統治」を推し進めていくべきのはず。
でも世間は「統治」という言葉を出すだけで、「社会主義」とか「民間の敵」とかいうイメージが先行する。
民主主義でも民間企業の住む国でも、「統治」はまず第一に必要。民主主義はあくまで「誰に『統治』してもらうか」を決める手段であるし、民間企業というのはそもそも国ではない。全体(国)に対する「部分」であるということを押さえないといけない。なので民間は一つの国に属する団体の「一つ」であり、1国の中で、そういった民間同士は敵だらけ。国が統治しないことである民間が成功しても、同じ国内の別の民間はそのせいで失敗する。だから経済的な言論でよく使われる「民間」という言葉で、「普遍的な」民間なんていうものは存在しない。財界の人があたかも”国民全体”のようなニュアンスで言う「民間」という言葉は、あくまで「そうすれば成功するであろう一部の民間企業(さらに付け加えるならば「の株主や重役」)」に限られる。当然ながら、そこにまったく「国民」というような普遍性なんてない。

こうなったのは国政ばかりを極端に批判しすぎたせいだと思う。そう言うと「そんな事言ってたらまた政治家や公務員が調子に乗って汚職して国がおかしくなるだろ」という、これまた極端な方法に走る。
世間の頭の中は国に対して「最高の統治」と「最悪の統治」のたった「2つ」しかないのではないか、という気がしてくる。
それは「国の善し悪しにとって『統治』というものは必須である」という当たり前の事が抜け落ちてしまっている証拠。
もっと「統治」そのものに目を向け直した方がいいと思う。なら、どういう形であれ「国にとって統治そのものは大事」という概念が蘇るはず。
そうすると、「より良い統治」を目指す姿勢ができあがる。
さすれば、「これは最悪だから0点」とか「これは期待大だから(酔いしれたように)100点」とかいう極端な見方でなく、
「これよりこっちの方がベターだから、ひとまずこれを支持」という「統治」に対して現実的な見解が開ける上に、
「さらに良い統治を目指すには」という、「統治」を育てていく姿勢が生まれてくる。
それは国にとって絶対に良い事だと思える。

マナーとか批評とか

2014-08-17 | 日記
何かを批判する場合、内容の真偽以前にマナーを問われる事が多いですね。
Aさんが、Bさんをバカにしたような言い方で批判した。
その言い方にBさんはムカついて、Aさんに対してバカにしたように言い返した。
こういう論争よくありますね。
Bさんからすれば最初からAさんのマナーが悪いのだから「目には目を」で返してるだけだ、ということですが、
AさんはAさんで、Bさんのその返しを見て「なんてマナーの悪いやつだ」と、
2人とも同じような人格批判合戦になってしまったり。
これをCさんが途中から切り取って見ると「うわぁ、荒れてるなあ…どっちもマナー悪いな」と思ってしまう。

例えば中韓の言い分がめちゃくちゃで日本国旗燃やしたりマナーもくそもない反日デモをやってたとして、
日本が「こんな連中に真面目に対応しても仕方ないし、自分らがいかに非常識か思い知らせてやる」と、バカにしたりマナーの悪さを返して反撃デモなどをしたら、
中韓は勿論、傍観国にも「日本のマナーの悪さ」を批判されたりする。さらに中韓はそこを付いて盛り上がったりする。

そこでマナーを悪くしている理由を述べ始めたら普遍的な答えはでない。日本側は当然「相手がおかしいから」と言うし、相手国は「そもそも日本が過去に理不尽に云々…」という話になり、さらに日本は「(本当はその史観自体も歪んでるが)もう60年以上たった上に一度政治的にケリも付いたのにいつまでその話をぶり返して云々…」という話になり、さらに相手国は「まだ謝罪されてない事もいっぱいある。加害者は被害者の深い傷なんて分からないだろ云々…」となり、さらに日本は「いやそもそもその史観自体歪んでるんだよ(ていうか君らは主に政治的に動いてるだけで本当はたかれるだけたかろうとしてるだけだろう)云々…」となり、相手国は「日本はその歪んだ歴史観を見直せ云々…」、日本は「いやそっちだよ、一次資料に基づけよ云々…」と、、両者納得に行き着くことはない。

ということで、マナーが悪いことの理由は、どういう状況にせよ中々正当なものとはなりにくいのかもしれません。
たとえ相手や環境に原因があったとしても、「やられたらやりかえせ」が延々と複雑に絡み合ってからでは、その「諸悪の根源」なんてもう見つけられない手の届かない所にあるのかもしれません。「時代が悪いんだ」とか言いだしたらどうしようもないし。。
なのでなんらかの論争などをしていて、いつのまにかマナー合戦になっていたら、気づいた時点で手を引くのが良いのかもしれません。手を引くというのは論争をやめるという事じゃなく、悪いマナーやマナー批判で返すことから。
それにマナーの批判をしだすともう人格批判のようなもので「人として『敵』」という認識が生まれてしまうし、ちょっとした意見の相違がそういうマナー合戦になる事で関係決裂、なんていう勿体無い事にもなりますしね。ネットだとマナーを配慮する気持ちも緩みやすいから、余計とそうなりやすいですね(間に受けるすぎるのも良くないでしょうけどね。でも自分は「間に受けるな」と散々悪態ついて、相手が少し返すと思い切り間に受けて倍返し、みたいな人も、決して少なくないんですよねw)。

だから態度やマナーの悪さについては、誰しもある人の心のちょっとした子供部分の現れだ、ということであまり相手せずイラッともせず、冷静に内容部分だけ吟味できれば一番良いと思いますね。それでも相手が一方的にエスカレートしたり理不尽な事を言ったら、権利や法や力に則って、粛々と対応するだけでしょう。やっぱ最後は力(パワー)に基づく、のが残念ながら生きる真理w。
一般的な人間関係においては、仮に相手のマナーが悪くても相手をせざるをえない事も多いだろうから、時にはあやしたりうまく押し引き対応したり喧嘩する必要もあるでしょうけど。まあ外交もそういう面はあるでしょうけど。

言論の場の場合は、どういうレベルで言論をしたいか、がまず大きいでしょうね。人によるでしょうけど、相手のマナーや人格を批評したいんじゃなくて、話の中身を深めたい、という事なら、それと無関係な部分の批評は相手にせず、エスカレートしたら身を守る為に粛々と対応する。それが正解だと思います。そこを言い合ってもどうせ決着つかないし。プロレスをしたいわけじゃないし。そりゃ言論の場だって立場とか人間関係の繋がりとかがあるし、ある程度外交的な対応は必要でしょうけど、そもそもの主題が「話の中身を深めたい」という事なら、外交はほどほどの距離感で良いと思いますね。それは人として冷たいとかじゃなく、言論人として正しくあろうとしてるだけでしょう。

まあいずれにせよ、ネットによって色々な批評が、時には一人で家でつぶやくような、または居酒屋でしか話せないような、ものも広く出回りやすい以上、色んな関係のこじれが生じやすいのは確かですね。それを全て否定的に見て全部まともに受け止めてしまうとその先は、いつの間にか敵ばっかりになるか、もういやになるか、のどっちかなのかもしれません。そういう人と人とのプロレスを楽しむというのも一つの楽しみ方でしょうけど、残念だけどほとんどの演者がそれをショーとして認識してないから基本「ガチ」でしょうw。だから場が本域で荒れて、場そのものが廃れやすいかも。
そんな事より日本の行く末を真剣に考えて話し合いたい、そんな議論が見たい、っていう人が多いと思うので、そうなって欲しいですが、、どうなんでしょう、自分の考えや意見を世に影響させようと思えば、立場や権威や人間関係、その他押さえるべき事が多くなり、内容の真偽と離れた場所での苦労も多くなるのも事実でしょうね。
でもそんな中でも基本は言論内容において自分の基本理念や意見を持っていて(もっと正しい意見に出会わない限り)それを曲げず、(実際に世を動かす為の「方法論」にこだわりすぎたりそれの為に基本理念を曲げても辞さないような結果第一派じゃなく、「言ってる暇あれば動け」とかばっかり言わず)そういう基本理念に基づいた意見を主張し続ける人を信用したくなるのは、自分だけではないのじゃないでしょうか。。

あ、あと、政治家や政党を支持するしないの意見は、途中で変わって当然だと思いますよ。
「この人は正しい、正しくない」という意見は、大事なのは「この人は(こういう根拠で)正しい、(こういう根拠で)正しくない」という、「こういう根拠で」の部分です。そこが変わらない事が大事だと自分は思います。
だから、政治家の言動が変わってその人が「こういう根拠で」にそぐわなくなった場合、それは支持しなくなる方が、すくなくとも論理的には正しいかと。もちろん人が変わるといっても180°洗脳されたように変わるとも考えにくいし、政治家の場合は実際の国政を誰かが任う必要があったり後釜や選挙やその他土台なんかも色々考慮して複雑な感情になりかねないですので、支持の度合いをどこまで弱めるかは人によるのが自然だと思います。だから信者とか裏切り者とか嘘吐きとか、簡単に決めてしかもそこを云々と批評するのはあまり大きな部分ではないかと。人を信ずるあまり「こういう根拠で」の部分を明らかに変えてしまったらそれはもう信者と言えるし、そういう人は方法論や対外的な理由で自分の根拠を曲げてしまったので個人的にはあまり信用ならないと思いますが。

とまあそんな感じで言論とかを見ています。
自分としては、どんな環境や状況でも、たとえその中でうまく立ち回れないとしても、基本的に言ってる事の芯の考えが変わらない(もちろんそれが自分も正しいと思える内容である)人が信用できるようです。といってもまあ、どういう次元やレベルにせよ信用ってそういう「安定したもの」に着地するものですし当たり前ですね。
だから勿論、人によっては「安定したわくわく感」を求め続けている竹中さんを信用する人もいるのでしょうw。だから厄介w。