思ったこと

思ったことを書きます

本読んだ

2012-08-30 | 日記
「日本破滅論」という本を読みました。
藤井聡さんと中野剛志さんの対談本ですね。

率直な感想としてとても興味深く分かりやすく面白く読めました。
自分は活字を読むのは苦手ですが、かなりサクサク読めました。

なんでかなぁと思いますと、
お二人共、物事に対する「大枠の物語」をとても大事にされているように見受けられ、その部分が自分も共感できたからかなと思います。
色々な物事に対してもまずその大枠の物語から捉えて分析されるから、分かりやすいし正しいと納得しながら読めました。

今の社会の代表的な物事を大枠の物語で捉え、いかに間違っているか、逆に過去にどういった正しい物語があったか、なんかも時折紹介されたり。
そこにはなんとなく話の幅広さとか造詣の深さ(時にすごく渋い題材を取り入れたり)のようなものを感じました。

なんで大枠の物語を大事にすることで、話に幅広さや造詣の深さ(総じた面白さ)が出るのだろう、、と考えてみますと、
まず小さい枠に囚われないことで、大枠で繋げた様々な話題を懐にいれることができる、という事があると思います。

よく「広く浅く」と「狭く深く」という言葉が対義語で使われますが、
なんかこう書くとお二人が広く浅いかのように見られがちですけど、
それは全然違うと思います。

「広い/狭い」という言葉の意味はそのままで良いと思います。
友達付き合いが広い・浅いとかだと単純に友達の数でしょうし、
話が幅広いとかだと話せる分野が多岐に渡っている、とかそういう意味だと思います。
そういう意味ではお二人の話の内容は「広い」と思います。
これは多趣味であるとか話せる話題の種類が多いとかいう広さではなくて、
ある話題に対して論じるとき、解釈や分析のために持ち出してくる話や例の分野が幅広い、という感じだと思います。
なので、多種類のものを食べる、というよりは、1種類のものを食べたときに使う消化酵素の種類が多い、という感じかな。
だからその分析内容が面白いしより確実に消化するから正しいと感じられる。そういった沢山の消化酵素を身につけられるのは、やはり物事の大枠の部分に重きをおいているから(そのために良さそうな題材を分野にこだわらず探していけるから)だと思います。
そういう観点でいえば、沢山の話題を持っていても、その一つ一つの話や議論の内容がありきたりで知ってれば誰でも言えるような内容であれば、その人の話の内容は「狭い」ってことになるんだと思いますね。
なのでこの広い・狭いも評価する人の観点(どの部分の広さを測るか)によって変わってくるもんですね。

一方、「深い/浅い」についてですが、
これは「広い/狭い」と違って、意味そのものがなんとなく難しいように思います。
「深い」とはどういうことか。。
一つは「知り尽くす」ということがあると思いますが、
これは単に教科書や参考書を丸暗記や細かく全て理解した、ってだけでは深いことにはならんでしょうね。「よく知ってる」ってだけで。
自分の思うある内容を「深く知る」っていうのは、その内容をどれだけ咀嚼し議論し時には実践や応用してみたりして失敗や反省や成功し、さらに議論し、、という活動を繰り返すことでその内容をより正しく認識していく時の「正しさの進み具合」であったりするのかなと思います。
なんかうまいこと言えてないですがそんな感じかなと。
そう考えると、正しく咀嚼し消化し議論していくためには、物事の大枠を捉えることや、消化の為に使える幅広い消化酵素を持っておくことは重要だと思います。

一般的な「広く浅く」と「狭く深く」のイメージでは、
なんとなく、幅広く勉強してる人より一つの事をずっと勉強してる人の方が「狭く深い」んだ、って思われがちですけど(一人の使える時間も限られてるし)、
例えば一つの事をずっと勉強し続ける人の使う時間の大半が、その1分野の中のあらゆる細々とした理論や式などを知って記憶して理解する、という作業だったとすれば、それはその1分野の中を「広く浅く」なぞっているに過ぎない、と思われます。
逆に幅広く勉強している人の使う時間の大半が、色々な分野から知見を見出して、ある一つの事をもっと勉強するために使っているとしたら、その人は「狭く深く」勉強していると言えないでしょうかね。

自分の印象ではお二人は後者の方で、「深く」勉強するってことを熟知されてるんだと思います。
その中で話される内容だから、豊富で面白くて造詣が深く感じるのかなあと思います。

やっぱその為に必要な要素として「大枠の物語」を重んじるっていう事が大きいような気がしてなりません。
「大枠の物語」を重視すれば、まず「分かりやすさ」と「(根本の)正しさ」が身に付くように思う。話や内容の理路整然さも。
その上で幅広く物事を勉強したり経験を積んだりすることで、様々な大枠やそれらの繋がりを理解したり自分のものにし、そうやって初めて一つの物事に対しても深い見解をすることができるのでは、と感じます。

よく西部邁さんが討論とかで何か具体論をする時に常にまず「そもそも」の部分から始めるのは、そういう「大枠の物語」をまずきちんと押さえた上で論じないと、正しく実践的な深い議論はできないだろうという懸念からだと思われますねー。そこがズレた同士が技術論だけを語り合ってその善し悪しだけを評価しても、長い目で見た正しい結論は得られないだろう、ってことなんだと思います。

うーん、やっぱりまだ全然うまくまとまってない(強引にまとめてる感の強い)記事なのは自分でもよくよく自覚してるのですがw、
こういう「勉強の仕方」みたいなのは興味あるのでもっと自分なりに考えてみたいですね。というかそういう意味でこの本は個人的にすごく勉強になりました。
これは文に対する自分の感覚的な話ですが、特に「てんでんこ」とか新幹線開通の話とか、(中野さんの著書で言えば日本思想史新論で水戸学やそのルーツを取り上げられている所とか)
、話が多彩で渋い(巷ではあまりスポットを浴びない話題なので)のが何というか、一言で「いいなー」って感じますw。そういう部分が自分の感じる話の面白さだとか深さとかを醸し出してる気がするんだよなぁ。あくまで導入とか表面的な部分なのかな、でもそういう渋い話題を拾えるのもやっぱり大枠を重視しながらアンテナを広げているからなんだろうなと思う次第です。

全体を見てるかが大事

2012-08-27 | 日記
つい先ほどまでTVタックルを見てました。

いやー公共の投資や仕事が嫌いな人って多いんですね。
すぐに「官僚が金を食い潰す」と決めつけて。
なんか、公共投資のお金が「全額官僚の懐に入ったままになる」と思い込んでるみたいですね。
そう思い込んだまま公共と名の付くものは全て否定、一種のイデオロギーみたいだな。

そんなに国を信用できないなら、消費増税だって反対でしょうね。
だって消費税を何に使われるか信用できないだろうし。
というかもう国が何やっても信頼できないんでしょうね。
じゃあ財源の解決だってどうしようが無理じゃんw
もう国の解体以外に無いwおいおい国家転覆かw

こういう思想に端を発して進んでいる意見が
構造改革であったり、行革であったり、民間に任せることであったり、地方分権であったり、というやつですね。
要は国が駄目で、もう国のどの機能も不全で信用できないから、少なくしたり権限や所得を弱めたり行政への取締りを厳しくしたり民間の手腕や経営システムを取り入れたり道州制とかで地方へ権限を分散したり、最終的には全部民間に委ねたいのかな。
こうやってゆるやかに国家を解体したいってことのよう。

本気で国家を解体したいという他国の意図ならまだ分かりますが(まあ実際しめしめと今の流れに乗っかってるそういう人もいるでしょうが)、
本気でこうやらないと国民生活は良くならない、と思ってて言ってるのが多数いるからなあ。

国が悪いから、一旦崩して元の戦国状態に戻そう(今は経済的な意味で)ってことなのかな。それを唱う人は地方の議員や元・現知事や市長、元民間会社経営者などに多いイメージ。
要は一旦国を崩して自分も戦場に上がれるようにして、いずれ自分が天下取ろう、ってことかな。。「自分の理想を実現させる」という意味では正直な発想ではありますが。。
しかしその間の戦国時代の間、一体誰が国全体の面倒を見てくれるのでしょうね。地域間の争いに巻き込まれて貧しくなった人や精神が追い込まれた人は負けてひっ迫した地方財政では保証ももらえず路頭でのたれ死ねと。。
外交や防衛などの国としての業務はどういたしましょう。
削られた予算や人員で細々やりますか?
それとももう国としてでなく各々の地方で自衛隊も運営しますか、戦国時代みたいに、同じ国内の他の地域の軍とまず争う?それでもって外国軍とも?もしくはある地域が他国と手を組んで他地域を脅す?

とまあ極端な妄想をしてみましたが、権限を分散しても
方向や考えがてんでバラバラになると思います。
そこでの対立や争い事だって起こるでしょうよ。
まあ無理でしょうけど国の持ってる権限を本格的に分散したら、
それこそ今よりももっと強く「国家」としての全体意識がなければ、
内部分裂すると思いますね。
自社の利益や自分の顧客だけの満足を追求してきた民間経営者や、
自分の管轄する地域の住民だけの事を親身に守ってきた地方議員に、
どこまで「国全体」としてやっていく事の意識があるか。

いくら国のシロアリが嫌いだからって、
そんな怪しいものに期待するのも危険で馬鹿な話だと思いますね。

外交かー

2012-08-19 | 日記
竹島に続き、尖閣でも不法入国がありましたね。

この時期(日本の終戦日)にかこつけて反日主義者が色々やって来てると。

でも結局は国×国のやりとりなんて、
「政府×政府」
のやりとりですね。

なので領土問題にしても、
各々自国の主張の正当性や正義は背景にあったとしても、
結局のところ政府間でどう折り合いを付けるか、に尽きますね。
各々の政府が各々の計算をして、
「今は引いたほうがいい、ここは攻めるべきだ」
という判断をする、と。

今回の日本政府の対応を見るに、
韓国の李明博大統領の反日問題言動については割と強硬、
これは韓国内でも李明博個人の暴走という位置づけだから
日本政府もGOサインを出したのかな。
それとも韓国政府内の反李明博勢力との方が日本政府は繋がりが強く、
それとある種手を組んだ形なのかな?なんか中国臭い気もしますが。。
一方尖閣の件では相変わらず弱腰姿勢。これはやはり中国には強硬姿勢を取りずらいということかな?

やっぱりこう言う問題は、結局のところ「パワー」で決まりますね。
軍事的なパワーもですが、経済的(経済交流関係も)パワーも相当大きいし、国際社会においての影響力もあるでしょう。

どれだけ法的にも倫理的にも正当性があったとしても、
パワーを考えないで突っ込んだら、制裁を受けて追い詰められて国が貧窮する。
今回の李明博のように、国としてでなく個人の立場が危ういとかいう理由で外交関係で暴走をすることは国として最悪の行為ですね、もし今の日本の政府関係者にもそんな個人の立場の利益で動いている人間がいたとしたら即刻糾弾して変えるべきですね。(そういう意味では自民党の西田議員が予算員会でずっと総理閣僚の政治献金の闇を暴いてきた行為というのは、怪しい議員を炙り出すという意味で、今後の外交にとってもかなり有益な事のように思えます)

外交の基本でしょうけど、政府は(個人は駄目だけど)国としての計算は必ずしないといけない。いくら自国の主張が遥かに真っ当でも、今攻めたら力負けしてしまうとか、経済的に圧迫されるとか、現地日本人の犠牲が大きいとか、そういう計算も働かせないといけない。
かといってそういう戦略によって「自国の主張が遥かに真っ当」という理念を全く意味の無いものにしては行けない。あくまで「今」はここまでだけど、いずれは必ず自国の理念を成就してみせる、という種火はずっと灯し続けていないと、国として根本的に良くはならない。

大枠の理念としては自国の正当性を形にする、実践的にはそれができるだけのパワーを身に付ける。単純なことだし、そのための経済活性化・(食料やエネルギー含めた)安全保障・国土強靭化などの政策というのをこの2~3年間で藤井さんや三橋さんや中野さんなどは提言されているのですけどねー。まずそういった長期目標を国として大々的に立てるべきでしょう。

もっと柔軟に戦略っぽく外交を考えてみると、
要は相手国に、いや相手政府に、いや相手首脳陣に、「今行くと(自分の立場が)マズい」と思わせたらいいわけで、
そうさせるような裏工作を働かせるのも一つですね。
まあ中国とか韓国とかは日本内部でそういう工作も(少なくとも日本よりは)うまくやってるのではないでしょうか。

まーそれも限度があるのでどこまでやるべきかは分かりませんが、
いつまでも弱腰でやられてるような国で終わるなんて嫌ですね。
とりあえず国民はそういう気持ちで政府に怒り続けることが健全なように思います。(あーでも、なんでもかんでも強気じゃないから駄目だ、とすぐに世論がなって支持率すぐ落ちる、とかはちょっと冷静さに欠けて勿体ないかな。ある程度自国の相手国の国際的な状況も踏まえて怒ったほうがいいか。基本的に外交なんて機密情報だらけだし、また情報収集とかどの情報を信じるかとかが難しいなあw)

そんな事ぐらいは決めよう

2012-08-15 | 日記
竹島の件を皮切りに韓国が色々やってますね。

日本政府は堂々と、
・韓国の実行支配を引っぺがすこと
・モラルの無い韓国人にペナルティを与えること
・朝鮮、中共の言う戦時中の日本の罪を完全否定し、永年謝罪要求を永年却下すること
・靖国神社には国を上げて参拝すること

などをするべきだと思いますが、
今の「日本」の中に中朝韓のエッセンスが多分に混ざってしまってるのが残念です。現政府然り。
戦後直後のどさくさで朝鮮が色々暴れたのが大きいのでしょうけど。
平成になってからはグローバルだとかで余計に腑抜けて、韓国映画や音楽なんかをどんどん取り入れちゃって。

グローバルでもなんでも、あくまで大人な範囲で平和を尊び行動するのは体外的に必要な事だと思います。
でもその内面に、思春期の青年のように固執し守っていく物を持つ事も必要でしょう。そのために自分を続けてるのだから。

そろそろ「国として」そういう物をカッチリ決める時が来てるのではと思いますね。あーでもないこーでもないという論争にも、どこかで線を引いて決めてしまう必要がある。

勿論守るものと言っても一つ一つの具体的物事については「本当にそれでいいのか」「なんでその時代のそれだけを良しとするのか」「いつの時代のどの『日本』を『本来の日本』と決めるのか、そう決めつける権利が誰にあるのか」といった議論も尽きない事でしょう。そりゃ言い出したら当然きりがないし、そんな事はどこの国についても全く同じことが言えます。その時の権力なり風潮なり論理的妥当性なり精神性なりで決まっていく事でしょう。
そういったの内面の事は、現時点の、外部の国に想いを馳せない国民達だけで、外部の都合や金銭の利害関係を一切無視して(ここ大事)、内部のこれまでの歴史や見解をもう一度見つめ直した上で「日本はこうだ」と決めることが望ましいと思います。
その中でも論争は絶えないだろうけど(具体的答えなんか本来無い事だし)、一通りの熟した議論は行なった上でモヤモヤとした形の無いものを丁寧に形にしていけたらベストでしょうね。

というのはもはや難しい事のように思えますが、まず決めれるものから決めていけばいい。そうやって行動することで入り混みやすい土壌ができてくるでしょうし。
とりあえず政党関係なく、国として今後永年靖国参拝する事ぐらいは決めたらいいのに。
反対ですか?

ところで韓国大統領がこんな演説を(
日本政府はもっとキレて慰安婦問題完全論破して朝日新聞の首ねっこ掴み上げながら「してない。以上、終了!」
の姿勢で良いでしょう。

振り返り

2012-08-14 | 日記
自分が保守に目覚めたのはいつか、と考えてみますと。。
とその前に自分は保守なのかどうか正直よく分かりませんし、保守というものをまだ全然分かってない気もしていますけど、
少なくとも国家意識というのを持たないとな、と思ったのはいつからかと申しますと、、

明確にそう思ったのはつい3年ぐらい前ですかね、
当時求職中で、たまにハローワークに行きながら、ほとんどは(金も無いので)家でネットの動画を見ていたとき、
たまたまyoutubeでチャンネル桜の今日の防人という番組で、元海上自衛官の伊藤祐靖さんが自衛隊の戦闘話をされているのを見たときですかね。

内容は、自衛隊の作戦は目的の達成を第一義とし、そのための優先順位で行動する、というもので、目的達成の為なら自分の命も普通に差し出す、という事を具体的明確に淡々と語られており、自衛隊は実際に命をかけて国を護ってるんだなあ、こんな人間達が今もリアルにいるなんてすげえな、ところで護られてる自分はそんな価値のある人生を過ごせてるのだろうか、自衛隊の人達が命かけて護る程、この国の住人はこの国の価値を見い出せてるのだろうか。。
自分の人生はさておき、少なくとも生まれ育ったこの国については自分ももっと真面目に考えないといけないんじゃないだろうか。。

という思いが巡った所がスタートかなあ。
「命をかける」というと重いテーマですが、よく考えさせられます。
個人的にも自分の命とか自尊心とかに最大の価値を置いてしまってる自分の心に嫌気がさすことも多々あります。
とまあそういう個人の話はさておき、
まずは表面的でもいいから、国家という意識を持って協力しないとな、と思うようになりましたね。
後はチャンネル桜の経済討論で、中野剛志さんが初めて登場したときに、「グローバル社会なんてダメだ」と気持ち良いぐらい切ってくれたのを見て、
ああやっぱり今の経済社会って駄目なんだ、と、とても安心した事もさらに保守的な道を固めたキッカケでもあるかなあと思います。
これまでなんとなく、中小企業も大企業の社員も、皆しんどいだけで会社が儲かっても社員はいつも一杯一杯で報われないし、常にいつどうなるかも分からない不安な社会な気がしてたので。

大きいのはこの2点かなあ。
どっちも自分個人の人生にも関わってるから考えを固めれたのかも。
やっぱり人生においてもっと真剣な価値を感じてそのために命を削りたいし、その結果にできるだけ比例して報われるような社会でありたいなー、と単純に思いますね。
それもこれもこういう文も含めまだまだ若気の至りですけどw