なんとなくネットを見ていたら、「リフレ派と新自由主義とは全然違う」というページ(yahoo知恵袋?)がありました。(※)
個人的には、別にリフレ政策そのものを批判するつもりは無いです。寧ろデフレ脱却にとって必要な金融政策であるとすら思います。ただ、その「リフレ派」と言う方々は、「リフレ政策のみ」で結集しているように思えてなりません。逆に言うと「それ以降の話にはあまり関心がない」という感じで。
リフレ派の方々にしても、おそらく「リフレ政策を行った後、どうすればいいか」、という点は個々人内心は千差万別なんじゃないかと思います、本心は。実際、「リフレ政策」という一点だけで繋がっているだけで、その点の必要性でいえば、いわゆるリフレ派から現在倦厭されているであろう、三橋さんや藤井さんや中野さんにしても認めているわけです。そういう意味では別にこういう方々も本来「リフレ派」の一員といってもさしつかえないわけです。しかし対立ができているのは、明らかに「リフレ政策以外の部分」において、両者で対立的な考え方があるからでしょう。
まあ多分それは「財政出動」の部分なんでしょうね。
このあたりについて、なぜこうも徹底的に対立しているのか、いまいち掴めません。
いわゆるリフレ派といわれる方々は、リフレ政策をした先について、そこまで関心が無く、人によって政府がどういう政策をすべきかは違っているはずなのに(例えば森永さんは以前ラジオで「早くデフレ脱却するために財政政策すべきだ」とか、上念さんも消費増税反対の国会陳述の際「財政出動で防衛等に使えばいい」と言ったり、高橋さんは「B/Cの基準を変えさえすれば、私は別に公共事業に反対じゃない」と桜の討論で言ってたり、飯田さんなどは「公共事業ゴリ押しより減税すべきだ」と言ったり、時と場合や人によって違っています。)、なぜか「リフレ派」というカテゴリーで(リフレ派の創始者の一人と自負する)田中秀臣さんとかが特定の人たちを一括りにし、三橋さん・藤井さん・中野さんなどを「財政出動派」と一括りにして敵視する、というかお互い敵視するような感じですね。
でもこの3人だって、デフレ脱却のために「リフレ政策+財政政策のパッケージ」を推している以上、「リフレ政策のみ」で結集するリフレ派という方々にそこまで敵対される謂れは無いと思えるのですが。実際消費増税の討論等で倉山さんが桜や三橋さんを敵視するようになった前までは、そこまで犬猿ではなかったですよね。
まあ、あくまで「経済政策」で見るとそういう見方ができますが、
実際、「財政政策」を必要と思う方々の中には「国づくり」についての思想があり、
いわゆる「リフレ派」という方々は人それぞれの国家観やあまりなかったりと、いわゆる「リフレ政策の先はあまりこだわりがない、いわば人によって自由」という「明確にしていなく、状況でどうとでも動けるような状態」であるため、ハッキリと「国づくりが必要」という方々とは、思想的には敵対するのは避けられないのかも、とは思います。(これに関して、どっちが保守でどっちがリベラルに近いかは、各々の判断にお任せします。よく言われる「擬似保守・エセ保守」てのはだれなのか。)
別にリフレ派といわれる(認められている)の人の全てを批判はしません。中には「愛国」の想いを持っている方々もいるはずなので。なので、そういう方々は「リフレ派」なんていう是々非々で組んだような一時の一経済政策についてだけの派閥に縛られることなく、「(リフレ政策後、)その愛国心で、どのような国にしていきたいのか、経済的にもどのように国が発展していけばいいと思うのか」という思想を根本にした派閥を新たに組んで、その点を(「リフレ政策すれば良い」ということ以外は)何も考えていない同士とは分裂再編してもらえればなあ、、なんて思ってます。だって、国民にとって、そこが大事じゃないですか。。
そこを無関心なままで「(リフレ政策の)後は、市場がなんでも自由に決めるようにするのが良いんですよ」と言ってたら、(リフレ政策後は)新自由主義と変わらないじゃないですか。。。
個人的には、別にリフレ政策そのものを批判するつもりは無いです。寧ろデフレ脱却にとって必要な金融政策であるとすら思います。ただ、その「リフレ派」と言う方々は、「リフレ政策のみ」で結集しているように思えてなりません。逆に言うと「それ以降の話にはあまり関心がない」という感じで。
リフレ派の方々にしても、おそらく「リフレ政策を行った後、どうすればいいか」、という点は個々人内心は千差万別なんじゃないかと思います、本心は。実際、「リフレ政策」という一点だけで繋がっているだけで、その点の必要性でいえば、いわゆるリフレ派から現在倦厭されているであろう、三橋さんや藤井さんや中野さんにしても認めているわけです。そういう意味では別にこういう方々も本来「リフレ派」の一員といってもさしつかえないわけです。しかし対立ができているのは、明らかに「リフレ政策以外の部分」において、両者で対立的な考え方があるからでしょう。
まあ多分それは「財政出動」の部分なんでしょうね。
このあたりについて、なぜこうも徹底的に対立しているのか、いまいち掴めません。
いわゆるリフレ派といわれる方々は、リフレ政策をした先について、そこまで関心が無く、人によって政府がどういう政策をすべきかは違っているはずなのに(例えば森永さんは以前ラジオで「早くデフレ脱却するために財政政策すべきだ」とか、上念さんも消費増税反対の国会陳述の際「財政出動で防衛等に使えばいい」と言ったり、高橋さんは「B/Cの基準を変えさえすれば、私は別に公共事業に反対じゃない」と桜の討論で言ってたり、飯田さんなどは「公共事業ゴリ押しより減税すべきだ」と言ったり、時と場合や人によって違っています。)、なぜか「リフレ派」というカテゴリーで(リフレ派の創始者の一人と自負する)田中秀臣さんとかが特定の人たちを一括りにし、三橋さん・藤井さん・中野さんなどを「財政出動派」と一括りにして敵視する、というかお互い敵視するような感じですね。
でもこの3人だって、デフレ脱却のために「リフレ政策+財政政策のパッケージ」を推している以上、「リフレ政策のみ」で結集するリフレ派という方々にそこまで敵対される謂れは無いと思えるのですが。実際消費増税の討論等で倉山さんが桜や三橋さんを敵視するようになった前までは、そこまで犬猿ではなかったですよね。
まあ、あくまで「経済政策」で見るとそういう見方ができますが、
実際、「財政政策」を必要と思う方々の中には「国づくり」についての思想があり、
いわゆる「リフレ派」という方々は人それぞれの国家観やあまりなかったりと、いわゆる「リフレ政策の先はあまりこだわりがない、いわば人によって自由」という「明確にしていなく、状況でどうとでも動けるような状態」であるため、ハッキリと「国づくりが必要」という方々とは、思想的には敵対するのは避けられないのかも、とは思います。(これに関して、どっちが保守でどっちがリベラルに近いかは、各々の判断にお任せします。よく言われる「擬似保守・エセ保守」てのはだれなのか。)
別にリフレ派といわれる(認められている)の人の全てを批判はしません。中には「愛国」の想いを持っている方々もいるはずなので。なので、そういう方々は「リフレ派」なんていう是々非々で組んだような一時の一経済政策についてだけの派閥に縛られることなく、「(リフレ政策後、)その愛国心で、どのような国にしていきたいのか、経済的にもどのように国が発展していけばいいと思うのか」という思想を根本にした派閥を新たに組んで、その点を(「リフレ政策すれば良い」ということ以外は)何も考えていない同士とは分裂再編してもらえればなあ、、なんて思ってます。だって、国民にとって、そこが大事じゃないですか。。
そこを無関心なままで「(リフレ政策の)後は、市場がなんでも自由に決めるようにするのが良いんですよ」と言ってたら、(リフレ政策後は)新自由主義と変わらないじゃないですか。。。