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営利精神の過剰

2013-11-13 | 日記
今、中野剛志さんの著書を読んでいます。「保守とはなんだろうか」というやつですね。

まだ途中なので総じての感想は後日となりますが、
保守の話でも主に「経済」についての話題を中心に書かれているようですね。

その中で、保守的な経済(というか今のおかしな新自由主義的な経済を治す手段)として
「営利精神の過剰を抑制する」
という言葉が挙げられています。ホントにその通りと思いますね。

何でもかんでも「儲ける」という事を先行させる昨今の風潮。
(まあ著書では昔のイギリスでも同じだったということですが)
国体を守る事を想えば、どう考えてもマズい風潮でしょう。
いや、「儲ける」という事は、それだけ消費・投資意欲をそそられる、魅力のある、無駄のない素晴らしいベネフィット(利益や効果)や質やパフォーマンスや結果を得られる事の証明だから、それを追い求める事こそが良い事だ、
な~んて言う意見も新自由主義的な人からは出そうな気がしますが、それってものすごく
「短期的」な話
ですよね。
「長期的に見て良い結果を出す」
という事をどこまで考えてるのだろうか。
「長期的に見る」という事は、それだけ、現在から未来、その基盤としての過去、つまりは、
過去→現在→未来
っていう「時の繋がり」を吟味して見据えないといけないわけです。
要するに、「じっくり見据える」姿勢が必要とされます。
「これは儲かりそう」とかいう短期の話ではないんですね。
そんな短サイクル目線で目先の儲かりを追っかけて、ある時は右回り、またある時は左回り、、とかしてて、
何が熟成されましょうか??国体は維持できる?その中で君だけはその慌ただしさをうまく乗りこなして確実に生き残れる保証があるというの?というか何を目指してそうするの??

とまあそんな事はさておき、
営利精神が過剰になると、
後々おこるかもしれない震災等に対する備え = 起こると決まったわけじゃないし、今やっても儲からないし『無駄』
という事になるんですね。
営利精神が極端に進むと、幅広い意味で、
『安全保障 = 無駄』
という事になるんでしょう。
でも人は実際に被害を受けて、自分の尻に火が付けば、その危機を実感し、
自然発生的に備えをする方向へ流れ出す、と思いきや、、
昨今にあれだけの大震災・津波災害があったにも関わらず、
相変わらず政府の公共投資には否定的。。
「シロアリ官僚が・・」とかいう。
それほどまでに、日本もまた「新自由主義」的な経済価値観に染まってるんでしょう。
(マスコミや学者が意図的にそう誘導してる節が大きいですけどね)
これはいわゆる上に書いた
「営利精神の過剰」
というやつですね。これが現在の日本も結構進んでるようで(政府もそっち系ですしね)。。

もう「そういう流れ」っていう事は仕方ないとは思います。結果としてそうなってるんだから、
嘆いても仕方ないし。。
ただそろそろこの国でも、
「営利精神の過剰の抑制」
というものを、それにちなんだ経済観というものを
ドデカく
『世に投げかける』
事が必要なんじゃないかと思いますね。
既にそういう努力をされている方々は沢山おられるのですけど
(三橋さんも中野さんも藤井さんもそうですし)
まだまだネットの一部の規模だろうと思うので、
できればもっと大きく、大手マスコミや政府巻き込んで
ドカンと国を挙げて「新自由主義 VS ケインズ主義」
ぐらいの一大論争巻き起こるぐらいの勢いで議論が進めばなあ、、
竹中さんとかはいかに安易で罪深かったのか、
とかも分かるんじゃないかなあ、、

とまあそんな願望はさておき、
引き続き本を読ませていただきます。 。