土台
2012-10-30 | 日記
すごく極端な例になって申し訳無いですが、、
仮に日本がいくつかの州に分かれたとしまして、、
それぞれの州にこれまで中央の持っていた権限の大幅な部分が譲渡されているとしまして、、
その中で財政上運営の立ち行かなくなった州ができたとします。
そこで、米や中などの外国が、その州に目を付け、大幅な投資を行ったとします。
おかげ様でその州は活気付きました、でも外国が株主のような立場になり、その州の持つ権限の大幅な部分が株主に譲渡されてしまい、その州はそういった外国の力によって日本国内でさらなる勢力を広げて行ったとします。
そんな未来は当然多くの日本人が望んでいないだろうし、道州制などを目指す人だって「アホなwそんなことになる訳ないだろw」とせせら笑う事だと思います。
ではその「そんな事になる訳ない」の根拠を示していただきたい。
それは自分の中の感情や価値観によって、「そんな事にならないのは当たり前だ」という常識信号が出ているのだと思いますが、
その「常識とされる感情や価値観の部分」をもっと真面目にスポットを当てて語っていただきたいと思われるのです。
「一個人の生き死にや生活の潤い」が圧倒的に強い、という個人主義の価値観であるなら、じゃあ米や中が「今からあなたの一生を保証します」と言って見たことない莫大な財産を与えられたとき、あっさりと外国に転んだりもするんじゃないでしょうかね。じゃあそれが家族単位なら?友人単位なら?所属する組織単位なら?地域単位なら?州単位なら?
自分のより身近にあるものから順に大事というのなら、国というものは自分の身近からは結構遠ざかる、さほどどうでもいいということで、他国が自分の身近な範囲まで自分を保護・保障してくれたとき、まるごとそっちに転ぶという選択肢も非現実的では無いように思えてきます。
だから、「そんな事にならないのは当たり前だ」という、その言葉を発する人の中の「常識とされる感情や価値観の部分」をちゃんと真面目に紐解いていただきたいと思いますし、
その常識的な感情や価値観に素直に従って真面目に政策を考えた時、
道州制という結論は本当に正しい結末を迎えるのかどうか、
という事を考えて欲しいなあ、と思われます。
それを真面目に考えたときに初めて、自分のそういう常識を形作るに至った、育った環境や過去や歴史や文化や伝統や、といった、自分の所属する家族や組織や地域や州や国などの背景が価値としてリアルに見えて来るのだろうし、その上で他国のそれらとの違いやそれらを金だけで安易に売り渡し、食い潰される事への無常さ、悔しさ、重大さ、危機感、損感情、絶望感、等々をリアルに感じられるのではないでしょうか。
辿っていくと一個人のアイデンティティとも繋がるであろうそういう価値観を、常に真面目に捉え、考え、大事にして、基本に据えて、色々な物事に対して考え理論を構築し行動していくのがいわゆる保守というやつなんじゃないかな、と感じます。それはイデオロギーとか愛国心とかいう思想というよりは、単純に「真面目な姿勢」であると思います。
安易に改革を唱う人もそういった「そんな事になるはずない常識」がちゃんとあるのでしょうから、それを真面目にスポット当てて考えて欲しいところです。そんな事(非常識)にならないために。
本当はそうではなく、そんな常識元々無くて単に今の空気に合わせて詭弁を言ってるだけなら、正直にそう言えばいい。そこで思想レベルから論争すればいい。
というより実はそこまで考えてないのなら考えないといけない。後から「こんなはずじゃなかった」ではただのアホ。それを「自己責任」とか言い出したら大間違い。それはただ「提案した奴やそれを安易に応援して選んだ奴が不真面目だった」だけ。
ワンフレーズやインパクトや人気や空気や日常のなんとなくの欲求や、
そういうものの前に、自分の中にある「常識的なもの」をもっと真面目に考え土台とした上で
今後の行動も考えてもらわないと、そいうものの無い、見えない、説明しない改革は
どんな改革でも「非常識で不真面目なもの」と言わざるを得ないと思われます。
仮に日本がいくつかの州に分かれたとしまして、、
それぞれの州にこれまで中央の持っていた権限の大幅な部分が譲渡されているとしまして、、
その中で財政上運営の立ち行かなくなった州ができたとします。
そこで、米や中などの外国が、その州に目を付け、大幅な投資を行ったとします。
おかげ様でその州は活気付きました、でも外国が株主のような立場になり、その州の持つ権限の大幅な部分が株主に譲渡されてしまい、その州はそういった外国の力によって日本国内でさらなる勢力を広げて行ったとします。
そんな未来は当然多くの日本人が望んでいないだろうし、道州制などを目指す人だって「アホなwそんなことになる訳ないだろw」とせせら笑う事だと思います。
ではその「そんな事になる訳ない」の根拠を示していただきたい。
それは自分の中の感情や価値観によって、「そんな事にならないのは当たり前だ」という常識信号が出ているのだと思いますが、
その「常識とされる感情や価値観の部分」をもっと真面目にスポットを当てて語っていただきたいと思われるのです。
「一個人の生き死にや生活の潤い」が圧倒的に強い、という個人主義の価値観であるなら、じゃあ米や中が「今からあなたの一生を保証します」と言って見たことない莫大な財産を与えられたとき、あっさりと外国に転んだりもするんじゃないでしょうかね。じゃあそれが家族単位なら?友人単位なら?所属する組織単位なら?地域単位なら?州単位なら?
自分のより身近にあるものから順に大事というのなら、国というものは自分の身近からは結構遠ざかる、さほどどうでもいいということで、他国が自分の身近な範囲まで自分を保護・保障してくれたとき、まるごとそっちに転ぶという選択肢も非現実的では無いように思えてきます。
だから、「そんな事にならないのは当たり前だ」という、その言葉を発する人の中の「常識とされる感情や価値観の部分」をちゃんと真面目に紐解いていただきたいと思いますし、
その常識的な感情や価値観に素直に従って真面目に政策を考えた時、
道州制という結論は本当に正しい結末を迎えるのかどうか、
という事を考えて欲しいなあ、と思われます。
それを真面目に考えたときに初めて、自分のそういう常識を形作るに至った、育った環境や過去や歴史や文化や伝統や、といった、自分の所属する家族や組織や地域や州や国などの背景が価値としてリアルに見えて来るのだろうし、その上で他国のそれらとの違いやそれらを金だけで安易に売り渡し、食い潰される事への無常さ、悔しさ、重大さ、危機感、損感情、絶望感、等々をリアルに感じられるのではないでしょうか。
辿っていくと一個人のアイデンティティとも繋がるであろうそういう価値観を、常に真面目に捉え、考え、大事にして、基本に据えて、色々な物事に対して考え理論を構築し行動していくのがいわゆる保守というやつなんじゃないかな、と感じます。それはイデオロギーとか愛国心とかいう思想というよりは、単純に「真面目な姿勢」であると思います。
安易に改革を唱う人もそういった「そんな事になるはずない常識」がちゃんとあるのでしょうから、それを真面目にスポット当てて考えて欲しいところです。そんな事(非常識)にならないために。
本当はそうではなく、そんな常識元々無くて単に今の空気に合わせて詭弁を言ってるだけなら、正直にそう言えばいい。そこで思想レベルから論争すればいい。
というより実はそこまで考えてないのなら考えないといけない。後から「こんなはずじゃなかった」ではただのアホ。それを「自己責任」とか言い出したら大間違い。それはただ「提案した奴やそれを安易に応援して選んだ奴が不真面目だった」だけ。
ワンフレーズやインパクトや人気や空気や日常のなんとなくの欲求や、
そういうものの前に、自分の中にある「常識的なもの」をもっと真面目に考え土台とした上で
今後の行動も考えてもらわないと、そいうものの無い、見えない、説明しない改革は
どんな改革でも「非常識で不真面目なもの」と言わざるを得ないと思われます。