認識
2012-12-18 | 日記
自民の大勝について、メディアでは基本的には
「あくまで消極的な勝利だ」「他に無いから仕方なしだ」といった見方が多いですね。
まあ投票率とか比例の結果とか、自分の身の周りの人の話を聞いても(そもそも政治に関心無い人ばかりですけど)、確かにそういう消極的な比率は高いんだろうな、と思います。
でもあまり多くの民意が積極的になったらロクな盛り上がりにならない(安直過ぎて冷静な正しさに欠ける、というか)気もするので、今の民意ではこれくらいの消極さの方が結構まともな結果になるのかも。というよりも「民主党みたいなもんは駄目だ」という認識は多くの人が持ったと思うので、たとえその先が消極的選択でも、それだけでも十分正しい方向へは向かったんだろうなと思いますね。
あと積極的な意味で言えばメディアでは「右傾化が心配だ」みたいな見方もよくありますね。
うーん。
中道からも外れているような今の日本の状態を鑑みて、安倍さんがそこまで偏って右なのかどうかはさておき、
国政にとって「国として頑張る」ことがそんなに心配なことなんでしょうか?
国として頑張り、戦うところは戦う、当たり前だと思うなあ。。
寧ろ政府がそうしてくれないと困る、そうじゃなけりゃ誰がするんだw
多分ですが、戦後日本人(庶民は戦前もなのかも分かりませんが)は他国に対する認識がどうもズレているような気がしないでもないです。
「国 対 国」の見方を「個人 対 個人」と同じように捉えている節がある気がします。
「国 対 国」に"友好"を求めるにあたり、昭和期の頃は戦争反対で平和への切望からかもしれませんが、
平成に入ってもう平和慣れというか戦争とはかけ離れた世代になった頃には、自分の身近な経験である「個人 対 個人」という物差しを「国 対 国」に当てはめてるといいますか。
いずれにせよ相手を敵視したら争って傷つけ合うのことになりそれは自分にとっても辛いので「国 対 国」もお互い認め合って仲良くせねばなるまい、と。そんなニュアンスなんじゃないかな。(逆に敵国とみなしている国については、相手国の事を一切認めようとしないわがままで醜い国だから敵視する、という、それもある意味「個人 対 個人」の延長線ですね。昨今の中韓に対する敵対意識もそういう部分が大きいかと。まあそれはそれで自然で正しい認識であると思いますけど。)
でも自分が思うに、基本的に「国 対 国」の関係というのは「個人 対 個人」よりも、
同業者における「自社 対 他社」に近いんじゃないかなと感じます。
だから「100%の友好」なんてありえない、それは吸収合併、つまり占領ということです。(その過程に当然戦争があります)
といってもあくまで例え話で、国自体は会社に例えてはいけないと思いますけど。人件費削減もリストラも安易な人事異動や方針転換や衣替えもしてはならない、歴史と文化と伝統とその誇り、ひいては存在意義をしっかりと維持すべき組織体です。他国というのはそういった同業組織体ではないでしょうかね。
右傾化と嫌がる人は、国がそういった組織体であることに反対なのでしょうね。
でもそうじゃなかったら、国の組織体が嫌いなら、どうするの?国の政治って一体何をするものなの?
中には国を弱めて地方としてそういう振る舞いをしたい人や、もうそういうまとまりの概念を無くしたい人もいますね。
でも他国を1つ1つ見渡して、そんな国ってあります?少なくともこの周辺にはいないような。。
それで吸収されていいというの?そうなったら「地方としてやっていくんだ~」なんていう夢物語を語ることすらできなくなりますよ?それどころじゃないですよw?
それを食い止めるために頑張る事を「右傾化」と非難して大丈夫なの?
自分は外国勢に吸収されるなんて絶対に嫌だし、そこから国を守るための戦いならどこの国相手であろうが積極的に賛成です。(少なくともそれを実行する正当性はこと日本においては他国に比べ客観的に見ても十分にある。)それを軽視したイケイケの自由主義経済には反対です。勿論貧するのは嫌ですが、守りながら貧しない道も絶対あるはず。(多分日本でそれができなかったらどこの国にも無理なんでしょうね。)国を壊してより個人化して、その中で栄える人は栄える、みたいのも嫌ですね。しかもそれでは全体的な安定は絶対ない。栄えた人はすぐに下克上にあって衰えるだろうなあ。。
みんなオリンピックやサッカーのW杯とかでは「国として戦う」意識は強いのに、こと実際の国同士のやりとりになると妙に「分かり合い」を重視するなあ。(戦争の無い日常と、賑やかでバラエティのある「個人 対 個人」の価値観を映す日常のテレビの影響も大きいでしょう。)
実際の国同士もスポーツと同じように基本的には「ルールのあるやりとり」なんだけどなあ・・。
「あくまで消極的な勝利だ」「他に無いから仕方なしだ」といった見方が多いですね。
まあ投票率とか比例の結果とか、自分の身の周りの人の話を聞いても(そもそも政治に関心無い人ばかりですけど)、確かにそういう消極的な比率は高いんだろうな、と思います。
でもあまり多くの民意が積極的になったらロクな盛り上がりにならない(安直過ぎて冷静な正しさに欠ける、というか)気もするので、今の民意ではこれくらいの消極さの方が結構まともな結果になるのかも。というよりも「民主党みたいなもんは駄目だ」という認識は多くの人が持ったと思うので、たとえその先が消極的選択でも、それだけでも十分正しい方向へは向かったんだろうなと思いますね。
あと積極的な意味で言えばメディアでは「右傾化が心配だ」みたいな見方もよくありますね。
うーん。
中道からも外れているような今の日本の状態を鑑みて、安倍さんがそこまで偏って右なのかどうかはさておき、
国政にとって「国として頑張る」ことがそんなに心配なことなんでしょうか?
国として頑張り、戦うところは戦う、当たり前だと思うなあ。。
寧ろ政府がそうしてくれないと困る、そうじゃなけりゃ誰がするんだw
多分ですが、戦後日本人(庶民は戦前もなのかも分かりませんが)は他国に対する認識がどうもズレているような気がしないでもないです。
「国 対 国」の見方を「個人 対 個人」と同じように捉えている節がある気がします。
「国 対 国」に"友好"を求めるにあたり、昭和期の頃は戦争反対で平和への切望からかもしれませんが、
平成に入ってもう平和慣れというか戦争とはかけ離れた世代になった頃には、自分の身近な経験である「個人 対 個人」という物差しを「国 対 国」に当てはめてるといいますか。
いずれにせよ相手を敵視したら争って傷つけ合うのことになりそれは自分にとっても辛いので「国 対 国」もお互い認め合って仲良くせねばなるまい、と。そんなニュアンスなんじゃないかな。(逆に敵国とみなしている国については、相手国の事を一切認めようとしないわがままで醜い国だから敵視する、という、それもある意味「個人 対 個人」の延長線ですね。昨今の中韓に対する敵対意識もそういう部分が大きいかと。まあそれはそれで自然で正しい認識であると思いますけど。)
でも自分が思うに、基本的に「国 対 国」の関係というのは「個人 対 個人」よりも、
同業者における「自社 対 他社」に近いんじゃないかなと感じます。
だから「100%の友好」なんてありえない、それは吸収合併、つまり占領ということです。(その過程に当然戦争があります)
といってもあくまで例え話で、国自体は会社に例えてはいけないと思いますけど。人件費削減もリストラも安易な人事異動や方針転換や衣替えもしてはならない、歴史と文化と伝統とその誇り、ひいては存在意義をしっかりと維持すべき組織体です。他国というのはそういった同業組織体ではないでしょうかね。
右傾化と嫌がる人は、国がそういった組織体であることに反対なのでしょうね。
でもそうじゃなかったら、国の組織体が嫌いなら、どうするの?国の政治って一体何をするものなの?
中には国を弱めて地方としてそういう振る舞いをしたい人や、もうそういうまとまりの概念を無くしたい人もいますね。
でも他国を1つ1つ見渡して、そんな国ってあります?少なくともこの周辺にはいないような。。
それで吸収されていいというの?そうなったら「地方としてやっていくんだ~」なんていう夢物語を語ることすらできなくなりますよ?それどころじゃないですよw?
それを食い止めるために頑張る事を「右傾化」と非難して大丈夫なの?
自分は外国勢に吸収されるなんて絶対に嫌だし、そこから国を守るための戦いならどこの国相手であろうが積極的に賛成です。(少なくともそれを実行する正当性はこと日本においては他国に比べ客観的に見ても十分にある。)それを軽視したイケイケの自由主義経済には反対です。勿論貧するのは嫌ですが、守りながら貧しない道も絶対あるはず。(多分日本でそれができなかったらどこの国にも無理なんでしょうね。)国を壊してより個人化して、その中で栄える人は栄える、みたいのも嫌ですね。しかもそれでは全体的な安定は絶対ない。栄えた人はすぐに下克上にあって衰えるだろうなあ。。
みんなオリンピックやサッカーのW杯とかでは「国として戦う」意識は強いのに、こと実際の国同士のやりとりになると妙に「分かり合い」を重視するなあ。(戦争の無い日常と、賑やかでバラエティのある「個人 対 個人」の価値観を映す日常のテレビの影響も大きいでしょう。)
実際の国同士もスポーツと同じように基本的には「ルールのあるやりとり」なんだけどなあ・・。