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マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

特急「ひばり」③ 485系300非貫通型

2007-06-15 04:40:00 | 特急型電車(交直流・交流)
こんばんわ。

今日も引き続き、特急「ひばり」号の第3回目として、485系300番台非貫通型の写真をお届けいたします。

昨日の200番台貫通型と同様、仙台運転所及び青森運転所の双方に300番台の配置がありました。編成も全く同じなので、外観からは区別が付きません。また、調査はしておりませんが、晩年は秋田区に配置された1000番台も配置された可能性があります。私の目では、写真からは区別が付きませんので、その点はお含みおきください。


昭和56年1月5日 東北本線 白坂駅構内通過線にて


昭和56年1月5日 東北本線 豊原~白坂

東北本線の豊原~白坂間は、白坂寄りの半分の区間が上下線に分かれており、単線のような風景で撮影することができます。ただし、上下線がかなり離れておりますので、かけもちの撮影ができませんので、撮影回数(本数)は半減してしまいます。
また、白坂駅は、上下線の共に中線が島式ホームの停車線となっており、その外側に通過線があるという、東北本線の中では異端な構内配線になっています。構内の通過線に制限がかかりませんので、特急列車は猛スピードで走り抜けていきました。



昭和57年6月21日 東北本線 貝田~越河間にて


昭和57年6月21日 東北本線 貝田~越河間にて

特急「やまびこ」の最後の雄姿を撮りに行ったときの写真です。さすが当時14往復が運転されていた「ひばり」は、目的の「やまびこ」を待っている間に、次から次へとやって来てくれます。サロ・サシ連結の12両フル編成は、特急列車を語るにふさわしい、最後の雄姿となりました。



昭和60年1月5日 東北本線 古河~栗橋間にて 臨時「ひばり52号」

定期特急の「ひばり」は、東北新幹線の大宮暫定開業後においても、昭和57年11月の上越新幹線開業まで本数を削減しつつも走り続けました。同改正で「仙台特急」の役目を東北新幹線に譲って廃止となった「ひばり」ですが、大宮での新幹線乗換えの不便を考慮して、昭和60年の東北・上越新幹線上野開業まで臨時特急として走りました。
既に食堂車の姿はありません。が、編成を良く数えると12両編成になっていおり、6号車サロ(グリーン車)のとなりの7号車にサハ481を連結しているようです。


次回は、過去ログの再掲になりますが、583系の「ひばり」をお届けしたいと考えております。
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特急「ひばり」② 485系200貫通型・1500番台

2007-06-14 02:18:54 | 特急型電車(交直流・交流)
こんばんわ。

昨日に続き、なつかしい「ひばり」号の写真をお届けいたします。今日は、写真枚数の関係で、485系200番台貫通型と、1500番台4つ目をアップいたします。

昨日も記述しておりますが、「ひばり」は仙台運転所(昨日”電車区”とお伝えしましたが正確には”運転所”が正しいようです。)と青森運転所の編成が運用に入っておりました。双方の運転所とも貫通型・非貫通型の配置があり、「ひばり」にも通例で運用されていました。51・7及び53・10の改正により、佐世保線電化に伴う「かもめ」「みどり」の新設・増発のための措置として、クロ481(グリーン車)とクハ481200貫通型が九州へ転配されたため、特に東北筋の貫通型は少なくなっておりました。


昭和53年10月頃 大宮駅にて クハ481200貫通型を使用した「ひばり」

53・10の改正により、ヘッドマークがイラストになって間もない頃の写真。


昭和56年1月5日 東北本線 豊原~白坂間にて

東北本線の特急街道時代最盛期のひとコマ。普通列車1本に対して特急6本・急行1本というくらいに特急列車が走っていた頃でした。

次にクハ4811500番台4つ目です。(再掲)

昭和56年 上野駅にて 583系「はつかり」と並ぶ クハ4811500番台「ひばり」

781系の登場によりその任務を解かれた北海道用の485系1500番台は、登場時のいきさつにより新製配置された青森運転所への里帰りとなりました。
1500番台は、特に他車と区別されずに使用されたため、「はつかり」「やまびこ」「いなほ」(1往復のみ)とあわせ、この「ひばり」にもしばしば運用には入りました。しかし、クハ4811500の総勢がたった8両ですので、なかなか狙って撮れるものでもなく、編成も揃っていなかったため、前後どちらに連結されるているのかも賭けでした。

次回は、クハ481300番台非貫通型「ひばり」をお届けする予定です。
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特急「ひばり」① 485系ボンネット車

2007-06-13 01:45:25 | 特急型電車(交直流・交流)
古いネガを見ながら、未現像のまま眠っていた写真を20年以上の時を経て復活させています。
今日は、そんな中からなつかしの特急「ひばり」の写真をご紹介したいと思います。
第1回目はボンネット型のクハだけ集めてみました。

「ひばり」は、最初はキハ82系気動車でのデビューとなりましたが、定期列車化とあわせて電車化(483系)され、特急需要の増加に伴い、改正ごとに本数を増やしていきました。
当初は仙台運転所が担当していきましたが、本数の増加に伴い、仙台運転所以外にも青森運転所の485系や583系が運用に就いていました。
青森運転所の編成は、ボンネット車が配置されていなかった関係で、両端とも貫通型の200番台や非貫通型の300番台のみとなっています。
一方、仙台運転所の編成は、200番台、300番台に加え、0番台又は100番台のボンネット型、そしてクロ481の0番台と先頭車化改造の50番台と、非常にバラエティー富んだ車輌たちが揃っていました。


昭和53年3月頃 東北本線 西川口~蕨


昭和56年5月頃 東北本線 西川口~蕨間にて


昭和56年5月頃 東北本線 蕨~南浦和間にて


昭和57年6月22日 東北本線 貝田~越河間にて

写真を見てお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、ここに写っているボンネット型は全て仙台方にボンネット車が連結されています。
仙台運転所に初期配置の483系又は485系は、仙台方にクハ481のボンネット型、上野方にクロ481の連結を基本としていました。昭和51年の長崎本線・佐世保線の電化による佐世保線の新設特急「みどり」に、大量のクロ481を必要とすることとなったため、上野方のボンネット車であったクロが転出していってしまいました。
このことから、クロ481であったグリーン車を2号車(後に6号車)のサロに差し替え、上野方を普通車であるクハ481としたことにより、上野方のボンネット車がいなくなってしまったわけです。

※ちなみに、勝田区の「ひたち」用の編成では、上野方にもボンネット車が多数配置されましたが、これは、短編成化される九州に定員の多い貫通型を重点に送り、九州の古いボンネット車を勝田区に持ってきたためです。当時のウワサですが、青森運や仙台区など北日本では、すきま風が入りやすい貫通型が嫌われていたと聞いています。この作業は、昭和59年か60年の改正頃に行われたと記憶しています。
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秩父鉄道(3000系・デキ105)

2007-06-12 07:25:23 | 列車・車輌カタログ(私鉄)
秩父鉄道シリーズも最終回となります。

今日は、先日引退となった元国鉄165系改造の3000形と電気機関車デキ105の牽引する貨物列車の写真をお届けいたします。


平成5年5月16日 三峰口構内にて 秩父鉄道急行形 3202

先日ご案内した300形急行電車の後継車として導入された、元国鉄の165系を改造した車輌です。165系時代に比べ、デザインが一新され関係でかなり高級な車輌という見映えがしました。惜しくも元西武鉄道新101系改造車の投入により引退となってしまいました。
写真は、まだ同車が秩父鉄道に入線して間もない頃。塗装がピッカピカでまるで新車のようです。


平成5年7月31日 デキ105牽引貨物列車

スナップで撮った写真なので、撮影場所が良く判りませんが、確か有名な鉄橋のある近くだったような気がします。デキ100形は秩父鉄道の中でも古参の車輌です。
同機は冷房も積んでいないため、盛夏はこのように貫通扉を開けて運転しているのですね。機関士・運転士さんも、車輌環境で労働条件が変わってしまうので、大変なご苦労があるのではないかと思います。
このデキ105は1956年生まれ。私より先輩で50歳を超えていますね。末永く頑張ってほしいものです。

秩父鉄道はネタが無くなりましたので、これにて終了いたします。

秩父鉄道のシリーズは、ブログ左側にある「カテゴリー」→「列車・車輌のカタログ(私鉄)」をクリックすると、各形式を続けて見ることができます。

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埼玉県吉川市で見た風景(飯島興業バス)

2007-06-11 23:42:26 | バスの写真館
吉川市で見た風景の最終回で、今日は地域で活躍するバスをお届けいたします。

娘の参加する水泳記録会の会場へ向かう途中、コミュニティーバスのような可愛いバスを見ました。ただ、市営バスでは無いようで、しかも会社名も目立たなくて良く分かりませんでした。まぁ、あまりミニバスにも興味ないし、「いっか~」くらいで受け流しておきました。

競技が終わり、女房と娘を離れた駐車場から迎えに行く途中、バスの駐車場を発見しました。路線バスのようには見えなかったのですが、一目で自分の好きな車輌が停めてあるのに気が付きました。
車を停める場所が無かったので、取り敢えず女房と娘を迎えに行き、車を通りの無い安全な場所に停め、徒歩で駐車場に向かいました。


三菱エアロスターMP218 前後折戸仕様

しつこいようですが、私の好きなエアロスターです。都心部ではほとんど見ることが出来なくなってきました。特に、都営バスを含む大手私鉄系のバスでは、同型エアロスターの前後折戸は珍しいので、非常に感激しました。もう少し広い場所だったらもっと良かったのですが・・・。


こちらは、エアロスターの奥に停めてあった3台。
向かって左2台は「ワンマン」表示がついた路線バス対応のようですが、何故か「ミドリ安全」という企業名の表示が堂々とついています。普段同社の送迎に使っていて、たまに路線にでも入るのだろうか、と考えてしまいました。


いずれにしても、バス会社名の表示が無いので、結局何者だか判らないまま家に帰りました。インターネットで吉川市の路線バスを検索してみると、いくつかの地元密着型のようなバス会社がありました。幸い全ての会社がHPを持っていましたので確認したところ、「飯島興業」というバス会社であることが判明しました。
このような地域密着型の路線バス事業者は初めてだったので、非常に新鮮に感じました。
同社の詳しい事業内容をお知りになりたい方は、「飯島興業」で検索してみてください。

以上で吉川市で見た風景を終わります。
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