今日は、485系で運転された昼行特急「鳥海」をお届けいたします。
私の世代で言うと、「鳥海」は上野~秋田間を結ぶ夜行急行列車であり、昭和57年11月の上越新幹線大宮暫定開業により消滅した列車を思い浮かべます。
上越新幹線の大宮暫定開業により、上野~新潟間を走っていた特急「とき」「いなほ」が全廃となりました。このうち「とき」は新潟行きですので、新幹線が十分にカバーする範囲でしたが、秋田・青森へ向かう「いなほ」については、上野から新幹線を利用すると、大宮・長岡で2回乗換えが必要になってしまいます。この不便を解消するために、上越線を直通する唯一の昼行特急として存続することになりました。同様の措置が東北・奥羽線の「つばさ」「やまばと」、磐越西線の「あいづ」にみられました。
なお、上越特急の存続にあたり、「いなほ」の名称については新潟からの秋田方面アクセス特急に継承されてしまいましたので、廃止となった夜行急行の「鳥海」を譲り受けて、スジが存続されることとなったのです。
昭和60年11月4日 高崎線 深谷~岡部間にて 485系臨時特急「鳥海」
昭和62年9月13日 高崎線 吹上~行田間にて 485系臨時特急「鳥海」
一旦は定期特急として存続した「鳥海」でしたが、東北・上越新幹線の上野開業により大宮乗換えの不便さが解消されたため、上越線直通の定期昼行特急は廃止されることになりました。しかし、幸運と言いますか強運と言いますか、上野開業後も臨時特急として存続しました。今回の写真も、既に臨時に格下げになってからのものです。
同様の例として、以前本ブログでご紹介いたしました東北特急「ふるさと」があります。しかし、「ふるさと」がお盆及び年末年始に限定された運転なのに対し、この「鳥海」は11月といったオフシーズンの土日にも運転があり、運転本数も通常の臨時列車より多く設定されていたようです。
臨時昼行特急としての役割を終えた「鳥海」は、後に再び寝台特急「鳥海」として復活することになります。
私の世代で言うと、「鳥海」は上野~秋田間を結ぶ夜行急行列車であり、昭和57年11月の上越新幹線大宮暫定開業により消滅した列車を思い浮かべます。
上越新幹線の大宮暫定開業により、上野~新潟間を走っていた特急「とき」「いなほ」が全廃となりました。このうち「とき」は新潟行きですので、新幹線が十分にカバーする範囲でしたが、秋田・青森へ向かう「いなほ」については、上野から新幹線を利用すると、大宮・長岡で2回乗換えが必要になってしまいます。この不便を解消するために、上越線を直通する唯一の昼行特急として存続することになりました。同様の措置が東北・奥羽線の「つばさ」「やまばと」、磐越西線の「あいづ」にみられました。
なお、上越特急の存続にあたり、「いなほ」の名称については新潟からの秋田方面アクセス特急に継承されてしまいましたので、廃止となった夜行急行の「鳥海」を譲り受けて、スジが存続されることとなったのです。
昭和60年11月4日 高崎線 深谷~岡部間にて 485系臨時特急「鳥海」
昭和62年9月13日 高崎線 吹上~行田間にて 485系臨時特急「鳥海」
一旦は定期特急として存続した「鳥海」でしたが、東北・上越新幹線の上野開業により大宮乗換えの不便さが解消されたため、上越線直通の定期昼行特急は廃止されることになりました。しかし、幸運と言いますか強運と言いますか、上野開業後も臨時特急として存続しました。今回の写真も、既に臨時に格下げになってからのものです。
同様の例として、以前本ブログでご紹介いたしました東北特急「ふるさと」があります。しかし、「ふるさと」がお盆及び年末年始に限定された運転なのに対し、この「鳥海」は11月といったオフシーズンの土日にも運転があり、運転本数も通常の臨時列車より多く設定されていたようです。
臨時昼行特急としての役割を終えた「鳥海」は、後に再び寝台特急「鳥海」として復活することになります。