ケニチのブログ

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「言語」と「思考」

2009-07-23 | 日本語・言葉
 人間の「思考」は,「言語」によって行なわれる.ここでいう「言語」は,母語文章ということから離れて,広い意味でいうところの「言語」を指す.即ち「言語的表象」「記号的表象」というニュアンスである.

 僕が日頃,言葉の乱れに対して神経質になるのには,このことが第一に関係する.意識無意識の如何に係わらず,言葉=「言語」に対して配慮のない人間から,秩序ある「思考」が生まれ得るとは到底思えない.言うなれば,言葉の使用はその人の一人格者としての資質をも決めるのだ.「思考」なる人間の主体が人体に根付く為には,その土台となる「言語」が確実なものでなければならない

 特にこの20年間で,日本語は劇的に変化したと言われる.現在の日本語は,20年前の人々にはまるで通じないものとなったに違いない.その激変の原因は,以前紹介したサイト「Snufkin」で指摘されるように,「バブル崩壊」後の露骨な「減点式社会」の到来にあるという言説が,目下一番面白い.

 この国では,とかく「言葉は変化するものだ」という言説が,とりわけ国語学者らによって支持される.勿論この言説には本質的に反論のしようがない.人々の生活の中で言葉は必ず変化する.
 論点はそこにはなく,これを元に戻す努力を怠っていることこそが今問題なのだ.学者がこの調子なのだから,今後も日本語は無節操に乱れていくことだろう.
 フランス語が100年間変わらない言語だと言われるのは何故か?―――変えまいとする努力を続けてきたからだ.アカデミー・フランセーズでは,毎週40人の識者が集い,正しい母語を具に検討するのである.現在は,「r」で始まる単語一つ一つのチェックを数年前から継続中ということらしい.

 そういう根気強い作業の末,どうしても認めないわけにはいかない変化例が出てきた時に,初めて自信を持ってこう言えるのだ―――「言葉は変化する」と.
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2 コメント

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Unknown (ケニチ)
2017-10-20 01:31:14
 8年以上前の記事へのコメント有難うございます.僕自身懐かしく読みました.
 「注目が集まる」はそういえば変ですね.僕ももしかしたら何気なく使っていたかもしれません.「号泣」に関しては,テレビなんかではもう本当に滅多に正用されませんが,これに代わる適当な語彙が日本語に用意されていないことも原因にあると考えています.
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Unknown (ヘリテージ)
2017-10-19 10:41:49
私は語彙も乏しく難しいことはわからないのですが、ごく簡単な「言葉の使い方」の変化で言うと「注目する」と言われたことが「注目が集まる」 さめざめと泣いていることも「号泣する」
テレビ出演者や、アナウンサーまでもが当たり前のように話すのを、今でも違和感を持って聞いています。
戦後の180度変化した国の有りように、意外にも早く適応して行ったという、良くも悪くもある民族ですが、日本人としてのアイデンティティを思い起こして欲しいです。
言語の継承は、自国の歴史や文化を守ることでもあると思います。
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