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レストランでの注文時は「コーヒー"で"」?「コーヒー"を"」?

2020-01-07 | 日本語・言葉
 このブログでもたびたび取り上げてきたように,昨今凄まじい勢いで曖昧な使用法へと流されている僕たちの日本語だが,その実例の数々をユーモア豊かに解説したウェブサイト「Snufkin(参考: ケニチのブログ「樋上門下ピアノ発表会&奇妙な日本語についての面白い仮説/2008-06-08」)」が,あるとき突然閉鎖されて何年かになる.管理人氏と個人的に交流したことはないものの,「新日本語」へのユニークかつ鋭い考察,なかでもバブル崩壊後のリスク回避最優先の社会の到来が,近年のあやふやな表現のありように繋がったとする仮説は面白く,長いあいだ愛読したものだ.それだけに,予告のないサイト閉鎖はショックだったが,がんらい文章からも伝わってきた,世俗にいっさい執着しないさっぱりとした氏の人柄からすれば,いかにもそれらしい,後腐れのない見事な姿の消し方であり,今では内心で拍手を送っている.

 さて,今夜の話題は,それこそ十年以上前にすでに「Snufkin」の一トピックを飾ったもので,したがってこれから書くことはほとんどその請売りということになるのだが,僕自身やはり日ごろ気にかかるので,備忘をも兼ねていま一度まとめておこうと思う.

 レストランやカフェで出くわすワンシーンである.入店したばかりのお客のテーブルのそばへ,頃合いを見計らった店員が歩み寄り,注文を取る.そこで,次のようなやりとりが聴かれることがある.

店員: ご注文は何になさいますか.
客A: コーヒーで.
店員: かしこまりました.

 もちろん,このばあい注文は成立し,数分もすれば店員はいい香りをさせながら,あたたかいコーヒーを運んできてくれるだろう.かねてから僕が不思議なのは,客Aが「コーヒー」という単語のあとに発音した「で」という格助詞の意味である.ほんらい,この文章は「コーヒーをください.」もしくは「コーヒーをお願いします.」の省略であると推定されるので,素直に考えれば「コーヒーを.」と言えばいいはずなのである.ここでの格助詞の置換えは何に由来するのか.

 試しに,この店がコーヒーを置いておらず,客はそれを知らなかったか,あるいはメニューを読み間違えたか何かして,コーヒーを頼んでしまったケースを想定してみよう.僕が客なら多分こうなる.

店員: ご注文は何になさいますか.
客けにち: (店員さんの目をしかと見ながら)コーヒーをください.
店員: (けにちの目をしかと見返しながら)当店には置いておりません.
客けにち: …….

 まあ,こんなにぶっきらぼうに返事をする店員がいるかどうかはさておき,きっぱりとした,やや硬直的ともいえるやりとりである.さて,次は同じ状況で,先ほどの客Aに格助詞「で」を使ってもらおう.

店員: ご注文は何になさいますか.
客A: (メニューに視線を落としながら)コーヒーで.
店員: (慌ててメニューを覗き込みながら)当店には置いておりませんが,こちらの手違いでコーヒーの記載がありましたでしょうか.
客A: あ,見間違いです.そうしたら,何にしようかな.

 格助詞が一つ変わるだけで,その後の相手の出方が,より親切になっていることが分かるだろう.

 これら二通りの会話のちがいについてちゃんと分析してみると,巧妙な「責任の押し付け」が行なわれていることに気が付く.つまり,客Aの言い方は,メニューに記載のある食べ物・飲み物からコーヒーを選び出し,「じゃあコーヒー"で"いいよ」というニュアンスを含めている,ということだ.コーヒーは店側から提案された選択肢の一つとして,Aの意志とは無関係にもとより存在しており,Aはそれを選んだだけ,という受動的な姿勢になる.だから,メニューにないものを注文された店員が,自分たちのミスかと思ってぎょっとしたのだ.それに対して,客けにちは,とにかくコーヒーが飲みたくて,入店する前からそれと決めているのであり,自らの欲求として「コーヒー"を"くれ」と主張したような印象をあたえる,というより,本当にそうなのだろう.これに対して店員は,いや,そんなこと言われてもコーヒーなんか置いていないんだが――,と突っぱねることができるのである.

 ここにもやはり,「Snufkin」の管理人が指摘した,リスクに備えて自分の発言の責任を無効化しておこうとする,現代人の心理が働いていると見ることができるのである.実際,氏によれば,これも数多い若者ことばのうちの一つであり,ある世代よりも上の年齢層には,依然なじみのない言い回しであるようだ.

 そして,この格助詞すり替え,面白いことに,店員と客の立場がまったく逆になって現れる場面があるので,ついでに触れておこう.おもに,厨房から出される料理を,お客が席を立って自分で受け取りに行くスタイルの店でこれに出会うことができる.

店員: しょうゆラーメン"で"お待ちのお客様~!

 リスク回避や保身という点においては,個人である客よりもずっと,企業や店の側のほうが曖昧な日本語を使う動機にあふれているわけで,むしろこの用例こそが格助詞による曖昧化の「正しい」使いどころということになるだろう.なぜ「しょうゆラーメン"を"お待ちのお客様」でないのか,その表現の裏にあるのはやはり,上述のコーヒーのストーリーと同じ論理である.


外部リンク:
「コーヒーでお願いします」? - NHK放送文化研究所
https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/167.html
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