ケニチのブログ

ケニチが日々のことを綴っています

ソングをうたう会 ミニライブ

2018-09-16 | 音楽 - 作曲
 昼すぎ,うりんこ劇場にて行なわれた,ソングをうたう会のミニライブを聴いた.曲目としてはこのあいだの「ちゅうコン70」の縮小版プラスアルファであるが,今日は劇団の展覧イベント「うりんこぎゃらりー」の一環として開かれ,桟敷に座るお客たちだけでなく,会場の四辺から子どもらの絵や工作がステージを楽しく取り囲み,まるでソングの世界の一員であるかのように振舞っている.天井には魚の大群が行き,足もとを列車が走っているのだから,最前列で聴くちびっこは今にもそちらへ駆け出して行かんばかりである.これまで何かと出演側に回ることの多かった「いぶくろのうた」に,ようやく純粋に聴き手として対峙できたのはよかった.


ソングをうたう会 ミニライブ
【出演者】ソングをうたう会,森下芙妃 (ピアノ)
【日時】2018.9.16 14:00-
【場所】うりんこ劇場
コメント

Quattro Stagioni 第3回公演

2018-08-21 | 音楽 - 作曲
 夜,コンサートサロンブーレにて行なわれた,Quattro Stagioniの第3回公演を聴いた.ハープソロというと意外に聴く機会が少ないのであるが,曲の性格によって凶暴であったり優しくなったりと,変化が大きく飽きない.なお,今夜のプログラムでは肝心の作曲家たちの影が薄く,その点では物足らない感じも.


Quattro Stagioni 第3回公演: 山地梨保 ハープコンサート
【演奏者】山地梨保 (ハープ)
【日時】2018.8.21 18:30-
【会場】コンサートサロンブーレ
【曲目】
■サルツェード:《タンゴとルンバ》
■武藤綺音:《夜想曲集》
■ロータ:《サラバンドとトッカータ》
■ドビュッシー:《アラベスク》第1番
■小林聡:《Sketch for harp》
■ブリテン:《ハープのための組曲》
コメント

ちゅうコン70!

2018-07-29 | 音楽 - 作曲
 昼すぎ,昭和文化小劇場にて行なわれた,『ちゅうコン70!』に作曲者兼ピアニストとして出演した.いつものソングに加え,オペラ抜粋,さらには闘争歌まで,盛りだくさんの内容であるが,これを自分のことばとして,また人柄として,一息に歌ってしまうのがちゅうじ流だ.いっぽう,今日のための新曲「ねずみ」では,このごろのリハーサルでも例のなかったようなミスと中断に見舞われ,そうか,難解な音楽に轢かれて平たくなってしまったのは歌い手のほうか,などと僕はちょっと意地悪く考えるのだった.


ちゅうコン70!ちゅうじ70年目のつぶやき・・・
【出演者】ちゅうじ・岡原真弓・太田まり・井村タカオ・ソングをうたう会(うた),森下芙妃・中野健一(ピアノ)
【日時】2018.7.29 13:30-
【会場】昭和文化小劇場
コメント

おばちゃんモーツァルト拒絶事件について

2018-07-14 | 音楽 - 作曲
 「学校で習ったことなんか現場で一つも役に立たないじゃないか!」

 文字にするとまあ大げさで,ずいぶん青臭いスローガンではあるが,曲がりなりにも—そして是非とも曲がっていたいと思う—音楽に携わる人間の一人として,これはつねづね痛感する嘆きだ.もちろん,作曲科に通って現代音楽などのアカデミズムに触れるうちから,すでに抱きつつあった違和感だったのだが,あるときそれを決定付ける小さな事件が起こった.僕はひそかに「おばちゃんモーツァルト拒絶事件」と呼んでいる.いや,本当はたったいま名付けた.

 大学を卒業してまもないころのことであるが,以前から伴奏するようになっていた,とあるコーラスグループの発表会で,幕間に15分やるからピアノソロで何か弾け,という注文を得た.ふだん一人でピアノに向かっていれば,好きな曲を弾いたり漫然と即興したりしているだけなので,人前で披露できるレパートリーは少ない.さらに,当時としても,自分がこれまでに学んできた現代曲の多くが一般受けしないことはじゅうぶん承知していたので,そこで,誰もが耳にしたことがあり,ピアノを習った者なら演奏した思い出のあるような,定番のナンバーをいくつか並べてプログラミングした.これなら,コンサートに日ごろ出かけない「ライト」な客層にも楽しんでもらえるだろうという,僕なりの工夫であった.そして,第1曲はモーツァルトのピアノソナタからの抜粋.僕はステージ上で自らマイクを持って挨拶し,曲名をコールして演奏に移ろうとした瞬間のできごとで,「モーツァルト作曲の…」という僕の言葉を聞くや否や,客席最前列に座っていたおばちゃんが「何だよそんなもん!」と,ため息まじりに呟いて,本当に厭そうな顔つきで天を仰ぎ見るしぐさをしたのである.僕はこのとき初めて,もはやクラシックというジャンルが丸ごと,その存在自体で人を不愉快にすることができる音楽であることを知ったのだった.今となってはあのおばちゃん,どこの誰だったのかも分からない.コーラスメンバーの知人だったかもしれないし,たまたま会場前を通りがかって覗いただけだったのかもしれない(入場無料だった)が,いずれにしろ,多少なりとも音楽が好きでそこに座っているはずなのだ.そんな彼女をこれほど幻滅させるクラシックとはいったい何なのか.おばちゃんが見せた,あのうんざりした,軽蔑するような表情が目に焼き付いて,僕はそのあと自分の演奏がどうなったのか,何一つ憶えていない.

 この体験で僕が受けた衝撃はもちろん,自分が慣れ親しんだ音楽に,これほど嫌悪感を示す人がいる,という驚きが占めるところも大きい.だが,それ以上に,クラシックの界隈に親しんで生きていると(自分ではそうじゃないつもりだったが),モーツァルトやベートーヴェンは最も身近で,彼らの名作に耳を傾けることはごく自然な欲求と信じて疑わないのであるが,やはり,もっと広く音楽を捉える大部分の人たちにしてみれば,クラシックは所詮その扱いなのであり,何やら内輪で面白がっているだけの世界なのだ,という発見にあった.モーツァルトなんていうのは,ドレスに身を包んだ令嬢が気取ってぽろんぽろんと奏でるものであって,僕たちの日常生活にすんなり響く音楽ではないのである.それは,本当はそうじゃなくて,クラシックだって紛れもなく人々の暮らしのなかで生まれた音楽であり,楽しいものなんだということを,世の音楽家たちが,残念ながら聴き手にちゃんと提示してこなかったことの顕れであるとも思う.

 そんなわけで,以来,曲を作ったり,演奏したりするとき僕は,それが「分かる人にだけ分かる音楽」になっていないか,本当に多くの人にとって値打ちのあるものなのか,たえず自問するようになった.もう少し悲観的にいえば,聴き手はあのおばちゃんのようにあからさまに反応しないだけで,楽しんだふりをしているかもしれない,という警戒でもある.日ごろ,大勢の子どもの前で弾く機会を持つこともあるが,彼らは楽しいときには全身で楽しみ,退屈すると本当に退屈そうにする.そういう意味で子どもは最も真剣で,質の高い聴衆だ.いっぽう大人は内心で飽き飽きしても,最後までがまんして聴き,冷ややかな拍手を送って,ぶきみな微笑さえ浮かべて帰っていくのであり,こちらはそれを真に受けていては危ないのだ.

 あのとき,いったい僕が何をどう弾き,何を語ったら,おばちゃんは喜んでくれたのか.その答を探し続けることが,僕にとっての音楽活動である.もっとも,あれはもしかしたら,そもそも僕が「これくらいなら分かるだろう」とか,「これは難しいのではないか」などと,どこか思い上がった,いかにも「聴かせてやる」という態度で出て,音楽をみんなで共有しようという,いちばん大切な精神を持っていなかったことが,たまたま表面化したというのが真相だったかもしれず,その点でも未だに自責の念は尽きない.


外部リンク:
現代音楽はお好き? - 月刊クラシック音楽探偵事務所
http://yoshim.cocolog-nifty.com/office/2008/10/post-ee32.html
コメント (2)

ウインドアンサンブル愛知 第1回演奏会

2018-04-08 | 音楽 - 作曲
 昼過ぎ,長久手市文化の家にて行なわれた,ウインドアンサンブル愛知の演奏会をTと聴いた.小前曲は,いかにも弦楽アンサンブルを思わせる出だしから,徐々に吹奏楽らしいサウンドに移ろっていく様が,意外でかつ面白かった.


ウインドアンサンブル愛知 第1回演奏会 ~小編成吹奏楽の可能性~
【演奏者】服部玲子(アルトサクソフォン),ギヨルギエウ美郷(打楽器),矢澤定明(指揮),ウインドアンサンブル愛知
【日時】2018.4.8 13:45-
【場所】長久手市文化の家 森のホール
【曲目】
■塩見康史: 古き森の戦記
■一ノ瀬季生: マーチ・ワンダフル・ヴォヤージュ
■高昌帥: 吹奏楽のための「ワルツ」
■郷間幹男: コンサート・マーチ「虹色の未来へ」
■R.グリエール=加養浩幸編: バレエ組曲「青銅の騎士」より
■髙橋是清: アルトサクソフォンと打楽器のためのコンチェルト
■小前奏人: 吹奏楽のための「サブリメーション」
■平岡聖: ハンガリー民謡の主題による変奏曲〈小編成版〉
■芳賀傑: I.星屑パレット II.少年は雲を駆ける
■芳賀傑編: 春の名曲メドレー (アンコール)
コメント