ケニチのブログ

ケニチが日々のことを綴っています

広島平和記念資料館

2022-04-24 | その他
 昼ごろ,広島平和記念資料館の常設展示を観た.ここへは初めての訪問ではないが,遺品や被爆した品々といった「ナマ」の記録に向き合うことで,原子爆弾がもたらす猛烈な惨状を,改めてリアルに感じる.また,退館後も,当時の地形をほとんどそのまま残した現地を歩きながら,それまで平凡に暮らしていたはずの多数の人々に,ただ思いを馳せるばかりである.
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僕が肉を食べない理由

2021-01-17 | その他
 私は春から生物のからだを食うのをやめました――.「ビジテリアン」としての宮沢賢治の,よく知られた手紙の一文だが,やはり読むたびドキッとする.ここでの生物とは,もちろん牛や豚などの動物のことで,日ごろ人々が肉を食べることの本来の意味を,賢治ならではの率直さでよく言い当てている.農業と創作を通して,世界を一連の有機的な繋がりと捉え,そこへほとんど同化するように生き,そして死んでいった作家である.

 僕が食肉を段階的にやめるようになってから,そろそろ3年になる.とはいっても厳格なものではなく,たまにふと食べたくなって食べることもあるし,会食など社交の場では,気にせず何でも食べる.また,鶏卵や魚については,やめていない.何ともいい加減なやり方であるが,食生活はあくまで楽しく快適に送りたいという考えもあり,むやみに禁止事項やルールを作らないようにしているのだ.肉を食べるか食べないか,というごく私的な選択を,いちいち周囲に表明するのが,僕の趣味ではないということもある.

 もともとは,動物が好きで,殺される彼らのことを想像すると,食べられないという単純な理由で始めたのだが,今もそれが最大のモチヴェーションである.もう少しちゃんと言うと,「自分で殺せないと思う相手を食べない」ということである.たとえば,自分が極度の空腹で,目の前にいる牛の頭を叩いて殺し,その肉を貪らねば餓死する,という状況を想像してみると,それでもやはり,足がすくんでできないと思うのだ.そうだとすれば,絶対にできないその厄介な仕事を,他の誰かに押し付けておいて,自分は美味しい肉だけもらってきて食べる,というのはアンフェアだろう.映画『ブタがいた教室(「映画「ブタがいた教室」/2020-10-01」)』の劇中,学校で飼い育てたブタを食べるかという議論のなかで,ある児童から発せられた,食べたいと思うなら,自分で殺して解体して,それから食べてください,という訴えは,極論ではあるが真っ当な発想であり,誰にとっても耳の痛いものだ.

 食肉の是非を問うたび,「じゃあ植物は殺していいのか」との論点が登場するように,結局,僕たちは何がしかの生命を犠牲にしなくては,食事をすることができない.それを当たり前のことだと開き直って何でも食べる,ということもできるし,いや,どこで線を引くかという問題なのであり,自分は野菜と豆だけ食べよう,とか,ケモノはやめておこう,ということもできる.食べるけれど,殺された生き物に思いを馳せるというのも,無意味ではない.何が正しいというのではなく,自身の食という営みをどう捉えるのか,個々人が判断する以外にないのである.もっとも,世の中には果実しか口にしないという人たちがいて,何物をも殺さずに食事するという清らかな生き方も,じゅうぶん可能な一つの選択肢であることを実証している.

 前述のブタの映画を観ながら,改めて思い出したのが,僕が小学校時代に経験した,「鯉のから揚げ事件」である.校内の観察池(現代ふうに言えばビオトープ)で飼っていた鯉が,夜間に誰かのいたずらに遭い,胴体に木の枝切れが貫通した状態で発見されたことがあった.鯉は瀕死の重傷であったが,別の水槽に移し手当したところ,何とか生き延びてくれた.その顛末を見守った全校に,鯉の生命力への驚きと歓声が流れ,一件落着と見えた数日後のできごとである.スペシャル・メニューと題して給食に出された珍しい一品が,鯉のから揚げだったのだ.それが,自分たちの飼っているのとは別の鯉だというのは分かっているが,いかにもタイミングが悪すぎる.僕たちは食卓を前に絶句し,涙ながらにから揚げを完食したのである.誰が意図したのでもない,偶然の「食育」の機会となったわけだが,あのときのショックと,ショックのなかに味わった,から揚げがすごく美味かったことは,今も級友たちと会うと,時おり話題に上る.


外部リンク:
『宮沢賢治の菜食思想』 - ねこのひるねブログ 本のこと (2015.11.28)
http://nekohiru2014.blog.fc2.com/blog-entry-103.html
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田中泯「題名のないオドリ」

2020-01-23 | その他
 夜,シアターE9にて行なわれた,田中泯『題名のないオドリ』を観た.田中は,簡素な和服の上に分厚いコートを纏って登場し,いくつかの白いカーテンが無造作に垂れ下がった薄暗がりのステージで,うごめき,佇み,時折り足を踏み鳴らす,動きは多いがじっくりとした息の長い踊り.また,中央に据えられた椅子にたびたび腰かけ,すがるように虚空を仰ぐさまは,何か祈りか占いのような独特の静けさを持ったシーンだった.

 終演後は,たあいない内容のアフタートークあり,観客からも質問が相次ぐ和やかな雰囲気のなか,お開き.


田中泯: 題名のないオドリ
【日時】2020.1.23 19:30-
【場所】THEATRE E9 KYOTO
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田中泯「オドリ」

2019-09-23 | その他
 夜,素夢子古茶家にて行なわれた,田中泯『オドリ』を観た.田中は,店の入り口付近の土間をにじり歩いては,細長くなったりちぢこまったりする一匹の生き物のよう.そして,たびたび観客の眼前から消え,おもての路上へも繰り出すなど,ステージとその外側との線引きはいくぶん曖昧である.

 なお,前回(「田中泯「足下の悲鳴」/2019-08-26」)にも共通に感じたことだが,石原氏によるサウンドが終始威圧的かつおどろおどろしく,肝心の踊りを喰ってしまう嫌いがあるのは残念.


田中 泯「オドリ」
【日時】2019.9.23 19:00-
【場所】素夢子古茶家
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田中泯「足下の悲鳴」

2019-08-26 | その他
 夜,plan-Bにて行なわれた,田中泯のソロダンス『足下の悲鳴』を観た.初めて生で接する田中のダンスであるが,じっくりとした静止と,人体の生々しい伸縮とを往来するごくストイックなもので,主体者として踊っているというよりは,その場に流れる時間や息遣いが彼の全身を通過していくかのよう.厳粛な祈りにも見え,草花もしくは獣らの力強い営みであったり,周囲のあちこちに気を引かれてやまない,子どもの初々しさになったりする様子に,氏が映画『ウミヒコヤマヒコマイヒコ(「映画「ウミヒコヤマヒコマイヒコ/2018-10-11」)』のなかでインドネシアの農民たちの生活を評して言った「儀式・労働・遊びが渾然一体」とのくだりを思い出した.そんななか,踊りの過程でたびたび頭上の電灯のスイッチを自ら切り替えるアイディアは,一定の変化をあたえて劇的ではあるものの,あらかじめ用意された「段取り」の存在を感じさせ,ダンサーは「見られる」立場から急に「見せる」立場になったような,やや馴染まないシーンだった.


田中泯: 足下の悲鳴
【日時】2019.8.26 20:00-
【場所】plan-B
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