ケニチのブログ

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いらっしゃいませ輪唱の不快

2016-02-18 | 日本語・言葉
 このあいだ,若者ことばとしての,昼夜を問わない「おはようございます」について綴ったのだが(「午後でも「おはよう」と言うのはなぜか?/2015-12-23」),今日はやや業界寄りの挨拶のし方,「いらっしゃいませの輪唱」について書こう.
 大衆的(あえてこう呼んでおこう)な飲食店や服飾店,それからコンビニなどでは,入店すると最寄りの店員が「いらっしゃいませ」と叫び,それに呼応して店内の従業員が口々に「いらっしゃいませ」を繰返す,「いらっしゃいませの輪唱」が流行りである.この奇妙な儀式にかねてから強い不快感を抱く僕なのだが,近年ますます隆盛を遂げて,これに出くわすことなく街なかで一日を過ごすことは,もはや不可能かと思われるまでになった.どこかの旅館のように,入口に全従業員が整列して,一斉に唱和するならまだいい(迎えられるほうは少し照れくさいけれど).ところがこのごろの輪唱は,店の奥や商品棚の陰にいて,姿も見えない従業員から声がかかるからいやなのだ.本来,接客は一対一が基本であり,顔を合わせて交わすからこその挨拶なのだ.物陰から代わる代わる形ばかりの挨拶を投げつけるやり方は,コミュニケーションの方法として暴力的でさえある.彼らは,誰かの「いらっしゃいませ」が聞こえたら,オウム返しするよう教育されているからただ発声するのであって,客を出迎える気などさらさらないのである.店内の防犯効果だとか,挨拶がないことへのクレームを回避するのだとか,理由はさまざまのようだが,そのために客を蔑ろにしているのでは本末転倒だ.アルバイトが中心と思われるこれらのチェーン店にあって,従業員への教育の効率化という意味でも,この形式的な挨拶は一役買っているのだろう.水が低いところへ流れるように,意志のない組織は安直な方法論主義に傾倒する.それで,容易に予想されることではあるが,この輪唱スタイル,少し格の高い店では聞かれないのだ.ちゃんと入口に店員が一人いて,きっと上品なお辞儀を伴って「いらっしゃいませ」と迎えてくれる.こちらとしては,こういう店にこそもう一度行きたいと思うわけだ.
 こうなると,世のいらっしゃいませ輪唱は暗に,ぞんざいに扱われてもあなたは怒らないよね,あなたは安い客ですよね,との確認行為にもなっており,結果それ相応の客だけが居つくことになる.店側が客層を作るというのは,やはり真理であると改めて思うのである.

 なお,下記のサイトでは,この輪唱について,「慇懃無礼」の一言で表現している.まさにその通り,僕が言いたいのはそれだと思わず膝を打ったものだ.


外部リンク:
うるさい「いらっしゃいませ!!!」 - キャッチフレーズで、もっと売れる!
http://blog.goo.ne.jp/kf0272616617/e/23739a28f176d0e72b09a09063129c06

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2 コメント

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そのとおり (あいす)
2019-01-28 15:55:28
そのとおりですね。少しならまだいいけど 。
多くては逆効果ですね。
過ぎたるは及ばざるがごとしでしょう
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Unknown (ケニチ)
2019-01-28 18:15:59
あいす様 コメント有難うございます.挨拶は真心からしたい・されたいものですね.
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