先月26日,朝日新聞のコラム・高橋源一郎『入学式で考えた』が話題になっている.
この季節,「君が代」を歌うとか歌わないんだとかいう議論ばかりが注目されてウンザリするが,とにかく子どもたちのためではない,誰かのために入学式は存在する.戦前その「誰か」とは勿論あのヒトだったが,今はそれが目に見えない形になって継承されているのだ.
確かに世界を見渡してみると,儀式的・形式的な入学式が行なわれる国はむしろ珍しい.氏は入学式でなくて「入隊式」なのだという.日本の教育現場には,主役であるはずの子どもたちを置去りにしたカルト的悪習が,ほんとうに数多く巣食っている.そんな国に,「子どもの権利」の定着する日は遠い.
外部リンク:
朝日新聞デジタル:2012年04月26日You刊 コラムの森面
http://digital.asahi.com/20120426/pages/column_ev.html
この季節,「君が代」を歌うとか歌わないんだとかいう議論ばかりが注目されてウンザリするが,とにかく子どもたちのためではない,誰かのために入学式は存在する.戦前その「誰か」とは勿論あのヒトだったが,今はそれが目に見えない形になって継承されているのだ.
確かに世界を見渡してみると,儀式的・形式的な入学式が行なわれる国はむしろ珍しい.氏は入学式でなくて「入隊式」なのだという.日本の教育現場には,主役であるはずの子どもたちを置去りにしたカルト的悪習が,ほんとうに数多く巣食っている.そんな国に,「子どもの権利」の定着する日は遠い.
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朝日新聞デジタル:2012年04月26日You刊 コラムの森面
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