したいときに、したいことをする。
この意味と、この大切さが、あまり知られていないと思うんだ。
おばさんは、月曜日が一番好きだ。
休日はさ、家族のためにごはんを作ってあげている、やさしいおばさんなんでね。
月曜日は、平日昼間は自分の天下だと思っているのw
昨日の残りのクリームシチューを温めて、あ、昼間から酒飲んじゃお。
最近、運動してるの。だからおなかすくの。
人間は、動物だ。
動かないと、体が衰えてしまう。
朝、散歩してるんだ。30分くらい。
そして、筋トレもしている。
脚と、腹筋と、肩こり背中をほぐすための肩甲骨ストレッチと、ハムストリングスをほぐすやつ。
それで、めんどくさいとさぼるのね。
2週間くらいさぼっていたら、筋肉がまた衰えて、膝が痛くなってきた。
それでまた鍛えると、膝が痛くなくなるのね!
それでわかった。
着地するときに、筋肉が働いていないと、衝撃がもろに膝に来るんだって。
それから、体のゆがみも、筋肉が衰えていると、どんどんゆがむ気がする。
少し鍛えると、体をまっすぐに筋肉が保ってくれる感じがする。
骨が多少ゆがんでいても、筋肉が修正して支えてくれているのだろうね。
だから若いときや子供のころはゆがみなんて気にならなかったのに、
年とともに体のゆがみが気になってきて、問題が出てくるというのも納得した。
ゆがめば体が傾いているほうの膝に負荷がかかるから、痛くなるだろうし、
体のバランスが変われば歯のかみ合わせも変わってきてしまって、
かみ合わせがきついところの歯が、噛むと強く当たるから虫歯になりやすくなったり、
顎がずれてきて、顎関節症になったりする。
全部つながっているんだ。
全身の筋肉全部が大事だけど、自分のやった感じでは、脚の筋肉が衰えると、
けっこう一大事だと感じた。
脚が衰えれば、動きたくなくなるしね。
ものすごく衰えてしまえば、自力で生活できなくなってしまうもんね。
脚は、体力にも大きく関わっている気がする。
太ももの筋肉も複雑で、意識しないと足の前側の筋肉しか使っていなくて、
後ろ側のハムストリングスや内ももが衰えてしまうんだね。
それは膝に衝撃が行くはずだよなぁ。
内ももは骨盤底筋ともつながっているから、女性は尿漏れ防止にもなるそうだ。
そうか。
骨盤底だけ鍛えるよりも、内ももを鍛えたほうが効率いいかもしれない。
だから脚を鍛えるというと、スクワットとかが思いつくけれど、
いろんな筋肉をなるべくまんべんなく使って
ふだん使っていない筋肉を動かして呼び覚ますことが大事だと思った。
ムキムキになるよりも。
生きるためには。
そういうワークアウトも、いまやユーチューブ動画でたくさん配信されているから、自分に合ったものを見つけてやると、衰え防止になってとてもいいと思った。
ハムストリングス(もものウラ)を鍛えると、体も熱くなって、寒くなってきても体がぽかぽかしてくる。代謝が上がるそうだ。
最初はしんどくてしかたなかったのが、楽にできるようになってくると、うれしいし、続けたくなるのね。
こうしてどんどんワイルドに野生に帰っていくおばさんだ。
なんか、人間がどんどんロボットみたいになってしまって、くやしいのね。
だから自分は世の中と逆行して、原始人の方向を目指したくなるんだわ。
いつだって、世の中の流れと逆行したい、おばさんだ。
迎合したらおしまいだと思っている。心はロックなんだ。
若いときは、こういうことは美容のためにやっていた。
おなかをへこましたいとか、脚を細くしたいとか。
今は、衰えを食い止めるためなのねぇ。
でも、こっちのほうがいい!
なんでかっていうと、
若いときの美容目的のとき、ちょっと他人の目を意識しているよね。自己満足もあるけれど。
今の衰え防止でやっている感覚は、
自分が気持ちよく生活できてうれしいとか、動作が楽になってうれしいとか、
気力も充実してきてうれしいとか、自分の感覚や喜びにいるの。他人ではなくて。
これが、心の健康と幸せのために、ものすごく大事なんだ。
あまりにも、他人の目を中心に生きている人が多いのだと思うんだ。大人も子どもも。
すると殺伐とした世の中になってしまうの。
こういう社会も、なるべくしてなっているの。
心の視点から見ると。
他人の目や他人の評価や他人の期待に応えるために生きていると、他人に縛られちゃって自由でなくなる。そして他人と戦う。
そして、思ったようにできないと、他人に認められない自分はダメなんだと勝手に自己否定をする。
愛されたいとかもそうだよね。
愛されない自分は価値がないんだ、とか。
これだと我慢する。他人のために。
自分のよさが発揮されないし、
自分をそうやって支配すると、他人も支配する。知らず知らず。
自分より強い者には逆らえないと思えば、弱い者につらくあたる。
こうして負のスパイラルとなる。
他人の目や評価、社会の常識や価値観を中心に生きていると。
こんなおかーちゃんはこどもを支配する。
だから殺伐とした社会になってしまうんだ。家庭も学校も職場も。
お子さんであれば、親の支配や過干渉がすごければ、
自分の「うれしい」「できてやったー」という喜びや自信などの感情(=愛)が育たない。
管理されすぎは。
自分がしたい、だからやってみる。できた!うれしい、っていうのが、すごく自信で、そういう実感こそが心が育つのに必要不可欠なんだ。
これを引き出してあげて、邪魔しないことなんだ。
学校のお勉強は、すべての基礎ではあるけれど、(一部、ウソもあるかw)
心の視点から見ると、
自分がしたいというよりも、他人や世の中にに認められるためという意識でやっている割合が多いと思うんだ。
この意識のまま行くと、競争の世界に生きるようになるよね。
そして、そこから脱落すればダメなんだと思考する。
こうしてつねに勝ち負け意識で生きるようになる。
他人と比べて卑下する。
思うようにできないと自己否定するし、それ以外の生き方が見えなくなる。
でもそれは思い込みだ。
そうでない世界や生き方もあるんだ。
その状態では、他人の目を中心に生きているから、行き着く先は、他人ばかり気になって、こわくなる。
いじめたり、いじめられたり、強い者に卑屈に従ったりする。
今のこどもたち、おとなも、行き着くところまで来てしまったなと言う感じだ。
競争、勝ち負け、戦う、反抗の時代を経て、
行き着く先は、あきらめ、絶望だ。
だからヤンキーは減った。今は引きこもりの時代だ。
昔の少女漫画の主人公はパンチパーマにリーゼントだったのよ~。年がバレるなぁw
闘って他人を見るのではなくて、
自分の「うれしい」「これが好き」「できてやったー」という喜びや自信を育てているお子さんは、学校の勉強も、そういう意識で取り組むはずだ。
「これはおもしろいな、ここはつまらんな。
ここは自分の好きなことと直結している!」というふうに。
その意識だと、あまり他人を打ち負かして勝とうという意識はないはずだ。
自分の満足にいる割合が大きいから。自分が中心だ。
この感覚を育てていけば、心配いらないと思うんだ。
基本的な生きる力、感じる力が育っていくはずだから。
困難にあっても、愛があるから、ダメージ少なく立ち上がれると思うんだ。
無駄に戦わないから自分を守れるし。
いつもライバル見て戦ってると、
こういう感じの人生になっていくかなぁw
この方は、私生活もこういう感じで、
お芝居ってまったくのウソというわけでもなく、自分にないものは演じられないっていうから、奥が深いよなぁと思う。
友達にはなりたくないけど、人間の表現として、興味深いなぁと思うんだ。
なんだって芸の肥やしになるんだね。
おばさんも、そうだ。苦しかったことも、動けなかったことも。
役立てるときが来たりするから不思議なんだ。
単純にいい悪いでは語りつくせないのがこの人間界だ。
話を戻すと、
闘わないで、自分の意識にいて、
エネルギーを他人ではなく自分のために使えるほうが、
賢い子にもなると思うんだ。
お勉強も結果的にできる子になるかもね。本人に意欲があれば。
他人の目を中心に生きている大人はどうか?
世の中には少しマシな人情ある職場があったとしても、それが目に入らない。
そこに自分も行ってもいいという発想も、出てこない。
結局、あいつらのおつかいをやらされ、
なんだか戦うことが生きがいになっていく?
そういう時期を経て、あきらめ、絶望、崩壊へと行くもんなんだ。
家業を継いだ自営業の方であっても、家のため、親の犠牲になっているような意識でやっている方は、妻もこどもも支配してしまう。
自分の感情を抑えて、親や先祖の期待に応えるように生きているから、他人をチェスの駒のように動かす。
期待に応えることがその方の至上命題であれば、
家族や従業員が、それに逆らうことを言うことなんて受け入れられないから、
最初から話を聞く気がない。
よって話し合えない。
こういう支配者は、多い。
感情を感じながらコミュニケートして、相手の意思や能力を確認しながら話し合って決めるという意識が希薄だ。
全体的に仕事がザツになる。問題に気づかない。
これだと、業務のトラブル、人間関係のトラブル、お金のトラブルも多いだろう。
それで家庭まで崩壊してしまうこともあるんだ。
そうしているうちに、従業員や家庭やこどもに深刻な問題が出てきても、感情が感じられなくなっているから、もはや問題の解決ができないし、なにが起きているか、わからない。
すべての問題の本質的な解決は感情を見ないとできないんだ。
表面的な対処だけでは、ほぼ全部、問題の先送りだ。
表面的な対処で、すこし落ち着いたかのように見えても、少ししてからまた問題が噴出する。
先送りにしたぶん、エスカレートしたカタチで。
体に問題が出て、生活習慣を改善しないで薬飲んでしのぐっていうのもこれに似ていると思う。
こういうふうにして一生を終える人も多い。
それは年をとるごとに苦しくなるわけだ。
解決しないままエスカレートしていくわけだから。
だから他人の期待、評価や社会の価値観が中心の生き方というのは、つまりは支配で、こわいんだ。
こういうガタガタのトラブルだらけのところに、市場の原理で利益をかっさらいたいあいつらが、
自営業や中小企業、大企業もだな、こういった古き良き日本を壊しに来ているわけだから、
ひとたまりもない。
生き残っていただかないと、おばさんはくやしいんです。
だから、あいつらの破壊や搾取から守るには、
他人の期待に応える意識を捨てて、
自分の満足や感情にいる割合を高めて、自分を中心にしていくってことなんだ。
家や会社を守ろうと必死にやったとして、結果、そこのメンバーが全滅したら、どうなる?
逆に一時的に形の上であかんように見えても、メンバーが元気で絆が確かであったらなら、どうだろう?
こういう究極の状態を想定した、自分の発想の点検も必要ではないか?
全ての問題は、自分の感情を見ないと、相手の感情も感じられないから、問題の本質が見えず、根本的な解決ができないんだ。
業務的なことであっても、こどものことであっても。
争わなくても解決できることがわかれば、戦うことなんて、ばからしくなっちゃう。
だって闘わなくても解決するんだもん。
それは自分の感情に素直にいてOKってことなんだわ。
勝手に相手も守ることになっているから、自分を守れればそれで大丈夫なんだ。
相手の領域に入るときは、ひとこと、同意をとる必要がある。
べつに絶対部屋に入ってはいけないわけではない。
作業中に絶対に話しかけてはいけないわけではない。
ひとこと、ちょっと今いい?と相手にきいてみて、いいよ、といえばいいのだ。
こんなふうに同意をとりあうことが愛だ。
日ごろからこんなふうに相手に入らないであげる。入るときは同意をとってあげる。そんな関係ならば、心から安全だと認識しているから、その相手と近い距離で付き合っても大丈夫だ、となる。幸せだ。
この状態ではじめて、人と愛し合うことができる。
自分の感情を抑えて、他者に従うのは、素直ではなく隷属だ。
感情を抑えることしか知らない。
我慢することしか知らない。
感情を抑えているうちはダメなんだ。
抑えていると大事なことが感じ取れない。
そして、他人を支配する。
だからまずは我慢をやめることなんだ。
そして他人とぶつかるところは、話合う、同意を丁寧にとる。
あまり大事な相手でなければ、離れるだけでもいい。
べつに我慢してつきあわなくていいやと気づく。
これだけで問題が解決することもたくさんある。
それさえすれば大丈夫だから、いつも自分の感情にいて、他人ばかりを見る必要はないのね。
具体的な問題の解決について、以前にもいろいろ書いてみたことがあるんだけど、
つねにこの意識でいるために、一人でいるときでも、つねに練習ができるよということを言いたかったんだ。
それはじつに、ハッピーだ。
そして、ひどい世の中になってしまったから、ふだんからそういうモードでいられると、へんな悪魔みたいな人にばかりとらわれすぎなくていいから楽なんだ。
こうやって自分の心を守れるんだ。
自分の感覚、感情を中心にいるか?・・・これは愛。安全。快適。幸せ。楽。
他人の目を中心に、社会の常識などを中心にいるか?・・・これは我慢。争い。支配。心も病む。
これによってまったく正反対の人生になる。
全部、自分の意識がつくっている。
簡単なんだ。
自分の感覚、感情を中心にいるためには、
「したいときに、したいことをする。したくないなら、しない。」
だからわたしは、休日に丸一日ぐーたらしている家族を責めないんだ。
そのかわり、自分からやると申し出たくせにちゃんとやらないときは、うるさく言うんだ。
自分で決めた責任を果たしていないということだから。
ちゃんとできない、やりたくないなら、やると言うなと。
つまり、
自分の責任は自分で決めていいんだ。
やりたくないなら、できなそうなら、いやなら、選択しなきゃいいわけ。
人に頼んでもいいわけ。相手がいいよと言えば。
仕事も、学校も。家庭も。
学校に行くのが当たり前だから、仕事しないと生きていけないから、女性も働かなければならないから、と言うけれど、それはウソだ。
テレビ、新聞、親が友達が、そう言うからそう思っているだけで。
どういう勉強をして、どういう仕事をして、どう生きるかは自分で決めることだ。
親がそうしていいと思っていないから、こどももそうしていいと思えないわけだ。
社会の価値観に合わせるように、
自分の素直な感情を殺せと支配しながら育てれば、
それが子の人生に、カタチになってくるだろう。
これが行き過ぎれば他人が怖くて、人と関われなくなる。
それは自分の感情を抑えているからだ。
この記事に取り上げたフリースクールのおこさんが、幸せそうで成功したのは、
親御さんが行きたくないなら学校に行かなくてもいいんだという意識に完全になれたからだ。
学校が恐怖の場で嫌で仕方ないならば、学校に行くということは、自分の感情を抑えることにほかならない。
自分の感情を抑えている状態で他人を見れば、他人が怖いのは当たり前だ。
無理にコミュニケーションをとっても、うまく関われず、自信をなくし、
自分で自分を「コミュ障」とレッテルを貼っている方もいる。
医者に言われたわけでもないのに。
昔はなかった発達障害やコミュ障が問題になっている背景には、
ワクチンの打ちすぎや薬や化学物質、農薬なども関係している気がするけれど、
こういう昔とはちがう、心理的にきつい社会が無関係ではないと思う。
昔の親も、今の親以上に厳しかったと思うんだけど、
社会全体が、すこしまだのんびり自分自身でいられる余裕があったと思うんだ。
高度成長期は夢も希望もあったし。
人間が、こんなにもシステマチックに、自然から切りはなされてはいなかった。
ぼーっとしたり、虫の声が聞こえて、土が近くにあって。草や植物のにおいがして。
夕方になると、お食事のにおいがしてきて。ぐ~っとおなかが鳴る。
あ、おとうちゃん帰ってきた、みたいな。
まだ自然に近く、動物らしく生き物らしく人間らしくいられたと思うんだ。
四季の変化や、行事をみんなで楽しみながら。
現代は、
鉄筋コンクリートで、パソコンや機器に囲まれてゲームして、スマホで動画見て、鬼ごっこなどはあまりしないで、手を伸ばせばおやつがつねにある。
添加物と遺伝子組み合え油と糖分たっぷりの。
なんでもあって、便利なのに、五感や感情を感じて味わう前に、どんどん流れて行ってしまう。
こうして、自分がなくなっちゃうと思うのね。
こういう状態で、親が、子どもを社会の価値観に合わせるように、
自分の素直な感情を殺せと支配しながら育てれば、、、
ばーちゃんが対等に接してくれて、うれしかったんだよね。きっと。
そこで、自分の感情や愛を、取り戻すことができたんだよね。
昔は、じーばーや近所の人などがそういう役目を果たしてくれていたんだよね、きっと。
こういう関わりがなくなった社会。。。
どんなにひどい親でも、子は親の助けがないと生きられない。
さらに自分への愛がない、自分のない状態で、こんな世の中を見れば、狂った時代の雰囲気に飲み込まれてしまう。
おばちゃんでもそうなんだから、若い人やお子さんはもっと過酷なはずだ。
あえて、ちょっと見てみよう。
インタビューのなかで、旧約聖書や第二次世界大戦のときのアメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルトの言葉を取り上げている。。。
原子爆弾の開発政策(マンハッタン計画)[編集]
ルーズベルトは、1939年にレオ・シラードとアルベルト・アインシュタインのからの書簡を契機に、原子爆弾の開発計画であるマンハッタン計画を推進した。
1941年にイギリスからユダヤ系科学者オットー・フリッシュとルドルフ・パイエルスの記した核エネルギーの兵器応用のアイディアを伝えられ、核兵器実現の可能性が高まると、1942年6月、ルーズベルトは国家プロジェクトとしての研究着手を決意する。
1945年2月4日から11日にかけて、ソ連領クリミア半島のヤルタという場所で開催された、連合国側の戦争政策および戦後処理の問題についての話し合いを「ヤルタ会談」といいます。
参加したのはアメリカの大統領ルーズベルト、ソビエトの首相スターリン、イギリスの首相チャーチルです。
(中略)
対日戦への参戦を渋っていたスターリンに、その見返りとして日本の領土を提供することをルーズベルトは独断で決めてしまいます。
これは密室で2人だけでの話し合いで決められ、チャーチルは不在でした。
またポーランド問題で英ソが対立すると、ルーズベルトはスターリンが納得するような妥協案を提案し、チャーチルとルーズベルトの信頼関係は壊れてしまいます。
こういう日本をいじめぬいた方の言葉を取り上げて、日本の若者を励ますとは。
2022年11月10日 17時30分
2022年11月11日 21時39分
もうひとり、
32:10~
加藤厚労大臣:
超過死亡についてお尋ねがありました。
我が国の超過死亡の分析は、厚生科学労働研究班において実施されております。
その分析結果についてはアドバイザリーボードで報告されるとともに、国立感染症研究所HPにて公開をしております。
専門家によりますと、超過死亡は本年1月から8月に3万1000人から7万人にのぼり、新型コロナの感染拡大以降で最多となっております。
これまで超過死亡のピークは新型コロナの流行ピーク時に換算されていることから、その要因のひとつとして新型コロナの感染拡大の影響が指摘されているところであります。
新型コロナワクチン接種は昨年2月から開始されておりますが、この超過死亡のデータから、超過死亡とワクチン接種の因果関係を論じることは困難と考えております。
超過死亡の動向につきましては、引き続き、分析結果を注視していきたいと考えております。
予想通りの言い訳、いただきました。
(動画より)
コロナで亡くなったんでしょ?と多くの人は言うかもしれません。
今年8月のコロナ陽性者の死亡は、
7295名。(厚労省オープンデータ)
(果たして本当にコロナで亡くなった人がこれだけいるのかについては大いに疑問があるが)
昨年8月のコロナ陽性者の死亡は、
849名。(厚労省オープンデータ)
1568名。(人口動態統計、月報)
人口動態統計、月報のほうがあとに発表されて増えている。ここはつっこまないが。
1000人くらい亡くなっている。
ま、今年は昨年より、6000人くらいコロナ死が増えたとして、
死者が17845名増えたというのはなぜか?
仮にコロナで死亡が6000人増えたとしても1万人以上、説明がつかない。
そして、2月3月はなんで増えたのか?8月も。
悪魔は、その罠に落ちないように、横目で確認したら、
意識して、自分の気持ちがいい状態に帰ろうってするのはどうだろう?
生き物としての自然な自分に帰る。
したいこと、する。
したくないから、やめよう。って。
私は、パソコンにばかり向かっていると、五感が退化する感じがして、
朝は散歩に行って、新鮮な空気を吸って、植物や自然を感じたいんだ。
このとき、自分の自然な感情、感覚に戻れる。
どんなに悪魔を見たあとでも。
ちょっと寝坊して時間が遅くなると、人出が増えるのね。
それで人とぶつからないように歩かなきゃと思うとき、
他人に意識が行ってしまっているのね。
このとき、他人がわずらわしいのね。
でも、あ、いけねと思って、空気や自然や景色を感じることにシフトするの。
すると自分を中心にするところに帰れるんだ。
こうなると、人と会っても譲り合うような意識になるのね。
意識が180度違うの。
自分を中心にしているか、他人を中心にいるかで。
これも意識しないと、どんどん他人にとらわれていってしまう私たちで、今とくにそういう時代なんだ。
だから、悪魔を見ても、ちょっと切って、
自分の気持ちよさや安心、幸せを感じることにシフトしていると、
悪魔がいるとしても、自分の心がしなやかに丈夫に、耐えられる感じになっていく。
するとますますこれでなんとか生き延びられるぞって気分になっていくんだ。
筋トレも、自分がしたいからする、できてうれしい、
できなかったら、ちょっとやり方を考える。
あ、これだといいみたいって。
たまにさぼると、衰えることの意味、鍛えることの意味を実感するから、それもまたよし。
こんな感じで創意工夫を楽しんでしていれば、どんなことでもレベルが上がっていく。
こうやって実力をつけて、生きていけるんだ。
趣味でも仕事でも。語学でも、ピアノでも。歌でも。スポーツでも。
他人や社会の期待や要求に応えようとしなくても。
自分の感情や気持ちよさを発揮しているとき、周りの人も幸せなの。
あなたのためにとやられるよりも。
そういうふうに人の心はインターネットみたいにつながっているの。
だから自分だけ見てて大丈夫なの。
それで、相手とも感じあえるようになるから。
これを継続していくと、自分の意思で、やりたいことや得意なことで、実力を発揮する人になる。
仕事すら、わたしがやりたいから、する。となっていく。
この世界を知ったならば、
おれが我慢して稼いでやってるんだから、おまえも我慢しろ、なんてあほらしくて言わなくなるだろう。これは支配。
今までなんてつまんないことしてたんだろうって、思うだろう。
やりたくないならしなくていいよ、私もいやなことはしないから。となるはずだ。これは、愛。
まだまだ、人間同士、愛し合うことができない私たちだ。
自分を他人の評価や社会の常識や要求で、縛っているうちは、まずムリなんだ。
それをやめて、意識を他人から自分に転換していくことなんだ。
それはまずは、したいときに、したいことをすることからだ。
これを自分に許せるかどうか?
こんなふうに、少しずつ、練習できるんだ。