さぁ、まめぞう日本舞踊お稽古の夏休みも、本日で終わり!
明日…長月に入りましたら、舞台に向けての「再スタート」です。
そんな自分に気合いを入れる意味も込めて?!
過去の舞台を振り返って・・・!
みようかと
前回の「振り返り舞台」は、
『長唄 供奴』/2003年 秋…の舞台
でした。
・・・となれば、次は
『長唄 二人椀久』
ではありますが、
『まめぞうの噺華集』を書き始めの日…に、
まだブログを書き馴れていなかったので、写真を数枚しか載せなかった舞台についてを、
改めて書こうと思います。
2011年 秋の舞台より
『長唄 汐汲』
平成二十三年 霜月三日
花道からの「出」・・・
静々と厳かに幕開きです。
先ずは、写真を・・・(以前に載せたものではないものを…)
* 以前に載せた『汐汲』は、こちらを(クリックして…)御覧下さいませ。
舞台へ…
「汐汲」… 正に汲んでいる所
「月」を見る振りの数々
厳かな「中啓」の舞
舞台上で「烏帽子」を取って・・・
「行平 様」を想って・・・
「狩衣」を脱いで「手拭い」の舞…「クドキ」です
下手へ「引っ込み」
ここでも「反りの まめぞう」健在です
「三蓋傘(三段傘)」を持って、下手より・・・
衣装は、着替えた訳では有りません。
「差し込み衣装」で、上側(赤)を「両肌脱ぎ」しているのです。
この段は、可愛らしく!です。
これだけでも、感じがグッと変わりますね。
「三蓋傘」の舞
「中啓」にて、厳かに・・・幕。
※ 写真の角度やポーズ(決まりの場!でなかったり…)が・・・
ではありますが、あくまでも素人写真を添付。
ですので・・・
・・・・・以上、ちょっと調子にのって写真載せ過ぎましたね
では、振り返りを!
『汐汲』・・・
こちらも、日本舞踊では超有名な外題です。
(内容…としては、
松風・村雨という海女の姉妹と、その想い人・在原行平との
『松風 村雨伝説』をもとにした歌舞伎舞踊です。
詳しくは、長くなるので割愛致します )
日本舞踊のお稽古を始めると、
これまた、必ず…!?と云って良い程、
お稽古してくる踊りです。
(まめぞう も、おしょさん時代にお稽古しました。教えました。)
・・・そうなのです?!
以前に書きました、
『羽根の禿』『雨の五郎』
に続いての、
子供の…初期の頃の…踊りを、大人になって踊る!
の、集大成として臨んだ舞台でした。
(これでお終い・・・の予定が、
年を経ての今秋に『手習子』ですが )
いつも書く事(思う事)は一緒になってしまいますが、
一言で云うと、
まぁ~~~っ! 難しいの何のって、
こんなに大変踊りなのぉ~~~!!!
です。
「凛として」「厳かに」「品よく」そして「可愛らしさ」も・・・
先生からの御指導は、
それはもう、半端無いものでした(…これは、いつもの事ですが )
特に「烏帽子」を着けている所は、
それはそれは、厳しく御指導頂きました。(…主に「出」)
子供の時の…初期の時の「それ」とは違う、
大人の『汐汲』
を、教えて頂けて、且つ舞台に立てた事は、
今の まめぞう にとって、
素晴らしい財産!
と成ったと思います(恰好着け過ぎかな )
また、この『汐汲』は、
某お流派では「お名取試験」に使われる様です。
さもありなん!
と思う、まめぞう です。
おしょさん や 先生…母も、
~『汐汲』をキチンとお稽古すると、
一段上手くなる・・・「腰」がきまってくる!~
と、よく仰っていました。
それ程に、
女方の基礎が詰まった踊り
なのだと思います。
そして、
この『汐汲』の舞台の折りには、
絶対に忘れられない出来事がありました。
極々私的な事に成りますが、
(以前…昨年の舞台の折りに書いたと思います…)
母が大腿骨骨折をしたのが、
この舞台本番の十日前の事でした。
そして、手術が一週間前・・・
(その時の事を書き始めると、それだけ長々日誌になってしまうので、
割愛致しますが、まめぞう の心は…頭は…身体は…
途轍もないパニック状態でした・・・)
そんな大事な事があっても、
舞台に穴を空ける事などもってのほか!
これで踊れないのなら、踊りやめなさい!!
と、母は言います。(小さい頃からの、母の教えです…)
・・・言ってくれました。
・・・と、色々ありましたが、
↑ の様に、まぁ無事に舞台の幕は下りたのでした。
その後、嬉しい事も・・・!
おしょさん時代の大先輩!(先生や母と同期…)
『高尾ざんげ』のお稽古をみて頂いた先生!に、
~ 理想的な『汐汲』でした・・・~
との、
御言葉を頂けました。
勿論…御世辞は多分に含まれている事は承知しておりますが、
凄い!御言葉を頂けて、
とってもとっても嬉しかった・・・今でも嬉しい!まめぞう です。
明日…長月に入りましたら、舞台に向けての「再スタート」です。
そんな自分に気合いを入れる意味も込めて?!
過去の舞台を振り返って・・・!
みようかと
前回の「振り返り舞台」は、
『長唄 供奴』/2003年 秋…の舞台
でした。
・・・となれば、次は
『長唄 二人椀久』
ではありますが、
『まめぞうの噺華集』を書き始めの日…に、
まだブログを書き馴れていなかったので、写真を数枚しか載せなかった舞台についてを、
改めて書こうと思います。
2011年 秋の舞台より
『長唄 汐汲』
平成二十三年 霜月三日
花道からの「出」・・・
静々と厳かに幕開きです。
先ずは、写真を・・・(以前に載せたものではないものを…)
* 以前に載せた『汐汲』は、こちらを(クリックして…)御覧下さいませ。
舞台へ…
「汐汲」… 正に汲んでいる所
「月」を見る振りの数々
厳かな「中啓」の舞
舞台上で「烏帽子」を取って・・・
「行平 様」を想って・・・
「狩衣」を脱いで「手拭い」の舞…「クドキ」です
下手へ「引っ込み」
ここでも「反りの まめぞう」健在です
「三蓋傘(三段傘)」を持って、下手より・・・
衣装は、着替えた訳では有りません。
「差し込み衣装」で、上側(赤)を「両肌脱ぎ」しているのです。
この段は、可愛らしく!です。
これだけでも、感じがグッと変わりますね。
「三蓋傘」の舞
「中啓」にて、厳かに・・・幕。
※ 写真の角度やポーズ(決まりの場!でなかったり…)が・・・
ではありますが、あくまでも素人写真を添付。
ですので・・・
・・・・・以上、ちょっと調子にのって写真載せ過ぎましたね
では、振り返りを!
『汐汲』・・・
こちらも、日本舞踊では超有名な外題です。
(内容…としては、
松風・村雨という海女の姉妹と、その想い人・在原行平との
『松風 村雨伝説』をもとにした歌舞伎舞踊です。
詳しくは、長くなるので割愛致します )
日本舞踊のお稽古を始めると、
これまた、必ず…!?と云って良い程、
お稽古してくる踊りです。
(まめぞう も、おしょさん時代にお稽古しました。教えました。)
・・・そうなのです?!
以前に書きました、
『羽根の禿』『雨の五郎』
に続いての、
子供の…初期の頃の…踊りを、大人になって踊る!
の、集大成として臨んだ舞台でした。
(これでお終い・・・の予定が、
年を経ての今秋に『手習子』ですが )
いつも書く事(思う事)は一緒になってしまいますが、
一言で云うと、
まぁ~~~っ! 難しいの何のって、
こんなに大変踊りなのぉ~~~!!!
です。
「凛として」「厳かに」「品よく」そして「可愛らしさ」も・・・
先生からの御指導は、
それはもう、半端無いものでした(…これは、いつもの事ですが )
特に「烏帽子」を着けている所は、
それはそれは、厳しく御指導頂きました。(…主に「出」)
子供の時の…初期の時の「それ」とは違う、
大人の『汐汲』
を、教えて頂けて、且つ舞台に立てた事は、
今の まめぞう にとって、
素晴らしい財産!
と成ったと思います(恰好着け過ぎかな )
また、この『汐汲』は、
某お流派では「お名取試験」に使われる様です。
さもありなん!
と思う、まめぞう です。
おしょさん や 先生…母も、
~『汐汲』をキチンとお稽古すると、
一段上手くなる・・・「腰」がきまってくる!~
と、よく仰っていました。
それ程に、
女方の基礎が詰まった踊り
なのだと思います。
そして、
この『汐汲』の舞台の折りには、
絶対に忘れられない出来事がありました。
極々私的な事に成りますが、
(以前…昨年の舞台の折りに書いたと思います…)
母が大腿骨骨折をしたのが、
この舞台本番の十日前の事でした。
そして、手術が一週間前・・・
(その時の事を書き始めると、それだけ長々日誌になってしまうので、
割愛致しますが、まめぞう の心は…頭は…身体は…
途轍もないパニック状態でした・・・)
そんな大事な事があっても、
舞台に穴を空ける事などもってのほか!
これで踊れないのなら、踊りやめなさい!!
と、母は言います。(小さい頃からの、母の教えです…)
・・・言ってくれました。
・・・と、色々ありましたが、
↑ の様に、まぁ無事に舞台の幕は下りたのでした。
その後、嬉しい事も・・・!
おしょさん時代の大先輩!(先生や母と同期…)
『高尾ざんげ』のお稽古をみて頂いた先生!に、
~ 理想的な『汐汲』でした・・・~
との、
御言葉を頂けました。
勿論…御世辞は多分に含まれている事は承知しておりますが、
凄い!御言葉を頂けて、
とってもとっても嬉しかった・・・今でも嬉しい!まめぞう です。