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makoto's daily handmades

日々暮らすだけの生き方
写真の二次使用は許可しませんので悪しからず

大失敗印刷

2025-01-11 07:20:00 | 日記

先日、祖母に頼まれて寒中見舞いのハガキを自宅で印刷しました。

高齢の祖母はほんの数枚だから「宛名は自分で書くンだよ」と言って予備も数枚含めて渡しました。

ところが実家の農業の手伝いの休憩時間に祖母が言います。

「makotoちゃん、宛名書いて」

いやいや、ばーちゃんが宛名書くって言ってたじゃん、私が書いたら筆跡が全然違うから代筆と思われて、ばーちゃんの健康状態を心配されるよ?いいの?

 

言い出したら、それが叶うまでこだわってしまう高齢の祖母ですから、一応は抵抗しますが、代筆することになりました。

 

で。

これまで一連の様子を母が見ていまして「私の寒中見舞いも印刷して」と。

 

おい、お母さんはニイチャンに頼むことになってたろ?

 

一応抵抗するものの、これもアッサリ折れることに。

ところが最低60枚も必要とのこと。

予備入れて65枚か⋯。

印刷屋に頼めよ、と言いたくなるけれど、そこはグッと我慢です。

宛名書きは自分で手書きで書いてね、宛名印刷までしませんからね、と念を押しました。

 

ところが母の分のハガキを印刷する際にハガキのセットを間違えまして。

10枚ほど紙をムダに。

自分が悪いのはよく分かっているのですが、自分にがっかりです。

しかもそのせいで用紙が4枚不足。

また買って来ないといけません。

ふだんから、死ぬこと以外はかすり傷、と思っている私でも、この注意力散漫にはこの先、大きな事故に巻き込まれるかも⋯とまで思わずにはいられませんでした。

 

大失敗、とは思っているものの、死ぬわけではないから⋯と自分を鼓舞していこうと思います。

 


お手伝い 1月2回目 枝束ね&太枝切り

2025-01-11 07:13:08 | 労働

この日はいつもより20分早く実家へ。

日の出前で今年一番の冷え込みだったので、バイクで行くにはホントに寒かった〜。

ま、だいぶ慣れては来ていますけれどね。

 

この日は父の三七日忌なので祭壇にお供えをしてから、祖母と一緒に近くのお地蔵さまへの奉納へ。

それから農作業に取り掛かりました。

夏の暑さもさることながら、冬の寒さもなかなかです。

とくに今年は冬型が強いので雨は降らないし、乾燥が進んでいるとともに、寒いです。

で。

丘の下の畑で作業していたら、兄が丘の上の畑から「makoto、ちょっと来て」と呼びます。

そっちで何の作業?と思っていたら、農業用運搬車に取り付けている部品が取れないというのです。

イヤイヤ、兄の本気の力で取れないのに、私じゃあムリだよ⋯と思うものの、兄がテコの原理とかで無理やり取ろうとしています。

見かねて私が「機械油とかシリコンスプレーとか、なんか潤滑油になるものを注いでみたら?」と。

それでもビクともしません。

力尽くしで取り外そうとしても、運搬車の車体が浮き上がるほどです。

その様子にドン引きしている私。

兄が力持ちなのは知っていますが、ちょっとビックリするほどの力加減です。

ところが暫くして外れました。

部品が取れなかった理由は、それが挿してある穴の中に水分が溜まっていたので、それが凍結していました。

なかなか強固な凍結で、全然取れなかったという次第でした。

 

ふと思ったのですが、南関東の当地では、冬は晴天続きで果樹園の剪定作業は冬の間じゅうかけてできますが、日本海側だといつやってるの?と。

まさか吹雪の中で作業はできないでしょう?

降雪前に終わらせないと雪の重みで枝が折れないか?と。

そんなことをチラチラ考えながら作業していました。

実家の果樹園の広さは、全国平均には満たないのですが、それでも人手不足気味。

集団栽培をしている地域の果樹園は、どうやって

作業をしているのか?と不思議に思えるくらいです。

 

この冬は兄1人で剪定作業をしていまして、剪定枝の太枝切り、束ね、癒合剤塗布は母や私、ご近所のオジサンの3人がだいたい取り組んでいます。

束ねた剪定枝の運搬(運搬車利用)は兄が担っていますが、じつは私も運搬車を運転できるようになりたいと思っています。

だがしかし、ガンコな兄は「危ないから」と私には運転させないンですよねぇ。

保守的というか、別に気にするほどとことでもないのに。

兄の優しさというよりも、私には過保護に思えてなりません。

彼も過保護で育ったから、その枠からは飛び出ない性格なんだろうな。

兄の思いもあるので、私は少々じっと待つとしましょうか。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。


写経を試みる

2025-01-10 06:11:22 | 日記

父が亡くなって、初七日はお坊さまに読経していただいたが、七七日までは法要なし。

それもちょっと寂しいな、と思い、二七日から写経を試みようかと思っていました。

でも本格的な書道具は持ってないので、とりあえず筆ペンでいいから、やってみようと。

写経はいずれ本山に奉納できればいいけど、受付しているかな?とか。

そうこうしていたら、実家が講元の地蔵尊で奉納襷の切り裂きジャック事件がありまして。

しかも奉納襷の供養襷を作ることにもなりました。

それなら供養襷の中に写経を入れて奉経するか、と。

 

35年程前、般若心経の写経はしたことがありました。

私は下敷きを使わず、臨書したのでろよけ文字がますますよろけてはいましたけれど。

今回は十句観音経にしました。

文字半紙1枚に書くには大きめの文字でいいし、なによりも臨書しやすいところもいいです。

 

父のための写経も後でまとめてお地蔵さまに奉経しますが、これはお地蔵さまの帽子(頭巾)を編んで、その中に入れようかと思っています。

前掛けを縫ってその中に入れるのもいいなと思います。

三五日忌は閻魔様のお沙汰の日なので、この日にするか、七七日忌にするかは悩ましいところです。

 

このお地蔵さまは、昔からあるとしか認識していなくて、登下校の通学路にあっただけと思っていました。

奉納襷が切り裂かれたことがよほど心が沈んだのだな、と。

私は父を亡くしてまだ間もないです。

亡き父が生後1か月の私を抱いてお地蔵さまに襷を奉納してくれた写真が残って。

それを見るととても切なくなるンです。

 

お父さんも私の成長を楽しみにしてくれていたンだな、と。

 

結果、適当な人生しか歩んでいない私が出来上がったにせよ、これが家族の愛情の表れなんだな、と感じています。

でもこれが信心かどうかは微妙なんですよねぇ。

 

信心もあるでしょうけれど、誰かも知らない人物に奉納襷を切り裂かれたことへの強い反感があります。

その反感からの行動も含まれているとも感じています。

写経で心穏やかに、この事件を受け入れられる時間を設けられればいいな、と思っています。

 


奉納襷供養

2025-01-09 06:39:51 | 日記

先日、実家が講元をしている地蔵尊の奉納襷が切り裂きジャックに始末されてしまった事件をこのブログでご紹介しました。

 

私や実家の人々はもとより、親戚やご近所農家さん達も激しい動揺と衝撃が走り抜けています。

ゆえに「奉納襷供養の襷」という訳分からないけど、少なくとも講元や講中がやった行為ではないことを示すには、この供養襷を掛けることを提案しました。

実家の場合、言い出しっぺが取り組むことになるので私がやるしかないです(汗)

 

もちろん、祖母、母、兄の許可を得て、講元と講中の襷を作りました。

↑左端が講元、中央が講中

ついでなので、右端は父のための写経を中に縫い込んで納経を兼ねた奉納襷を作ることにしました。

元々、三五日忌に合わせてお地蔵さまに何かを奉納したいな、と思っていました。

三五日忌は、閻魔様のお沙汰を受ける日なのですが、閻魔様はお地蔵さまなんです。

あのお優しいお地蔵さまは、こわ~い閻魔様のこと。

とりあえず何したらいいか分からなくて、七日忌ごとに写経して7枚をまとめて七七日忌にどこかに納経しようかと思ったりもしていました。

今回、お地蔵さまが丸裸にされたことで寒々しいので、なにかで着ぶくれさせたい(苦笑)

ここのお地蔵さまは着ぶくれこそが信心の証というお地蔵さまなので。

遠方に住む親戚達も「makotoは実家の手伝いに行っているンでしょ?お地蔵さまに早く何か着せてよ」とせっつくものですから(汗)

 

奉納襷供養の襷は、麻地の少し厚めの布地にしました。

これは工作用はさみではまず切断できません。

裁ちばさみもよく手入れされたものでなければそう簡単に切れないものの、いずれは風化してボロボロになる天然繊維です。

奉経を兼ねた襷は、父のための奉納なので戒名を書きました。

こちらは綿ガーゼ地。これはわざと透ける生地で写経が中に入っていることを目視できるようにしました。

切り裂きジャックには通用するとは思いませんが、少なからず参詣する方は信心深い方々が多いので、大切なものとご理解いただければいいな、と思っています。

 

それにしても私自身、信心なんて持ち合わせないと思っていましたが、このお地蔵さまは別格に感じているんだな、と自覚しました。


書き終えたぜッ

2025-01-08 05:07:50 | 人々

当地での松の内が終わりました。

昨年末に父が亡くなって、ちょっと困ったのが年賀状。

年賀状をすでに投函した方もいらっしゃる時期だったので、喪中はがきが出せる状況になく。

寒中見舞いで全部お知らせすることに。

すると、文面がちょっと困る…。

1、すでに喪中はがきをくださった方

2、年賀状をくださった方

3、年賀状が来なかったけれど忌中であることをお知らせしたい方

 

私にとっては父だけど、MIFさんにとっては義父だし。

なかなか種類が多くなってしまいそうです。

そこで、ぜーんぶ手書きすることにしました。

↑もう、よろけ文字だけれどこれでいいじゃん、って。

とくにMIFさんと私の連名で年賀状をやりとりしている方もいるので、単に「父」と書くと、MIFさん父と勘違いされても困る方には父のフルネームを書いたり。

私の父を示す場合は単に「父」と書いた方がいい場合もあるし。

これが意外とややこしくて、心落ち着けて書ける時間にコツコツ書いていました。

筆ペンで書いて、失敗してもいいように切手はあとから貼るタイプ。

そして5枚ほど書き上げてから今年が令和7年と気づく…。

令和6年って書いちゃったので、全部シュレッダーへ…さようなら〜(涙)

 

ここ25年以上も年賀状は殆んどプリンタ任せで一言なにかメッセージを書くばかりでした。

今回の寒中見舞いは、枚数が少ないのにムチャクチャ大変でした。

いや、訂正。

合間にお地蔵さまの由緒書きづくり、フォトブック作成、祖母の分の寒中見舞いはがきづくり、F叔母への焼きそばソースの手配等自ら背負った忙しさのせいもあったっけ。

 

でも、手書きのはがきなんて滅多にもらうことが少ない時代ですから、お相手に届いた時に印象に残ったら嬉しいです。

それと同時にMIFさんとの共通の友人から年賀状じまいのメッセージをいただきました。

非常に残念ですが致し方ありません。

もう何年も会っていませんからね。

これまでありがとう、という気持ちでいっぱいです。


奉納襷

2025-01-07 14:31:07 | 日記

年末に祖母が縫ったお地蔵さまの奉納幕。

ブログ記事にもしたからご存じの方もいらっしゃるかと思います。

↑これね、これ。これが12月30日。

私は幕を撮影したけれど、この奥のお地蔵さまの姿をよく見てくださいね。

1月1日にはこの姿になっていて、地域の農家の皆さまが腰抜かすほど驚いたンです。

 

お地蔵さまが丸裸にされたッて。

 

当地のお地蔵さまは、子どもが生まれたら、お宮参りの際にもこのこのお地蔵さまに立ち寄って、襷の奉納をします。

この襷をもって、地蔵尊との御縁を結ぶというものなんです。

 

例えばこんな感じ↓

これ、私と先日亡くなった父。

父が生後1か月の私を抱いてお地蔵さまにお参りしています。

この時に奉納襷をお地蔵さまにかけて、これが朽ち果てるまでそのままにするものなんです。

だからお地蔵さまの足元には江戸時代からのボロボロの布切れが山積みでした。

それを勝手に捨てちゃった人がいまして。

というか1本だけ残して切り刻んで、その残骸が近くの神社のお札入れに突っ込んであったそうです。

オマエは切り裂きジャックかッ!

しょうがないから松の内が過ぎる1月8日付で貼り紙をしましたよー。

↑私の祖母とお地蔵さま。

祖母はお地蔵さまを信仰していますから、ムチャクチャ激怒。

怒りを諌める方法が分からないくらいです。

祠の中と外側に、このお地蔵さまと襷の由緒書きを作りました。

 

いけ好かない小金持ちばかり住んでいる土地柄とはいえ、江戸時代中期から信仰されているお地蔵さまの奉納物を勝手に切り刻むなんて、ホント、この地域はいけ好かないヤツばかりだわ。

 

他人が大事にしているモノを勝手にどうこうしようなんざ、どうせろくでもないヤツだ、という結論さ。

 

私が10歳くらいの時、あまたある襷をかき分けて、ボロボロでもちゃんと懸かっているのを見つけた時、親の愛を感じたものでした。

その時に見た私より年長の兄の襷はまだボロくなっていなかったから、いい布地を使ってンな、とか。

そうやってお地蔵さまの周りで遊んだ記憶も全部切り刻まれた気持ちです。

 

私は実家にはもう住んでいませんが、この土地を離れてもお地蔵さまを拝んでいる方々は多いのです。

 

この松の内は、ご近所の農家の皆さまも寄っては顔を突き合わせて「お地蔵さま、どうしちゃったの?」とヒソヒソ話。

 

あいつか?あいつなのか?

って。

お地蔵さまの前には芝生敷になっていたのですが、芝生と雑草の区別ができない人が草むしりと称して芝生を駆逐するという事件がすでに発生しています。

その人はお地蔵さまのところで野良猫にエサをやっていましてね、お地蔵さまにネコの写真だとかを飾っているとか。

農家の皆さまは「おらが大事な孫と畜生を混同するンじゃあない」と不快感を持っていまして。

 

皆さまも、ご近所のお地蔵さまや道祖神さまなど昔から村人に大切にされてきた崇拝の対象や風習は、自分勝手な判断で蔑ろにしないでくださいね。

私のような土着民根性の持ち主は、物凄く切ない気持ちになってしまいますから。


お手伝い 1月1回目 枝束ね

2025-01-07 06:31:41 | 労働

久しぶりのお手伝いです。

そしてこれが今年のお手伝い始め。

昨年最後のお手伝いの日は、父危篤の知らせで2時間くらいで終わり、すっ飛んで父の元へ駆けつけたンだっけ。

もうそんなことが発生しないんだな、と改めて父が亡くなった実感がしました。

だがしかし、午前10時半頃から雨が降ってきたのでこの日のお手伝いは3時間でした。

内容は枝束ねなので、ひたすら枝を畳のヘリで束ねて行くだけ。

簡単ではあるのですが、なかなかコツがありまして。

チッパーで剪定枝を粉砕する作業を経験したことで、理想的な束ね方というものが存在することに気がつきました。

これはやってみないと分からなかった、と言えます。

 

さてこの日、当地でまとまった降雨は久しぶりでした。

これまで晴れ続きでよかった点は、農作業が予定よりも早く進んでいることくらいでしょうか。

でも実家の場合は父の葬儀関係で農作業が停滞したので、例年より少し進んでいるくらいの進捗だそうです。

 

ただねー、兄は父の死でなかなか気持ちが沈みっぱなしなのかな?と感じる場面も。

それにひきかえ、私がアッケラカンとし過ぎているから兄が戸惑うみたいです。

私は父がもう苦しさ、痛み、寂しさから解放された存在になったことで、安らぎの気持ちの方が強くなってきています。

兄は悲しみや寂しさ、1人で背負い込む荷物の多さに不安のピークという感じ。

立場の違いが、感情の違いを生んでいるな、と感じています。

 

それとこの日は、父の写真で作ったフォトブックを母に手渡しました。

四十九日の法事の席で回覧するフォトブックは別注する、と伝え、今回の分は母用にするから、と付け加えました。

というのも、母用のフォトブックを回覧すればたぶん汚れが付いて母が残念な気持ちになることでしょう。

回覧用を廉価版で作れば1冊1,000円以下。

もうこれは廉価版で作って汚れても気にならない、誰に見せてもいい、と割り切れるようにしておく方が後々スッキリするンじゃあないかと。

だってフォトブックの構成は、基本的に母のための思い出集ですから。

 

それと祖母から寒中見舞いはがきを印刷するように頼まれました。

すでに例文を持参していたので、文面は話し合って決めました。

はがきは次来る時に渡します、と祖母に伝えました。

でも…高齢の祖母には待てないかも、と思い直し、帰宅後すぐに印刷して郵送しました。

昨年10月に郵便料金が改定されて、定形50グラムまでは110円で届きます。

実家まで往復する手間を考えたら、110円のなんとお安いこと。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。


久しぶりの福袋

2025-01-06 06:30:09 | 日記

先日、何の気なしに立ち寄った有隣堂(ゆうりんどう)という書店の店頭で文房具福袋を見かけました。

 

え?これで1,100円?

絶対買うべきだよ!

 

とビックリするような内容なので購入してきました。

小さなクリアファイル、シール、便箋、封筒、ポチ袋、はがき箋など。

合計で6,000円分くらい入っていました。

ちょっと使い道がなぁ…と思うのは紙製マスクホルダーかな?

でもね、これって本当にスゴいアイテムとも言えます。

コロナ禍のたった3年ほどしか世に出回らなかったし、この先こんなマスクホルダーは再販されることはないンじゃあないかな?

あと50年もしたら博物館行きアイテムです。

そう思うとなんだか愛おしいンですよねぇ。

ま、ほかに使い道が見つからなければ、工作の素材くらいにはすると思いますけれど。

 

手紙という文化はそろそろ無くなっていくものなのでしょう。

ちょっとしたメモ帳は残るかもしれませんが、封筒も便箋も紙製品は廃れるでしょうねぇ。

だってメッセージアプリで十分じゃあないかな?

その点、私にはまだ使い道があります。

売れ残りだとしても、私にはとてもお得感がある福袋でした。


F叔母に頼まれたので

2025-01-05 11:21:09 | 人々

正月早々、四国のF叔母から電話あり。

「makotoちゃんにお願いがあるンだけどぉ〜」

 

あ、これは面倒なお願いだな、とすぐ分かる声色でした(苦笑)

F叔母は3人姉妹の末っ子。

長姉である私の母、次姉であるS叔母はいずれも面倒くさがり。

F叔母のお願いごとは「自分で何とかならないモノはハナから手を付けるな」と言い返されてしまうのです。

F叔母のムスメのKちゃんはそれに輪をかけて面倒くさがりで「母さんができないことは私もできない」と話も聞かないタイプ。

その点、お人好しの私は何とかしてあげたくなる…それくらい子どもの頃にお世話になったF叔母のお願いごとです。

F叔母が「徳島じゅうのお店を探してもないから送って!ブルドッグソースの焼きそばソース、ブルドッグよ!それを3本」とのこと。

 

調べてみると、ブルドッグソースの焼きそばソースは、歯磨き粉チューブくらいの大きさ。

F叔母は、昨夏、祭りで食べた焼きそばが美味しくて、そのソースがブルドッグソースだったとか。

大阪文化色濃い徳島県平野部に住んでいるので、粉モンをよく食べるンだろうなー。

それならば、業務用のことかな?と。

画像はお借りしました。

3本で重さ約6キロ。

いろいろ調べていたら、MIFさんが送料無料でそこそこのお値段のサイトを見つけてくれました。

 

それが先日、叔母宅に届きました。

さっそく電話があり「ナニコレー!大っきいよー」とのこと。

 

そりゃあ言い返しましたよー。

だって3本って言ったじゃん、って。

ご近所付き合いもちゃんとしている叔母ですから、多かったらご近所のお友達と分ければいいじゃん、それでも余るなら地域の行事に寄付すればいいじゃん、とも。

F叔母のことですからあとは何とかしてくれることでしょう。

 

F叔母も年数回上京するようになってきましたが、逆に叔母とはあと何回会えるのだろうか?とも思うようになってきました。

来月、父の七七忌に来てくれるそうですから、とりあえず今年は1度会えるので楽しみです。


フォトブック届く

2025-01-05 05:25:04 | 人々

注文していた父のフォトブックが届きました。

A5サイズ、72頁です。

表紙は両親の結婚50年記念で行った九州で撮影したもの。

画像は加工してあります。

 

↓中身はこんな感じ。

(↑無断転載禁止)

父の写真以外の方は画像加工しています。

父が高校生の時、修学旅行先の九州での写真なので、ざっと64年ほど前の写真でしょうか。

 

写真は、葬儀の際、参列者の方々がお待ちいただくスペースでスライドショーとしてモニターに映し出しました。

親族はゆっくり見ている暇はありませんから、七七忌でこのフォトブックを回覧していただければいいか、と割り切りました。

 

編集した私には「お父さんのファンブック作っているみたい…推し活はお父さん?」という気分でした。

 

このフォトブックは、この先、母が時々広げることがあればいいな、と思っています。

なんだったら将来、母の棺に入れてほしいと願うのなら、それでもいいかな?という自画自賛の出来栄えです。