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makoto's daily handmades

日々暮らすだけの生き方
写真の二次使用は許可しませんので悪しからず

お手伝い 4月12回目 摘果

2024-04-30 07:24:20 | 労働

この日は、両親、兄、私の4人で摘果作業でした。

この時期は服装がとても難しいです。

最近は実家までバスで行くことが増えたので、バスに乗れる服(!)、農作業は泥汚れがつくので専用の作業着、帰りもバスに乗るからバスに乗れる服…。

実家では祖母も母も私よりもずっと背が低くて痩せ型なので服を借りることができません。

父は私よりも10センチ、兄は25センチそれぞれ背が高いからこれまた服の兼用はムリ。

 

着替え等はリュックに詰めて背負って行くものの、量には限界があります。

天気予報では、日射しがあるかどうか、風の強さと風向きが重要で日々悩ましいです。

 

前述のように服はサイズが合わなくて実家で借りられないのですが、靴も然り。

私のサイズは女性にしては大きめの24.5センチ。

これまでは長靴が朝露対策で重宝しましたが、そろそろ運動靴の出番かもしれません。

 

さてこの日は、人生で初めての言葉に出会いました。

母「今年は随分グリグリしてるね」

兄「そうだね、思ったよりもグリグリだね」

私「グリグリって何?」

 

グリグリ…果そう(果台の上の部分)に結実した果実が充実していて、たわわな感じのこと。

ローカルな言葉なのか、実家でしか通じないのかは分かりません。

昨年も同じ作業を手伝っていてのですが、今年はホントに分かりやすいです。

昨年は、選択肢がない中で仕方なく残すという感覚で作業していました。

今年は選択肢がある中で選抜した果実を残す、という感覚があります。

 

それなら今年はいい果実が収穫できるのか?となると、今後の天候(日照量、雨量、風、降雹等)次第でまだまだ不確定要素ばかりです。

それに今年はすでに開花は遅かったのですから、全般的には昨年よりも10日分くらい遅れています。

昨年は大型連休前に今の作業は終わっていたし。

 

気がつけば、農業にどっぷりハマりつつあって、人生何があるか分からないなーと思っています。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。

 

 

 


今年もベルマーク

2024-04-29 06:28:33 | 日記

今年もベルマークを寄贈しました。

個人で集めているのでそれほど多くを集めることはできません。

協賛企業も少なくなっているのでちょっとだけです。

ここ1年くらい、ポテトチップスを食べることが増えたり、ずっと愛用していたのに見落としていたベルマークを見つけたり。

どこかでどなたかのお役に立ってくれたらいいな、と思っています。


お手伝い 4月11回目 野菜畑&摘果

2024-04-28 08:28:20 | 労働

この日は両親、兄、私で作業。

私はバス停に向かう途中、なんだか雨降りそう…。

ここで兄に電話すれば良かったのですが、そのままバスに乗車したのでマナーモードに。

すると兄からの電話があり、こちらからメールすることに。

兄は小雨でもやれる作業はあるからそのまま実家に来て、とのこと。

結局午前10時過ぎまで実家で待機となり、この日は野菜畑へ。

野菜畑は小さなスペースで3か所に分散しています。

そのうちの1番広い畑で果菜類の苗の植え付けでした。(実家では1番広い野菜畑だけれど野菜農家から見れば家庭菜園並の狭さ)

↑キュウリ苗。

ロッカー式直売所で販売するだけなので10鉢です。そもそも狭い畑で何種類も栽培するから。

↑黒マルチを敷いて、苗を植え付けて、支柱を立てて完了。

この他にトマトの誘引、インゲンの種まき等をしました。

いずれも19年前に亡くなった祖父から教わった知識が今頃になって役立っています。

父は野菜農家の出身ですので父の指示の元に兄、母が働き、私はさらに兄の助手扱い。

あとは野菜畑の草むしりを少し。

祖父の生前は雑草なんてぜーんぜん無い整然とした野菜畑でした。

少々人手不足気味の実家の野菜畑は、往時の姿とは少々違います。

 

あとは昼休みを挟んで摘果です。

その間も、父が通院したりその送迎に母が中抜けしたり、兄が別作業したり。

なかなかやることが多いです。

 

前日は父が眼科に通院し、白内障手術について母同席の上で検討することになりました。

じつは父は今年、免許更新の年。

どのご家庭でもありがちな、免許返納について問題勃発中です(苦笑)

免許取得から60年以上の父が周囲に説得されて泣く泣く返納は、不本意の3文字が付いてまわるのは目に見えています。

 

免許が要らないシニアカーという選択肢もあるよ、とは伝えたものの、父からすれば「あれはダサい」という感覚みたいだし。

返納一辺倒の説得は母や兄に任せることにします。

私は父と運転の思い出を話す方法を取ることにしました。

父にとって思い出深いのは、高校生の時に中古の750ccバイクに乗ったこと、結婚してから、母や叔母達と大阪万博に行ったこと等でしょうか。

最後に私が「お父さん、バイクの後ろに乗るなら私が運転してあげるよ」と誘ってみるまでがいつもの流れです。

運転免許証は、父にとって人生の相棒と思っているのですから、そう簡単にお別れはできません。

緩急つけて説得するしかないのだろう、と思っています。

次回も楽しくお手伝いしたいです。


お手伝い 4月10回目 摘果

2024-04-27 06:33:27 | 労働

この日は、両親、兄、私で作業しました。

兄は途中で防除作業をしていたので、残りの3人で作業していた時間が長かったです。

 

この日は私のクローゼットからン年ぶりに登山用杖を持って行きました。

杖は2種類3本です。

1本はT字型杖で、私が左足を骨折後に通勤でも暫く使っていたタイプ。

残りの2本は、I字型杖で2本1組。

私が骨折した時にこの2本杖があったから、少しは歩く助けになったタイプ。

 

これらは果樹園等で父に使ってもらえたらな、と思っています。

父は介護保険の範囲で杖も購入しているのですが、新調した杖に泥が付くので使えない(苦笑)。

何のための杖なんだか。

 

たしかに当地の農地は黒ぼく土、その下の層は関東ローム層の赤土ですから、土が付くと泥汚れが他の地域と比較にならないくらい落ちにくいです。

私のお古のストックなら汚れてもあまり気にならないかと思いまして。

 

父にはまだ杖を積極的に使う雰囲気はありませんが、そのうち使わないと丘の上の果樹園へ行き来することはできなくなるでしょう。

できないことを嘆くよりも、できることを少しでも長く維持してもらいたいと、個人的は思っています。

 

この日は摘果作業ですから、同じ仕事の繰り返しで共同作業で12本くらいできたかなぁ?という作業量でした。

今は予備摘果なので、いずれは本摘果します。

本摘果は収益に直結しますから、恐らく兄と母でやるのかもしれません。

父が予備摘果をすると、やり残しが多いそうです。

そのため父が摘果をした後を私がおさらいして、やり残しを仕上げていきました。

父は果樹園での仕事をしたいので、私はこの状況でも父ができる範囲でやってくれればいい、と思っています。

 

この日、昼休みに母がご近所まで買い物に出かけました。

15分くらいの外出だったのですが、母が出かける姿を見なかった父。

私がなだめすかして父に「すぐ10分くらいで帰ってくるから座って待っててね」と言う場面が何度か。

父の表情が迷子の子どもみたいで、ムチャクチャ不安そうでした。

私もいずれは行く道です。

父が果樹園や野菜畑で働きたいと思う限り、働ける環境が維持できればと思います。

次回も楽しくお手伝いしたいです。


東京の上野をフラフラしてきました

2024-04-26 06:34:41 | 遠出

上野の国立科学博物館で大哺乳類展3が開催されるのを知ったのは先月。

大哺乳類展(陸・海)、大哺乳類展2と見に行ったので当然3も見に行きたい…。

行くのを失念しないように、前売り券を買っておきました。

そしてMIFさんが「せっかく行くなら、御徒町駅の近くのうさぎやでどら焼きも買いたい」とのことで、やっと予定が合ったので行ってきました。

 

写真多め&長文ですので、お暇な時にお読みください。

 

まずは御徒町駅から徒歩でうさぎやさんへ。

どら焼きの有名店で、初めて行きました。

焼き立てを食べるのがいい、とのことでまだふんわりと温かいうちに近くの公園でいただきました。

「makotoは小麦製品を食べないのでは?」と思った方もいらっしゃるかと。

たしかに殆ど食べないのですが、どら焼きの場合、副食材が多い、ふくらし粉を使っている、重量の割に小麦粉は多くないので、少々消化不良を起こす可能性はあっても食べました。

いやー、美味しかったです。

中の餡がとろっと柔らかくて珍しい…というかどうやって餡を挟んでいるのかな?挟むのが難しいよなぁ、と思わずにはいられません。

 

さてここから上野公園を目指して歩きました。

上野公園の入口までは徒歩で5分くらい。

数週間前までは桜の花見で賑わいがあったようですが、今はすっかり新緑が眩しい季節です。

公園内を歩くと、黄色く色づく木が見えました。

MIFさんが「あれ何?」と尋ねてきました。

一瞬、紅葉したイチョウのような色合いに首を傾げましたが、これはモッコウバラです。

モッコウバラは、つる性なので多くはフェンスや外壁に這わせることが多く、こんなに大きなモッコウバラは私も初めて見ました。

↑国立科学博物館の本館(日本館)です。

うさぎやさんからは徒歩10分くらいで到着しました。

本来はここが正面入口なのですが、私はここから入場したことがありません。

いまは、要人など特別な入口なのかと思います。

SLの脇の通路から入場して、特別展会場がある地球館へ。

大きな骨格標本や剥製など目を見張る展示ばかりです。

今回は分類に関する最新の情報がたくさんありました。

20世紀までの分類とはすでに変わっていて、聞いたこともない分類になっていたり…。

私が高校の生物の授業で学んだことなんて、もう全然役立ってないなーって。

知識は常にアップデートしないと、ホントに陳腐になっちゃうンだなぁ、とため息混じりで実感しました。

特別展のミュージアムショップでは、今回の展示に合わせてヒグチユウコさんのイラスト絵はがきの販売がありました。

手に取ったら、ちょっと躊躇したのですが3種類購入しました。

躊躇の理由は、紙が思ったよりも薄かったからです。

ヒグチユウコさんのポストカードボックスでは十分な厚みがあってお気に入りなのですが、今回は普通はがきと同等くらいでした。

それと印刷の仕上がりもちょっとなぁ…。

ヒグチユウコさんが狙ってこの仕上がりならいいのですが、仕上がりが眠くなり過ぎませんか?と感じました。

 

今回の展示では、収斂進化、心臓の構造、消化器の構造が印象的でした。

そこが目玉でもあったように思います。

 

地球館の常設展も見てきました。

こんな感じです。

そしてついでに屋上で一休み。

ハーブガーデンがあります。

上野駅の線路が眼下に広がり、その先に東京スカイツリーが見えます。

↓逆サイド

眼下に上野の森が広がり、奥に霞んで小さく見えるビル群は池袋方面。

新宿は左側のビル群の奥にあるみたいでここからは見えませんでした。

昼食時間は、小学生達がここでお弁当を広げて昼休憩をするようなスペースです。

この日は午後に屋上広場に立ち寄ったので、とても静かでゆっくり過ごせました。

通り抜ける風が心地よかったです。

帰りに日本館のミュージアムショップ(常設のショップ)に立ち寄りました。

ボタニカルアートの絵はがきを購入しました。

暫く絵はがきを新たに購入するつもりがなかったのに…。

場所ボタニカルアート作品展の入賞作品の絵はがきなので小学生が描いた作品も含まれます。

が、これホントに小学生が描いたの?と思うくらいステキな絵柄でした。

そしてちょっと疲れてしまいまして、日本館は見ずに帰宅しました。

 

疲れた理由の1つに、博物館内の気温が私には低すぎて身体が冷え切ってしまったンです。

自動販売機も季節柄、冷たい飲料しか販売がなくて。

私のように身体が冷えやすいと、体温調整が難しい季節になったなぁ、と。

 

今回も遠くまで一緒に展示を見に行ってくれて、MIFさんありがとうございました。


コウチYさんからのメール

2024-04-25 06:03:43 | 人々

学生時代の同窓生、コウチYさんこらメールが届きました。

彼女は結婚こそ私よりも早かったのですが、お子さんは中学生になったばかり。

お忙しいなか、連絡をくれて良かったです。

彼女が住む高知市は、先日の地震で震度3だから恐らく大丈夫。

そう思っても、正常性バイアスのせいで思い込み発動するのはちょっと違うかな?と思いまして。

でも案の定大丈夫でした。

入手しづらい物資もなく、普段通りの生活が送れているそうです。

 

私もホッと一安心です。

というのも、コウチYさんとの共通の同窓生、フナバシYさんのことがあるから。

フナバシYさんは第2子がまだ3歳頃、乳がんになりまして7年の闘病の末に亡くなりました。

当日の私は「きっと大丈夫、ちゃんと治療もしているし」と思い込んでいたのです。

だから最後の年賀状で、いつもより小さな字でちょっとヨレヨレした手書き文字を「私とはもうあまり交流する気ないかな?」と思い込んでしまいました。

それは彼女にとって、必死に手書きで書いた文字だと気がついたのは亡くなった時。

だから友達関係には「きっと大丈夫」はあり得ない、私が心配だと思うならちゃんと確認する、と決めたのです。

今回、コウチYさんと連絡をとってホントに良かったです。

 

そしてこれまた共通の同窓生のサクラKさんに「コウチYさん、地震の影響ないそうよ」とお伝えしました。

サクラKさんは情に厚い方なのですが、ほんのちょっとだけ忘れっぽいところがありまして。

 

30年来の友人達が今も元気でいてくれることは、ホントにありがたいことです。


お手伝い 4月9回目 ネギ&摘果

2024-04-24 08:23:25 | 労働

この日は両親、兄、私、あとから義姉で作業しました。

私が作業小屋に向かうと父しかいません。

父の作業を手伝おうとしたら「ネギの植え付け手伝ってきて」と言われてしまいました。

ネギの植え付けって今やる作業だっけ?と思いつつ野菜畑に行くと、兄と母が作業中。

小さな畑とはいえ、この日は摘果作業のつもりで用意していたので、参ったな…。

手袋、靴、服はそれぞれ作業に適したモノを使わないと疲れやすかったり、余計な泥汚れを着けちゃったり、何かとイライラの原因になります。

でも、ネギの植え付けをやりましたけれどね、やれって言われたから(ブツブツ文句言いながらですけど)。

 

さてメインの作業は摘果です。

前回のお手伝い記事で、講習会ノートの内容を載せましたが、今回は実際の作業風景から。

↑摘果前の枝

↓摘果後の枝

ちょっとピント問題はありますが同じ枝です。

 

↑摘果前の果そう。

↓摘果後の果そう。

光線とピント問題はありますが、同じ果そうです。

講習会ノートと実際はかなり違うところがあります。

父「何番果は気にせず1番大きな果実を残せ」

母「形がいい大きいのを残せ」

兄「大きくて形が良くて枝や鉄線と干渉しないのを残せ」

もう、三者三様で違うのよねぇ(ため息)。

 

私は兄の言い分を信じて、なおかつ病害虫がついていないモノを選んでいます。

理由はここの農業経営者は兄だから。

いくら両親の言うことでも、兄の言葉を尊重します。

 

さて摘果とは、常に命の選択をすることと同じだな、と思います。

摘果は大きくて美味しい果実を作り出せる作業です。

逆に言えば、少しでも成長不良があれば容赦なく切り落とされます。

種(しゅ)としては、次世代に命を繋ぐために種子を作るし、種子を遠くに運ぶ手段として果実を作るのですが、摘果は人間の介入によって強制的に果実の選択をします。

 

実家の果樹の場合、一本の果樹で摘果で1万くらいは切り落としているンじゃあないかな?

それが数十本もあるンです。

今年はまだ大丈夫ですが、去年は右手の親指と人差し指の間が筋肉痛になりましたから。

 

さて今年は赤星病が少ないです。

↑花びらの付け根のオレンジ色の部分が赤星病の病斑。

もし果そうの中で1番大きくて形が良くても、この病斑があるものは切り落としの対象です。

この他にも、黒星病、ダニ等の食害があれば切り落とします。

 

実家の周辺では、カイヅカイブキ等のビャクシン属は少ないンです。

とくに公園は市の方針で植栽にありません。

地元の植木屋さんもカイヅカイブキが赤星病の媒介をするのをご存じなので植えません。

SDGsなんて言っても、デベロッパーが開発した土地には見栄えでカイヅカイブキを植栽しちゃうンですよねー。

一方、地元の植木屋さんは、地元の植生にあった植栽にしてくれるのでホントにありがたい存在です。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。


老眼

2024-04-23 08:36:24 | 健康

自分が老眼になったな、と気がつく瞬間はいつなのでしょうか?

私は43歳の時になんでこんなに見えないんだ?と思った時が最初。

でも眼鏡を作り変えても微妙にいつもしっくりこない…。

今、日常生活用、老眼用、ハズキルーペの3つを使っています。

どれも微妙な感じなんですよねぇ。

 

元々乱視が強くてなかなか焦点が合いにくい視力なのに、ここに老眼発動でさらによく見えなくなっているように思います。

もう若い日のような視力には戻らないンだな、としみじみ感じ入っております。


タイミングが難しい

2024-04-22 07:23:19 | 日記

時々通る道は、白いハナミズキと白いツツジが咲く美しい街路樹があります。

↑車内から見るのがとてもいいのですが、ハナミズキはもう終わりに近く、ツツジはまだ早い…。

2年前、たまたま通過したら、ハナミズキとツツジが同時満開でそれは見事な白い風景、夢かしら?と思うくらいでした。

 

昨年も同時満開にならず、今年も難しいみたい…。

 

場所はJR横須賀線(品鶴線)の新川崎駅〜武蔵小杉駅間の南側。

線路と三菱ふそうトラック・バス本社敷地の間の直線道路です。

たまにスピード違反の取り締まりをしています(脇道に白バイがいますからご注意ください)。

歩道から眺めても美しい道路ですが、車で通過すると花に囲まれて春を祝福するような眺めです。

ただし脇見運転にはご注意ください。


サクラKさんと会う

2024-04-21 08:49:09 | 人々

先日、新宿でサクラKさんと会いました。

サクラKさんは学生時代からの友人で、後日参加予定の同窓会の出席メンバーの1人です。

埼玉県出身の彼女は、学生時代新宿駅で乗り換えて通学していたのですが、さすがに30年近く前ですから今の新宿駅周辺が分からない、と。

私はそもそも新宿駅は誰かに連れて来てもらわないと来たことがなく、ぜーんぜん土地勘がありません。

でも同窓会では車椅子で出席予定の同級生もいるし、ちょいと下見しようか、と言うことになりまして。

それに新宿アルタが来年2月に閉館するそうですから、見ておくかー、と。

 

駅ホームから会場までバリアフリールートをたどってみたら、天候に左右されにくいのは良い点。

それよりも、新宿駅のこんなに混雑するところやこんなに狭い通路を車椅子で通るの?と思うことばかり。

なによりもJR新宿駅ホームはどこにもホームドアがないンです。

ホームは水ハケの都合上、緩やかだけれど必ず線路に向かって傾斜があります。

駅構内や地下街もそこかしこに傾斜があって、ここを車椅子で通るのか、と。

新宿なら、都庁もあるし、東京オリパラのお陰でバリアフリーが進んでもっと楽に移動できると思っていました。

正直、ここは発展途上国か?と思うような感覚にもなりました。

思っていた以上にバリアフリーなんて進んでいない状況にただただ驚きでした。

なによりも会場がねぇ…。

会場と同じ階には通常のお手洗いがあるのですが、多目的トイレは別階のファッション店舗のレジ前(通路も狭い)を通過しなければなりません。

公共の多目的トイレもインターフォンで遠隔操作をしてもらわないと解錠できないタイプだったり。

どこぞの芸人がゲスい不倫なんかするから多目的トイレがそんな扱いになのよねぇ。

ホントに必要な人が気軽に使えないだなんて、もうため息です。

 

地下街でサクラKさんとランチをして、それから南口の宮崎県アンテナショップのKONNEに行きました。

サクラKさんはご両親が宮崎県出身で、自身も20代の頃に宮崎県の高校で教鞭をとっていました。

だから宮崎県に対する思い入れが一入です。

そこからまた少し歩いて喫茶店に立ち寄ったりしてきました。

30年以上の友人と楽しいひとときを過ごし、やっぱりサクラKさんと一緒にいるのは楽しいな、と感じました。

同窓会も楽しめるように願っています。