1923年の今日、関東大震災があった日です。
今とは違って震源地の特定はふんわりとした情報しかありません。
小学生の頃、2学期の初日でしたから、始業式のあと親が迎えに来ることが恒例行事でした。
ま、うちの母のことですから、兄だけ迎えにきて私のことをスッカリ忘れて帰っちゃったことはほろ苦い思い出です。
母はそのことを言わなかったけれど、兄がウッカリばらしてしまい、両親のケンカのネタになったっけ。
まぁ、うちの母はそう言う人だから、両親のケンカのネタはたいてい母による私の扱いが雑という内容。
それはさておき、当時の影響から。
じつは震災による死者の多くは火災によるものです。
これは阪神淡路大震災の時も火災被害の大きさがなんとも大きかったです。
犠牲者は10万人を超えているのも火災の凄まじさによる要員が大きいです。
震源地は相模湾でしたから、じつは東京よりも神奈川県の方が倒壊などの地震そのものの被害は大きかったけれど、火災による死者は東京が人口密度も高いから多かったのです。
そのためか、私が子どもの頃の防災訓練は、地震の防災訓練と火事の防災訓練は別々にやっていました。
地震が起きたことによる火災発生の防災訓練をした記憶がありません。
今にして思えば、曾祖父から関東大震災のことを聞いておけばよかったと思っています。
明治29年生まれでしたから、27歳ですでに所帯を持っていたので、それなりに体験を聞けたはずなのに、今となっては悔やまれます。
祖父は大正9年生まれで当時3歳。
地震そのものの記憶は無いそうですが、自警団を結成するために当時の村長さんの庭に若い衆が集まっていたのを覚えていたそうです。
もっとも、その村長さんは自分の祖父(要するに祖父の母親の父)だったから、母親に連れられて行っていたらしいです。
私の実家周辺は今でこそ住宅街が広がりますが、昭和40年代に東急田園都市線が開通するまでは、川崎市と言えども田舎で、交通手段もバス以外は無かった土地柄、陸の孤島。
そんな田舎の農村でも、地震後のデマ「センジンが井戸に毒を入れる」は届いていたそうです。
そんな田舎の農村だった私の実家周辺も、私が育った時代にはかなり住宅街も増えていました。
前述の2学期の始業式では、校長先生からお決まりのセリフがでます。
「関東大震災では混乱状態から、朝鮮人が井戸に毒を入れるというデマが発生し、多くの朝鮮人が亡くなりました。大震災の時にはデマを流したり、デマに騙されてはいけない」
まぁ、こういう話は南関東ならだいたいどこの学校でも聞かされるのではないかな?と思います。
もしこの話に対して「火のない所に煙は立たない」と先生の前で言おうモノなら、まぁ、そりゃあ怒られましたよねぇ。
同級生でそれを言っちゃった子がいましてね、いやぁ、そりゃあもう、スゴかった。
先生ったら顔を真っ赤にしてまさに烈火のごとくでしたよ。
振興住宅街とはいえ、川崎市ですからねぇ、あとはお察しで。
さて、このデマの発生地、だいたい「京浜工業地帯で働いていた朝鮮人が住む周辺」と言われています。
私は学生時代に歴史を学んでいました。
時代もバブル崩壊後でした。
ちょうどこの頃、地方史という学問が体系化されてきたことと、バブル期の豊富な資金により、各地で自治体ごとの市町村史が編纂されました。
私はふと気になって東京湾沿岸の自治体の関東大震災の項目を読み比べました。
するとどうでしょう、どこの自治体も「〇〇方面からデマが流れてきた」と書いており、決して自分の自治体が発信源とは書かないのです。
それがデマの本質なのか、それとも自治体の名誉のために書けなかったのか…。
また時を経て、平成になると庄屋さんや村長さんだった方、いわゆる市井の知識人と言われる方々の日記が読み下されて刊行されて行きました。
私が印象的だったのは、神奈川県秦野市の村長さんだった方の日記。
村内にいた朝鮮人の生命の危険にさらされる可能性があるからという理由で、関西方面への列車が運行されるのでその列車に乗せる手配をして逃がしたという記述です。
その列車は東海道線ですが、今とは違い、小田原や熱海を通るのでは無く、現在の御殿場線が東海道線でした。
関西方面に避難する列車も多くて、この辺りはたしか朝ドラ「ごちそうさん」でも取り上げられていた記憶があります。
あれ?朝鮮人って強制連行で連れて来られて、川崎市辺りだ臨海部の工業地帯で強制労働でつらい思いをしていたって、小学校で先生方が話していたではないか、とふとよぎるのです。
秦野市は、現在ではほぼ生産していませんが、当時は専売品のタバコを栽培していたことで有名な地域でした。
専売品を生産する場所って、結構裕福なんだよね…、と思い出す私。
そんな場所でなんで朝鮮人が住んでいるの?と。
しかも関西方面に朝鮮人を避難させるための列車?と。
どうもその対応に村長さんが警察から要請を受けて朝鮮人を保護するという記述を見て、なんか、学校で習ったことと違うなぁ、と。
戦前の日本では朝鮮人をこき使って、死ぬほど大変な思いと苦労をかけたって聞いていたのに。
そしてこの辺りの話をMIFさんにしました。
彼は震源地に近い地域の出身で、箱根の噴火や富士山噴火に備えた防災訓練もしている地域の出身。
ただし関東大震災のデマはもっとマイルドに習っていたみたいです。
だから二言目には「お前さんは川崎市で育ったからな(笑)」という具合。
まぁ、なんだ、大人になると私が出会った学校の先生の多くは真っ赤っかだったことに気づける訳で、そのまま何も疑わずに生活したらそのことさえも気が付かなかった訳か…。
あな、恐ろしや。