1度目の父の危篤を迎え、一旦小康状態。
とはいえそう長くはありません。
今後次々に決めなきゃならない時を迎えるので、その前に少し見学と分からないことを尋ねに、母と2人で葬祭場で説明を受けました。
準備がいいことで…と思われても仕方がありませんが、どうにも年末年始あたりに父が最期を迎えるのかも、と漠然とした感情が湧いています。
それとこれまで自宅葬しか経験がないわが実家。
これまで利用してきた葬儀屋さんから、ほかの業者さんにお願いすることになるので勝手がわかりません。
当地では、亡くなってから葬儀は5日後くらいが多いです。
年末年始は混み合いますから1週間〜10日後ということも。
それに実家の菩提寺はいろいろあってなかなか都合がつかないこともあります。
それを思うと、決められることは決めてしまおう、用意できることはやっておこう、と。
なによりも、父は何事も普通が一番、という性格。
例えば、ケーキなら苺のショートケーキ、アイスならバニラ味以外は選ばない頑なな性格です。
できればその性格に合うような選択をしたいな、と思うのは私だけ。
なにかと不用意に母がお花畑発言を連発するのには閉口しました。
あれもこれもと母が思い付きを口にするので、私は内心「少しは黙ってろ!」とギリギリした気持ちでした。
元々、母は夢見がちな性格でありますが、ここまで酷かったんだ…。
それと喪主。
てっきり母が務めるつもりなのかと思っていたら、兄がやると言い始める…。
じゃあなんで、ここに兄がいないのよ?
兄が私に押し付けたから今回母に付き添いました。
だから私は母が喪主を務めるつもりなんだと思っていたのに。
なによりも兄が喪主を務めるとなると、予定している兄の治療は中断するじゃあないか、と。
連続して治療した方がいいはずなのに。
なんだか溜息たっぷりだわー。
世間体のためには、兄の治療は後回しなのねぇ。
なんというか、もう言いようがないですねぇ。
コメントを長々と、しかも自分の場合を書くのは良くないことなんだけど、私の長野の家の場合です。
30年ぶりの葬儀は私の妹でした。
病院から紹介された葬儀屋さんにお願いしました。
自宅葬でも通夜から本葬まで遺族は何にもしなくてもよくなっていて、母は驚いてました。
あんな宴会にしか使えない山のような食器なんて要らなかったんだって。
それから父と母はその葬儀屋さんの互助会に入会し積立ててました。
次が私の父でした。
十数年の間に、今度はコンパクト葬儀時代対応になってました。
私の父は90まで生きてしまったので、それも助かりました。
お金はなんせ互助会の満期2回もクリアしていたからに貯まっていたけど、大型葬儀が多い会社だったので、だだっ広い会場にちんまりではと懸念していたのです。
こじんまりとした会場を用意してくれて、でもまだ珍しかったみたいで、社内からたくさん見学に見えてました。
ちなみに、互助会の積立は母の強い希望で返金してもらわずに全額葬儀に使いました。けど、こじんまり葬儀で全額といってもとうとう使い所がなくなって、菩提寺の住職がこんな立派なお棺初めてや!と驚いた鳳凰が舞ってるお棺でした。
お父様はたぶん参列者がものすごいと思います。
私の母方の伯父の時は、ロビーに大型ディスプレイを設置して入りきれない弔問客対応してました。
伯父は酒を酌み交わすことが大好きでした。葬儀にこんなにたくさん来てくれるなら、なんで生前に訪ねてくれなかったかとも思いましたが。
長々と本当にごめんない。
気を悪くしないでね。
最後の親孝行、どうかご自愛しながら頑張ってください!
実家の吊戸棚や収納の奥底には、とうてい使い切れないほどの食器類が長年保管されています。
30年ほど前の自宅葬では使ったのですが、20年ほど前の自宅葬では茶碗と茶托くらいしか使いませんでした。
今回も茶碗と茶托、しかも使う個数もグッと少なくなりそうです。
時代とともに様々な考え方やしきたりは変化するもの、と思っていましたが、コロナ禍以降の葬儀は本当に変化が激しいです。
今回、葬儀場の見学と説明を事前に受けておいて本当に良かったです。