makoto's daily handmades

川崎市多摩区・登戸辺りをウロウロする

所用のため、小田急線向ヶ丘遊園駅近くに行くことになりました。
知らない方は知らないけれど、小田急線の向ヶ丘遊園駅と登戸駅は歩いても10分弱の距離です。
登戸駅なら、自宅の最寄り駅からJR南武線だけで行ける駅です。
それなら、登戸駅まで電車移動し、散歩がてら向ヶ丘遊園駅近くの目的地に行くことにしました。

今回はいつも以上に華やかな写真がありません。
枚数も多いのでお暇なときにどうぞ。


南武線登戸駅。
以前、正社員として勤務した企業の研修所は小田急線沿いだったので、その頃は時々使っていました。
1番最近は、ハローワーク通いの時に暇を持て余して散歩しながら武蔵溝ノ口駅から歩いたとき以来かも。もう3年前の話。


小田急線登戸駅下の高架下。
こういう風景はいつ見ても好き!


小田急線の高架橋沿いに多摩川に向かいます。
※用事がある向ヶ丘遊園駅とは逆方向なので、このブログ記事を参考に登戸駅から向ヶ丘遊園駅に向かうことはできませんので悪しからず。


多摩水道橋。
多摩川にかかる橋で、対岸(多摩川左岸)は東京都狛江市。
この橋の少し上流は、三浦しをんさんの小説「風が強く吹いている」という箱根駅伝をテーマにした作品の舞台です。
今期アニメ化されて、背景に多摩水道橋を確認したときにはちょっとテンションが上がりました。
橋好きには、そんな一場面でテンションが上がります。


小田急線の橋脚。
普段は東急東横線、JR横須賀線、東海道新幹線の鉄道橋ばかり眺めているので、小田急線の橋脚がとても最新鋭に感じます。
小田急線は複々線化などで、橋が少し新しめだからかもしれません。


私が普段多摩川の14キロあたりをウロウロしているので、ちょっと上流なんだな、と確認できました。
この辺りは、高校生の頃に何度か来て、橋を眺めながら友達とおしゃべりした場所です。
もう30年近く前ですから、多摩川の河川敷の様子も随分変わってしまい、橋は水道橋も小田急も架け変わり、面影らしい面影も無くなっています。

その分、風景に未練もなく、当時の友達とももう連絡先も知らないです。
それでも高校時代の思い出はどうしてあんなにキラキラとしたモノに感じるのか不思議です。

さて気分を取り直して、再開発地区に向かいました。

登戸周辺の再開発地区。
3年前もこの町を散歩しましたが、まだまだ工事中なのか、と少々驚きました。
しかもまだこれから取り壊しなのだろう、と思える建物が多いこと!
まだまだこれからなんだ…と。


登戸の柏屋。
ここは歴史ある日本料理屋で、私の中では、登戸辺りで宴会といえば柏屋という感覚です。


敷地内にはこんな看板も立っています。

私は学生時代に、川崎市内の脇往還について調べた事がありまして、登戸は津久井往還(今の世田谷町田線、通称セタマチ)の宿場町でした。
何よりも職人の街でもあります。
建具屋、畳屋、仕立屋(呉服も洋服も)が多い印象です。
これには理由もありまして、多摩川の対岸は狛江市、調布市で大映の撮影所がありました。
また同じ多摩区内には生田スタジオ、対岸の世田谷区には砧スタジオがあります。
そうすると、撮影関係の需要がありまして、大道具さんや衣装さんの発注がかなりあったと聞きました。
元々職人の街だからこそ、需要に応えられたそうです。

これも以前勤務した企業のお客様から教えていただきました。
多摩区は梨の生産が盛んな場所と認識していたので、職人の街は過去のことと認識していた私には驚きでした。

次に丸山教(まるやまきょう)の本庁へ。

丸山教は、明治時代からの新興宗教です。
新興宗教といっても、富士信仰の1つです。
なによりも私が敬愛している祖父(故人)は、この丸山教の教場であった登戸静修校(のぼりとせいしゅうこう)に通っていました。
新興宗教というとどうしても誤解を受けやすいのが残念でなりませんが、明治時代から戦前までは、近隣農家では絶大なる信仰を集めていました。
簡単に言うと、昔は富士山に登るには富士講等の講中にならないとなかなかそのチャンスがありませんでした。
それは農家にとっては憧れでもあり、楽しみでもあった訳です。
その憧れの実現のためには、効率よく現金収入を増やすとか、お金のため方等も教えてくれたら、とても助かります。

そう、丸山教はそういうことも教えてくれるのです。
中でも登戸静修校は、農村のリーダーを育てるという目標のために、農業技術の他にも、自警団の組織に役立つ剣道などの武道なども教えてくれたそうです。




この記念碑の周りに柵ができていてこれ以上は近づけませんでした。
祖父の遺品の中には、この石碑の前で同級生達との集合写真がありました。
たぶん25年くらい前に建立されたのだと思います。

今日は、丸山教が運営する丸山幼稚園の餅つき大会だったみたいです。
保護者の方々が入れ替わり立ち替わり出入りしていて、私はちょっと場違いな感じに…。




狛犬はあまり見たことがないデザインでした。
ちょっと中国風に感じました。
私が見慣れているのは、溝の口の石工(内藤家)のモノなので、思わず「内藤一族ではないなぁ」と思ってしまいます。
石も近隣の狛犬に見られる伊豆石では無さそう、なんだか白っぽいなぁ、と感じてしまいます。



丸山教本庁の近くで見かけました。

あれ?太助ちゃん?なんだか違う…。
太助(たすけ)は川崎市消防局のキャラクターですが、防火服の色が緑色なんて見たことがありません。
よく見ると顔と身体のバランスが公式とちょっと違う…。
どうやら消防団が自主的に描いたのかな?と。
3年前にも登戸静修校の記念碑を見に来ていますが、気がつきませんでした。
最近描かれたのかな?

さて、今日はいつもの靴ではないので、少々足がだるくなってきたので目的地に向かうことにしました。
でも、再開発のために通行止めの場所もあったり、私の記憶の中にある地図とはちょっと変わっていて、すぐ近くまで来ているのは分かっていてもちょっと迷子気味でした。


思わず撮影した看板。
16年前、私は休日夜間に急激に体調をくずし、MIFさんにこの診療所に連れてきてもらいました。

しゃべることもシドロモドロで記憶もいちぶぶっ飛んでいたくらい絶不調で、なんとなく「このまま死んじゃうのかな?」と頭に浮かんだのを覚えています。
この診療所が多摩区総合庁舎の一角だったことは知っていましたが、あの時の記憶が曖昧で、夜間だったこともあり、改めて見るとこんなに小さい入口だったか、と。

あの時は診察してくださった当番医が、私も知っているとある病院の医師でした。
親切な診療だとは知っていても、カタコトの日本語の方でしたから、何を言っているか理解できず、不安倍増でした。
今となってはいい思い出(?!)です。

さて、ここから向ヶ丘遊園駅方面に向かいました。
ちなみに向ヶ丘遊園は小田急系の遊園地でしたが、今はありません。
跡地の一部には、ばら園や藤子不二雄ミュージアム等があります。

コメント一覧

makoto
jun-sweetsさんへ
緑色の防火服の太助ちゃんは、消防団のキャラクターだそうです。
わが家のご近所には消防署がありますが、消防署では見たことがなかったので、なんだろう?と疑問に思いました。
太助ちゃんは10年くらい前からあるキャラクターですが、これまで一度も見たことがなかったです。
市のキャラクターでは、消防署の消防隊員や救急隊員バージョンがあり、市の費用で運用しています。
では消防団は、誰が版権を持ち、キャラクター管理をしているの?と疑問に思いました。
文化施設で働いていると、版権や著作権関係には、十分に気をつける必要があるので、なんだかよく分からない権利がどこかに生じてそうでモヤモヤします。
jun-sweets
こんばんは(^^)
消防局のキャラクターなんてあるんですね。
しかも微妙な違いに気づくなんて(@_@;)
広島にもあるのかしら?
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