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makoto's daily handmades

日々暮らすだけの生き方
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死んでも元気でね

2025-02-02 07:48:42 | 人々

父の法事があり、この日は納骨もしました。

 

タイトルの「死んでも元気でね」。

元々は「モーばあちゃんの自由帳」というブログに登場した言葉です。

すでにこのブログは閉鎖されたので読むことができません。

端折って書くと、モーばあちゃんことウッシーさんのお孫さん「かりん孫」ちゃんが、小学生の時に亡き母に書いた手紙に書かれていた言葉だそう。

当初、私はその言葉に「亡母の思い出がまったくないと、実感や実態を掴みにくくて、メルヘンチックな言葉になるのかな?」と思ったものです。

 

ところが。

私は50代になって父を亡くしたのですが、どうも「お父さん、死んでも元気でね」と思っているのです。

遺骨が祭壇にあった時はまだなんとなく、やっと家に帰ってこられたね、と思っていたのに。

納骨が終わって父が「あの世」に本格的な旅立ちとなり、最後のお別れのように感じたと思ったら、自然と「死んでも元気でね」と送り出した気持ちになりました。

日常生活の目の前にお骨、骨壺という実態から、納骨という非日常空間へお骨が行ってしまったせいなのかもしれません。

 

法事のあとの会食の席で、ご住職さまから「あなたがフォトブックを作られたmakotoさん?よくあれだけおまとめになられましたね。本当に良かったです。故人のお人柄が偲ばれました」と声をかけられました。

MIFさんに「ご住職さまから声かけられたの、ビックリしちゃったよー」と先の内容を話したら、「故人のフォトブックを作る人は少ないンじゃあない?」とのこと。

ほかの列席者の方にも「フォトブック、作るの大変だったでしょ?」と声をかけられましたが、謙遜でも何でもなく私にとっては、手間はかかるけど苦にならなかった、1冊千円せずにこんなにも効果絶大だったのか、と思うほどです。

 

父の法事ですから、亡くなったとはいえ列席されたみなさまには、父を身近に感じてほしいな、と。

 

納骨では20年ぶりに開いたカロートの中を覗き込んでおきました。

父は生前、カロートの中には骨壺が8個入ると話していたそうですが、どう見ても6個しか入りそうもありません。

父の遺骨で4個目の骨壺でした。

母の話では、改葬した時に先祖代々のお骨をまとめた骨壺、曽祖父、祖父の骨壺がこれまでに入っていたそうです。

父の骨壺だけは名前入りですが、あとの3つは名前なしでした(私の記憶でも曽祖父、祖父は名前なし)。

カロートに骨壺がいっぱいになったら、古いお骨からカロートの底に撒いていく、と聞いています。

さて一番古い骨壺はどれなんでしょうね?

 

それと相続のことも相続人で少し話しました。

母の思い、兄の思いはそれぞれありますが、私は兄に一任。

義姉は⋯様々な用語が分からないみたいであまり意見を言いませんでしたが、売却一択でしょうねぇ。

兄は涙ポロポロ流しながら「これまでうちでは果樹園の農地を売却したことないのに、オレの代で果樹園を維持できなくてスマナイ」とのこと。

兄は進行性の病気がありますから、いつまでも元気に営農できないのは承知のうえ。

なおかつ兄の娘2人は農業後継者になることを拒否。

すでに義姉が実家の農業をもり立てるつもりがないことも露呈している訳ですから、兄の焦燥感たるや計り知れません。

私とて様々な理由はあるにせよ、将来、実家の農地が散逸しないためには、自分自身は子なしで生きていくと婚前に決めていたので、私の人生設計がここで狂ったのか、とも。

 

ただ1つ言えることは、すでに実家の営農実態では、私のお手伝いなしには成り立たなくなっていること。

私自身、そんな営農実態に急速に陥るとは、1年前には想定できなかったです。

さてこれからどうなっていくことやら。

 

お父さん、死んでも元気でね。

ま、農地はなるようになるさ、ニイチャンが考えてくれてるンだもん。

農家の当主は生前から自身の死後の布石を打っていないと、とくに都市部の農家は農地を維持できません。

父はその布石の打ち方が上手かったな、と思えばこそ、父の偉大さを遺族になって初めて実感しています。



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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (kinntilyann)
2025-02-02 08:53:03
死んでも元気でね!
ん!

毎日お疲れ様です。

ま。
気にすんな。
突然に来る。

専業農家の当主が亡くなり、金になる農地だったから、妻は次から次へと売り払い、豪勢な生活にシフト。
それでも離農はせずに残った農地で耕作していた。
その妻も亡くなった。
子供は60代3人。長女長男次女。全員既婚の子持ち。
長男は平等に全部3等分するつもりで、相続にあたり姉と妹に意向を確かめたら、2人とも土地はいっさい要らない現金希望。
どんなやりとりがあったんだかは
わからないけど、長男は承諾後に、自分に遺された土地を自宅敷地を残して全て売却。
母と息子であれよあれよいう間に長年続いた農地は全て消滅しました。

長々とごめんなさい。
2年ほど前に見聞きしたことです。

今日は節分だ。
良い1日でありますように(⁠^⁠^⁠)/
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Unknown (makoto-hizikata)
2025-02-02 11:21:14
うさぎさん、コメントありがとうございます。
私には、父とのお別れに一区切りついたんだ、という納得の気持ちが強いとても強いです。
死んでも元気でね⋯これが一番しっくりくるとは、思いもよらなかったです。
今後は相続のこと。
つい数年前までは、私が生きているうちは実家は農家というのは揺るぎない事実と思っていました。 
だがしかし、農家間ではよく聞く、当代限りの贅沢三昧生活を義姉も送りたくて仕方ない状況です。
それを否定すれば、すなわち兄の人を見る目が節穴であることを実証すること、その兄を育てた両親がポンコツだったことになりますから、私には受け入れざるを得ません。
私は諦念をもって相続人になるのか、と心してことに当たりたいと思います。
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