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makoto's daily handmades

日々暮らすだけの生き方
写真の二次使用は許可しませんので悪しからず

お手伝い 4月2回目 花摘み&人工授粉

2025-04-06 05:33:00 | 労働

この日は、兄が開葯器を使った花粉採取の量が多い、と言っていたので、早めに実家へ。

タケノコ掘り上げが大変かと思いまして。

ところがタケノコは6本しか収穫なし。

それでも値付けとパッケージ作業と自販機へのセットは私がやることに。

 

休日なので早朝散歩の方も多くて、あっと言う間にタケノコ完売。

仕方なくフキを自販機にセットするも、そちらも早めに売り切れでした。

 

この日はまず簡易温室の花摘みから。

あとは果樹園の中、土手、果樹園の端と花粉採取用の果樹から摘み取り、たぶんこの日か次の日で摘み取りは終了です。

兄によれば、とりあえずは翌年分までの花粉はカバーできたようで、残りは冷凍保存します。

ただし、昨年はたくさん冷凍保存できたそうですが、発芽率検査はあまり結果が良くなかったたのこと(研究機関で検査済み)。

発芽率の良し悪しも、翌年以降の結実を左右するのでまたもや悩ましい問題にはなります。

 

さて、昨冬は果樹の掘り上げ作業を盛んに行いましたので、今年は成木が前年よりも少なくなっています。

その代わり新苗を植えていますが、5年程は改植による端境期になります。

ゆえに人工授粉の作業も少し負担が減ります。

加えて実家では、昨年から本格的に電動授粉器を全面的に導入したので、さらに楽になっています。

さらに果樹園の一部は今年いっぱいで生産をやめるので、来年は楽になるはずです。

その分、収穫量も減ってしまうので、来夏の直売所シーズンはとても苦戦するでしょうねぇ(困)

無いものは無い、と諦めることになりそうです。

また晩生種の果樹は半減しています。

もう現代の温暖化の気候に果樹が負けてしまいまして、枯れ込んだり木になったまま果肉崩壊を起こしてしまうからです。

 

その跡地には、今年はハヤトウリを育てることにして、来年以降は柑橘類を植える予定だそうです。

当地の果樹園に柑橘類が植わると、たいてい放置園になったり、後継者不足、人手不足を意味して、離農の始まりという感覚が私にはあります。

もう後戻りはできないところに来ているンだな、と思うばかりです。

 

さて。

この日は土手で作業をしていたら、兄に話しかける方がいました。

私はちょっと離れたところにいたので内容は分からなかったのです。

あとから兄が話すには「土地を売ってくれ」という不動産屋だそう。

 

あほか。

 

不動産屋なのに生産緑地法の仕組みを知らないだなんて、本当に宅建持ってるのかよ、と。

長袖シーズンとはいえ、半袖着れないような人じゃあないの?

そんなの相手にするなよな、なんで道端でそんな話するんだよ、誰が聞いているか分からないンだよ。

危なっかしいなぁ、ニイチャン、誘拐されたり、犯罪に巻き込まれるぞ、と。

 

ま、それくらいのことは言わずにはいられません。

気のいい農家のオジサンな兄。

駅前の再開発事業が始動する予定があって、それに関連して農地を買い漁ってやろうという有象無象がやってくるに決まってンじゃあないか。

当地は50年以上前に鉄道系デベロッパーが区画整理に参加して開発をしています。

ゆえに当地の農家は、そのデベロッパー以外はほぼ相手にしません。

理由はここ50年で流入してきた住人は、隣地に開発計画が起きるとたいてい反対運動をします。

それを抑え込んでくれるのは、当地を開発してきたそのデベロッパーくらいですから。

反対運動をする活動家の皆さまは、農地を売った農家に家に押しかけて詰め寄るなんて、ここ50年で何度も耳にしてきたことです。

活動家がデベロッパーには強訴できなくても、1軒の農家にはそういう行為をするのが世の常です。

ここは野良道の一部。

私が小学生になってから作った野良道です。

私はこの風景が好きで、時代劇にでも出てきそうな雰囲気があります。

※実際には人工物が少々あって、撮影には何かで隠す必要がありそうです。

ここの土手にはスミレが咲いていました。

この竹は2月に切り出して、積んでおいたもの。

切りたては青竹でしたが、すでに青みが抜けた色合いになっていました。

 

実家が離農するまで、お手伝いができればいいな、と思う日でした。

次回も楽しくお手伝いしたいです。


お手伝い 4月1回目 摘蕾&花摘み&人工授粉

2025-04-05 07:14:30 | 労働

この日は3日続いた雨のあと。

これはタケノコが出てきて朝の準備が大変だろう、とちょっと早めに実家へ。

雨後のタケノコ⋯と思ったら、3本しか収穫できなかったそうです。

冷たい雨でしたからタケノコも地中でそうそう育たなかった、というわけです。

 

この日も摘蕾、花摘み、人工授粉を順番にやっていきました。

作業はこれまでも何度も書いているので割愛します。

で。

午後3時までで私は帰宅。

帰宅しようとしたら、雨がパラついていました。

でもバイクを走らせて1キロくらいで雨が止んだので、実家周辺もそう多くは降らなかったンじゃあないかな?

人工授粉は、授粉後3時間以内に降雨があると無効になってしまいます。

少しなら無効にはならない⋯とは言われていますので、ちょっと心配かなぁ。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。


お手伝い 3月5回目 人工授粉&摘蕾&花摘み&播種

2025-04-01 06:02:47 | 労働

この日は微妙な曇り空。

ちょっと早めに実家へ行き、まずはタケノコ掘り。

前日にたくさん収穫したというのですが、急に低温になったせいか小さめ4本だけの掘り上げました。

タケノコ掘りは、2年前までは兄と父、昨年は兄と母がしていましたが、早朝から体力奪われる作業なので自主的に手伝おうと思いまして。

結果、掘り上げに失敗して1本はまるまるダメにしました(涙)

ただ掘り上げたばかりですから生のまま少々齧ってみました。

パンダはこの味が好きなのかー、と感慨深くなりました(通常は生食は勧めません)。

さて私にとっては今期初の人工授粉から始めました。

昨年同様、ハンディタイプの電動刷毛を使いました。

晩生種は花が8分咲きくらいで、中生種は1分咲きくらい。

晩生種は昨年、一昨年と比較すれば少しまし、という開花状況です。

昨年の晩生種は結実しても販売に至らない果実が殆どで、最盛期の5%ほどしか販売できませんでした。

温暖化、猛暑によって晩生種はすでに南関東では生育が困難になってきていて、大産地千葉県でも同様の被害が報道されていました。

今年はもう少し収穫できればいいな、という状況です。

 

摘蕾は従前どおり。

花摘みは一部の枝を簡易室(かんいむろ)で桶ざしにしました。

当地の言葉で「ザクった状態(木から枝を切り出すこと)」から、桶に水を張ってさして、簡易室に入れておくと蕾が成長します。

昨春には父が花摘み作業をするのに、座ってできるようにと取り入れた方法です。

それがそこそこいい感じだったので、今年も設置しました。

写真では1桶しか撮影していませんが、桶は10個くらい、枝も1桶に10本以上入れました。

これは応急措置に近いので、基本的には脚立を使ったり、土手を登って果樹から直接花摘みをします。

 

そしてこの日は、エダマメの種まき(播種)をしました。

私はマルチシートを敷く手伝いは子どもの頃からやったことがありますが、種まきはほんの数回しかやったことがありません。

エダマメをどのくらいの深さでまくのか知らないンですよねぇ。

母と組んで作業しましたが、母は「適当に」とか「いい塩梅で」という言い方しかできないので、さっぱり分かりません。

母がやる作業を見せてもらって、自分で判断するしかなく、少々溜息。

 

エダマメの種まきをした畑は、今年限りで手放すので、たいていが夏までに収穫が終わる野菜を作ります。

都市部の相続とはそういうモノで、相続税を支払うためには農地は無くなっていくもの。

3代相続が発生したら、農地は皆無というのが今の相続税法。

私が生まれてから、曽祖父、祖父、父と3代が亡くなりました。

それでも兄は営農できるのですから、前の3代が相続に際してうまく布石を打ってくれていたのだな、と感謝しています。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。


お手伝い 3月4回目 摘蕾&花摘み

2025-03-31 06:02:47 | 労働

この日は、実家に到着して仏壇に手をあわせていたら、母が外から呼んでいました。

何事かと慌てて外へ出ると「先にお墓に行ってる」とのこと。

何のことかさっぱり分かりませんが、兄と母が軽トラックの周りで準備していました。

とりあえず私の座席は無さそうなので、私は徒歩で墓地へ。

墓地は車で行くと丘の上に駐車して、徒歩で丘を下るルートしかありません。

ですが徒歩だと丘の下から登るものの近道ができます。

どの方法でも墓地までは同じくらいの時間で到着します。

子どもの頃はもっと横着して、墓地の隣地の階段を3段ほど登って、擁壁をよじ登って墓地へ行くという荒技をやっていたこともありますが(汗)

もう中年のオバチャンの私は、そんなことはもう2度としません。

 

さて墓地に着いてから、この日が父の百日忌と兄から教わりました。

え?百日忌??

あーそーなんだー、四十九日忌の次は一周忌だと思っていました(大汗)

な~んにもお供え物を用意してなかったよー。

ま、私の信心なんてそんなものなので、失念どころか無知なのだからどうしようもありません。

お参りだけさせてもらって、ふと見たら古い墓石に目が止まりました。

あ、見たことある戒名が書いてある…これは後で確認しよう、と。

 

ここから私だけ直接果樹園まで歩いて行きました(兄と母は1度実家に立ち寄ってから果樹園へ)。

前日からタケノコの掘り上げが始まったそうで、すでに自販機にはセットされていました。

兄が掘り上げて、自販機にセットしてから20分くらいで半分くらい売れていました。

実家の農園の春の風物詩です。

昨年はすでに父はタケノコ掘りができなくて、袋詰めと根付け作業しかできなくなっていました。

私がその父の手伝いをやったな、と。

その父の姿を思い出しました。

春の朝の光が父に当たって、少し逆光気味になっているところに、私が「お父さん、おはよー!タケノコ詰めるの?手伝おうか?私、何すればいい?」と声をかけていたなぁ、って。

昨春は、父の認知機能が少し落ちていると診断されていて、そのことに父自身も意気消沈していました。

だからなるべく、明るい元気な声で父に話しかけよう、と心がけていたンだっけ。

ま、父にはムダに明るい娘と思われていたみたいだけれど(困)

 

さてこの日の作業は、引き続き摘蕾と、途中から花粉採取用品種の花摘み。

花を摘んで、花を粉砕機で粉々にして、何度もふるいにかけて葯だけ取り出して、開葯器で加熱加湿して粗花粉を作り、さらに溶剤分離で純花粉にします。

 

この日は公道に面した場所で花摘みをしていたので、道行く人々から声をかけられました。

花を摘んでしまうことに驚かれる方、満開は何時ですか?と尋ねられても「満開前に摘むのでここの樹でお花見はできませんよ」と言うともっと驚かれたり。

 

すると私の幼馴染Dくんのご両親が通りかかりました。

くん付けで呼んでますが、Dくんももう50歳を過ぎたオジサンなので、ご両親は80歳を過ぎています。

Dくんのお父さまは今年初めに腰を手術して、歩行のリハビリが必要になっているそうです。

元々耳が少し遠くなっていたせいもあり、なんだか急に老け込んでしまいました。

昨年、亡父が急激に衰えた姿を焦る気持ちで見続けた私には、胸が痛むお姿でした。

人はずっと元気でずっと生き続けるものではない、と分かっていても現実は受け入れがたいものです。

 

この日は午前中だけのお手伝いでした。寒暖差が激しく天候も安定しなくて、園主の兄をヤキモキさせるシーズンです。

兄には「春は花優先でいいから、私の都合は全部花に合わせるから、気にせずいつでも手伝いを頼んでいいよ」と言うのが精一杯です。

さぁ、今年の収穫に向けて始動。

そんな気持ちになりました。

次回も楽しくお手伝いしたいです。


お手伝い 3月3回目 摘蕾

2025-03-27 05:52:58 | 労働

この日は暑かったです。

午前中のお手伝いでしたが、11時過ぎからちょっと体調が変だなー、と思って昼まで働いたら具合が悪くなりました。

昼食のニオイにやられて、12時過ぎから嘔吐が始まり、吐気が落ち着いたのが1時過ぎ。

そこからソファで横になって1時間半ほど爆睡。

バイクで自宅に帰着したのが午後3時半でした。

まだ暑さに身体が順応していなかった、自律神経がエラーを起こした、という状況です。

午後4時に入浴して身体が温まったら、元通り元気になりました。

年齢的なモノもある…と言えば表向きの言い訳にはなります。

 

だがしかし、ホントは前日に根(こん)を詰めすぎただけです。

その日はご先祖さまを探る作業をしていました。

これは私にとって「旅路」です。たぶん飽きずに取り組める、ライフワークにできるほど興味深いのです。

私は夢中になると文字通り「飯喰う暇なし」の状態に陥りやすい性格。

この日は朝からずっとパソコンに向かって資料を見比べれながら、あーでもない、こーでもない、と8時間くらい取り組んでいたンですよねぇ。

それが全然苦にならないのです。

 

だから過ぎたるは及ばざるが如しです。

食事も水分量も不足していたのでしょう。

お手伝いの日は、朝から微妙に左の肩甲骨辺りがダルいな、と思っていたのです。

でもこれくらいは平気、と思っていたのが悪かったンでしょう。

これからは気を付けます。

 

この日の作業は前回と同じ摘蕾。

丘の下の果樹園で作業をして、その後丘の上の果樹園でも作業しました。

丘の上は、風が吹き抜けますから、この日の気温の高さで発汗したので、身体が冷えちゃったのでしょう。

冷えは大敵。

 

それとこの日は、母と兄に「サラダゴボウの種買ってきたよ」と手渡しました。

実家ではゴボウを作ったことがないのですが、私はサラダゴボウが好きなのと、深耕しなくても生育期間も短いし、実家で作るにはいいかな?と思いまして。

ま、兄も母も「野菜づくりは素人」と言い張るので手軽にできる野菜として栽培してくれたらいいな、と思っています。

 

なによりも私の自宅ベランダのプランターではサラダゴボウさえも育てられないので(涙)

 

この日のうちに体調も整ったことだし、次回も楽しくお手伝いしたいです。

 


お手伝い 3月2回目 摘蕾

2025-03-25 07:53:24 | 労働

今年も収穫に向けて始動です。

まずは摘蕾から。

今の花芽の状態はこんな感じ。

要らない蕾だけを取り外していきます。

これを摘蕾(てきらい、つぼみを摘むという意味です)します。

 

この花芽のうち、葉っぱは取りません。

全部の蕾を摘むのではなく、下芽、先端2芽、胴咲き、主枝や亜主枝の先端、短果枝は子持ち花芽と先端1芽。

昨年は少々の混乱をしながらこんなものかなー、とやりましたが、今年は兄にちょっと説明してもらえたらスイスイ理解しました。

 

摘蕾をすると果実が大きくなるので、やったらやった分だけ結果がついてくる、と亡父が言っていました。

父は若い頃に地域の農家仲間の方々と大玉研究会に参加して、早生種で小玉の果実をどうやって大玉にするかを研鑽していました。

でもねぇ、ご近所の農家仲間の中には摘蕾をしない農家もあるンだそうです。

たしかに面倒くさいですからね。

私はこの作業は好きですから、楽しく取り組んでいます。

 

薄手の背抜き手袋をはめて、花芽を優しく指でポンポン叩くと花芽がポロポロ落ちていきます。

この感触が楽しいンです。

葉っぱは取らないように気をつけるのですが、絶妙な力加減が楽しいのです。

それがこの大きさの花芽の時だけで、あと1週間もすると、ポロポロとは取れなくてイライラしちゃうンです。

 

今年も収穫に向けてスタートしたな、と思う作業でした。

次回も楽しくお手伝いしたいです。


お手伝い 3月1回目 野菜畑準備&防鳥網準備

2025-03-18 06:20:01 | 労働

久しぶりの実家の農園のお手伝いです。

その前に、春のお彼岸ですから早朝墓参。

墓参はさっと済ませるのが実家流。

そもそも墓掃除は、月1度の檀家の皆さまと一斉掃除の日があります。

お彼岸前にすでに掃除は終了しているので私が掃除することはしません。

 

さて帰宅して7時半。

ここから野菜畑の春準備です。

基本的に野菜づくりは亡祖父から亡父が引き継いでいました。

そして兄曰く「オレとお母さんは野菜づくりド素人」と言い切ります。

すでに耕運機で土起こしはしてあるので、私がレーキで地ならし、兄と母が目安のロープ張り、兄がクワで溝を作り、母が肥料を撒いて、私がレーキで地ならし。

次に母と私がマルチ敷、兄がクワでマルチ端を土で押さえて、続いて母と私がシャベルでマルチ端に土で押さえる。

この繰り返しでした。

実家の野菜畑はどこも狭く、この夏はトマト、キュウリ、ナスもそれぞれ10〜15本程度、シシトウ、モロヘイヤ、オクラ、落花生を作って、あとは何作ろうか?という感じです。

私はサラダゴボウ推しでしたが、兄や母はピンと来ないみたいです。

兄曰く「作りたいなら自分で種を買ってこい」とのこと。

いやいやいや、私の畑ではあるまいに。

 

この日は彼岸の入りでしたから、親戚の方々の訪問があって母が離脱。

そのうち新しい耕運機の納品があって兄が離脱。

私1人野菜畑に残されて、兄には「マルチ敷は1人じゃあムリだから、休んでいて」と言われました。

小さな畑ですから、そんなに大変じゃあなかろう、と思い、1人黙々と作業したらマルチ敷もできてしまいました。

この野菜畑は狭くて棚田のような作りなので、持ち込んだ農具類を運搬車まで運ぶのは人力です。

だから黙々と片付けて、それでもちょっと暇だったので、畑の隅の草むしりと落ちているゴミ(周辺住民が投げ込んだお菓子やパンの空袋、空き缶、空きボトル等)を拾い集めていました。

兄が納品の立ち合いから戻ってきたので、作業小屋で休憩。

そこに今度は母が戻ってきました。

ここから兄と私が防鳥網の設置に使う金属線が外れてしまった所の補修をしました。

母が他の果樹園で防鳥網の横網展張をしていたので、私も母を手伝って横網展張。

母は展張の固定をしました。

 

果樹園栽培をしていないと、ナンノコッチャ?というような作業ですが、果樹園の春準備の作業とはそういうモノです。

さて兄はカート式草刈機で草刈をしていたはずなのですが、なかなか姿を見せません。

また草刈機の調子が悪くなったのかな?と思っていたら、県の農業普及員さんがいらっしゃったとのこと。

 

そろそろ開花に向けての作業に入るのですが、普及員さんからネパール種の開花と開葯についてお話があったそうです。

ネパール種は、花粉採取用品種として東京都稲城市の果樹農家さんが導入した品種です。

その穂木を川崎市の研究施設が譲り受けて、川崎市内では広く活用できるようにしてくれました。

火傷病ショックで、全国の果樹農家に衝撃が走ったのは一昨年秋。

私の実家では、元々在来種の花粉用果樹を何本も育て、自前の開葯器も所持していますし、自家冷凍保存もしています。

言い換えれば果樹農家の生命線は、花粉をどうやって賄うか、にかかっています。

 

実家では今ある花粉用果樹は1種類なので、ネパール種の導入はスペア、リスクヘッジを兼ねて導入することにしました。

 

今回、普及員さんがもたらした情報は、ネパール種の開葯は、在来種とは違って開葯器では約2倍の時間がかかるという情報でした。

これ、開葯作業をご存じの方々には大変ショックな話です。

開葯器で2倍の時間がかかるというのは、電気代が2倍になる以上に、開葯作業の微妙な匙加減に2倍の気遣いをするどころか、水分量や温度調整がどうなっているンだ?!とヤキモキする時間ばかり長くなるということ。

ただでさえ春の開花期は、精神を削られる思いをして交配と防除を天気予報とにらめっこしている状態なのに。

 

ネパール種の欠点を聞いて、兄はただ絶句。

兄の性格ではそうなるだろうな、と私も一緒に溜息。

↑ネパール種の穂木。

もう花が膨らんできていて、あと2日もすれば花粉用に採取できそう…と思ったら、ネパール種はこの段階で摘花してはダメだそうです。

 

まだ在来種の花粉用果樹は蕾も確認できません。

ネパール種のいいところは、早く開花すること。

でもいいところばかりでないこと言うこと。

こんなとき、父はどうやって兄を励ましていたのかな?

私には兄を励ます術をな~んにも浮かびません。

スマン、兄よ。

 

この日は午前中でお手伝いは終わり。

久しぶりのお手伝いで、野菜づくりはちょっと疲れました。

亡父は独身時代は野菜農家、結婚してから果樹農家になったので、結婚して最初の春は身体がついて行けず2〜3日寝込んだことがあるそうです。

私も身体の使い方がまだ慣れないので、寝込みはしないでしょうけれど、思ったよりも疲れました。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。


お手伝い 2月9回目 くね立て&ビワ摘花&足場補修&剪定

2025-02-25 06:50:58 | 労働

この日はサブ農産物のビワの摘花から。

ビワの花は葉っぱの先にブワッと何十個も咲くのですが、この先端に3芽くらい残して切り落とします。

私は初めての作業だったので、兄と母からそう説明してもらって作業したのですが、兄も母も5芽以上残していました。

私はきっちり3芽残して切り落としちゃったよ…。

数が減れば、果実は大きくなるからいいけれど、ビワでしょう?

ビワは果実が大きくなると、種も大きくなる性質があるから、摘花の意味があるのか?と。

そもそも摘花しなくても生理落果するからなぁ、まぁいいか、と。

 

つぎにエンドウ豆のくね立て。

くねは、この場合、支柱のこと。

くね刈りといえば、垣根の刈り込みのことで、くね立てといえば、支柱を立てること。

今年の当地は殆ど降雨も降雪もないので、表土が乾ききっています。

ゆえに支柱が兄、母、私の3人がかりで突き立てないと刺さりませんでした。

支柱を立てたら、両端に斜交いに支柱を差し、渡し(地面に平行方向に支柱を結びつける)を結んで、最後に支柱をスズランテープで2周の渡しを結びました。

私も亡き祖父の手伝いで、スズランテープを支柱に結ぶことはやったことがありますが、なにせ素人の初めての作業。

兄や母の足手まといにならないようにするのがやっとです。

 

その後は、斜面に植えてある花粉採取用品種の剪定です。

果樹の剪定はすべて終わっていたと思っていたので、え?今更剪定するの?の思いがありましたが、兄が剪定したあと、私が剪定枝処理。

花粉採取用は果実を目的としないので、枝の生え方がワイルドです。

これは果樹栽培に関わらないと、なかなか分かりづらい感覚でしょう。

植木屋さんのウメの木の剪定と、ウメ栽培農家の剪定との違い…くらい違うのですが、一般受けしない例えですね。

実家の果樹園では、花粉採取用品種は園地外周の足場が悪い斜面に植栽して、丘陵地の土留めを兼ねています。

兄が土手の足場が不安定な場所で剪定をしますから、私が土手下で待ち構えていて、投げ落とした枝を切り分けて束ねていきます。

量は少なくても、通常とは違う伸び放題の剪定枝に少々手こずりました。

つぎに土手の足場の補修。

古くなった足場の竹を取り外し、先日切り出した青竹を土手の足場として、紐で結びつけていきます。

基本的には兄が使う足場です。

兄は私よりも25センチほど背が高く、25キロくらい体重が重いので、私にはどうにもその基準が分かりません。

要は兄がOKを出したらいい、という訳です。

丘の下に切り出した青竹を置いていたので、丘の上の土手まで運んで土手の途中の足場にするのですが、青竹運びが人力でした。

運搬車で運べる長さではないので、人力って…。

以前は兄と父がやっていたそうですが、父の老化でここ数年は兄1人でやっていたとか。

ここ3〜4年ほど、時々兄が農作業に対する漠然とした不安感を感じていたのは、こういうところだったのか、と私は悟ることができました。

兄は成人男性の中でも身体が大きく、体力もある方なので、たいていのことはムリなくできますが、1人でできないこと作業もあります。

その時、補助的に力作業ができる人がほしいと思っていたのでしょう。

でも繊細な性格の兄には「手伝って」とお願いできる人がいなかったのだな、と。

 

さてこの日の帰り、兄から「次は農薬散布を手伝ってほしいのだけど、手伝っくれる?汚れていい服を着てきてほしいンだけど」とのこと。

はいはい、大丈夫。

と了解してきました。

 

ニイチャン、遠慮するなよ、力仕事と汚れ仕事は私に任せていいよ。

だって他に手伝ってくれる人がいないンだから。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。


お手伝い 2月8回目 小網線補修&剪定枝粉砕

2025-02-22 08:35:47 | 労働

この日はお墓参りから。

父が亡くなって2か月経ちました。

前日、母や兄は千葉県南部までドライブに行って花摘み体験をして来たそうで、お墓に飾る花はそこで摘んできたそう。

子どもの頃に行った房総の花摘み畑は、どこまでも広い花畑で、農家の人々の呼び込みとか大盛況でした。

でも兄が言うには「あの頃の10分の1も無いかも」というくらい花畑が無くなっていたとか。

元々高齢化が進んでいたところにコロナ禍で観光客が離れ、一気に無くなった、と花畑の園主さんがおっしゃっていたそうです。

そういう意味では、実家の果樹園も風前の灯火で同じ道を辿るよなぁ、と。

産業の衰退とは、まずはその選択肢が無くなること。

私の心象風景では、色とりどりの花が咲き乱れる花畑でしたが、兄が言うには「色はそれなりにあるけど、せいぜい3種類くらいしか品種はないし、どこの畑も同じ、しかも狭い」なのだとか。

房総の早春は、花摘み観光から始まると思っていましたが、それは過去になるのかもしれません。

 

さて農作業は、小網線の補修から。

この日は丘の上の果樹園での作業です。

風が弱いとはいえ、この2月は例年になく低温なので作業中も寒かったです。

私は前日に新潟県にいたので、確かに寒いけど雪が無いだけでありがたい、と感じました。

この作業は、番線の補修ですから、番線を引っ張る力が必要です。

無意識のうちに指の力をかなり使っているようです。

じつは最近、バネ指になってしまったようで、時々、指がカクカクと動かしづらいことがあります。

バネ指の原因は、指を使いすぎること。

バネ指の改善は、指を使わないこと。

今の私には絶対ムリじゃあないか、ということで無視して使い続けています。

ま、そのうち治るかもしれないしね。

 

その後は、チッパーで剪定枝の粉砕をしました。

まずはトゲがある柑橘類の剪定枝を粉砕。

これは小さな竹藪(急斜面)に粉砕チップを撒きました。

レモンの枝は爽やかな香りがしましたが、これが春に芽出しするタケノコにまで移れば、レモンタケノコとでも銘打って販売できますが、そうはならないそうです。残念。

その後は、他の果樹の剪定枝の粉砕でした。

実家のチッパーは自走式なので、敷地内なら移動が簡単なんだ、と兄は言います。

実家のように丘陵地の果樹園は、農機具を人力で運ぶのは少々大変です。

今の時代、農機具は動力で動かすのは当たり前。

それを思うと開園した70年程前、祖父が人力で開墾した果樹園は苦労の連続だったよなぁ、と今更ながら先祖の偉大さを身にしみて感じています。

 

米価が高いけれど、もう米の増産も消費拡大も日本の農業者にはできないのかもしれません。

団塊の世代が後期高齢者になり、農業の担い手はこれから一気に減っていく予定です。

米の争奪戦、この日本で食糧問題が起きているんだ、と思うと、そりゃあ食料自給率は上がることはない、と思うのです。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。


お手伝い 2月7回目 小網線補修&雑木剪定&垣根補修&剪定枝粉砕

2025-02-20 08:44:54 | 労働

この日も「今日はなにするンだろうか?私の労働力が必要なほどお手伝いあるのかなぁ…」というよく分からない状態で、早朝バイクを走らせました。

当地は雪どころか、いつから雨が降ってないのかな?と逡巡するほど乾燥しています。

放射冷却で毎日すこぶる寒いです。

バイクにはハンドルヒーターが付いているものの、それでも寒かったです。

 

で。

通称小網線と呼ばれる、果樹園の防鳥網を支える番線(約1メートル四方の網目になるような棚を作る針金)が風雨で傷んでいるので、その補修をしました。

私は初めてやる作業なので、兄に教わりながらお手伝いします。

私は手順が分からないので、兄に言われた通りのことしかできません。

母はあれこれ横から兄に口出ししたり、余計なことをするのでだんだん兄がイラついていまして…。

 

この作業はなるべく無風で晴れた日でないとできないので、この日は午前8時半くらいまでしかできませんでした。

その後は風が吹き始めたので、雑木剪定。

雑木とは言い過ぎで、丘の中腹の急斜面にある果樹です。

柑橘、カリン、渋柿等。

柑橘はトゲ多めのモノが中心、カリンと渋柿は収穫のためというよりは傾斜地の土留めの役割の方が強く、毎年半分以上は収穫しません。

収穫をしない理由は、収穫しようとすると、断崖から人間が落下して落命してしまう可能性があるから。

命綱を張れる場所もありません。

それに渋柿で干し柿を作ろうにも、温暖化で干し柿がカビ柿になるだけですしね。

 

未利用果樹とも言えるのですが、伐採すると崖崩れリスクが高くなるのでそのままにしています。

ただ、剪定をしないと農業委員会から農地としてみなされないので、剪定だけはしているという状態です。

アジサイかツツジを植えれば、傾斜地の土留めも楽だろうに…と思うのは私が素人の証。

きれいな花が咲いていると、無断で敷地内に踏み込む人々が増えるだけだそう。

とくに急斜面なので素人に踏み込まれると、簡単に断崖まで転がり落ちて死に至る…という地形なのです。

私も素人ですが子ども頃から慣れ親しんだ地形ですから、ここで転んだら死ぬ、と思えばこそ自然と慎重に歩きます。

 

その後、隣地との境界の垣根の手入れをしました。

先月、隣地の大木が伐採されたことで、隣地との境界の垣根が傷んでいることが露呈しました。

ここも急斜面なので新たに植栽するよりは、簡易柵で補修して、雑木の剪定枝で防犯柵をつくりました。

隣地にとっても境界はあまり人気(ひとけ)がないので、ここは柑橘のとくにトゲが長くて密に生えた剪定枝を使うことにしました。

有刺鉄線代わりです。

とはいえ、大風で飛ばされても実家の敷地内にと止まるように設置しました。

 

その後はチッパーで剪定枝の粉砕です。

今回は、柿、柑橘、竹、ビワ、カリン等を粉砕しました。

とくにレモンの剪定枝はとても香りがよくて、爽やかな香りがしました。

果樹は品目によって香りがあって、粉砕作業はちょっと大変ながら楽しさを感じる作業でもあります。

 

実家の農作業は2月半ばから3週間くらいの農閑期になるはず。

おかしいな、私のお手伝いもそろそろ農閑期なはずなんだけれどな。

 

昨春の父の様子を思い出しても、当時の父は労働力はそもそも低下していました。

それを思うと、兄は何でも言う通りに農作業する部下がほしかったンだろうな、と。

兄には部下も後輩も後継者もいない人生だったのだから、多少はニイチャン孝行しておこうと思います。

 

次回も楽しくお手伝いしたいです。