大学時代、音楽活動は東京に限っていたのだが、一度だけ、筑波で演奏会に行ったことがある。宿舎暮らしが始まって2ヶ月、生態学実習でマメ科の花についたアブラムシを必死になって数えていた6月初旬だった。つくばセンターのホールで、レーナ・マリア・ヨハンセンという歌手のコンサートがあった。一時間前から並んで、一番前の真ん中の席で聞いた。
レーナ・マリアの歌声を初めて聞いたのは、高校3年生のときだった。聖書の授業で彼女のドキュメンタリー・ビデオを見た。レーナ・マリアは、両腕がなく片足が半分しかないというハンディキャップを乗り越えて、歌でキリスト教の伝道活動をしている、と先生が紹介してくれた。明るい笑顔、澄んだ声、片足と肩を使って器用に何でもこなす姿。彼女の歌や話に感動して、涙を流すクラスメイトを尻目に、私は高鳴る胸を押さえていた。
私が食い入るように見つめていたのは、後ろで演奏しているピアニストだった。アンダース・ウィーク、背が高くて甘いマスクのピアニスト。彼こそがレーナの歌う曲を監修し、一部曲も書いている人物だった。その編曲と、軽いピアノ捌きと、馴染みのないジャンルの音楽に、私は釘付けになった。よく知っているはずの賛美歌も、どきどきするほど素敵な和声がついている。ピアノ一台なのに、ノリノリの雰囲気も作り出せる。心が震えた。
ゴスペルとはまた違う、キリスト教を題材にした「ポピュラー音楽」があることを、実はそのときまで私は知らなかった(どうやら「クリスチャン・ソング」と言われる分野らしい)。レーナ・マリアは割と正統的な歌唱法でまっすぐ歌っているが、音楽のジャンルで言えば確実に「わかりやすいポップス」に入る。だがウィーク氏はジャズ・ピアニストであり、シンプルだけれど安っぽすぎず、ちょっと上品で、フュージョン的な雰囲気があった。
そうだ、賛美歌は、こうやって歌えばいい。ジャンルなんて関係ないのだ。自分がいいと思う路線で行けばいいのだ。このときの感動が元になって、学生時代、悪友Cと仲間たちと共に教会で何度かチャリティコンサートをした。ウィーク氏の編曲は、耳コピして(聞き取って)何曲も楽譜に起こした。中でも、リパブリック讃歌の編曲が大好きで、苦心して真似をして、さんざん弾いた。
さて、つくばのコンサートに話は戻る。舞台上で演奏する全員が、楽しそうでうれしそうで、とにかく羨ましかった。終演後、客電が点いても、ぼーっと感激に浸って動けずにいると、なんとウィーク氏が楽譜を取りに舞台へ戻ってきた。機材を触っている背中に向かって、思い切って声をかけた。用意していた花束を渡す。「レーナに?」「いいえ、あなたに。」かなり驚いた様子だったが、次の瞬間、くしゃあっと笑顔を浮かべて、握手をしてくれた。ときどき信じられない程ミーハーになる自分に驚きつつ、ニヤニヤしながら帰った。
花束には、たどたどしい英語の手紙を添えた。単語の選び方が無茶苦茶で、かなり支離滅裂なファンレターだったはずだ。「私も音楽がやりたいです。私も何かを運ぶような音楽がしたいです。」まるで小学生の作文。しかし実際、子供のようにわくわくしていた。宿舎に戻って悪友Cに電話すると、Cは言った。「やってみなけりゃわからない」。外はどしゃ降りの雨だった。私も何か楽しいことをやろう。心に決めた。
リパブリック讃歌は、権兵衛さんの赤ちゃんか、ヨドバシカメラのCMソングとして、今の日本人にとっても馴染み深い。私は阪田寛夫氏の詞の「ともだち讃歌」として、小学校で教わったときから大好きだった。もともとは南北戦争時に歌われた北軍の軍歌であり、聖書を引いた歌詞には奴隷解放のメッセージがこめられているという。映画「5つの銅貨」で、ニコルズ夫婦が記憶をたぐりながらこの歌詞をつぶやくシ-ンはいつ見ても目頭が熱くなる。
レーナ・マリアのCDを浴びるほど聴いて覚えた英語の歌詞で、今でもときどき口ずさむ。歌っていると、曲と歌詞の勇ましさに不思議と励まされる。不謹慎かもしれないが、私にとっては背景の思想も宗旨も関係ない。ウィーク氏の大きな手を思い出す。Let us live to make men free. 既成の枠なんてどうでもいい、ミーハーでもいい。なんだって、やってみなくちゃわからない。His truth is marching on. 進んで行くのだ。
レーナ・マリアの歌声を初めて聞いたのは、高校3年生のときだった。聖書の授業で彼女のドキュメンタリー・ビデオを見た。レーナ・マリアは、両腕がなく片足が半分しかないというハンディキャップを乗り越えて、歌でキリスト教の伝道活動をしている、と先生が紹介してくれた。明るい笑顔、澄んだ声、片足と肩を使って器用に何でもこなす姿。彼女の歌や話に感動して、涙を流すクラスメイトを尻目に、私は高鳴る胸を押さえていた。
私が食い入るように見つめていたのは、後ろで演奏しているピアニストだった。アンダース・ウィーク、背が高くて甘いマスクのピアニスト。彼こそがレーナの歌う曲を監修し、一部曲も書いている人物だった。その編曲と、軽いピアノ捌きと、馴染みのないジャンルの音楽に、私は釘付けになった。よく知っているはずの賛美歌も、どきどきするほど素敵な和声がついている。ピアノ一台なのに、ノリノリの雰囲気も作り出せる。心が震えた。
ゴスペルとはまた違う、キリスト教を題材にした「ポピュラー音楽」があることを、実はそのときまで私は知らなかった(どうやら「クリスチャン・ソング」と言われる分野らしい)。レーナ・マリアは割と正統的な歌唱法でまっすぐ歌っているが、音楽のジャンルで言えば確実に「わかりやすいポップス」に入る。だがウィーク氏はジャズ・ピアニストであり、シンプルだけれど安っぽすぎず、ちょっと上品で、フュージョン的な雰囲気があった。
そうだ、賛美歌は、こうやって歌えばいい。ジャンルなんて関係ないのだ。自分がいいと思う路線で行けばいいのだ。このときの感動が元になって、学生時代、悪友Cと仲間たちと共に教会で何度かチャリティコンサートをした。ウィーク氏の編曲は、耳コピして(聞き取って)何曲も楽譜に起こした。中でも、リパブリック讃歌の編曲が大好きで、苦心して真似をして、さんざん弾いた。
さて、つくばのコンサートに話は戻る。舞台上で演奏する全員が、楽しそうでうれしそうで、とにかく羨ましかった。終演後、客電が点いても、ぼーっと感激に浸って動けずにいると、なんとウィーク氏が楽譜を取りに舞台へ戻ってきた。機材を触っている背中に向かって、思い切って声をかけた。用意していた花束を渡す。「レーナに?」「いいえ、あなたに。」かなり驚いた様子だったが、次の瞬間、くしゃあっと笑顔を浮かべて、握手をしてくれた。ときどき信じられない程ミーハーになる自分に驚きつつ、ニヤニヤしながら帰った。
花束には、たどたどしい英語の手紙を添えた。単語の選び方が無茶苦茶で、かなり支離滅裂なファンレターだったはずだ。「私も音楽がやりたいです。私も何かを運ぶような音楽がしたいです。」まるで小学生の作文。しかし実際、子供のようにわくわくしていた。宿舎に戻って悪友Cに電話すると、Cは言った。「やってみなけりゃわからない」。外はどしゃ降りの雨だった。私も何か楽しいことをやろう。心に決めた。
リパブリック讃歌は、権兵衛さんの赤ちゃんか、ヨドバシカメラのCMソングとして、今の日本人にとっても馴染み深い。私は阪田寛夫氏の詞の「ともだち讃歌」として、小学校で教わったときから大好きだった。もともとは南北戦争時に歌われた北軍の軍歌であり、聖書を引いた歌詞には奴隷解放のメッセージがこめられているという。映画「5つの銅貨」で、ニコルズ夫婦が記憶をたぐりながらこの歌詞をつぶやくシ-ンはいつ見ても目頭が熱くなる。
レーナ・マリアのCDを浴びるほど聴いて覚えた英語の歌詞で、今でもときどき口ずさむ。歌っていると、曲と歌詞の勇ましさに不思議と励まされる。不謹慎かもしれないが、私にとっては背景の思想も宗旨も関係ない。ウィーク氏の大きな手を思い出す。Let us live to make men free. 既成の枠なんてどうでもいい、ミーハーでもいい。なんだって、やってみなくちゃわからない。His truth is marching on. 進んで行くのだ。
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