大学院に入るまで、「国際的」という言葉は、自分にはまったく関係のないような気がしていた。そもそも「国際的な人」は、はじめから自分とはちょっと違うと思っていた。小学生のときの親友の一人はアメリカに行き、もう一人はイギリスに行ったが、2人とも考え方が大人で、自由で、身軽に見えた。世界に出る人はこういう人なんだと、ぼんやり思っていた。
ところが、なんと私にも「国際化の波」がやってきた。大学4年から大学院の5年間、お世話になった研究室の教授は、ニュージーランド人だった。私の所属する学部で生命倫理を教えていたのは、彼一人しかいなかった。一年の半分ぐらいは日本にいないような教授で、いつも一風変わったお土産を持って帰ってきた。この教授に連れられて国際学会に参加し、彼の主催する国際学会を手伝って、様々な国の人に出会うようになった。
研究室の同僚の国籍も、インド、タイ、中国、台湾、フィリピン、ブルガリア、イラン…といった状態で、セミナー室はいつも不思議な空間だった。常に異文化交流だった。私は彼らに、せっせと変な日本語を教えては楽しんだ。新しく研究室に入る人に、私はよく「日本語お上手ですね」と褒められた。一体、どこの人だと思われたのかは不明である。
というわけで、研究室の公用語は英語。日本人の奥様を持つ教授は、ある程度の日本語はできるのだが、なるべく英語でコミュニケーションを取れと言う。セミナーの間、「日本語発したらペナルティとして10円」という冗談がいつも交わされていたが、私にとっては割と切実な問題だった。
人と話すのも物を書くのも大好きだったが、「英語が得意」だと思ったことはあまりなかった。高校時代も、単語を調べ、熟語を覚え、文法を覚えて、学校の授業についていくのがやっとだった。だいたい高校2、3年の頃は、英語のクラスの半分が帰国子女で、先生よりきれいな発音で流暢に喋っていた。こちらは、授業中に指されて教科書を読むのさえ気恥ずかしかった。仕方ないので、マザー・テレサの物真似をして読んだりしていたものだ。
特に変わった勉強法はなかったが、私にとって最も大事な教材は、ミュージカルのCDだったような気がする。部屋で聴き続けていると、ある日急に単語が聞き取れたり、文章の区切りがわかったりする。それに歌で覚えたフレーズは、記憶にちゃんと残った。教科書の味気ない例文よりも、ずっとイキイキとして、なんだかやる気が出た。
次々と押し寄せる関係代名詞だの不定詞だのでアップアップしていた頃、劇団四季の上演する「Crazy for you」がヒットし出した。ガーシュインの「Girl Crazy」というミュージカルをベースに、新たに構成されたミュージカルだった。舞台転換にも、ピアノ協奏曲の一部が使われ、全編がガーシュインの音楽でできあがっている。私は1度見に行ってたちまち憑りつかれ、ブロードウェイ版のCDを買ってきた。
しかし、ひとつも英語が聞き取れない。思い立って、お気に入りのナンバーの歌詞を、クレヨンで落書帳に写してみた。四季の公演パンフレットの日本語訳で、大体の意味を確認するも、英語があまりにステキなので、どこがどうやってその意味をなしているのか、まったくわからない。とりあえず、黙々と写し続け、落書帳の紙を20枚ほど、部屋中の壁に貼った。私はこの壮観に大いに満足し、文字だらけのポスターはただの装飾になった。
それでもおそらく、見るともなく見ていたのだろう。部屋がジョージ&アイラ・ガーシュイン一色になって、大分経ったある日「Someone to watch over me」のtoが何なのか、はっとわかった。「when it comes to」というフレーズが、練習問題の長文に登場した。文法書の中でしかめ面をしていたcould とかwouldのニュアンスが、ちょっとつかめた。そして何より、西洋の詩には「韻」があることを知った。それが、体感として気持ちが良いということに、やっと気づいた。
大学の生命倫理の授業で、ヒト・クローンについてのレポートが出た。思うように書けずもどかしい英作文だったが、落書帳で覚えた「Embraceable you」の中の「irreplaceable(代わりがきかない)」という単語を使った。自分の言いたいことにぴったりの単語がひとつでも、それも歌の中から出てきたことに、何とも言えない嬉しさがあった。レポートにAがついた。ガーシュイン万歳! 心の中で叫んだ。
その後も変わらず、私はガーシュイン兄弟作品のファンである。大好きな歌は数えきれないのだが、オススメをいくつか。映画「Shall We Dance?」から「Let's Call The Whole Thing Off」。些細なことで喧嘩するのやめようよ、という楽しい歌。そして同じ映画に出てくる「They All Laughed」。「大きなことをやろうとした偉人を、世間が笑った。僕も君に恋をして、みんなに笑われた。でもいまや、僕が笑う番なんだ!」それから、ミュージカル「Oh, Kay!」の「Heaven on Earth」。聞けば元気が湧いてくる。「思い切り愛して、生きよう! 今、ここを天国にしよう!」
一番好きな曲はと訊かれたら、「Nice work if you can get it」。落書帳に書いて覚えた1曲だ。コード進行が秀逸で、最高に洒落た歌だ。「この世で一番素敵なことは、恋をすること。やってみたら、きっとできる!」有名なヒットナンバー「I got rhythm」の最後にある「Who could ask for anything more?(それ以上何を望む?)」というフレーズが、この歌のサビにも出てくる。このメロデイーを歌うと、思わず恍惚とする。
結局、英語を勉強して、「国際人」になれたかどうかは甚だ疑問だが、こうしてガーシュイン兄弟の作品を少しでも味わえることが、私にとっては何よりの幸せだ。Who could ask for anything more?
ところが、なんと私にも「国際化の波」がやってきた。大学4年から大学院の5年間、お世話になった研究室の教授は、ニュージーランド人だった。私の所属する学部で生命倫理を教えていたのは、彼一人しかいなかった。一年の半分ぐらいは日本にいないような教授で、いつも一風変わったお土産を持って帰ってきた。この教授に連れられて国際学会に参加し、彼の主催する国際学会を手伝って、様々な国の人に出会うようになった。
研究室の同僚の国籍も、インド、タイ、中国、台湾、フィリピン、ブルガリア、イラン…といった状態で、セミナー室はいつも不思議な空間だった。常に異文化交流だった。私は彼らに、せっせと変な日本語を教えては楽しんだ。新しく研究室に入る人に、私はよく「日本語お上手ですね」と褒められた。一体、どこの人だと思われたのかは不明である。
というわけで、研究室の公用語は英語。日本人の奥様を持つ教授は、ある程度の日本語はできるのだが、なるべく英語でコミュニケーションを取れと言う。セミナーの間、「日本語発したらペナルティとして10円」という冗談がいつも交わされていたが、私にとっては割と切実な問題だった。
人と話すのも物を書くのも大好きだったが、「英語が得意」だと思ったことはあまりなかった。高校時代も、単語を調べ、熟語を覚え、文法を覚えて、学校の授業についていくのがやっとだった。だいたい高校2、3年の頃は、英語のクラスの半分が帰国子女で、先生よりきれいな発音で流暢に喋っていた。こちらは、授業中に指されて教科書を読むのさえ気恥ずかしかった。仕方ないので、マザー・テレサの物真似をして読んだりしていたものだ。
特に変わった勉強法はなかったが、私にとって最も大事な教材は、ミュージカルのCDだったような気がする。部屋で聴き続けていると、ある日急に単語が聞き取れたり、文章の区切りがわかったりする。それに歌で覚えたフレーズは、記憶にちゃんと残った。教科書の味気ない例文よりも、ずっとイキイキとして、なんだかやる気が出た。
次々と押し寄せる関係代名詞だの不定詞だのでアップアップしていた頃、劇団四季の上演する「Crazy for you」がヒットし出した。ガーシュインの「Girl Crazy」というミュージカルをベースに、新たに構成されたミュージカルだった。舞台転換にも、ピアノ協奏曲の一部が使われ、全編がガーシュインの音楽でできあがっている。私は1度見に行ってたちまち憑りつかれ、ブロードウェイ版のCDを買ってきた。
しかし、ひとつも英語が聞き取れない。思い立って、お気に入りのナンバーの歌詞を、クレヨンで落書帳に写してみた。四季の公演パンフレットの日本語訳で、大体の意味を確認するも、英語があまりにステキなので、どこがどうやってその意味をなしているのか、まったくわからない。とりあえず、黙々と写し続け、落書帳の紙を20枚ほど、部屋中の壁に貼った。私はこの壮観に大いに満足し、文字だらけのポスターはただの装飾になった。
それでもおそらく、見るともなく見ていたのだろう。部屋がジョージ&アイラ・ガーシュイン一色になって、大分経ったある日「Someone to watch over me」のtoが何なのか、はっとわかった。「when it comes to」というフレーズが、練習問題の長文に登場した。文法書の中でしかめ面をしていたcould とかwouldのニュアンスが、ちょっとつかめた。そして何より、西洋の詩には「韻」があることを知った。それが、体感として気持ちが良いということに、やっと気づいた。
大学の生命倫理の授業で、ヒト・クローンについてのレポートが出た。思うように書けずもどかしい英作文だったが、落書帳で覚えた「Embraceable you」の中の「irreplaceable(代わりがきかない)」という単語を使った。自分の言いたいことにぴったりの単語がひとつでも、それも歌の中から出てきたことに、何とも言えない嬉しさがあった。レポートにAがついた。ガーシュイン万歳! 心の中で叫んだ。
その後も変わらず、私はガーシュイン兄弟作品のファンである。大好きな歌は数えきれないのだが、オススメをいくつか。映画「Shall We Dance?」から「Let's Call The Whole Thing Off」。些細なことで喧嘩するのやめようよ、という楽しい歌。そして同じ映画に出てくる「They All Laughed」。「大きなことをやろうとした偉人を、世間が笑った。僕も君に恋をして、みんなに笑われた。でもいまや、僕が笑う番なんだ!」それから、ミュージカル「Oh, Kay!」の「Heaven on Earth」。聞けば元気が湧いてくる。「思い切り愛して、生きよう! 今、ここを天国にしよう!」
一番好きな曲はと訊かれたら、「Nice work if you can get it」。落書帳に書いて覚えた1曲だ。コード進行が秀逸で、最高に洒落た歌だ。「この世で一番素敵なことは、恋をすること。やってみたら、きっとできる!」有名なヒットナンバー「I got rhythm」の最後にある「Who could ask for anything more?(それ以上何を望む?)」というフレーズが、この歌のサビにも出てくる。このメロデイーを歌うと、思わず恍惚とする。
結局、英語を勉強して、「国際人」になれたかどうかは甚だ疑問だが、こうしてガーシュイン兄弟の作品を少しでも味わえることが、私にとっては何よりの幸せだ。Who could ask for anything more?