音の向こうの景色

つらつらと思い出話をしながら、おすすめの名曲をご紹介

ディーリアス ヴァイオリン・ソナタ ロ長調

2012-06-24 12:19:20 | 室内楽
 先月に続いて、大学1年生で受けた授業の話の続き。自分の専攻である生物の授業も面白かったのだが、専門以外の授業もいろいろと魅力的だった。宿舎の隣部屋の趙さんと会話ができるのがうれしくて、第二外国語の中国語は一生懸命になってやった。週に3回も授業があったので、1年後はちょっとした日常会話は楽しんでいたはずなのだが、今や「ゴハン食べましたか?」以外、何一つ思い出せない。
 体育専門学群の、いわば「プロ仕様」のプールで泳ぐ体育の授業も楽しかった。それまでまったく興味のなかった地球科学にも、わくわくした。化学の先生が、1学期間、シュレーディンガーの波動方程式の証明らしきものを、延々と黒板に書き続けていたのには辟易したが、それがどんなに難しいかということは、イヤというほどわかった。そして3学期、私の人生で最も心ときめく講義に出会った。なんと、物理の授業だった。
 高エネルギー物理学研究所(当時)の森本教授という先生だった。ぱっと見は、厳しい学者風。1時間めは、マクスウェル方程式。「場というものは、物質と相並んで考えるもので…」先生は滔々と語り始めた。電気と磁気が統一されるまでの歴史的な流れを講談師のようにすらすらと話し、シンプルな図と式をひとつずつ書いては、その「意味」を説明してくれた。あっという間に話に引き込まれ、その日の終わりには、光は電磁波だ…いうところまでたどり着いた。だまされたような気がしたが、ちょっと感動した。
 ほんの3か月だったが、こんなに面白い授業はなかった。内容は特殊相対論と、一般相対論と、量子論の初歩の初歩。物理なのに、数式はなるべく使わない。ひたすら言葉で語る。歴史を順に追いながら、森本先生は、とにかく「コンセプト」を語った。科学者たちは、何を疑問に思い、何を解決しようとしたのか。学問の客観性というのはどうやって作り出されてきたのか。物理学で最も美しいと呼ばれる式は、一体どんな意味を持つのか。そこでは、物理上の概念の変遷という、めくるめくばかりのドラマが展開された。講義を聴いて夢中になって、思わずヨダレをすすったのは、生まれて初めてだった。
 用語を整理し、定義を厳密にした上で、先生はいざというときには、数式を出した。しかしそれは数学の苦手な私でも理解できるような形だった。項の移動や、代入や、通分など、ちょっと式をいじれば結論が出るようなところから、説明してくれた。それがあまりに上手なので、まるで自分の手の中で式を導き出せたような錯覚に陥るのだ。自分のノートの上に、ローレンツ短縮の式が現れたときには、涙が出そうなぐらい感動した。小5のとき図書室の百科事典で相対論のページを読んで以来の疑問が、ぱあーっと解けた瞬間だった。大袈裟だと笑われるかもしれないが、まるでノートから光が出ているような気がした。今でもこの授業のノートは大切にとってある。
 ちょうどその頃、私はディーリアスという作曲家の存在を知った。以来、私の大好きな作曲家だ。イギリスで生まれ、フランスで活躍した人だ。私が特に好きなのは、ヴァイオリン・ソナタロ長調。ヴァイオリニストの南條由起ちゃんのコンサートで聴いた際、はっと気が付いたら、私の目は涙ぐみ、口元はデレーッとしてしまっていた。めくるめくような美しい旋律に、思わずヨダレをすすってしまった。
 初期の作品であるこのソナタは、フランクや、シュトラウスや、グリーグの要素がうまく混じりあっている感じである。とにかく美しい。聴いていると、極上の幸せを感じる。もう、ヴァイオリンで弾ける限りのびやかに弾かせている。なんだか恋をしてドキドキするような感覚すら覚える。だから、のびのび考えたいときには、よく部屋で聴いている。今日も講義の準備をしながら、部屋でこの曲をかけている。どうやったら森本先生のように話ができるだろうか、と思いながら。
 思えば、森本先生の話は、いつも情熱的だった。あるとき、先生は言った。「正直でいてください。」わかったようなふりをしないほうがいい。わからなければ、一生考えていればいい。謎だらけだから、学問は面白いのだ、と。それは本当に素朴な一言だったけれど、私にとっては大きかった。
 大学で生物を学んでいると、感覚はただの電気刺激で、生物はただの化学物質の塊だということが、日々当たり前になってくる。しかし、たとえ生命が「化学反応の一時的な集合体」であろうとも、人間は学問をする。音楽をする。美しいものをたくさん作り出す。それが、私にとっては何よりの不思議であり、きっと一生考え続けることなのだろうな、と大学1年生の私はぼんやり気づいていた。謎だらけだから、人生も面白いのだ。
 理想は高く、私もいつかは森本先生のような話ができるようになりたい。世の中には面白いこと、不思議なこと、美しいものがあることを、情熱を持って語る人間になりたい。ヨダレをすすってもらえるようになるかどうかは別として。