音の向こうの景色

つらつらと思い出話をしながら、おすすめの名曲をご紹介

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リスト 愛の夢 第3番

2009-11-06 00:51:59 | ピアノ
 この間、仲間の音楽家たちと「思春期に最も影響を受けたアーティスト」の話になった。問われた私は、即座に答えた。「飛鳥涼さん」
 小学校6年生、光GENJI大ブームの頃だ。クラスメイトの影響を受けて、私は生まれて初めて真面目にテレビの歌番組を見るようになった。しばらくすると、歌っているアイドルよりも、作詞・作曲者が気になり出し、いわゆる「ニュー・ミュージック」と呼ばれるジャンルに心惹かれるようになる。初めて聴くジャンルの音楽だった。新しい世界が広がっていく気がしていた。そして、ある日、忘れられない瞬間を体験する。
 中1の夏のある夜、テレビに吸い込まれそうになりながら、CHAGE&ASKAの「PRIDE」という歌を聞いた。12歳で一体何をそんなに悩んでいたのか、今では思い出せないのだが、とにかく私の胸の奥底に歌詞のメッセージが届いた。言葉のひとつひとつが、染みこんでくるようだった。歌の中に何かがあって、涙が止まらなかった。
 そのとき私は、歌詞と同じぐらい、「音楽」によって心を動かされのだということを、自覚した。もちろん幼い頃から、音楽を聴いて感動したり、泣いたりすることはいくらでもあった。しかしその日、私は何か観念的な大発見をしたのだった。そうだ、音楽は何かを「伝える」ものなのだ。音楽と心には、つながりがあるのだ。数日後、私はどきどきしながらレコード店へ入り、「PRIDE」の入ったアルバムを買った。生まれて初めて買ったCDだった。
 それ以来、中高時代の私は、「音楽とは心を伝えるものだ」という持論でとにかく押し通した。クラス対抗の合唱コンクールでも、ミュージカルの部活でも、やたらと「心」という言葉を連発していた。小学生じゃあるまいしと思われるかもしれないが、私は大真面目だった。自分たちが伝えたいものを音楽で伝える、言葉では伝え切れないものを伝えるのだと、息巻いていた。
 「音楽で、自分の心を伝えたい!」今思うとかわいいのだが、高校生の私は、何もわからないまま、純粋に必死だった。専門的に勉強していたわけではなかったので、テクニックなど何一つなく、上達のコツも知らなければ、詳細な研究もなかった。あくまで雑駁で曖昧な「心」という言葉と、ひたすらな情熱。あれこそが思春期のパワーとでもいうべきか。効率良いトレーニング法を知らずに根性だけで筋トレをするような、そんな音楽だった。
 そのころ挑戦していた、リストの「愛の夢 第3番」。タイトルの下に書かれたフライリヒラートの詩が大好きだった。まともに弾けもしないのに、ある金曜の放課後、音楽室で友人Oに聴いてもらった。彼女も私も、どうしたらいいかわからない葛藤を秘めたまま、音楽と情熱を黙って共有していた。まったく整理されていない強い気持ちだけが、何もかもを貫き通していた。
 しかし、心だけでは心は伝わらない。感情やメッセージを大雑把にぶつけようとすることに、行き詰まりを感じ始めた大学時代、師に言われた。「表現するということは傲慢なことだ。」当時はかなりのショックを受けたのだが、今ではこの言葉の意味がなんとなくわかる。音楽をするということは、あくまで具体的で繊細な、一つ一つの課題を解決していくことだからだ。楽譜に書かれたものであれば、それを誠実に読み解こうとする、地味な作業が要求される。一つ一つの音をどう感じるかということを、何とかして形にする。それが結果的に、「その人らしい音楽」になり、何かが伝わるのだ。そこには常に冷静さと謙虚さが求められ、たえず探求の余地が残されている。
 「愛の夢」を聞くと、汗びっしょりになって、無我夢中でピアノを弾いたころを、懐かしく思い出す。どう処理していいかわからないほどのエネルギーと不安に揺れていた、青い季節を通って、今がある。もう戻らなくてもいい。「PRIDE」を聞けば今の年齢なりに別の感じ方ができるし、「愛の夢」もあの頃よりずっと面白みがわかるような気がする。大人になるのも悪くない。心を伝えるとか、感情表現とか、そんな大仰な言葉を使わずに音楽と接していられる今が、とても幸せである。
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