サン=サーンスのオペラ「サムソンとデリラ」。私の周りの音楽家たちはみな、略して「サムデリ」と呼ぶ。全幕で上演される機会は少ないが、アリアやバレエ音楽の「バッカナール」がよく取り出されて演奏されている。2幕にデリラのアリアが2つあり、「好きなオペラアリアは」と訊かれたら、私は必ずこの2曲を上位に入れる。そして「生まれ変わったら、メゾ・ソプラノになって、この役を歌う」と、よく冗談で言っている。
「あなたの声に私の心は花開く」のアリアのほうは、一度聴いたら忘れられない美しいメロディーで、歌われる機会も多い。先日、小さなコンサートで、この曲を歌うアマチュア声楽家さんの伴奏をさせていただいた。弦楽器のささやくような十六分音符は、とてもピアノでは弾けないのだが、やっぱり素晴らしい曲だ。何度もうっとりした。
「サムソンとデリラ」の元ネタは、旧約聖書の士師記に出てくる、ほんの数ページのエピソードだ。中学のとき、朝の礼拝でちらっと聞いた記憶がある。聖書って、意外と面白い話が出てくるんだなと思った。というのも、ミッションスクールの小中高でも、その間通っていた日曜の教会でも、聖書に出てくるラブシーンや猥褻な部分は、まったく取り上げられなかったからである。旧約聖書を題材にした映画を見せられるときも、「そういうシーン」は早送りだった。
おそらく学校の先生も、解説しにくいところは飛ばしていたのだろうと思う。実際、子供には理解できない部分も多い。確か小3のクラス礼拝で、長い時間をかけてヨセフの生涯を追っていたが、彼がなぜ牢獄に入れられたのかはブラックボックスのままだった。ロトの娘たちやバト・シェバのエピソードにも、ほとんど触れられたことはない。中2のころ「雅歌がすごい」という噂がクラスに広まり、朝の礼拝の間、説教を聞かずに必死になって読んだことがあったぐらいだ。
そこで、礼拝で取り上げられたデリラのくだりは非常に鮮烈だった。確かに、サムソンは英雄なのに女に弱すぎるとか、ペリシテ人はなぜ彼の髪の毛を切り続けなかったのかとか、いわゆる「ツッコミどころ」は満載だ。しかし、あんな壮大で美しいオペラにされたら、もう文句は言えない。メロディーメーカーのサン=サーンスが、全幕飽きない音楽をつけてしまった。
アリア「あなたの声に私の心は花開く」は、敵方のサムソンをたらし込んで、なんとか秘密を吐かせようとするデリラの「必殺お色気大作戦」の勝負どころである。アリア後半で、管楽器が次々と半音で降りてくる背景は、肌を撫でるデリラの指のようでもあり、堕ちていくサムソンの頭の中を表しているようでもあり、ぞくぞくする。そしてデリラの歌う旋律は、この上なく色っぽい。
カルメンがホセを誘惑する「セギディーリア」でも、途中で「たまらなくなってしまった」ホセが声を上げるが、このデリラのアリアでも、陥落したサムソンが「Je t’aime.(愛している)」と叫ぶ。私は別に誰かをたぶらかしたいわけではないが、このサムソンの叫びを聞くと、何とも言えない勝利感を覚えてしまう。これは女性に共通の感情なのだろうか。
ところで、我が家では10年以上前から様々な「読書会」を開いている。テキストに戯曲を使う読書会がもっとも楽しい。みな初見で、棒読みで良いので、集まった仲間に役を割り振って読んでいく。ギリシャ悲劇、ラシーヌ、モリエール、シェイクスピア、ホフマンスタール、コクトー、歌舞伎など、色々と読んできたが、私が常々感じているのは「悪い役ほど、読むのが快感だ」ということだ。普段絶対言えない(言わない)ことを口に出すとは、なんと爽快なことか。意地悪くほくそ笑む台詞を読むときの、なんと愉快なことか。
出版業界で長いことキャリアウーマンをしてこられた、クールで頭脳明晰な石田女史は、エウリピデスの「メディア」のメディア役を読んだとき、「なにかが、私の中で目覚めた。」と、それまで見たこともないような笑顔を浮かべておられた。実は、悪い役の中でも「悪女」を読むのは、この上ない快感である。カマトトぶったり、気取って意地悪を言ったり、上から目線で罵倒したり。自分にはない部分に、惹かれるのだろうか。それとも、女性には必ず「悪女」の要素があるのだろうか。
同じように、デリラのアリアも、聴くと独特の快感がわいてくる。色気で迫るデリラの歌に、いつの間にか入り込んでしまう。思わず身を捩ってしまう。サムソンの美しい対旋律が入ってくると、思わずニヤリとしてしまう。
女性陣のみなさん。きっとあなたの中にも、私の中にも、デリラが眠っている。もちろん、起きている人もいるだろうけれど。
「あなたの声に私の心は花開く」のアリアのほうは、一度聴いたら忘れられない美しいメロディーで、歌われる機会も多い。先日、小さなコンサートで、この曲を歌うアマチュア声楽家さんの伴奏をさせていただいた。弦楽器のささやくような十六分音符は、とてもピアノでは弾けないのだが、やっぱり素晴らしい曲だ。何度もうっとりした。
「サムソンとデリラ」の元ネタは、旧約聖書の士師記に出てくる、ほんの数ページのエピソードだ。中学のとき、朝の礼拝でちらっと聞いた記憶がある。聖書って、意外と面白い話が出てくるんだなと思った。というのも、ミッションスクールの小中高でも、その間通っていた日曜の教会でも、聖書に出てくるラブシーンや猥褻な部分は、まったく取り上げられなかったからである。旧約聖書を題材にした映画を見せられるときも、「そういうシーン」は早送りだった。
おそらく学校の先生も、解説しにくいところは飛ばしていたのだろうと思う。実際、子供には理解できない部分も多い。確か小3のクラス礼拝で、長い時間をかけてヨセフの生涯を追っていたが、彼がなぜ牢獄に入れられたのかはブラックボックスのままだった。ロトの娘たちやバト・シェバのエピソードにも、ほとんど触れられたことはない。中2のころ「雅歌がすごい」という噂がクラスに広まり、朝の礼拝の間、説教を聞かずに必死になって読んだことがあったぐらいだ。
そこで、礼拝で取り上げられたデリラのくだりは非常に鮮烈だった。確かに、サムソンは英雄なのに女に弱すぎるとか、ペリシテ人はなぜ彼の髪の毛を切り続けなかったのかとか、いわゆる「ツッコミどころ」は満載だ。しかし、あんな壮大で美しいオペラにされたら、もう文句は言えない。メロディーメーカーのサン=サーンスが、全幕飽きない音楽をつけてしまった。
アリア「あなたの声に私の心は花開く」は、敵方のサムソンをたらし込んで、なんとか秘密を吐かせようとするデリラの「必殺お色気大作戦」の勝負どころである。アリア後半で、管楽器が次々と半音で降りてくる背景は、肌を撫でるデリラの指のようでもあり、堕ちていくサムソンの頭の中を表しているようでもあり、ぞくぞくする。そしてデリラの歌う旋律は、この上なく色っぽい。
カルメンがホセを誘惑する「セギディーリア」でも、途中で「たまらなくなってしまった」ホセが声を上げるが、このデリラのアリアでも、陥落したサムソンが「Je t’aime.(愛している)」と叫ぶ。私は別に誰かをたぶらかしたいわけではないが、このサムソンの叫びを聞くと、何とも言えない勝利感を覚えてしまう。これは女性に共通の感情なのだろうか。
ところで、我が家では10年以上前から様々な「読書会」を開いている。テキストに戯曲を使う読書会がもっとも楽しい。みな初見で、棒読みで良いので、集まった仲間に役を割り振って読んでいく。ギリシャ悲劇、ラシーヌ、モリエール、シェイクスピア、ホフマンスタール、コクトー、歌舞伎など、色々と読んできたが、私が常々感じているのは「悪い役ほど、読むのが快感だ」ということだ。普段絶対言えない(言わない)ことを口に出すとは、なんと爽快なことか。意地悪くほくそ笑む台詞を読むときの、なんと愉快なことか。
出版業界で長いことキャリアウーマンをしてこられた、クールで頭脳明晰な石田女史は、エウリピデスの「メディア」のメディア役を読んだとき、「なにかが、私の中で目覚めた。」と、それまで見たこともないような笑顔を浮かべておられた。実は、悪い役の中でも「悪女」を読むのは、この上ない快感である。カマトトぶったり、気取って意地悪を言ったり、上から目線で罵倒したり。自分にはない部分に、惹かれるのだろうか。それとも、女性には必ず「悪女」の要素があるのだろうか。
同じように、デリラのアリアも、聴くと独特の快感がわいてくる。色気で迫るデリラの歌に、いつの間にか入り込んでしまう。思わず身を捩ってしまう。サムソンの美しい対旋律が入ってくると、思わずニヤリとしてしまう。
女性陣のみなさん。きっとあなたの中にも、私の中にも、デリラが眠っている。もちろん、起きている人もいるだろうけれど。
このステキなエッセイを読んで、そのうち聴くのが楽しみになりました♪
コメントありがとうございました。これはピアノで弾く曲じゃないですよね(笑)。