音の向こうの景色

つらつらと思い出話をしながら、おすすめの名曲をご紹介

リヒャルト・シュトラウス 交響詩「ドン・キホーテ」

2006-03-03 22:10:56 | オーケストラ
 リヒャルト・シュトラウスの描写力は、すごい。どんな情景も、心の機微も、ありありと描き切ってしまう。まだ私が、彼の作品をひとつも聞いたことがなかった頃、「リヒャルト・シュトラウスって人は、音楽で、何でも描けたんだよ。」と父が教えてくれた。今なら、その意味がよくわかる。どの曲を挙げてもよいが、交響詩「ドン・キホーテ」は、まさに、映像そのものだ。チェロがドン・キホーテの役になっていて、その気高い語り口は、映画でも見ているかのように伝わってくる。嵐のシーンなど、風の圧力や温度まで感じさせる。
 しかし、私がこの曲で一番好きなのは、ヴィオラが担当するサンチョ・パンサが、主人に向かって一言申し上げるシーンである。シリアスな曲の中で、ふっと息をつかせてくれる一節であり、そこに来ると思わず顔が緩んでしまう。「へいへい、旦那~、そんな大層なこたぁ、よしましょうぜ。酒はうまいし、ねーちゃんはきれい。そんな難しい顔してねぇで、ま、ま、とりあえず楽しみましょうや。」という声が、私には、はっきり聞こえてくるのだ。
 あるとき、殿方にこの話をしたら、「あなたは女性なのにどうしてわかるのか?」と訊かれてしまった。答えは簡単。私もサンチョみたいなものだからだ。というより、大方の人間は、サンチョ側なのだと思うのだが、どうだろうか。
 サンチョ・パンサは、小さい(深く共感!)。頭もよくないし、臆病だし、崇高な目標もない(さらに深く共感!)。世俗の人なのだ。だから、私はこのフレーズが大好きである。この楽しさと、穏やかさが、たまらない。そして、リヒャルト・シュトラウスが、これをこんなに上手に描き切っているのだから、天才の彼にもきっと「サンチョな」部分があったに違いない、と思うのである。そう思うと、またなんとなく顔が緩む、という具合である。
 交響詩「ドン・キホーテ」では、この後、サンチョの言葉にドン・キホーテが怒り出し、壮大な夢を語る。この部分の音楽は、この世のものとは思えない美しさがある。いや、こういう気高さであればこそ、文学になり、音楽になるのだ。人はそれに勇気づけられ、鼓舞され、明日を生きる。

-まあ、高邁な精神も結構だけど、俗世も悪くないっすよ、旦那。