昨日、家に戻ると、窓の向こうに美しい画が広がっていた。都会のビルに切り取られた小さな夕焼け空に、まだ若いアルテミス(月)と、あふれるばかりの光を放つアフロディーテ(ヴィーナス・金星)が、一緒に浮かんでいた。しばらく見ていると、ビルの額縁の左上から静かにゼウス(木星)が現われた。日の沈んだ濃紺を背景に、ゼウスに拝謁する女神たちの図を、はからずも堪能してしまった。
空を眺めながら、なにげなく口をついて出てきたのは、ワーグナーの「夕星の歌」。宵の明星を見上げて歌われる、やさしくあたたかいアリアだ。低く鼻歌を歌って見ているうちに、中1のときに見た、金星食のことを思い出した。家の前にあった広場に、口径6センチの屈折望遠鏡を持ち出して、家族や近所の人達と騒いだ。金星が月の地球照(欠けている月の暗く見える部分)に吸い込まれる瞬間と、影から出てきた金星が、まるで真珠のアクセサリーのように三日月の先に輝いていたのが、まぶたに焼き付いている。
小学5年生ぐらいから、天文学者になりたいと思っていた。都心でも、真冬になればいくつかの星座は見える。寒い夜は望遠鏡を担ぎ出して、マンションの駐車場で時を忘れた。早見番を片手に、首が痛くなるまで星座を探した。メールもインターネットもなかった当時、「まきな天文台」の感動は、「パソコン通信」で知り合いに発信した。いつの間にか、8.6年前のシリウスが身近な存在になり、すばるが隣町の庭のような気になっていた。
小学校の卒業文集には、将来の夢の欄に「NASAに行くこと」と書いた。宇宙飛行士ではなくて、「管制塔の大型スクリーンの前で、マイクのついたイヤホンをつけて、ロケットと交信している人」に憧れたのだ。おそらく、アポロのドキュメンタリー映像にでも触発されたのだと思うのだが、あんなにカッコイイ職業はないと確信していた。そういえば数年前、ヒューストンのスペース・センターを訪れたとき、60年代に使われていたという管制室を目の前にして、思わず涙が出てしまった。ガラス張りの見学室の一番前の真ん中に陣取って、一人で感極まっていると、ガイドの人が微笑んで、私に言った。「そこに、ケネディが座っていたのですよ。」鳥肌が立った。
中3までは、トイレに宇宙地図を貼ったり、ほとんど理解できないままホーキング先生の本を読んだりしていたのだが、いかんせん力学の不得意さがネックだった。小学校で習う「てこ・滑車・天秤」から、まったくできなかったのだ。だいたい、「ただし、ひもの重さはないものとする」といった類の注意書きが、不気味でしょうがなかった。結局、天文学はあっさりあきらめてしまったものの、高校時代以降も、よく望遠鏡をベランダに出していた。
自慢の口径11センチの屈折望遠鏡。「もうこれから、クリスマスも誕生日もお年玉もいらないから!」と、これだけは親に何度も頼み込んで買ってもらった宝物だった。月のクレーターは、まるで自分の肌の毛穴のようによく見え、手触りまで感じられる気がした。暗闇に音もなくぽっかりと浮かぶ土星の不思議さは、この世のものとは思われなかった。木星の縞の上に黒い衛星の点を見つけて感激したときは、BGMにホルストの「木星」をかけて、一人で大盛り上がりした。本当の天文学は決して甘ったるいロマンではないが、私は銀河系の片隅で、小さな発見に感動する詩的な瞬間を楽しめれば、とにかくそれでよかった。
そんな「ときどきちょっと覗く」程度の趣味だったので、望遠鏡には赤道儀をつけないままにしていた。つまり、手動で星を追っかけながら見る必要があったのだ。やっと中央に捉えても、あっという間に視界から消えていく天体。地球の自転を体感しながら、レバーを回して、それをいそいそと追いかける。やっぱり赤道儀を付けるべきかと迷っていたら、あるとき、知り合いの先生に「赤道儀なしだと、ガリレオの気持ちがわかっていいんじゃない?」と言われたので、大いに満足した。ガリレイは、彼のシンプルな望遠鏡で、星を追いかけながらどんなに目を凝らしていただろうか。
それにしても、星のまたたきは、なぜ人を惹きつけるのだろう。昨日も宵の明星を見つめながら、またそう思った。なぜ、こんなに美しいと感じるのだろう。なぜか神聖なものを覚えて、祈りたくなったりする。街のあかりがこれだけ灯っていても、なぜか星を眺めて、願い事を言ってみたりするのだ。「夕星の歌」も、自分の思いの届かなかった女性を、どうか空から見守ってほしいと星に託して、そっと願う歌である。
もう10年も前のことだが、とても親しかった人と、夜空の下で話したことがあった。東京のベランダからも、明るい星がいつくも見えた。二人で何気なく「夕星の歌」を口ずさんでいると、流れ星が頭上を過ぎって行った。私は「あなたが幸せになりますようにと祈ったよ」と言った。言葉にしたら、なんだか偽善的で嘘っぽくて、嫌になってしまった。本当は、星の下に跪きたいような、素直な気持ちだったのに。胸の奥では、ずっとアリアのメロディーが流れていた。私達は決して結ばれないと知っていたけれど、驚くほどあたたかい気持ちだった。
空気が澄んで、星のきれいな季節になった。その人は、今ではどこにいるのかもわからないけれど、彼にも、私にも、そしてこれを読んで下さったあなたにも、アフロディーテのお恵みが、「適度に」ありますように。夕星が、やさしく見守ってくれますように。
空を眺めながら、なにげなく口をついて出てきたのは、ワーグナーの「夕星の歌」。宵の明星を見上げて歌われる、やさしくあたたかいアリアだ。低く鼻歌を歌って見ているうちに、中1のときに見た、金星食のことを思い出した。家の前にあった広場に、口径6センチの屈折望遠鏡を持ち出して、家族や近所の人達と騒いだ。金星が月の地球照(欠けている月の暗く見える部分)に吸い込まれる瞬間と、影から出てきた金星が、まるで真珠のアクセサリーのように三日月の先に輝いていたのが、まぶたに焼き付いている。
小学5年生ぐらいから、天文学者になりたいと思っていた。都心でも、真冬になればいくつかの星座は見える。寒い夜は望遠鏡を担ぎ出して、マンションの駐車場で時を忘れた。早見番を片手に、首が痛くなるまで星座を探した。メールもインターネットもなかった当時、「まきな天文台」の感動は、「パソコン通信」で知り合いに発信した。いつの間にか、8.6年前のシリウスが身近な存在になり、すばるが隣町の庭のような気になっていた。
小学校の卒業文集には、将来の夢の欄に「NASAに行くこと」と書いた。宇宙飛行士ではなくて、「管制塔の大型スクリーンの前で、マイクのついたイヤホンをつけて、ロケットと交信している人」に憧れたのだ。おそらく、アポロのドキュメンタリー映像にでも触発されたのだと思うのだが、あんなにカッコイイ職業はないと確信していた。そういえば数年前、ヒューストンのスペース・センターを訪れたとき、60年代に使われていたという管制室を目の前にして、思わず涙が出てしまった。ガラス張りの見学室の一番前の真ん中に陣取って、一人で感極まっていると、ガイドの人が微笑んで、私に言った。「そこに、ケネディが座っていたのですよ。」鳥肌が立った。
中3までは、トイレに宇宙地図を貼ったり、ほとんど理解できないままホーキング先生の本を読んだりしていたのだが、いかんせん力学の不得意さがネックだった。小学校で習う「てこ・滑車・天秤」から、まったくできなかったのだ。だいたい、「ただし、ひもの重さはないものとする」といった類の注意書きが、不気味でしょうがなかった。結局、天文学はあっさりあきらめてしまったものの、高校時代以降も、よく望遠鏡をベランダに出していた。
自慢の口径11センチの屈折望遠鏡。「もうこれから、クリスマスも誕生日もお年玉もいらないから!」と、これだけは親に何度も頼み込んで買ってもらった宝物だった。月のクレーターは、まるで自分の肌の毛穴のようによく見え、手触りまで感じられる気がした。暗闇に音もなくぽっかりと浮かぶ土星の不思議さは、この世のものとは思われなかった。木星の縞の上に黒い衛星の点を見つけて感激したときは、BGMにホルストの「木星」をかけて、一人で大盛り上がりした。本当の天文学は決して甘ったるいロマンではないが、私は銀河系の片隅で、小さな発見に感動する詩的な瞬間を楽しめれば、とにかくそれでよかった。
そんな「ときどきちょっと覗く」程度の趣味だったので、望遠鏡には赤道儀をつけないままにしていた。つまり、手動で星を追っかけながら見る必要があったのだ。やっと中央に捉えても、あっという間に視界から消えていく天体。地球の自転を体感しながら、レバーを回して、それをいそいそと追いかける。やっぱり赤道儀を付けるべきかと迷っていたら、あるとき、知り合いの先生に「赤道儀なしだと、ガリレオの気持ちがわかっていいんじゃない?」と言われたので、大いに満足した。ガリレイは、彼のシンプルな望遠鏡で、星を追いかけながらどんなに目を凝らしていただろうか。
それにしても、星のまたたきは、なぜ人を惹きつけるのだろう。昨日も宵の明星を見つめながら、またそう思った。なぜ、こんなに美しいと感じるのだろう。なぜか神聖なものを覚えて、祈りたくなったりする。街のあかりがこれだけ灯っていても、なぜか星を眺めて、願い事を言ってみたりするのだ。「夕星の歌」も、自分の思いの届かなかった女性を、どうか空から見守ってほしいと星に託して、そっと願う歌である。
もう10年も前のことだが、とても親しかった人と、夜空の下で話したことがあった。東京のベランダからも、明るい星がいつくも見えた。二人で何気なく「夕星の歌」を口ずさんでいると、流れ星が頭上を過ぎって行った。私は「あなたが幸せになりますようにと祈ったよ」と言った。言葉にしたら、なんだか偽善的で嘘っぽくて、嫌になってしまった。本当は、星の下に跪きたいような、素直な気持ちだったのに。胸の奥では、ずっとアリアのメロディーが流れていた。私達は決して結ばれないと知っていたけれど、驚くほどあたたかい気持ちだった。
空気が澄んで、星のきれいな季節になった。その人は、今ではどこにいるのかもわからないけれど、彼にも、私にも、そしてこれを読んで下さったあなたにも、アフロディーテのお恵みが、「適度に」ありますように。夕星が、やさしく見守ってくれますように。