音の向こうの景色

つらつらと思い出話をしながら、おすすめの名曲をご紹介

ダンディ フランスの山人の歌による交響曲

2006-12-05 22:40:14 | オーケストラ
 オランダのデン・ハーグに、音楽仲間がいる。厚生省に勤める法律家のBart、私にとっては「ヨーロッパのお父さん」といったところだ。ハーグを訪ねると、ご飯と散歩の時間以外は、延々、二人で連弾をする。アマチュアのピアニストで、彼ほど初見がきく人にはお目にかかったことがない。ブラームスだろうが、ヒンデミットだろうが、口を半開きにしたまま、じゃんじゃん弾いてしまう。呆気にとられて、こちらも口が開いてしまう。
 Bartと出会ったのは、7年ほど前、生命倫理関連の小さな学会だった。レセプションでたまたま同じテーブルについたのが、フランス人の法律家と、ラフマニノフの子孫だというスイスの法律家と、Bartだった。4人で音楽談議に花が咲き、お酒が進んだ。ところが、ふと気が付くと、彼らの話している内容がまったくわからない。ひどく酔っ払ってしまったのかなと思って、冷静に耳を澄ましてみたら、彼らは楽しそうにフランス語で会話をしていた。取り残された私を気遣って、英語に訳してくれたのがBartだった。
 翌朝、会議室にやってきた彼は、得意気に分厚い書類を差し出した。彼の「楽譜の蔵書リスト」だった。めくってみると、連弾譜の量が半端ではない。我が家の自慢のコレクションを超えている。「この曲はやったことがあるか」「あの曲は弾いたことがあるか」という話題で白熱し、我々は即、意気投合した。
 最初に彼の家を訪れて驚いたのは、楽譜のコレクションの大半が「古書」であることだった。ヨーロッパには、楽譜の古書を販売するお店が多くあり、古書の専門店まである。そこでは、すでに絶版になっているマニアックな「お宝」楽譜が、二束三文で売られているのだ。そこで私は、ハーグへ行くと、Bartの馴染みの古書店を「はしご」して、埃まみれになって宝探しをする。楽譜の山を抱えて帰ると、Bartの奥さんが、「日本にも同じような物好きがいるんだねえ!」と言って、豪快に笑う。
 さて、ヨーロッパに行くたびに私が探していた譜面の一つが、ダンディの「フランスの山人の歌による交響曲」の楽譜だ。タイトルは長ったらしいが、非常にさわやかで、夏の山の空気が感じられる素敵な曲だ。のびやかな木管の素朴なメロディーが、気持ちよく染み込んでくる。ピアノが効果的に使われていて、交響曲というよりもピアノ協奏曲の趣が強い。三楽章の冒頭のノリの良さが大好きで、聴くと思わず踊り出したくなる。
 あるとき、この曲の2台ピアノ編曲が出版されていることを知ったのだが、すでに絶版。古書店を訪ねるたびに探してみたが、見つからなかった。おまけにダンディは「d'Indy」という綴りなので、彼の作品は「I」のコーナーに置かれているのだが、私はずっと「D」のコーナーを探していた始末だった。
 論文のためのインタビューで、バーゼルを訪れたときのことだ。ほんの少し時間が空いたので、早速その土地の楽譜店へ行くことにした。当時私は、ヨーロッパの「音楽手帳」(業界人や愛好家が使うものらしい)を使っていたのだが、その巻末の付録にバーゼルの楽譜屋の広告を見つけたのだ。バスに飛び乗り、小さなお店にたどり着くと、入り口の脇の足元に「古書コーナー」があった。かがみこんで、薄汚い紙の山に手を突っ込むと、いきなり「Vincent D'indy」の文字が目に入った。
 フランスの山の人の歌の交響曲だ!(「の」が多い!) それも、1台はピアノ独奏、もう1台は4手でオーケストラパート、という珍しい編曲だ。譜面の状態も良い。値段も安い。難しくてとても弾けそうにないという点を除けば、最高だ。感激のあまり叫び出しそうなのを抑えながら、一冊のお宝を買った。
 その夜、電話で報告すると、Bartは異様にくやしがっていた。「レアもの」を先に取られた、という感情なのだろう。それ以来彼は、マニアックな譜面が手に入ると、「どうだすごいだろう」と言わんばかりのメールをくれるようになった。日本にいる限りは、やられっぱなしである。
 本や楽譜との出会いは、まさに「一期一会」だ。人の出会いと同じように。世界のどこかで、私を待っている一冊がある。これからどこかで出会う人がいる。この交響曲を聴きながら、そんな不思議な縁に思いを馳せる。この曲のテーマの民謡が生まれたセヴェンヌ地方の山々も、きっと私を待っている。いつか必ず、眺めてみたい。