「今年も無事にクリスマス・レクチャーin Japanが終わりましたよ」と、ご連絡をいただいた。2008年から昨年まで計4回、仕事でお手伝いさせていただいたイベントだ。今年の模様は、秋にEテレ(NHK教育)で放映されるらしい。
「クリスマス・レクチャー」は、英国でマイケル・ファラデーの時代から続く、子供向けの実験ショーだ。有名な科学者が、クリスマスの贈り物として、子供達に科学の魅力を伝える。矢継ぎ早に行われるデモンストレーションが特徴で、客席の子供が舞台に上がり、いくつもの実験に参加する。20数年前から、読売新聞社とブリティッシュ・カウンシルが共催で、これを翌夏に「輸入」している。会場は毎年満席で、好奇心にあふれたキラキラした瞳が並ぶ。
公演の直前になると、イギリスから大道具が届き、講師と数人のアシスタントが来日する。音響・照明などの舞台スタッフさんや、同時通訳さん、運営スタッフさんたちが一緒になって、本番のホールで内容を詰めていく作業は、オペラとよく似ている。大学生のボランティア・スタッフも加わって、現場は活気づく。
お手伝いしたどの公演も楽しかったが、2009年のことが最も印象に残っている。この年私は、生まれて初めてと言ってよいほど、「チームワーク」の醍醐味を体感した。――まず自分の仕事を楽しんでやる。それぞれが独立して、持ち分の作業を進んでやる。互いを尊重し、互いに聴き合う。できることは助け、助けられる。そしてひとつのものができあがる。それが驚くほどに、新鮮だった。
実はそれまで私は、「チームワークは苦手」だと思っていた。幼い頃から基本的に一人で行動するほうが楽だったからだ。高校時代には「皆で相談しているヒマがあったら、自分で決めてさっさと実行したい」と考えていたし、会社を始めたときも、誰かと立ち上げるなんて考えもしなかった。役割分担のしくみは理解していたが、チームとして動く面白さは、よくわからなかった。要は、好き放題わがままが言えないのはイヤだ、と思っていたのだ。
2009年のクリスマス・レクチャーの大阪公演の仕込み中、ある夜、スタッフチームでわいわいと梅田スカイビルの展望台に登った。見上げると、くっきりと明るい星が見えた。ロンドンから来たアシスタントのルイスは宇宙生物学が専門だったので、夜空を指して確かめてみた。「Is that Jupiter?(あれは木星?)」「Yeah. (うん)」あまりにも何でもない会話だったのだが、そのときなぜか私は、ふっと肩の力が抜けた。
ああそうか、全部自分でやろうとしなくてよいのだ。教えてもらえるのだ。助けてもらえるのだ。それぞれ己の足で立っているから、大丈夫なのだ。私が東京公演で大失敗をしたときも、みな素早く、静かに救ってくれたではないか。はっとして周りを見回すと、思い思いに夜景を楽しむチームの皆がいた。みんなこんなにもバラバラで、でもそれぞれが楽しそう・・・これがいいのだ。
公演終了後、観光で訪れた京都の三十三間堂の縁側で、ぼんやりと青空を見ていると、イギリス人たちがやってきて、右手を差し出した。「楽しかったね、今回はありがとう。」私も応えた。「ありがとう。」そのとき、またはっとした。ああ、チームメイトに感謝するってこういうことなのか。信頼関係って、実績を見せつけて勝ち得るようなものではなくて、お互いを尊重して築いていくものなのか。向こうから、仏像群を堪能したチームの皆がニコニコと歩いてくる。心がやわらかくなるのを感じた。
思えば私は、いつもプロジェクトの成功ばかり見つめて、キリキリしていた。事を成就させることだけに必死で、人を見ていなかったのだ。思い返せば、中学時代の合唱コンクールもそう、高校時代の部活もそう、大学時代のコーラスもそうだった。ポスドク時代のイベントもしかり、会社を作ってからは、なおさら。本当はいつだって、みんなが気持ちよく仕事をすることを考えることが大事だったのだ。
先日友人にこの話をしたところ、「牧菜は、音楽をやるときは、そうは見えないのにね。」と言ってくれた。なんだかとても嬉しかった。「合奏しているときは、人と一緒に何かをやるのがとても好きそう」なのだそうだ。言われてみれば、室内楽はチームワークそのものだ。皆それぞれが違うことをやって、それを聴いて合わせたり、引っ張ったり、ついていったりする。それが私にとっては、世の中のどんなことよりも楽しい。
仲間と音楽をする楽しさを強く感じる曲といえば、シューベルトのピアノ五重奏「鱒」だ。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ピアノという変わった編成で、アマチュアが遊ぶには、どのパートも難しい。それでも弾くたびに「楽しい」と心の底から思う。私は大抵ピアノに座るのだが、一緒に弾いてくれる仲間がいて良かった、と思ってうれしくて涙が出そうになることがある。1楽章の展開部と、5楽章で3連符に伴われてクレッシェンドするときは、いつも胸が震える。
チェロを弾く愛好家の依頼で書かれたというこの五重奏。シューベルトは、「仲間と遊ぶための曲」として書いたに違いない。そして彼は、どうやったらみんなが楽しく音楽ができるのか、よくわかっていたのだ。この曲は、参加した全員が楽しくなるようにできている。そして互いに支え合い、聴き合う喜びに満ちている。依頼者の希望で、4楽章には作曲者自身の歌曲「鱒」をテーマにした変奏曲が入っているが、順番に各楽器がメロディーを担当する。それぞれが持ち味を発揮して、至福の瞬間を味わえるようにできている。
この五重奏を聴くたび、そして仲間と一緒に弾くたびに、思う。チームワークは、肩肘張って構築しようと努力するものではないのだな、と。もっとおおらかに、自立したメンバーがそれぞれの持ち味を寄せ合って、作るものなのだ。何かプロジェクトの成否ばかりが気になるときには、また「鱒」を聴く。自分と一緒に活動してくれる仲間の有難味を、もう一度思う。魚が清流を泳ぐように、のびやかな音楽。ヒントはここにある。
「クリスマス・レクチャー」は、英国でマイケル・ファラデーの時代から続く、子供向けの実験ショーだ。有名な科学者が、クリスマスの贈り物として、子供達に科学の魅力を伝える。矢継ぎ早に行われるデモンストレーションが特徴で、客席の子供が舞台に上がり、いくつもの実験に参加する。20数年前から、読売新聞社とブリティッシュ・カウンシルが共催で、これを翌夏に「輸入」している。会場は毎年満席で、好奇心にあふれたキラキラした瞳が並ぶ。
公演の直前になると、イギリスから大道具が届き、講師と数人のアシスタントが来日する。音響・照明などの舞台スタッフさんや、同時通訳さん、運営スタッフさんたちが一緒になって、本番のホールで内容を詰めていく作業は、オペラとよく似ている。大学生のボランティア・スタッフも加わって、現場は活気づく。
お手伝いしたどの公演も楽しかったが、2009年のことが最も印象に残っている。この年私は、生まれて初めてと言ってよいほど、「チームワーク」の醍醐味を体感した。――まず自分の仕事を楽しんでやる。それぞれが独立して、持ち分の作業を進んでやる。互いを尊重し、互いに聴き合う。できることは助け、助けられる。そしてひとつのものができあがる。それが驚くほどに、新鮮だった。
実はそれまで私は、「チームワークは苦手」だと思っていた。幼い頃から基本的に一人で行動するほうが楽だったからだ。高校時代には「皆で相談しているヒマがあったら、自分で決めてさっさと実行したい」と考えていたし、会社を始めたときも、誰かと立ち上げるなんて考えもしなかった。役割分担のしくみは理解していたが、チームとして動く面白さは、よくわからなかった。要は、好き放題わがままが言えないのはイヤだ、と思っていたのだ。
2009年のクリスマス・レクチャーの大阪公演の仕込み中、ある夜、スタッフチームでわいわいと梅田スカイビルの展望台に登った。見上げると、くっきりと明るい星が見えた。ロンドンから来たアシスタントのルイスは宇宙生物学が専門だったので、夜空を指して確かめてみた。「Is that Jupiter?(あれは木星?)」「Yeah. (うん)」あまりにも何でもない会話だったのだが、そのときなぜか私は、ふっと肩の力が抜けた。
ああそうか、全部自分でやろうとしなくてよいのだ。教えてもらえるのだ。助けてもらえるのだ。それぞれ己の足で立っているから、大丈夫なのだ。私が東京公演で大失敗をしたときも、みな素早く、静かに救ってくれたではないか。はっとして周りを見回すと、思い思いに夜景を楽しむチームの皆がいた。みんなこんなにもバラバラで、でもそれぞれが楽しそう・・・これがいいのだ。
公演終了後、観光で訪れた京都の三十三間堂の縁側で、ぼんやりと青空を見ていると、イギリス人たちがやってきて、右手を差し出した。「楽しかったね、今回はありがとう。」私も応えた。「ありがとう。」そのとき、またはっとした。ああ、チームメイトに感謝するってこういうことなのか。信頼関係って、実績を見せつけて勝ち得るようなものではなくて、お互いを尊重して築いていくものなのか。向こうから、仏像群を堪能したチームの皆がニコニコと歩いてくる。心がやわらかくなるのを感じた。
思えば私は、いつもプロジェクトの成功ばかり見つめて、キリキリしていた。事を成就させることだけに必死で、人を見ていなかったのだ。思い返せば、中学時代の合唱コンクールもそう、高校時代の部活もそう、大学時代のコーラスもそうだった。ポスドク時代のイベントもしかり、会社を作ってからは、なおさら。本当はいつだって、みんなが気持ちよく仕事をすることを考えることが大事だったのだ。
先日友人にこの話をしたところ、「牧菜は、音楽をやるときは、そうは見えないのにね。」と言ってくれた。なんだかとても嬉しかった。「合奏しているときは、人と一緒に何かをやるのがとても好きそう」なのだそうだ。言われてみれば、室内楽はチームワークそのものだ。皆それぞれが違うことをやって、それを聴いて合わせたり、引っ張ったり、ついていったりする。それが私にとっては、世の中のどんなことよりも楽しい。
仲間と音楽をする楽しさを強く感じる曲といえば、シューベルトのピアノ五重奏「鱒」だ。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、ピアノという変わった編成で、アマチュアが遊ぶには、どのパートも難しい。それでも弾くたびに「楽しい」と心の底から思う。私は大抵ピアノに座るのだが、一緒に弾いてくれる仲間がいて良かった、と思ってうれしくて涙が出そうになることがある。1楽章の展開部と、5楽章で3連符に伴われてクレッシェンドするときは、いつも胸が震える。
チェロを弾く愛好家の依頼で書かれたというこの五重奏。シューベルトは、「仲間と遊ぶための曲」として書いたに違いない。そして彼は、どうやったらみんなが楽しく音楽ができるのか、よくわかっていたのだ。この曲は、参加した全員が楽しくなるようにできている。そして互いに支え合い、聴き合う喜びに満ちている。依頼者の希望で、4楽章には作曲者自身の歌曲「鱒」をテーマにした変奏曲が入っているが、順番に各楽器がメロディーを担当する。それぞれが持ち味を発揮して、至福の瞬間を味わえるようにできている。
この五重奏を聴くたび、そして仲間と一緒に弾くたびに、思う。チームワークは、肩肘張って構築しようと努力するものではないのだな、と。もっとおおらかに、自立したメンバーがそれぞれの持ち味を寄せ合って、作るものなのだ。何かプロジェクトの成否ばかりが気になるときには、また「鱒」を聴く。自分と一緒に活動してくれる仲間の有難味を、もう一度思う。魚が清流を泳ぐように、のびやかな音楽。ヒントはここにある。