音の向こうの景色

つらつらと思い出話をしながら、おすすめの名曲をご紹介

中田喜直 むこうのきしへ

2013-04-24 23:42:25 | オペラ・声楽
 急に親子コンサートをやることになり、久しぶりに童謡を弾いている。それも私の好きな童謡ばかりだ。私が幼い頃に十八番として歌っていた曲もある。前奏を弾いていると、もう飛び出して行って大声で歌いたくなる。小学校にあがる前の記憶があれこれと蘇り、一緒に演奏するメンバーと、それぞれの子供時代の話に花が咲く。
 うちの両親も祖母たちも、よく歌を歌ってくれた。我が家には童謡のレコードやテープがたくさんあった。私はもちろん、歌うのが大好きな子供だった。父が若い頃、佐藤義美先生(「犬のおまわりさん」の詩人)にお世話になっていたこともあり、私は特に1950年以降に作られた、いわゆる「現代童謡」をしっかり体の中に蓄えて育った。初めてそれに気が付いたのは、中学3年のときだった。
 ある日、6時間目が終わった後、私はふと鼻歌を歌った。確かとても暑い日で、「どうぶつえんは38ど」を歌ったのだと思う。「何? そのヘンな歌」隣の席のはんちゃんが訊いた。私は「え、知らないの?」と言って、最後まで歌った。はんちゃんが声を上げて笑った。子供の頃は当たり前に聞いていたが、冷静に歌ってみれば、なかなか面白い歌詞ではないか。そこで、同じレコードに入っていた童謡を次々歌ってみせると、はんちゃんがお腹を抱えて笑った。「まきな、よくそういう歌知ってるね。」言われた瞬間、はっとした。私は一体、何曲ぐらい童謡を知っているのだろうか。
 クラスで終礼が始まるや否や、手元にあった紙切れに、片っ端から知っている子供の歌を書き出した。唱歌と童謡の区別もわからなかったが、とりあえず「テレビの歌」や「アニメの歌」でない子供の歌だけ、書くことにした。一心不乱に曲名を並べて、紙がいっぱいになったところで数えたら、200曲ほどあった。自分はこんなにもたくさんの歌を覚えて、育ったのか。他人と比べて、自分がより多く知っているのかどうかは不明だったが、両親と、学校と、それまで生きてきた環境に、初めて本気で感謝した。
 我が家には、現代童謡集の楽譜が2冊ある。父がこれをよくピアノで弾いてくれて、幼い私はカラオケのように歌いまくった。目次を見ると、代表的な詩人は、義美先生のほか、まどみちおさん、サトウハチローさん、阪田寛夫さん。作曲家で言うと中田喜直さん、大中恩さん、山本直純さん、湯山昭さん。他にも錚々たる顔ぶれの作品が並ぶ、宝石箱のような童謡集だ。
 私がもっともよく聞いたレコードは、中田喜直さんと、大中恩さんの曲集だったと思う。父はレコードからカセットテープにダビングして、車の中で流してくれた。運転席と助手席の間から顔を出しながら、私は延々と歌い続けたらしい。歌っていないときは、ひたすら喋っていたので、よく母に「お願いだから、時計のこの文字が5になるまで、黙ってて」などと言われたものだ。さらに高速道路でときどき車のチャイムが鳴ると、「ほら、マキ、おしゃべりお休みしなさいって、車が言ってるよ」と父が言った。時速100キロを超えると車の警告チャイムが鳴るという秘密は、長いこと明かされなかった。
 さて、幼い私の十八番の中の十八番は、中田喜直さんの「むこうのきしへ」だったらしい。母の話によると、福島の祖母宅で、座布団を重ねてお立ち台を作り、独演会状態でこれを歌っていたそうだ。いまだに、いつ歌っても、心から好きな歌だと思う。名曲である。
 この歌は「こどものための8つのうた」という歌曲集に入っていて、子供が歌う童謡というよりは、「子供に歌ってあげる大人の歌」である。いずれも歌詞はやさしいが、変拍子があったり、和声も複雑だったりして、音楽は純粋な芸術歌曲の体だ。8つの曲のうち、この「むこうのきしへ」だけが、子供でも歌える素朴な有節歌曲になっている。
 ♪むこうのきしの もものはなのみつが なめたいのかな ちいさなちょうちょさん ―小さなちょうちょが、大きな河を渡ろうとしている。危なげだけれど大丈夫かな。自分はただ祈るような気持ちで見守っている― そんな歌だ。大人になった私は、この歌が究極の愛の詩のように思えてならない。親はみんな、こんな気持ちで子どもを歩かせ始めるのではないかと、想像するのだ。
 我が家の現代童謡集の楽譜には、クレヨンの派手な悪戯書きが残っている。犯人は、この楽譜を開くのが好きだったに違いない、幼い私だ。30年以上経っても、この楽譜を開いて演奏ができることに、もう一度感謝する。やさしい親御さんたちにそっと見守られながら、元気に歌ってくれる子供たちに会えるのが、とても楽しみだ。