音の向こうの景色

つらつらと思い出話をしながら、おすすめの名曲をご紹介

リスト 巡礼の年 第2年 イタリア 第7番「ダンテを読んで」

2010-01-11 11:37:24 | ピアノ
 ダンテを読んだ。「神曲」百篇、毎日1篇ずつ、ちびちび読んだ。本棚の隅で、ずっといかめしい顔をしていた3冊組。とうとう手を伸ばしてみた。残念ながら私はまったくイタリアの政治史を知らないので、7割以上は読まなかったも同然かもしれないのだが、それでも楽しめる点は沢山あった。予想外の面白さだった。
 実は私は、小説・物語の類は、お風呂で少しずつ読んでいる。小説を読むときには、いくつか気をつけていることがある。ひとつ、電車の中で読まない。あっさり乗り過ごしてしまうから。ひとつ、寝る前に読まない。学生時代、布団の中で「モンテ・クリスト伯」を読んで、何日も徹夜して以来、夜寝る前は、聖書か詩だけを読むことに決めた。
 ひとつ、今読んでいる本の題名をなるべく人に言わない。特に、父親には言わないように気をつけている。父は私をからかって「そのあと、こうなるんだよなー」とか、「○○は出てきた?」とか、その先の筋を平気でばらしてしまうので、楽しみが台無しになる危険がある。読み終わるまでは、ぐっとこらえて感想を言わないようにしている。
 というわけで、毎晩湯船につかりながら、読書をする。極上の幸せである。スタンダール、バルザックや、ロマン・ロランとも、いわば「ハダカの付き合い」だ。時間が経てばのぼせるので読み過ぎないし、お風呂場なら大声で笑っても泣いても大丈夫だ。ちびりちびりと、自分のペースで読み進めることができる。
 さて、ダンテを読んで。(ネタバレの可能性があります、と前置きしよう。)恥ずかしながら、まったく何の予備知識もないまま読み始めたので、びっくりの連続だった。本を開けたら、いきなりウェルギリウスが登場。彼もやはり風呂場の友だったので、早速、旅が楽しくなる。地獄では、フランチェスカ・ダ・リミニや、ジャンニ・スキッキに出会い、感激して声を上げた。スキッキのくだりを読んだ直後にオペラを観て、「そうか、ダンテのほうが種本なんだ…」と一人で苦笑。情けない。
 神曲に描かれている地獄では、罪の種類によって、死後に行くべき階層が決まっている。そこで、「地獄篇」を読んでいる間は「私はこの階層に落ちるのかな」と、毎日自分の行状を反省していた。しかし、罪をつぐなって天国に行く途中である「煉獄編」に至ると、気分が一変。自分のために「とりなしの祈り」をして助けてくれるかもしれない、周りの敬虔なクリスチャンを思い浮かべる。「長津先生もいるし、高橋さんもいるし、櫻井もいるし。ま、割と天国に近いとこ行けるんじゃないかな…」完全に他力本願な自分にふと気づいて、思わずまた苦笑。情けない。
 主要な登場人物もそれぞれ人間味があって、ときどき笑みがもれてしまった。ダンテの臆病さや世俗っぽさには、なんだか親近感が湧いた。詩人スタティウスに会ったとき、ウェルギリウスが「オレが誰だか、ばらすなよ」とダンテに目くばせするシーンも、かわいくて気に入った。そして、満を持してやっと登場したベアトリーチェが、いきなりダンテを叱り飛ばすところは最高だった。どれだけ穏やかで優美な女性が登場するかと思いきや、あまりにおっかないので、お湯を叩いて爆笑してしまった。
 そして、リストの「ダンテを読んで」。天国の高みへ登って本を閉じた後、改めて聴いてみた。私の卑近な読後感を吹っ飛ばす重厚感。特撮もCGもない時代に、彼が音楽で描いた「神曲」の世界。リストは一体、どんな気持ちで読んだのだろう。そこに思いを沿わせながら聴くと、格別に美しく感じる。
 曲のタイトルは、ヴィクトル・ユゴーの同名の詩から取られたそうだ。この詩の一行目は「詩人が地獄を描くとき、彼は己の人生を描く」。これを拡大解釈すれば、リストの描いた地獄もまた、彼の人生の投影なのではないか。考えてみれば、人それぞれが思い描くのは、その人にとっての「地獄」であり、「天国」なのだ。
 ダンテを読んで、リストは曲を書き、ユゴーは詩を書き、ドレは絵を描き、ロダンは門を作った。先日友人に紹介された記事を読んで知ったのだが、2000年に英国のタイムズ紙が文学評論家に対してアンケートを行った際、この千年で最も偉大な作品として「神曲」が選ばれていたのだそうだ。多くの芸術家や作家が触発された「神曲」。フィレンツェを追われたダンテの身に自分を重ねる人もあれば、歴史的な資料として紐解く人もいるだろう。それぞれ一体何に共感し、心を震わせるのか。私は、彼らと同じ本が読めるというだけで有難い。
 中学生の頃、よく図書館の書架の間に立ち尽くしながらぼんやり思った。「こんなに本がある。生きている間に、この1%も読めやしない。世界の知識は膨大すぎる。もっと早い時代に生まれていたら違ったかもしれないのに…」でも、今は思う。「後の世」に生まれてきたからこそ、素晴らしい先人の残した貴重な財産を味わえる。たとえそれがほんの少しであろうとも、同じ人間として、何某かを、彼らと共有できるのだから。リストを聴きながら、西洋文化の大きな流れの端に身を浸す、ささやかな幸せを感じている。