音の向こうの景色

つらつらと思い出話をしながら、おすすめの名曲をご紹介

ドナルドソン My blue heaven (私の青空)

2013-11-29 00:26:14 | その他
 先日、十数年ぶりに旧友に再会した。彼に初めて逢ったのは、私が17の夏。当時、輝く瞳の小柄な美少年だった彼は、今や自分の店を持つ立派なお父さんになっていた。昔話に花が咲き、記憶の底をひっくり返しているうちに、私は体の奥から、もやもやとした灰色の塊が湧きあがってくるのを感じた。17歳の気持ちが、蘇ったのだ。消化不良の憂鬱が、胸から口元までを塞いだ。
 17の頃、私は「My blue heaven」という歌をよく口ずさんでいた。日本語タイトルは「私の青空」。昭和のはじめに二村定一や榎本健一が歌ってヒットした。「♪狭いながらも楽しい我が家」という歌詞が有名なポピュラーソングだ。高3になった春、私は「洒落男たち(モダンボーイズ)」という演劇をBS放送で見て、この歌を覚えた。この舞台作品が、私の青春に、むしろ私の人生に、劇的な影響を与えた。
 舞台に描かれているのは、昭和初期の浅草。戦争へ向かう時代の中で、レビューを続けようとしたエノケン一座の舞台裏だ。「ベアトリ姐ちゃん」「東京行進曲」「ダイナ」「恋はやさし野辺の花よ」「洒落男」など、当時のヒット曲の断片が随所に散りばめられている。エノケン役は最後まで登場せず、主役は実在のレビュー作家・菊谷栄だ。
 ある日一座のもとへ、菊谷と同郷の若いマルクスボーイ・矢萩が逃げ込んでくる。一座は彼を匿うために、慌てて学生服を脱がせ、コーラスボーイに変装させる。小屋へ踏み込んで来た警官の前で、この帝大生は強いられて歌を歌う。それが「My blue heaven」。予想外の歌のうまさを買われた青年は、早速舞台に駆り出され、一躍レビューの寵児となる。
 しかし、世相は日に日にキナ臭くなり、元左翼として目をつけられた菊谷は、検閲に台本の書き直しを命じられるようになる。主義者の同士たちが弾圧され、次々と獄に投じられていくというのに、自分たちはレビューなんておちゃらけたことをやっていていいのか? 音楽を愛し、レビューを愛しながら、菊谷と矢萩は悩む。とうとう矢萩は立ち上がり、「無知なる」一座を焚き付け、シュプレッヒコールをあげさせる。赤い鉢巻きを締めて集まったレビューの仲間は、「大まじめに」インターナショナルを歌う。
 そこへ、皆から先生と慕われる菊谷が、顔を白く塗ってピエロの格好で現れる。「ぼくたちは、まじめにレビューをやろうよ!」レビューなんて、くだらない、ばかげてる、何の役にも立たないものかもしれない。それでも「劇場のドアを開け続けよう」と、切々と訴える。もしかしたら、社会に居場所のない誰かが、レビュー小屋の片隅でそっと心の重荷を下ろすかもしれない。極悪人だって、レビューの底抜けの明るさとナンセンスな「あちゃらか」で、ほんの一瞬笑うかもしれない。菊谷自身もそうであったように、暗い時代の中、レビューでほんのひとときの安堵を覚えるかもしれない。それは劇場に起こるひとつの奇跡なんだと、菊谷は説く。
 闘争から逃げてレビューをやるのか。社会に弱者があふれ、問題は山積しているのに、目を逸らしていいのか。矢萩青年が「まっとうな問い」を激しく繰り返す中、ヒロインの女性が叫ぶ。「逃げてなんかいないわ、好きなものに向かって走っただけよ!」
 まるで次元は違うのだが、進路に悩む17の私には、この言葉がまるで鋭いナイフのように突き刺さった。音楽がやりたい、舞台の世界にいたい、楽しいことがやりたい、と思う一方で、免罪符のように理系進学への準備をしていた私は、完全に打ちのめされた。検閲に言われるがまま台本を書き直し、なんとしてでもレビューを続けようとする作家の姿は、好きなものに向かって走ることができないでいる私を、強く揺さぶった。
 芝居のラスト、徹夜で台本を直し続ける菊谷のもとに、召集令状が届く。彼は「最後までレビュー人として、ものを見てきます」と言って、出征する。一座は「私の青空」を歌って送り出す。舞台の背景は一面の青空。そこに爆撃機の音が聞こえる。彼は、戻らなかったのだ。史実では、35歳で戦死している。
 「洒落男たち」の中で、浅草の舞台人たちは、語り合う。ジャズやシャンソンを身体にしみつくまで聴き込めば、きっと日本人にもできるようになる、と。たとえ自分たちの時代には無理でも、手足が長くて、歌が歌えてダンスが踊れる世代が現れる。そして、いつかは自分達のオリジナルミュージカルもできるようになる、と。そんな彼らの思いが、21世紀には当たり前に実現しているではないか。それは、当時の彼らの情熱があったからこそなのだ。どんな状況でも舞台をやり続けた先人がいたからこそ、日本の音楽シーンは今こうして花開いているのだ。
 「私の青空」を歌いながら、思いを馳せる。戦前にジャズを輸入した人達、戦中に必死で音楽を続けた人達、そして戦後に音楽を復興させた人達。幾重にも重なった舞台人達の熱い思いが、伝わってくるような気がする。生き残った私達には、彼らの魂を受け継ぐ末裔として、劇場のドアを開け続ける役目がある。
 17歳の葛藤は、今、私をもう一度揺さぶる。「まじめに」やりなよ。どんな形でもいいから、一生懸命、音楽をやりなよ。楽しい舞台を作りなよ、と。もう、言い訳も、贖宥状もいらない。好きなことをやろう。奇跡が起こる場所にいられることに、ただ感謝しよう。
 1928年に「私の青空」の訳詞をした堀内敬三は、理系の修士を取ってから、音楽業界の偉人になった。彼もきっと「好きなものに向かって走った」に違いない。
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