音の向こうの景色

つらつらと思い出話をしながら、おすすめの名曲をご紹介

リヒャルト・シュトラウス 二重小協奏曲

2012-03-22 00:32:54 | 協奏曲
 あたたかい風を感じて、大学院の卒業式を思い出した。華やかな式ではなかったけれど、とりあえず晴れ着を着て、博士号のお免状をいただいた。まあ、この紙をもらったからといって、別に生活は変わるわけではないと思っていたところ、家にゴキブリが出た。私も得意ではないほうだが、引っ越しを手伝いにきてくれていた友人・麻衣ちゃんが、恐ろしい金切声をあげた。「ちょっと、牧菜、理学博士でしょ!!」はからずも気圧されて、へっぴり腰で退治した。そうか、もう私はゴキブリにびびってはいけない資格を取ったのか。博士号取得後、最初の作業だった。
 そしてこの春、京大でのポスドクが決まった。「ポスドク」というのは、博士を取った後に研究員として勤める職のことで、研究者としてアカデミーに残る人は、大体このコースを進む。私は学部時代から、さっさとアカデミーを出ると言い続けていたのだが、魅力的な新しい研究室立ち上げの話を伺って、即、京都行きを決心してしまった。快く受け入れを決めてくださったボス・加藤和人氏に感謝しながら、うきうきと準備を始めた。
 京都では、友人の叔母様宅に居候をさせていただいた。場所は山科。京都駅から一駅。峠を越えれば、東山区だ。とにかく私にとって、はじめての関西、それも古都である。ただ外を歩くだけでも楽しかった。朝は早めに起きて、通勤路をなるべく徒歩にしようと試みた。天気が良いと、1時間半ほどかけて百万遍のキャンパスまで歩いたことさえあった。
 イヤホンでドヴォコン(ドヴォルザークのチェロ協奏曲)を聴きながら歩けば、鉄道会社のCMもかなわない。青空にどかーんと現れる平安神宮の赤い鳥居を眺めると、これ以上ないほど爽快な気分になる。聖護院あたりの人気のない裏道では、山伏さんたちと遭遇して、我知らず会釈をしたこともあった。京都は山が近くて、空が広い。東京とは少し違う時間の流れ方が、とても新鮮だった。
 朝、まだ誰もいない研究室にたどり着くと、私はよくリヒャルト・シュトラウスの二重協奏曲をかけて、仕事を始めた。新設されたばかりで、まだがらんとした研究室に、明るい陽射しが差しこんでくる。窓を開けると、緑の匂いがする。木管のやさしい音を聴きながら、パソコンに向かう。クラリネットとファゴットの打ち解けた会話が始まる。全楽章をリピートして聴いていると、そのうち研究補佐員の山本さんが出勤してきて、「これ、きれいな曲ですね」。私達も笑顔で挨拶を交わした。
 このクラリネットとファゴットのための二重協奏曲(コンチェルティーノ)は、リヒャルト・シュトラウスが最晩年に書いた、穏やかで美しい擬古典的な作品だ。彼の大編成でド派手な作品群ではなく、オーボエ協奏曲や、オペラ「カプリッチョ」の前奏曲の類に入る。室内オーケストラ規模の弦楽器とハープの伴奏で、2本の木管楽器が仲良くおしゃべりする。聴く分には、耳馴染みの良い、やさしい印象の作品だが、楽譜を見てみると様子が違う。パートによって書いてある拍子が異なったり、弦楽のパートがソリスト並みに技巧的だったり、なかなかの難物だということがわかる。さすがは、シュトラウス。
 さて、当時私のボスだった加藤和人氏の師匠は、生物学者の岡田節人氏だった。発生生物学の大家としても、文化人、音楽愛好家としても有名な節人氏に、京大にいる間、何度かお目にかかることができた。いつもヴィヴィッドなお洋服に目を丸くしていると、女性は鏡を見るから長生きするんじゃないか、とおっしゃる。鏡でよく自分の姿を見て、体の変化に気をつけること、そしてお洒落をすること。それが長生きの秘訣だと。80歳近い氏のエメラルドグリーンのジャケットを眺めながら、説得力があるなと思った。
 京大の理学系の学部では、どんな偉い教授でも「さん」付けで呼ぶらしい。これが私には大きなカルチャーショックだった。真理探究の上では平等だという通念があるようで、皆が「さん」付で呼び合っていた。節人氏に代表されるような京大の自由な雰囲気と、議論好きで闊達な研究者たちに出逢って、私は日々刺激を受けた。キャンパスにいると、「優秀な人」にも多様性があるのだなあ、としみじみ感じた。
 びしっと決めた格好で1日18時間研究室にいるような研究者もいれば、かなりラフな軽装でふらふらっと歩いている研究者もいる。自分の好きなことを、好きなスタイルでとことんやる人たち。音楽家に似ている。そして、自分の研究のことを、楽しげに話す彼らがキラキラして見えた。ベテランの大科学者も、若い大学院生も、ざっくばらんに話してくれた。私も、遠慮なく質問した。肩の力が抜けたおしゃべりの中に、ときには人類の夢が詰まっていた。二重協奏曲を聴くと、そんな京都での会話の数々を思い出す。
 そういえば一度、先述の節人氏が大学で講演をされた後、聴衆の若い学生から質問が出た。「今、大学に入りなおして勉強するとしたら、どの分野を選ばれますか?」学生の質問の意図は、分子遺伝学的な手法が発展した今、生物学だったらどの分野を選ぶか、ということだったのだが、節人氏は、何をいまさら、という顔をして答えた。「そりゃあ、芸術。音楽に決まってますわ…」

ヴィヴァルディ フルート協奏曲 ニ長調 「ごしきひわ」

2011-12-25 23:52:17 | 協奏曲
「私ね、N響と共演することになったの。」放課後の階段で、まーちゃんがぽそりと言った。意味がよくわからず聞き返すと、まーちゃんは少し恥ずかしそうに下を向いたまま、言葉を足して説明してくれた。「今度、学校にN響の人たちが何人か来るでしょ。コンサートがあるでしょ。そのときに、私リコーダー吹くことになったんだ。」中学3年生の秋だった。
 まーちゃんは私の小中高の同級生で、歯医者さんのお家のお嬢さんだ。家も近くて教会学校もずっと一緒だった。部活も同じだったし、卒業してからもあれこれ一緒に演奏した。世界的に有名な古楽器コレクターのパパを筆頭に、音楽大好きの一家で、今でも家族ぐるみのお付き合いをしている。子供時分、私が合奏の楽しみを覚えたのは、日曜日の彼女のお宅だ。
 まーちゃんは、小学校の頃からリコーダーを習っていた。みんなが学校でプラスチックのリコーダーをやっとこさペエペエ吹いている頃、彼女は漆黒の木のリコーダーでバロックを吹いていた。水泳が得意で、並外れた肺活量を持ち、長いフレーズもお手の物だった。プロのクラリネット奏者が彼女を見て「どうしてそんなにまっすぐ息が出せるのか」と、感嘆したという。
 そのまーちゃんが、一流のプロと舞台の上で共演する! 中3の私は、驚きと誇らしさで、目がくらむような心地がした。足取り軽く階段を上るまーちゃんを見上げながら、さっそく曲名を訊ねた。「ヴィヴァルディのごしきひわ。」ふーんと返事をしたものの、正直私は「ゴシキヒワ」とは何語なのかも、わからなかった。
 ヴィヴァルディのフルート協奏曲ニ長調「五色ひわ」。ゴシキヒワは、スズメ目のかわいい鳥だ。この協奏曲では、その鳴き声を模したフルートソロが、速いパッセージでぴよぴよと鳴く。急緩急の3楽章形式で、1楽章が始まってすぐ、ソロのカデンツァがあり、鳥は大いにその美声を披露する。このフルートパートを、リコーダーで吹くというのだ。
 しっかり者の次女のまーちゃんは、どんな大変なことでも、ぎゃあぎゃあ騒いだりせず、きちんとこなす。鑑賞行事の日、ソプラノ・リコーダーよりも小さい「ソプラニーノ・リコーダー」を持って、彼女は静かに舞台に立った。N響メンバーによる弦楽アンサンブルと音楽の先生のチェンバロをバックに、立派にソロを吹いた。礼拝堂に高く響く鳥の声。私は世界中に自分の友達を自慢したかった。
 その年の暮れ、中高部の課外クリスマス・コンサートで、再度この曲が演奏されることになった。今度伴奏を担当するのは、我々学生15人ほどの弦楽アンサンブル。ヴィオラがいなかったので、私は「第三ヴァイオリン」。シンプルな伴奏で和声が変わるのが新鮮だったし、リコーダーと弦楽器が呼応する感じも楽しかった。なにより、まーちゃんのリコーダーと一緒に演奏できることがうれしくてたまらなかった。
 コンサート会場は、とてもきれいな教会だった。白く高い天井にリコーダーの囀りが飛んでいく。緊張と熱気とまぶしさで、くらくらしそうになりながら、一心不乱にヴァイオリンを弾いた。「ゴシキヒワ」という鳥が、キリスト教絵画で「受難」を象徴するとは知らなかった。今思えば、クリスマスの教会コンサートにふさわしい曲だったのだ。
 この日のチェンバロは、まーちゃんのお姉さんの陽子ちゃんが弾いていた。美しい2楽章はヴァイオリンはお休みなので、楽器を下して、姉妹の奏でる極上の音楽をみんなで聞いた。リコーダーの澄んだ音が、のびやかに飛んでいく。バロックらしく、繰り返しの2回目はメロディーに装飾がつけられている。それがまるで光の粉のようにキラキラしていた。この世の中には、こんなにも素晴らしい瞬間があるんだな、と思った。
 友達がこれほど「誇らしい」と純粋に感じたのは、生まれて初めてだった。もし私がソロを吹くことになったら、もう嬉しくなって大声で言いふらして歩くだろう。まーちゃんにはそんな様子は微塵もなく、難しい16分音符に文句も言わず、謙虚な姿で真摯に楽器を吹いている。友達がいるだけで有難いのに、誇りに思える友達がいるって、すごいことなんだ。譜面台の隙間から、真ん中の通路に続く真紅の絨毯が見えた。一生忘れない、美しい景色だった。

ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番 第2楽章

2011-02-18 00:16:37 | 協奏曲
 数日前、私は長い手紙を受け取った。なめらかに整った文字と、人となりが表れた丁寧な語り口の手紙。まるでひとつの文学のようだ。それは私宛のものではなく、20年前の差出人自身、33歳の彼自身に宛てて綴られた告白であり、問いかけだった。私はベートーヴェンのピアノ協奏曲5番の2楽章をBGMにかけて、始めから何度も読み直した。
 「皇帝」の愛称を持つ有名なピアノ協奏曲。私は大学1年生のとき「不滅の恋・ベートーヴェン」という映画を見て、あっさりこの曲の魅力にはまってしまった。映画音楽に負けないほど映画的で驚いたものだ。映画の最後に、2楽章のアダージョを背景にして、ベートーヴェンの手紙が再度読まれる。ままならぬ人生を、なんとか精一杯、大切な人間と共に生きて行こうとする想いにあふれた恋文だった。
 その頃から13年間、私は長い夢を見ていた。この曲と共に。ある「理想の場面」を私が心秘かに描くとき、いつもこの曲が耳の奥に流れていた。長い間、この「理想の場面」こそが私を支え、すべての原動力となり、行動の指針となっていた。そして、自分でも気づかぬうちに、私は自分の作り上げた夢想の世界の外へと出られずにいた。ひとつの価値観の体系を築き上げ、それが表面的に問題なく、心地よく機能しているとき、それを壊すのは容易ではなかった。
 ベートーヴェンを主人公のモデルにしたという「ジャン・クリストフ」の中で、ロマン・ロランは、かなりきついことを言う。「多くの人は、二十歳から三十歳で死ぬものである。その年齢を過ぎると、もはや自分自身の反映にすぎなくなる。彼らの残りの生涯は、自己真似をすることのうちに過ぎてゆき、昔生存していたころに言い為し考えあるいは愛したところのことを、日ごとにますます機械的な渋滞的なやり方でくり返してゆくことのうちに、流れ去ってゆくのである。」
 私が自分自身の価値観を壊し、再考するきっかけは、30歳を過ぎて大切な人間と離れたときにおとずれた。その人はそこに変わらず生きているのに、もう自分と共に生きることはない。相手と共有していると妄信していたものは、とうに消え去っていた。言いようのない喪失感の中で、鋭い怒りと共に自分自身を振り返った。そのとき私は初めて、我が身を支えてきたものを見つめ直し、その大部分が幻想に過ぎないことに唖然とした。日々が過去の「自己真似」に過ぎないという現実に愕然とした。ロランの言葉を借りれば、もはや私は「生存」していなかった。
 しかし、それはもう一度、自分を築き直す最大の転機だった。固執しているものを手放し、「卒業」するタイミングだった。私はあえてここで「卒業」という言葉を使いたい。過去の自分を否定するのではなく、信じてきたもの、培ってきたもの、大事にしてきたものに感謝して、「卒業」する。離れたのが大切な人であればこそ、感謝したい。ある必要な期間が終わったのだ。この際「こうあるべきだ」という思い込みを、手放せるだけ手放して、それでもまだ残る信念があるとすれば、それでいい。そう思った。
 ―大切な人間と離れたとき、人はいかにしてそれを乗り越えるのか―。届いた便箋の束の問いかけを何度も読み返しながら、本当に久しぶりに、「皇帝」の2楽章を聴いた。手紙の差出人が30数年にわたって育んできた想いには比ぶべくもないが、2年半の歳月をかけて、私は自分の13年を昇華させた気がした。長い間、幻と共にあったこの曲の美しさが、今ではずっと手触りのあるものに感じられる。
 聴いていると、「ジャン・クリストフ」のシーンがいくつか思い出される。クリストフの叔父ゴットフリートが言う。「そんなことはこんどきりじゃないよ。人は望むとおりのことができるものではない。望む、また生きる、それは別々だ。くよくよするもんじゃない。肝腎なことは、ねえ、望んだり生きたりすることに飽きないことだ。」3楽章のロンドが明ける。
 人生の転機は、何かを「卒業」する時だと思う。そんなとき私はベートーヴェンを聴く。彼の音楽は、今がどんな状況であっても、それに対してどんな答えを出したとしても、「それでも生きていく」というテーゼを、当たり前のように明快に差し出してくれるからだ。クリストフは言う。「奮起したまえ。生きなくてはいけない。もしくは、死ななければならないとすれば、立ちながら死ぬべきである。」

かしこ

ラヴェル ピアノ協奏曲 第2楽章

2009-10-06 14:30:26 | 協奏曲
 先日、中秋の名月の夜、あるパーティーに参加した。午後から続いた会のお開きの演出は、会場のお庭へ出て、チェロとハープの演奏を聞くというものだった。都会の真ん中にある庭園は、外の喧騒から完全に遮断されていて、やさしい虫の声と集まった人のざわめきが、心地よく交じり合っていた。
 涼しい夜の空気を感じ、やわらかい芝の感触を確かめていると、ラヴェルのピアノ協奏曲の2楽章のメロディーが流れてきた。月の下でいきなりこれを弾くか、と思って、思わずふっと笑ってしまった。まったく、やってくれるなあ。親友のチェロの音を聞きながら、深く息を吐いて、空を見上げた。月が、やわらかく、白く、輝いていた。
 世の中には、こんな美しい曲があるのかと、聞くたびに思う。庭の隅で、じっとひとり月を眺めながら聞いていて、ふと思い出した。数ヶ月前に、この親友と電話していたときのことだ。
「空、きれいだね」「うん」
 あまりにも何気ないのだが、「うん」と言った瞬間、私はふと、肩の荷を下ろしたような気がしていた。誰かと美しいものを共有するとは、こんなに何気なくて良いのだ。雨が上がった空を見上げながら、私はずいぶん長いこと、おかしな方向へ走っていたのだと、気づいた。
 最近、我が家の読書会で、ラシーヌの「アンドロマック」を読んだ(もちろん日本語で)。一方通行の恋の情念が渦巻く物語。この戯曲のキーワードは「思い知らせる」だと思う。「相手に思い知らせてやる」という気持ちさえなければ、人間関係に何の問題も起きない。自分が苦しいということ、もしくは、愛しているということを「思い知らせてやりたい」という、自尊心とくっついた強い感情さえなければ、トラブルは大きくならないのだ。
 ところが、相手が親しい人や愛する人であるほど、ことは難しい。「わかるよね」が、「なんでわかってくれないの」になり、しまいには「わからせてやる」になってしまう。下手をすると、ほんの小さなやさしい気持ちでさえ、押し付けがましいものに変わってしまう。
 私は長いこと、自分の大切な人に「思い知らせたかった」のだと、気づいた。ラシーヌのエルミオーヌさながらに。自分が感じたことをわかってほしい、と必死でもがいていた。たぶん、自分の基準が合っているのか、不安だったのだ。何かが「きれいだよね」という一言にも、「きれいだって、わかってくれるよね」という「おもり」が付いていたような気がする。
 しかし、人と美しいものを共有することは、そういうことではなかったのだ。「ねえねえ、きれいでしょ」と押し付けるのでもなく、押し付けられるのでもなく、無理に合わせようと気を使うのでもない。むしろ、互いの感情など気にせず、各自の視点で「それ」を見つめればいい。「きれいだね」「うん」雨上がりの空を見ながら電話したときだって、私たちは完全に同じ景色を見ていたわけではなかったはずだ。でも、別にそれでよかったのだ。
 ラヴェルのこの2楽章聞を聞いていると、自分の世界にすっと入っていくような気がする。誰にも触れられない、自分の内側を見るような、遠いものをぼうっと眺めるような気持ちになる。ひとりで、それが感じられる。きっと、人と完全に共有しない部分、わかり合わない部分こそ、大切なのだ。
 中秋の名月は白く、ラヴェルは美しかった。だからしばらくひとりでいた。それを誰かと共有するのは、その後でよいと思った。

アルチュニアン トランペット協奏曲

2009-09-02 01:12:50 | 協奏曲
 私のことを知っていて、かつ、この曲を知っている人。あなたが今何を言いたいか、想像できる。―――「趣味がわかりやすい」。わかっているのだ、自分でも。
 昔から、好きなものが、割とハッキリしている。そして割と一貫している。だいたいにおいて面食いだし、ミーハーだ。みんなが好きだから好きになるということはないが、基本的に明るくてかっこいいものが好きだ。そしてさらに、何かが好きだという気持ち、楽しい気持ち、うれしい気持ちが、表に出やすいらしい。
 なので、友人たちは、私以上に私の好みを知っている。自分はこういう曲が好きだときちんと説明したことはないが、音楽家の仲間は「これはぜったい君も好きだよ」と言って曲を紹介してくれる。どうやら好みの傾向が、わかりやすく、かつ、ばれやすいらしい。そしてこれは、好きな人のタイプについても、同じである。
 以前、親友の麻衣子とヨーヨー・マのコンサートに行ったときのことだ。ベートーヴェンのソナタを2曲聴き終わって、休憩になった。素晴らしい演奏に対する感激を共有しようと、慌てて麻衣子のほうを向くと、彼女はうっすらと微笑を浮かべて、穏やかに言った。「あのピアニスト、君の趣味でしょ。」ぎくりとした。なんと、心の奥のかすかな動きまで読まれていたのか。不意を突かれてたじろぐ私に向かって、彼女は「わかりやすいね」と言って、静かに立ち上がった。ばれている。
 確かに、好きな人のタイプは幼いときから、あまり変化がない。別に初恋の人の面影を追っているつもりはないが、なんとなく一貫している。「痩せてて、背が高くて、口が大きくて・・・」と、親しい友人たちはこぞって私の代わりに語り出すが、麻衣子に言わせると「首から上、鼻から下」が共通なのだそうだ。まあ、趣味も何も、私の目がハートになっていて、ぽわーんとしていたら、その視線の先にいる人が、その人だ。
 本屋に並ぶ恋愛成就の指南書には、まず最初に「好きだという気持ちを、相手に悟られてはいけません」と、まことしやかに書いてあるらしい。私はその時点で落第である。しかし今まで、「わかりやすい」ことで、特に損をしたことはないように思うのだ。かっこいいものが好き、楽しいことが好き、ステキな人が好き、私の顔にそう書いてあるから、みんなが計らってくれるような気がするからだ(みなさん、ありがとう!)。
 さて、アルチュニアン。私がこの曲に出会ったのは、スイスのバーゼルだった。大学院のとき、調査研究のためにスイスの製薬企業の本社を訪れた。夕方バーゼルに着いたのだが、劇場はすでにシーズン・オフ。仕方なく街の音楽ホールへふらりと足を踏み入れると、音大生のコンサートが行われていた。金管の曲なんて全然知らないわ、と思いながら席に着くと、いきなりこのアルチュニアンが始まった。バックもオケではなく、ブラスバンド版だった。
 まずトランペットのソロが、いかにも前奏らしく決然と吹き始める。それからちょっともったいぶった様子で、我々を誘う。そして、1回聞いたら忘れられない元気な主題が、風に乗って、すぱーんと飛んでいく。「楽しい・・・!」私は大きく目を開けて、身を乗り出した。技巧を凝らしたソロや、小気味の良いリズム、民族色のあるメランコックなシーンを交えた、若干ポピュラー寄りの名曲だ。「いかにも私が好きそうな曲だわ・・・」若い学生指揮者が派手に棒を振り回すのを眺めながら、思わずふっと笑ってしまった。旅の疲れは、金管の気持ちよい響きと共に、吹き飛んでしまった。
 以前、友人に贈り物をしたときのことだ。「これは、絶対喜ぶだろうな、ふふん。」と思って持って行くと、案の定どんぴしゃで、飛び上がって大喜びしていた。まったく、わかりやすい人だなあ、とひそかに思っていると、振り向いた彼が、私の顔を見て言った。「わかりやすいね、僕と同じぐらい。」私は得意満面、喜びではちきれんばかりの笑顔だったらしい。
 この協奏曲を聴くと、「まあ、わかりやすくてもいいかな」と、あらためて思うのである。

R.シュトラウス オーボエ協奏曲

2009-07-05 02:46:20 | 協奏曲
 何かを知りたかったら、とりあえず専門家に聞けばよい。恥ずかしげもなく無知を晒して、ほいほいと人に訊ねる私の癖は、おそらく母の教育のおかげである。小学校に入ったときに、「ママは勉強を教えてあげられないからね、わからないことがあったら、なんでも学校の先生に聞いてくるのよ」と言われた。だから学校の先生の知識というのは、搾り取れるだけ活用すべきものだと、いつも思っていた。いまだにそう思っている。
 先日、日本のゲーム界を担う優秀なプログラマのHくんをつかまえて、「トランジスタのしくみ」について、教えてもらった。デニーズのパエリア1皿の教授料で2時間、申し訳ないと思いつつも、話の面白さに引きずり込まれて、次々と質問をしてしまった。私は「オームの法則」がギリギリ思い出せる程度で、はんだづけも一度もやったことがない。私の知識レベルの低さにしばしば驚愕しつつも、Hくんは丁寧に教えてくれた。
 彼は小さなノートを取り出して、さらさらと回路図を描く。まるでひらがなを書くように。彼にとってその図は、ありありとした実感を伴った実在であり、豆電球から、ハードディスクまで、概念の流れが連続しているのだ。彼は自宅の庭の草木でも紹介するように話す。私には初耳の専門用語ばかりだったが、それがまぎれもなく素晴らしいものだということは、伝わってきた。
 専門家というものは、専門外の人から見るとまったくわからない世界を、はっきりと感じながら生きている。ある生命科学の先生は、「DNAを、目で見て、手に触れるように感じる」という。宇宙論の先生はビッグバンを体験したかのように語るし、中世史の先生はまるでその時代に生きているかのように話す。指揮者には、オーケストラの総譜の点や線が、生き生きとした音として聞こえるに違いない。彼らにとっては、それが手ざわりのある世界なのだ。だからこそ、専門家の話は面白い。
 自分がどこで曲を覚えたか考えてみると、演奏会で出会ったものより、自分で調べたものよりも、人から教わった曲のほうがずっと多い。特にオペラについては、まわりの音楽家から「え、知らないの? いい曲だよー」と言われて知ったものが、ほとんどだ。専門家が何らかの理由で薦めてくれた作品だから、どれもそれなりに見所がある。大学時代にお世話になった先生には、どれだけ沢山のアリアを教えてもらったことだろう。
 ある朝、先生の家に行くと、ピアノの譜面台に、めずらしく「歌詞のない」楽譜が置いてあった。よく歌の伴奏をしている先生だったので、何の曲だろうと思ってのぞくと、「Mさんの練習ピアノを頼まれてね。」先生はソロ・パートの旋律を歌いながら、1楽章を弾き始めた。リヒャルト・シュトラウスのオーボエ協奏曲だった。
 なんというのびやかな旋律。なんという美しい世界。どこにも無理がなく、素直で、やさしい。まるで風が抜けていくようだ。低音部のささやきが耳をくすぐり、気持ちよく上へ上へと旋律が広がっていく。明るい和音に、私は目をキラキラさせた。その日以来、私にとってクラシックの作品中、最も好きな曲の一つである。
 オケの編成も比較的小さめで、絢爛なリヒャルト・シュトラウスの作品の中では「素朴な曲」の部類に入ると思うが、考えてみると、こんな斬新な始まり方の曲もない。レミレミ・・レミレミ・・というひそやかなチェロの誘いに、いきなりふわっとオーボエのソロが乗る。旋律はどこまで行っても、いたって「自然」である。穏やかな2楽章も、さらさらと流れる3楽章も。ところが、この「自然さ」を美しく表現するのが、きっと難しいのだ。
 その日先生は、リズムの持つ緊張感の話をしてくれた。三連符には三連符の緊張感があって、十六分音符4つにはまた別の緊張感がある。だから単に割り算としてのリズムを正確に表すだけでは足りない。さらりと流す三連符もあれば、ちょっとのんびりする三連符もある。どんな風にそのリズムの緊張感を作るかが、結局その人の音楽の作り方なのだという話だった。このオーボエ協奏曲は、随所に現われる三連符が決め手になると私は勝手に思っている。そこには「自然さ」と「色気」の微妙なバランスが要求されているのではないだろうか。
 この曲を聞くと、先生の部屋を抜けていく風と、カフェオレのグラスに氷が当たる音を思い出す。思い切り息を吸い込みたくなる。裸足で草原を駆けるような自由な気持ちと、何か美しいものに触れたいという気持ちが湧いてくる。そして、未知の場所へとまた足を踏み入れたくなるのだ。子供のように素直に、まだ見ぬ世界への扉を開けてみたくなる。もちろん、専門家という案内人を、うまいこと頼りながら、である。

ゴットシャルク ブラジル国歌による大幻想曲

2009-01-05 23:35:27 | 協奏曲
 元旦に初詣に行って、思い出した。19になる年のお正月、母と伯母に連れ出されて、近くの神社に厄年のお払いに行った。神主さんの祝詞は面白いし、あの厳粛な雰囲気も好きなので、私なりに真剣にセレモニーを堪能した。お払いが終わって、「清清しい気分だねえ」などと明るく言い交わしながら本殿を出ると、参道には初詣客の長い列が続いていた。と、その瞬間、私は境内の階段の上で滑り、ずだだだだーーーんと、轟音を立てて、足から落ちた。数段だったが、木の板に全身を打ちつけて、ものすごい音がした。
 静まり返る神社。私はしばらく何が起こったのかわからずに、地面に寝そべって青空を眺めていた。どこも痛くない。しかしふと自分は、めでたい正月早々、大勢の目の前で境内から落ちたのだという事実に気づき、笑いがこみ上げてきた。そそくさと立ち上がると、参拝客全員が口を開けて呆然と私を見ていた。落ちた「私」は厄落とし~、だ。しかし、こんなに派手に落とすとは思いもよらなかった。ご参拝のみなさまに「もれなく厄のお裾分け」状態ではないか。言うまでもなく、私にとっては素晴らしい一年となった。
 こんな風に、目立とうというつもりはないのに目立ってしまうことはよくあるのだが、自分が派手好きだと思ったことはあまりない。持ち物の好みもシンプルなほうだし、人前に立つより裏にいるほうがいい。しかし、編曲の好みは、基本的に派手好きのようだ。最近自分でもそれが、ちょっとわかってきた。
 先日、自分の編曲したクリスマスソングを演奏してもらったのだが、コンサート終演後に演奏者達から「あの編曲は…派手ですよね。」と言われて、驚いた。「一段ごとに盛り上がっていくから、もう、なんだか、引き返せない感じで…。弾いちゃいました。」弦楽5部+フルート+ピアノの伴奏で、ソプラノに歌ってもらうという形だったのだが、確かに、弦楽器みんな、最終的にすごい音量で弾いていた。言われてみれば、あの「引き返せない」感が、好きなのかもしれない。
 小学生のとき、学校で歌っていた「あいのわざ」という賛美歌。ハモリがダサくて、子供の頃は大嫌いだったのだが、数年前にコンサートにかけた際に、思い切って自分のイメージで編曲してみた。紅白のトリのような雰囲気で、最後は大いに盛り上げて満足していたら、聴きにいらしていた小学校時代の音楽の先生に「あれは、派手ね。」と笑われてしまった。
 「クラシックでない歌を、アコースティックな編成をバックにして盛り上げる」という構図に、子供の頃から強い憧れを持っていた。6年生ぐらいから高校時代までよく見ていた、深夜の「ミュージック・フェア」。それからNHKの「ときめき夢サウンド」。いつも編曲のかっこよさに舌を巻いた。弦楽器群をバックに歌われるポピュラーソングは、たまらなかった。なんでもない軽妙な曲でも、壮大な「泣ける曲」になってしまったりする。素朴な唄が派手になればなるほど、爽快だった。曲が華やかになるのが、大好きだったのだ。
 ところで、身近な曲をド派手にする、といえば、真っ先に思いつく一曲がある。ゴットシャルクの「ブラジル国歌による大幻想曲」だ。サッカーの試合で流れる、あのブラジルの国歌によるファンタジー。もともと、ヴェルディの合唱曲のように盛り上がる国歌だが、これがピアノ協奏曲になっているのだ。ショパンのようにキラキラと煌く「ブラジル国歌」。リストのパラフレーズのように、オクターブで連打される「ブラジル国歌」。短調になってオペラのワンシーンのようにシリアスになる「ブラジル国歌」。ちょっとやりすぎじゃないか、というぐらい。正直言って、若干コミカルにさえ聞こえるほどだ。
 高校生の頃、これを聴いて触発されて、ピアノの前に座り「むすんでひらいて」を弾き始めたら、やめられなくなってしまった。夢中になって、心のおもむくまま、自分の手が動く限りの「むすんでひらいて」を弾き続けた。どうやら1時間ぐらい鍵盤を叩いていたらしい。居間へ戻ると、母は驚き呆れた顔で「ずいぶん壮大になってたわね…」と言った。私は爽快な気分だった。いいじゃない? 派手好きでも。今年も、大いに派手に行こう。

フランセ クラリネット・コンチェルト

2008-07-06 00:27:20 | 協奏曲
 クラリネット奏者の麻衣ちゃんと出会って以来、色々な作曲家のクラリネット・コンチェルトを聴いたが、私のイチオシは、フランセである。とにかく、面白い。こんなに楽しい曲が世の中にあるのか、というぐらいに。
 この曲を初めて聞いたのは、10年前。ラッキーなことに、生で聞くことができた。アメリカのクラリネット奏者ナイディック氏が日本のオーケストラと共演したのを聞きに行った。ソロもオーケストラも難しく、なかなか演奏会にかからない曲なので、ぜひ聞いたほうが良いよと薦められて、慌ててチケットを買って会場に飛び込んだ。
 当時私は、フランセという作曲家すら知らなかった。20世紀の人だというので、どんなに現代的な作品なのだろうと、肩に力を入れて身構えていた。ところが。クラリネットの第一声を聞いて「えっ?」びっくりしてしまった。なんて明るい曲…というより、もう、音楽がキラキラしている。すぐに釘付けになってしまった。リズムも和声もおしゃれで、色彩豊かで、聞きやすい。そんなに大きい編成のオケではないのだが、おもちゃ箱をひっくり返したようにいろんな音がする。あちらこちらから音が飛んできて、目が回ってしまいそうだ。
 そして、クラリネット。最初は、まるでハープみたいだと思った。うわーっと駆け上り、どーっと帰ってくる。ジェットコースターに乗っている気分になる。かなり前のほうの席に座っていたのだが、あまりにパッセージが速いので、本当に吹いているのか訝しく思って、きょろきょろと下から覗いてしまったほどだった。相当難しい曲だということはわかるのだが、聞いているほうには、そんなことはどうでもよくなってしまうぐらい、この1楽章は爽快である。
 2楽章は、回転するアトラクションで、3楽章は、夢の世界。オーケストラの管楽器とのからみが、たまらない。ふわふわと不思議な世界に連れて行かれる心地よさ。4楽章は、1楽章よりもさらに目まぐるしく飛び回る魔法の絨毯である。こちらは振り落とされないようにするのに精一杯だ。フランセ特有の「ぶんぶん振り回される感じ」のカデンツァを挟んで、宙に消えるように終わったときには、もうディズニーランドで1日充分に遊んだ感がある。
 クラシック界にも「替え歌」がいろいろある。オーケストラ曲や器楽曲のメロディーに面白い歌詞がついていて、いつの間にか広まり、なんとなく受け継がれていく。このコンチェルトの冒頭にも、クラリネット界で伝わる替え歌があるそうだ。「おれは○○○だ、うまいんだぞ。フランセだって吹けるんだぞ。舌突きも速いんだぞ。(中略)どうだこんなもんだ!」(○○○には、某オケ首席奏者の名前が入っている)。確かに、この曲が吹けたら、自慢できるだろうなあと、素人の私は単純にそう思っている。
 さて、ふつう楽譜屋で売っているコンチェルトの譜面は、オーケストラ部分がピアノ1台で弾けるように編曲されていて、演奏会でもよくピアノ伴奏で演奏される。ところがこのフランセは、3段譜~4段譜になっているのだ。あまりにいろんな音があるからなのだろう。ピアニストが2人がかりで、鍵盤をめいっぱい弾いて、なんとかそれらしく聞こえるといった感じである。
 麻衣ちゃんがあるとき、リサイタルの曲目にこのコンチェルトを入れた。私は、一体譜面がどうなっているのか、興味津々で、鳴っている音と照らし合わせて聞いてみたいという好奇心を抑えられなかった。そこで、このジェットコースターの地図を片手に、胸をときめかせながら演奏を聞いた。…つもりだったのだが、麻衣ちゃんの目には、私が「怖い顔して譜面を睨んで、ミスを発見しようとしながら聞いていた」ように映ったらしい。「すごく怖かったんだから!」と、あとで散々腹を立てていた。今でも大変申し訳なく思っている。
 麻衣ちゃんは最近、またこの曲をさらっているらしい。この間電話で、話していた。「フランセのコンチェルトには、曲の持つテンポがあってね。それがとにかく速いの。ありえないぐらい。だけど、それを突き抜けたところに見える世界があるんだよ。」F1のレーサーのように、ある速度の壁を突き抜けると見える景色があるらしい。麻衣ちゃんがオーケストラとフランセをやる日が来たら、スコアを持たずに聞きに行こう。くるくると回るあの音の波に身体を預ける楽しさを味わおう。魔法の世界を見せてもらおう。

プロコフィエフ ヴァイオリン・コンチェルト 第2番 第2楽章

2008-01-03 00:15:58 | 協奏曲
 大学3年の3学期。冬。私が所属していた生物学類の中で「人間生物学コース」を選んだ20人は、3ヶ月間、医学部で特殊な授業を受けた。医学部の先生が我々だけのために設けて下さる講義もあれば、医学生に交じって基礎の講義を聴くこともあった。そして、一生忘れられない貴重な経験をした。解剖学の実習である。
 解剖学実習の最初は、「骨実習」だった。先生の指導を受けながら、グループで骨の標本を観察する。先生はときどき、自分の体で骨の形や位置を確かめるように促す。みんな、白衣に手を突っ込んで、「これだ!」とか、「あ、ほんとだー」とか言ってはしゃいでいるのだが、私は脂身にさえぎられて、指示された骨がひとつも確認できない。おまけに、配られたプリントの「肋」(肋骨の「ろく」)の字が認識できず、「真肋、仮肋、浮遊肋」を「しんすけ、かすけ、ふゆうすけ」と読んでしまった。そのとき、「誰の名前ですか、それは」と絶妙のツッコミを入れてくれたのが、この実習の担当教官、服部先生だった。
 骨実習が終わると、いよいよ献体の観察が始まる。我々は医学生ではないので、実習用に既にきれいに解剖され、皮下脂肪の取り除かれた、3年越しのホルマリン漬けの献体を観察させていただいた。初日はみな非常に緊張していたのだが、献体の覆いが外された途端、一斉に興味津々の眼差しに変わった。20人のクラスで、唯一の男子だった、がたいのいいHくんだけが、一人目を伏せて実習室を出て行った。服部先生は、「だんだん慣れるよ」と、やさしく彼を励ましていた。
 解剖実習は面白かった。長い学生生活の中で、あんなに面白かった授業はない。私は人体の不思議に、たちまち夢中になった。坐骨神経の太さ。何層にも重なった背中の筋肉。迷路のような腕神経叢。好奇心は抑えられず、小指の腱を引っ張ると、薬指が動くのを試してみた。「だから4の指は動かないんだよ」と、自分に都合のよい結論を出して納得した。
 ホルマリンの匂いは髪につく。当時私は、背中の真ん中まで髪を伸ばしていたので、アパートに帰るとまず、髪を洗った。そして、その頃やたら凝っていたモツ鍋を作った。コタツに入って、鍋いっぱいのモツを頬張りながら、解剖実習のノートを作る。そのとき、毎日聞いていたのが、プロコのヴァイオリンコンチェルト2番の2楽章だった。
 たまたま部屋に置いてあったハイフェッツのCD。その中で、私の夕食に穏やかな高級感を演出してくれるのが、この2楽章だったのだ。ピッツィカートと木管の三連符の淡々とした伴奏に乗って、これでもかというぐらいの旋律をヴァイオリンが奏でる。どろどろのセンチメンタリズムを避けて、軽やかに、さわやかに、きらめく響きを聴かせてくれる。それが、天上の音楽のように美しい。触れたら壊れてしまうような、絶妙なバランスの上に成り立っている。これをエンドレスでかけながら、静かな、穏やかな、夜を過ごしていた。
 朝になると、残りのモツ鍋にゴハンを入れてモツ雑炊にして、お弁当に持っていく。「解剖前によくモツなんて食べるね」と同級生に言われて、初めて、モツと腸がつながったぐらいの鈍感さだった。それにしても、感覚というのは麻痺していくもので、実習が始まって数日経った頃には、最初に感じた躊躇はまったく消えていた。先日、久しぶりに会った同級生が言っていた。「牧菜、自分の肩に(献体の)腕を乗せて、脇の下のところを必死で観察してたよね。」
 実習の最後には、服部先生がホルマリンのバケツを提げてやってきた。クラス全員が取り囲む中、先生はいくつか脳標本を取り出して、説明をし始めた。「ここが前頭葉・・・」そして外側の話が終わると、今度は内側の構造を説明するために、先生はいきなり、がばっと標本を引き裂いた。その解体法が、タダモノではなかったのだ。いつも穏やかな微笑をたたえた先生が、ぐわしっ、ぐわしっ、と、裂きチーズのような脳組織を、力をこめて分解していく。「組織の流れに沿ってね。」みな、先生の手元に釘づけになりながら、半ば呆気に取られていた。先生の意外な大胆さがおかしくて、思わず噴出してしまう者もいた。そのとき、先生が晴れ晴れとした声で言った。「おおらかに! おおらかに! ね。」
 最終日に、口頭試問があった。「これは何ですか?」先生が指差したところを、「○○筋」「○○動脈」などと答えなければいけないのだが、覚えるアイテムが多すぎて、みんなパンク状態である。「骨?」「血管かな?」と、無茶苦茶な答え方をすると、服部先生は静かに苦笑していた。我々は先生を拝みながら言った。「おおらかに! おおらかにお願いします!」
 冬の静かな夜、このプロコの2楽章を聞くと、人体の神秘を垣間見た日々を思い出す。人間は不思議で、そして美しい。服部先生の穏やかな笑顔が浮かび、やさしい声が聞こえてくる。「おおからに!」私の大好きな言葉である。

アディンセル ワルソー・コンチェルト

2007-11-06 01:15:13 | 協奏曲
 中学1年の、誕生日プレゼントだったろうか。私の部屋に、ラジカセが現われた。CD、ラジオ、カセットテープの聞ける、黒い大きなラジカセだった。それには「タイマー予約再生」という、当時の私にとってはかなり画期的な機能がついていた。私は早速この機能を使うべく、友人がダビングしてくれたカセットテープから、最もロックな曲を選んだ。入念にテストを重ねた上、目覚まし時計より5分早く鳴るように設定すると、翌朝、大音量でラジカセが鳴った。月曜の朝から、「週末のソルジャー」という曲だった。
 それ以来、大学時代まで、目覚ましに音楽をかけていた。朝起きるのが得意でなかった私は、目覚まし時計二個と音楽をかけて、まだ寝ているような状態だった。たいていは、ノリのよいポップスや、ミュージカルのサントラをかけることが多かった。しばらく同じ曲を使っていると、体が慣れてしまってまったく起きなくなるので、ときどき変えるようにしていた。
 中学2年生のとき、引越しの際にしばらく仮住まいをした家では、母と私はベッドを並べて寝ていた。枕元には、あの黒いラジカセを置いた。母は私のお弁当を作るために、私より早起きしてくれるのだが、目覚ましは私のラジカセだった。当時は、徳永英明のアルバムを入れていた。一曲目は「君の青」。歌い出しは「♪今、夢なら醒めないで~」。私は甘い歌声を聴きながら、またぐっすりと二度寝をする。階下から母の怒鳴り声が数度聞こえて、仕方なくベッドを出るのだった。
 とにかく、朝、起きない。毎朝、母と戦争だった。起きた振りをするコツまで覚えて、ギリギリまで寝ている。起きた後がさらにひどい。なぜなら、最高においしい朝ごはんが待っているのだ。家中に甘い卵焼きの匂いが広がり、テーブルには、お弁当用の一口サイズにカラッと揚がった、極上の唐揚が山のように盛られている。これを食べないでどうする。うちの母は、揚げ物が上手で、特に生姜の香りのする唐揚は絶品だった。
「学校と、唐揚と、どっちが大事なの?!」
目を吊り上げて叫ぶ母に、即答した。
「唐揚。」
引っぱたかれるのを器用に避けながら、可能な限りの数の唐揚を頬張り、片手に掴めるだけ掴んで、もう片方の手で自転車に飛び乗る。結局こんな毎日で、高校も最後のほうは、ひどい遅刻魔だった。よく担任の先生に向かって、「まだ本鈴の余韻が聞こえる」と、わけのわからない主張をしたものだ。それでも、朝ごはんを食べずに出る日はなかった。
 さて、私が目覚ましにしたクラシック音楽の作品で一番気に入っていたのは、アディンセルの「ワルソー・コンチェルト」だ。昔、ラフマニノフのピアノ協奏曲にはまり出した頃、「おまえ、ワルソー・コンチェルト知らないの?」と父に言われて、CDを聞いてみたら、ラフマニノフよりもはまってしまったのだ。一時期、日本でも一世を風靡した映画音楽で、ある年代以上はよく知っているらしい。ラジオのクラシック番組でも、よく流れたそうだ。しかし、私の年代になると、知っている人はかなり少ない。こんないい曲なのに、なぜ忘れられているんだろう。
 この曲は、「危険な月光」という映画のために「ラフマニノフっぽいものを」という要求があって、作曲されたらしい。しかし、実際は、ラフマニノフよりさらに大衆的だ。さらに、少しグリーグのような土臭さがあって、一大衆の私にはたまらない。甘い第二主題がピアノで奏でられ、弦楽器に受け渡されると、もう何もいらない、という感じである。それに、時間的にコンパクトにまとまっていて、「おいしい」エッセンスが凝縮されていて、聞くのもお手軽なのだ。「ただの二番煎じじゃないか」と言う人には、こう言いたい。「じゃあ、ラフマニノフの良いところだけ取って、さらにオリジナリティを加えて、ここまで書けるか?」と。
 映画音楽と言えども、「ワルソー・コンチェルト」は、楽譜屋さんに行けば、「ピアノ協奏曲」の棚に譜面が置いてある。形式もちゃんとしているし、ピアノを弾くのだって難しい。クラシックと映画音楽のちょうど中間にあると言ってもいい。それに、いつも思うのだが、ロマンチックな映画の音楽は、やはりピアノ協奏曲のスタイルが似合う。ベートーヴェンやシューマンのピアノ協奏曲が、そのまま映画音楽になるように。
 曲を知っている方は、「朝から、あれ聞くの?」と言われるかもしれない。しかし、人生はドラマチックに。この曲で起きれば、映画の主人公気分、間違いなしだ。秋が冬になりはじめる真っ暗な朝、私はよくこの曲を聴いて、一日が劇的に始まる気分を噛みしめていた。眠くて、眠くてどうにもならないのだが、さあ、起きよう、きっとすばらしいことが待っている!


ブルッフ スコットランド幻想曲 第三楽章

2006-07-03 10:42:15 | 協奏曲
 来週、仲良しのテノール君の結婚披露宴に出席する。なんだか心躍る。私にとって友人の披露宴は、振袖や訪問着が着られるチャンスであり、大抵は何かしらの演奏機会であり、友人の意外な一面を発見できる場でもある。みんなが華やいだ気持ちで集まって、新郎新婦を褒めちぎる。食べたり、笑ったり、緊張したり。盛り沢山なパーティーだといつも思う。
 しかしながら、「花嫁の手紙」とか「両親からの言葉」とか、あの、涙ながらのメッセージには、どうも参ってしまう。お化粧がまったく台無しになるぐらいに、もらい泣きするのだ。音楽家の伴奏をするために、赤の他人の披露宴に出席したときも、その日会ったばかりの花嫁さんの「手紙」に泣かされて、次の日は目が腫れてしまった。
 披露宴では、友人代表のスピーチで号泣する女の子もいる。「○○子と友達で、幸せでした!」と、すすり上げているのを見ると、「おいおい、まだ誰も死んじゃいないよ・・・」と心の中で苦笑するのだが、やっぱり涙がうつってしまう。
 それにしても、身近な誰かに、改めて感謝の言葉を伝えるというのは、素敵なことだ。泣くかどうかは別として、襟を正して、普段言えない(言わない)「ありがとう」を言う。少し非日常的な雰囲気の中で、気持ちを盛り上げて、メッセージを送るというのは、素敵ではないか。そういう意味では、父の日や母の日、誕生日だっていい機会なのだ。単なる「セレモニー」だと言われるかもしれない。でも、その「セレモニー」が、大事なのだ。最近、そう思わされる出来事があった。
 私の父には、高校時代からの親友がいる。博学で、熱血で、純粋な画家のS氏だ。一緒に話していると、気分が清清しくなる。先日、そのS氏と父と3人で、お昼を一緒に食べた。いつも行く普段着のレストランだったが、彼らの間には互いに祝うことがあり、祝杯をあげた。そのときS氏が、おもむろに黄色い封筒を取り出した。封筒の中身は「感謝状」。彼はそれを淡々と読み上げた。父が最近、S氏の作品について評論を書いたことに対する、感謝の言葉だった。
 はじめはS氏の大仰な「セレモニー」ぶりに圧倒されて、くすくす笑っていたのだが、大まじめに読まれる言葉を聞いているうちに、私のほうが、胸がいっぱいになってしまった。こうして言葉にして、友情に感謝するとは、なんと美しいことだろう。父はなんといい友達を持ったのだろう。不覚にも目頭が熱くなってしまった。
 私もいつか、こうして大事な友人に「感謝状」を送りたい。実は、その際のBGMは、ずっと以前から決まっている。ヴァイオリンとオーケストラのために書かれた、ブルッフの「スコットランド幻想曲」の第三楽章。スコットランド民謡のラブソングがベースになっている大変美しい曲で、ヴァネッサ・メイもカバーしている。幻想曲全体を通してヴァイオリンの華々しいテクニックがちりばめられているが、この第三楽章は、ゆったりとした雰囲気と色気に満ちている。目を閉じると、ヨーロッパの緑豊かな広がりが、浮かんでくる。
 毎日落ち込んで泣き暮らしていた数年前、夜中によく私の愚痴に付き合ってくれた友人。鋭い言葉を投げつけて、毎回かなり険悪なムードで電話を切るのにもかかわらず、頻繁に話を聞いてくれて、励ましてくれた。その頃私は、眠れないと、この「スコットランド幻想曲」を聴いていたのだが、第三楽章が流れてくると、なぜかしみじみと反省した。「いつかは、ちゃんとお礼を言おう。」そして、心の中でひそかに「感謝状」を作っていたのだ。まだ上手く言葉にはならないけれど、いつかきっと、本当に感謝状を送ろう。いつも、ありがとう。