音の向こうの景色

つらつらと思い出話をしながら、おすすめの名曲をご紹介

Burke/Van Heusen It could happen to you

2011-06-26 23:48:55 | その他
 私がこの数年、最も影響を受けている音楽家、ジャズ・ピアニストのユキ・アリマサ氏。作・編曲家としても活躍しながら、大学で教えておられる。私の高校生時代最後の夢だったバークリー音大でも教鞭を取っておられた。音楽家という以前に、とにかく人間として素晴らしい方で、お会いするたびに何かを与えられる。そのピアノを聴くと、なんだか少し、若返る。
 最初に彼のピアノを聴いたのは、3年前の夏。小学校の音楽室だった。何気なく指を慣らし始めた音を聞いて、思わず目を見張ってしまった。音楽室のピアノとは思えない。「この人は、音がきれいだ!」ジャズ・ピアニストの音は「痛い」という私の勝手な思い込みをあっさりと覆して、ピアノが鈴のように鳴っていた。
 横浜市には、芸術家を学校に派遣するという面白い教育プログラムがあり、音楽・演劇・美術などの分野で様々なワークショップが行われている。私は06年度から、小学校での「声楽」ワークショップのコーディネーターをしている。プログラム全体の報告書の中にアリマサ氏のワークショップを見つけ、「興味がある!」と事務局に言い出したのがきっかけで、08年度から氏のワークショップも担当させてもらえることになった。
 音楽室に並んだ4年生や5年生を前に、まったく自然体のアリマサ氏。「ジャズってどんな音楽だと思った?」子どもがどんな突飛なことを言っても、上手に受け止める。騒ぐ子に対しても、引っ込み思案の子に対しても、ごく普通にコミュニケーションを取っていく。「音楽の感じ方に間違いはないからね、何でも言っていいよ。どんなふうに感じた?」
 教科書に載っている歌は、様々なリズムで演奏され、がらりと姿を変える。「ふるさと」がサンバ風になって、大盛り上がりしたりする。子どもの出した「お題」で、即興の音楽が次々と生まれる。「グリーン・グリーン」に涙が出るほどかっこいいコードがつけられたりすると、和音至上主義の気のある私はくらくらっとしてしまうのだが、たぶんそれは最重要ポイントではない。リズムを感じて、子どもたちの歌が自然にスイングしていることのほうが、素敵なのだ。
 クラスの様子に合わせて、毎回授業の中身は違うのだが、音楽の「本質」が、プロならではの方法で伝えられる。アンサンブルの極意も、シンプルな言葉で何気なく伝えられる。私は教室の後ろで記録用の写真を撮りながら、しばしば、「人生の真理」に出逢って、はっとする。それは特に、「自由」の問題だ。
 氏のワークショップの醍醐味は、子どもたちがアドリブに挑戦するところだ。「何をやってもいいから、音を出してごらん。」ふと考えてみると、私だって今までこんなことを言われたことはない。楽譜に書いてない、何も決まっていない、自由にやっていい。子どもたちは戸惑いながらも、木琴をちょっと叩いてみる。アリマサ氏はにこにこしながら、待っている。どうやら何をやっても大丈夫そうだと感じた小さなミュージシャンたちは、勇気を出して少しずつマレットを動かし始める。それは、大きな一歩だ。
 ワークショップだけでは飽き足らず、私はときどきアリマサ氏のライブに出かけるようになった。クリアで清潔な打鍵。上質で、少し複雑な、色彩のある音組織。何をしているのかわかりやすい一方、全部さらけ出さない色気がある。お客に媚を売らないところはアーティストに違いないのだが、聴き手に呼吸を許す、さりげないやさしさがある。
 聴いていると、なんだか気分が、解放される。ライブに連れて行った友人のOは、「一歩自由、もう一歩自由、そしてもう一歩、もう一歩…って感じ。」と表現していた。想像するに、氏もアドリブをするために「意識して」自由でいるのではないだろうか。やる側も自由、聴いて感じる側も自由。それを与え合うような感じがする。
 実は私が氏から学んだ最も大きなことは、他人との距離感だ。相手の自由を許すということは、ある程度自分の手から離すということでもある。「やってごらん、それは君の自由なんだ」と言うときには、「自分はそれに関与しないで待っている」というスタンスが必要だ。それはやさしさでもあり、強さでもある。
 自由にやる側も勇気がいるが、やらせる側にも度量がいる。突き放すのではなくて、相手に任せてそっと手放す。そういえば、アリマサ氏の奥様とお会いしたとき、奥様も氏に自由を与えているのだなと感じた。親子でも、恋人でも、友達でも、上手に自由を与え合う関係でいられたら、どんなに素敵だろう。
 先日聴きに行ったライブの最後は、スタンダードナンバーの「It could happen to you」だった。この曲、ワークショップ中に「ジャズってこういう音楽だよ」という紹介で演奏されたのを聞いて、いい曲だなと思った。そのとき、一人の子どもが、「ジャズって、なんかヘン!」と言った。「いいよ、それもいい感想だよ!」私もつられてにっこり笑った。
 アリマサ氏のピアノを聴くと、若返る。「まるで温泉につかったおばちゃんみたいですね」と、氏は笑うけれど。

2 コメント

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ジャズって良い!♪ (和田幹彦)
2011-07-09 17:55:03
とても目の開かれるエッセイでした。昔、ヴィーで倉庫で聴いた、クラシックから「自由音楽」に転じた転載ピアニスト、フリードリヒ・グルダの「自由音楽」のコンサートを思い出しました。
同時に、私の大好きな、Bill Evans Trioの自由さと、不慮の事故死をとげたベーシストのScott LaFaroのことも想いました…。

身近な人を亡くした今日この頃。再び心洗われるエッセイをありがとうございます♪
訂正 すみません (和田幹彦)
2011-07-09 17:56:59
ヴィー → ヴィーン
転載ピアニスト → 天才ピアニスト

注釈:
「自由音楽」=言語のドイツ語は "freie Musik" つまり free musicでした。

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