音の向こうの景色

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マスカーニ オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」より 復活祭の合唱

2009-04-04 13:59:44 | オペラ・声楽
 春。パスクワ(イースター/復活祭)の季節だ。パスクワといえば、「カヴァレリア・ルスティカーナ」。オペラを見たことがないという人に、ぜひお薦めだ。音楽は初めから最後まで素晴らしく、筋は「昼ドラ」みたいでわかりやすい。長さも1時間ちょっと。さらに、イタリア語がわからなくても、なんとなくカタカナで口ずさめる部分があるので、親しみやすい。
 このオペラ中で最も有名なのは、おそらくオーケストラのみで演奏される「間奏曲」だろう。単独で演奏会にかかることも多いし、「アヴェ・マリア」の歌詞をつけて歌曲としてもよく歌われている。ともすればお涙頂戴で感傷的になりすぎるきらいがあるが、どろどろの愛憎渦巻くこのオペラの中では、むしろ一服の「清涼剤」である。
 大学時代に参加したツアーで、このオペラの原作、ヴェルガの小説の里を訪れた。シチリア島南部のヴィッチーニという小さな村だった。「ここがサントゥッツァさんのお家、ここがローラさんのお家・・・」ガイドが指差した2つの家は細い道を挟んで、真向かい。え、近すぎない?」女たちのバトルを想像して、背筋が寒くなった。
 教会前の広場にマンマ・ルチアの店があった。我々が訪れたのはちょうどシエスタ(お昼寝)の時間で、通りには人っ子一人おらず、村は静まり返っていた。このオペラのヒロイン、サントゥッツァ役を得意とするメゾのSちゃんが、店のバルコニーに登った。メゾのQちゃんは黒いマントを羽織り、マンマ・ルチアに扮してSちゃんの前に立った。ツアー仲間が口三味線で前奏と間奏を入れ、Sちゃんはそこで「ママも知る通り」のアリアを歌った。彼女が涙ながらに歌い切ると、広場の周りの家々の窓が開き、ブラボーがかかった。春のやわらかい日差しが、まぶしかった。
 村の端から眺めると、眼下にサボテンの生えた斜面が続いていた。シエスタの静寂。動くものは何もない。時が歩みを緩めたような、春の日の午後。ゆっくりと視線を動かしているうちに、はたと気がついた。「あの間奏曲は、このシエスタの時間だったのか」
 このオペラ中で、人数的にも音量的にも最も盛り上がるのは、復活祭を祝う合唱の部分だ。激情がぶつかり合うストーリーが展開する直前に歌われる。不吉な事件の伏線を打ち消すようにオルガンが鳴り、まず間奏曲の冒頭と同じメロディーでミサの文句が舞台裏から歌われる(Regina coeli)。そして、舞台の合唱となる。「♪讃えましょう、主は生きておられる」そこへ、サントゥッツァの独唱が加わる。
 宗教的な歌詞には違いないのだが、これほど人間臭い歌もないと思う。サントゥッツァの声は、明らかに彼女の心中が穏やかでないことを現しているし、音楽自体が人間の情念そのものを突き付けてくるようで、いつもぐっと来てしまう。聖なるものに救いを求めながらも、胸の中はどろどろしている。神を賛美しながらも、俗念があふれる。なんともいえなく人間的なのだ。
 この合唱はどんな宗教曲よりも強く、私に反省を促す。昔、ある人に「お前は愛し方が下手。その愛は、罪。」と言われたのを思い出すのだ。最近は、その意味がよくわかるようになってきた。自分が誰よりも「愛せる」と思っていた傲慢が、まず罪だった。サントゥッツァのストーカー気質も他人事と思えない。人間を愛するのって、つくづく難しい。だから祈るんだろう。自分の過ちを振り返りながら、復活祭の合唱に加わっている気持ちになる。
 前述のツアーの翌々年、Sちゃんのリサイタルを主催した。助演の歌手たちを入れて、「カヴァレリア」の前半30分をほとんど全部上演した。サントッツァとトゥリッドゥの二重唱の最後に、「もう俺にかまうな!」「お前の復活祭が呪われればいい!」とセリフで罵り合う部分があるのだが、立ち稽古のときに、テノールのNくんとSちゃんは「おまえのかーちゃん、でーべそ!」「ばーか、ばーか!」と、日本語でやり合っていた。実際の日常は、できればこれぐらいの軽いやりとりで済むといい。
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