音の向こうの景色

つらつらと思い出話をしながら、おすすめの名曲をご紹介

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J.シュトラウス 「こうもり」より「侯爵様、あなたのようなお方は」

2006-11-01 10:31:48 | オペラ・声楽
 喜劇の中には「勘違い」や「人違い」の仕掛けが、よく登場する。シェイクスピアの「十二夜」で、マルヴォーリオが勘違いして手紙を読むシーンは、何度読んでも吹き出してしまう。モリエールの「守銭奴」の勘違いも、お腹がよじれるぐらいおかしい。現代のコントだって、この要素を上手に使っている。客席には、それが「違っている」ということがわかるから面白いのだ。
 オペレッタ「こうもり」では、この仕掛けがちょっと凝った形で使われている。舞台の上にも「仕掛け」を理解している人間がいるからだ。ここでは細かいあらすじには立ち入らないが、「こうもり」はどこを取っても楽しい、本当によくできた作品である。中でも、二幕にあるアデーレのアリアは、最高に素敵な一曲だ。我が家では、これを勝手に「人違いの歌」と呼んでいる。
 女中のアデーレが、女優を騙ってパーティーにやってくる。それを全く知らないご主人のアイゼンシュタインも、侯爵の名を騙ってパーティーに参加している。アイゼンシュタインは、妻のドレスを無断借用して気取っているアデーレと鉢合わせして、「うちの女中に似ている」と言ってしまうのだ。そこでアデーレは、しらを切って、逆にご主人をやりこめる。
 ♪侯爵様、よく見てください。このギリシャ彫刻のような横顔を。笑わせないでくださいな。女優の私を、女中と間違えるなんて、人違いにもほどがありますわ・・・ほほほ~。軽やかな笑い声まじりに、コケティッシュに歌われる。コロラトゥーラ・ソプラノがよく取り上げる名曲だ。聴く側としては、実に爽快な気分になるのだが、かなり難しい歌でもある。
 さて、オペラで「人違い」と言うと、私はヴェルディの「ドン・カルロ」のことを思い出す。こちらは喜劇ではないが、三角関係に絡んだ「人違い」が出てくる。ヴェールをかぶった女性を自分の愛するエリザベッタだと勘違いして、カルロは思いを打ち明ける。しかしヴェールを取ると、なんとカルロのことを愛しているエボリ公女だった、というシーンだ。その後カルロは、ちょっと情けないが、なんとかその場を取り繕うとする。
 私は以前、音大生に混じってオペラツアーに行ったときに、ボローニャの歌劇場でこのオペラを見た。エボリ公女はかなり大柄なメゾで、素晴らしい歌声だった。ところが、件のシーンで、カルロ役のテノールが、エボリ公女のヴェールを取るや否や「げっ」と言わんばかりに顔をそらしたのだ。その顔のそらし方があまりにも素早く、激しかったので、私達はその夜、この話題で大いに盛り上がった。
「あれでは、あまりに女性に対して失礼じゃない?」
「もうちょっと見てからでもいいよね。あれじゃ、ほとんど見てない。」
「何度かヴェールを覗くっていう演出もあるんじゃない?」
「どうせなら、そっとヴェールを戻して、見なかったことにする、っていうのは、どう?」
 ツアー仲間のメゾのQちゃんをエボリに見立てて、みんなでカルロの様子を繰り返し真似しては、遊んだ。
 実はちょうどこの一年前も、同じツアーでボローニャを訪れていた。食べて飲んで笑って、オペラを見て、私は初めてのイタリアを満喫していた。晴れた朝、ホテルのロビーへと降りてくると、仲間のテノールのTくんがチェックアウトをしていた。フロントデスクの前で、いやに背筋を伸ばして、生真面目な感じでペンを動かしている。その後姿を見た瞬間、なんだか、ちょっとからかいたくなってしまったのだ。私は後ろからこっそりと忍び寄り、膝カックンを入れながら(相手の膝の裏を膝で蹴る)、耳元で、わざと鼻に掛けた声を出した。
「グッモーニィーン♪」
 振り向いたのは、なんとTくんではなかった。さらに言えば、日本人でもなかったのだ。おそらく、韓国か中国の人だったと思われる。私は全身が凍りついた。どうしよう。その瞬間、私の中から発揮されたのは、カルロの気質ではなく、アデーレのほうだったのだ。私は、間髪空けずに、笑顔を見せた。
「バァーイ・・!」
 右手のひらを軽く振って、スキップでも踏むような足取りで立ち去った。そして、その男性から見えない位置までたどり着くと、無我夢中で階段を駆け下りた。地階のトイレに飛び込んだ。「私はいったい、今、何をしたんだろう・・・。自分でも、なぜかわからないけれど、笑顔で手を振ってしまった。狂った女みたい・・・。ああ、あれが韓国や中国のエライ人で、『日本人に蹴られた』とか言って、国際問題に発展したら、どうしよう・・・」パニックに陥った頭は、ありとあらゆる訳の分からないことを考え出す。しかし終いには、自分のやったことに、笑いが抑えられなくなった。
 5分もしたら、気持ちが落ち着いたので、そろりそろりと階段を上って行った。フロントには、もう、その男性はいなかった。助かった・・・。でもごめんなさい・・・。ほっとして振り向くと、メゾのQちゃんが、ニヤリと笑っていた。
「ぜぇんぶ、見てたわよお・・・」

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