1863年に壬生の地で結成された幕末の志士 「新選組」 が
壬生寺境内で大砲や剣術・馬術を訓練したという
水掛地蔵
壬生寺
奈良・唐招提寺の末寺で、平安時代(991)に創建
京都では珍しい律宗の古刹
ご本尊:延命地蔵菩薩像(重文)
壬生寺は、京都の裏鬼門に当る場所に位置していることから、厄除けのお寺としても有名
毎年2月に節分厄除大法会が行われ、古くよりの地蔵信仰とともに
厄除・開運の寺として庶民の信仰を集めています
ミャンマーの仏塔(ストゥーパ)を模した 千体仏塔
京都の都市計画中、市内各地から発掘された石仏(阿弥陀如来・大日如来・地蔵菩薩など)
千体が安置されているそうです
「壬生浪士組」
江戸時代末期、壬生の地は新選組の屯所が隣接していたことから本拠地となり
壬生寺は武芸の訓練場や兵法調練場として使われた
当初は新選組の名前は使われず、新選組の前身である「壬生浪士組」24名から発足
新選組の隊士の数はのちに200名を超えたと言われている
境内の阿弥陀堂右側に、壬生塚と呼ばれる中の島に、幕末の新選組隊士の墓などがある
では、新選組隊士のお墓へ参ります
中の島へは、朱塗りの太鼓橋を渡って
新選組局長:近藤勇の胸像と遺髪塔
新選組屯所で暗殺された隊士:芹沢鴨と平山五郎の墓
勘定方:河合耆三郎の墓の他、隊士7名の合祀墓がある
その合祀墓には、池田屋騒動で亡くなった隊士:奥沢栄助、安藤早太郎、新田革左衛門らも葬られています
近藤勇 胸像
享年35歳(満33歳没)
嵯峨菊
歴史資料室へ(撮影不可)
資料館(B1F)に降りてすぐの通路に
江戸時代に作られたという「延命地蔵菩薩像」がいらっしゃいました
ユーモラスな動きで仏の教えを説く「壬生狂言」の仮面
新選組コーナーの上部には、近藤勇と土方歳三の写真が展示されています
あとは記憶も薄くなっていますが、壬生寺の歴史書文に
「壬生寺は新選組が境内を使用しているので大変迷惑している・・・」云々
には笑ってしまった!
またこんな一面を知る事もできます
沖田総司が近所の子供達と遊んだり
近藤勇が壬生寺の伝統行事の壬生狂言を堪能していた話など
意外のようですが、青年の一面の姿ですね
ある意味で、お寺側は好意的に対応していたような気がします
新選組の近藤勇派は、農民の出身者が多く素行が悪い連中の集まりだったため
彼らの行動を抑制するため、局中法度が設けられ、少しでも触れると粛清される話や
池田屋事件もあり、新選組の人達は、物騒な人達という印象があります
また文字の読み書きができないため
近藤勇や土方歳三が署名を代筆した話があったりします
八木家住宅
近藤勇、土方歳三らの宿舎
☟
約158年前の出来事でした
金つばの幸福堂で、誠 を購入
白あんの焼き菓子 ☟
それと金つばの5種も
とても静かな壬生の町、小路を歩いて季節の花にカメラを向けた
今回、京都で行った「黒谷金戒光明寺」は新選組発祥の地なんです。
会津若松は私もお参りしました。
天寧寺
https://blog.goo.ne.jp/mairimasita4/e/0159b18303770df1e2cbf636d9fa2a66
新選組最強の剣士の一人の斎藤一が眠る阿弥陀寺も行ってきました。
https://blog.goo.ne.jp/mairimasita4/e/b35026395f8b656a5e325b1fa4583173
東京では生まれ故郷の高幡不動尊 金剛寺の近藤勇・土方歳三の大位牌が安置されています。
今思うとある意味で警察の役目をしていたのですね。
京都で乱暴狼藉を行なっていた、不逞浪士の取り締まりをするために結成されたのに、、、悲しい結果になりました。