新生フォ~☆シーズン~☆

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☆会津若松 * 天寧寺/ 鳴呼 新撰組隊長近藤勇の墳墓

2020-08-26 |  ♠ 福島県・尾瀬・会津周辺.

 

会津市街地から少し外れた小高い丘

車が通れるくらいの細い山道を進む

辿り着いた目的地は天寧寺

 

 

 

天寧寺の裏手の墓地には、新選組の近藤勇の墓があります

土方歳三が遺髪などを持っていて会津戦の折、ここに仮埋葬したという

また、藩主松平容保が京都守護職にあった際の国家老で

戊辰戦争の責任者となり明治2年に切腹した萱野権兵衛と、その次男郡長正の墓もある

 

新選組は、江戸時代末期の京都で尊王攘夷運動の弾圧に活動した浪士隊

戊辰戦争では鳥羽・伏見の戦いに敗北したあと四散し、甲州において新政府軍に敗れて解隊

局長の近藤勇は捕らえられ斬首刑に処せられた

 

 

 

遠く見下ろすは会津若松市

 

日射しの強い、細い山道を進んで

 

八重ムクゲの木陰を通って

 

会津でよく見かけた五輪塔、供養塔の五輪卒塔婆

 

歴史を感じる形の、墓石も、、、

 

緩い坂道を上がって行く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

辞世の句碑(七言律詩)

 

 

     辞世二詩

 

   孤軍援絶作囚俘 顧念君恩涙更流
一片丹衷能殉節 睢陽千古是吾儔
(書き下し文)
孤軍 援(たす)け絶えて俘囚となる 顧みて君恩を思へば涙 更に流る
一片の丹衷 能(よ)く節に殉ず 睢陽(すいよう)は千古是れ吾が儔(ともがら)
靡他今日復何言 取義捨生吾所尊
快受電光三尺劔 只將一死報君恩
(書き下し文)
他に靡き今日復た何をか言はん 義を取り生を捨つるは吾が尊ぶ所
快く受けん電光三尺の剣 只に一死をもって君恩に報いん

 

 

 

   画像出典:wikiより

 

幕末京都を騒がせた新選組の隊長近藤勇

慶応四(1868)年1月の「鳥羽伏見の戦い」の最中に総大将の徳川慶喜が突然、

江戸に逃げ帰る事件がおき、幕府軍は総崩れとなった

逃亡直前まで、慶喜「最後の一人になっても戦い抜くのだ」と言っていたのだが、、、

 

 

 

「孤軍奮闘してきたが、援軍は得られず、わたしは捕虜となった

しかしこれまで(多摩の農民出身にすぎない)私を

武士として扱ってくれた将軍家の御恩を思い出すにつけ、また涙が流れるものだ」

 

 

 

 

戒名 「貫天院殿純忠誠義大居士」

享年35(満33歳没)

 

 

 

※4月11日、江戸城が「無血開城」された

近藤の助命嘆願を勝海舟らの手で握りつぶされた土方歳三らは、

江戸を離れ、各地の旧幕府軍の残党とともに再度、戦いに加わっています

 

 

斬首された新選組長・近藤勇!その波乱と最期とは?

歴人マガジンより

コチラ

 

 

昨夜は「さらし首」「生首」とか「遺髪」とか資料を読んでいると眠れなくなり

投稿を躊躇っていた

なぜ、近藤勇の墓参に出かけたのか?

それはよく知らなかったから、、、

 

切腹も許されず、斬首に処せられた近藤勇の最期は、、、

激動の幕末、己の信じる道を貫いた近藤勇とその盟友たちの、あまりに潔い人生でした

 

 

 

 


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