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☆京都 等持院 * 足利尊氏の墓所、開山・作庭は夢窓国師

2023-07-27 | ♥京都・奈良の旅

芙蓉池を中心とする庭園

 

 

金閣寺より車で立命館大学衣笠キャンパス近くの細い路地を通り

ナビ任せで、臨済宗天龍寺派の禅寺「等持院」に到着

京都観光の王道 金閣寺から離れ、

本来の古都の静寂さに戻り、ようやく気持ちを取り戻す

しかし猛暑は変わらず、日陰を探しながら歩く

 

 

 

室町幕府の有力者であった足利尊氏が1341年に創建した禅寺

暦応四年(西暦1341年)、足利尊氏が天龍寺開山夢窓国師を開山にお迎えして

衣笠山の南麓に創建したのが、この等持院である

後に、尊氏・義詮将軍当時の幕府の地にあった等持寺もこちらに移され、足利将軍家歴代の菩提所となった

応仁の乱などの戦乱や火災に見舞われたが

豊太閤(豊臣秀吉)も、秀頼に建て直させたほど、この寺を重んじられたのである

その後も移り変わりはあるが

等持院には、足利15代、230余年の歴史を語るだけの貴重な文化財が、今なお充分に保存されていいます

 

 

創建にあたり、尊氏は足利家の菩提寺を三ヶ寺建てようと決意し

「等持寺」の名には一字に一個ずつ、あわせて三個の「寺」の字が含まれる

それが尊氏の三ヶ寺建立の願いの表れだという

足利家の三菩提寺、その第一号が「等持寺」で続いて衣笠の地に「別院 等持院」と、隣あって真如寺が建てられた

 

 

 

 

 

早い秋、イガクリ

 

 

 

 

 

史跡・名勝 等持院

 

 

等持院庫裡 拝観入口

 

 

 

名物の達磨図は禅宗の開祖である達磨大師を描いたもの

天龍寺の元管長で等持院の住職でもあった関牧翁(せき・ぼくおう)老師の作

(天龍寺にもあるものと同じ)

 

 

 

池を回遊できる庭園は、

高僧にして天才造園師と謳われた夢窓(疎石) 国師(むそう そせき)の作といわれています

この池は蓮の花を模っており、周囲には花木をあしらい草木を配して、石組も変化に富んでいる

※夢窓国師の代表庭園 ➡ 天龍寺庭園、西芳寺庭園(苔庭)など

 

 

芙蓉池 (ふようち)

拝観者は庭園を眺めながら、腰を下ろし

外から中に入って、思い思いに心を鎮め、、汗がひくのを待つ

 

 

書院では、抹茶を喫しながら、としたいところだが

水分枯渇から、氷のカチャカチャしか考えられず番茶を所望する

一気に生き返る

 

「芙蓉の月」

モチモチとした柔らかい生地、しっとりとしたこし餡

 

 

 

方丈(本堂)は

元和2年(1616年)福島正則が妙心寺塔頭海福院に建立し

文化9年(1812年)等持院に移築された古建築

 

 

枯山水

 

 

南庭をひかえた広縁を静かに歩むと、鶯張りの音がここちよく響く

 

 

 

霊光殿 足利歴代の将軍様を拝観しました

数百年前の日本人の顔・容姿はとても興味がわく

足の組み方などそれぞれが違い、個性的な将軍様たちは面白かったですね

 

引き返した渡り廊下

 

 

お庭を回遊してきます

 

 

清漣亭(茶室)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

がいなかったのは、鯉がボウフラを食していた?

 

 

 

清漣亭(せいれんてい)

 

 

 

 

 

清漣亭

 

 

 

 

 

 

清漣亭からの見晴らし

 

 

 

心字池

 

 

閑寂な庭園

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クチナシの花も終わり、青い実がたくさん付いていました

 

 

 

半夏生 (はんげしょう)

 

 

 

 

 

 

 

 

尊氏之墓所

宝筐印塔は尊氏の墓

 

 

 

半夏生の群落

 

 

 

 

 

 

入口にの葉に、赤い豆果は

ハナズオウ マメ科

 

 

 

受付の方もご親切で

とても居心地のいいお寺さんでした

 

 

 


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